私、私、私。
私を三回繰り返したところで、それは「私」とはかけ離れているみたいな気がして気持ち悪い。とはいえ「私」は私に変わる一人称がないので、仕方なく私を使い続けている。
私は一体なんなのだろうか。と私は俗に言うアラサーにもなって、悩み続けている。
そんなことを幼なじみのきみちゃんに言ったら「それは、なんていうか、悩まなくていい悩みだよ。今、大きな悩みが無いからそんな小さなことに悩んでいるんだよ」と居酒屋で言われる。きみちゃんは正しい。いつも正しい。昔からそうだった。幼なじみで幼稚園から友達で、でも中学の時は疎遠になって、でもなんだかんだでまた仲良くなれた私の数少ない友人。そんなきみちゃんが言うならそうかもしれない。大きな悩みなんてものはない。大きな病気に、大きな社会問題、大きな事件、大きな人間関係。そんなものは私から切り離されたものであるから、私は「私」という一人称からかけ離れているなーという小さな悩みに浸れるのだろう。
「きみちゃんは私って言っていて違和感を感じたことない?」と聞くと「無い」とハードボイルドに答えられてしまって、ああしまったと思うが、まあ、それはそれとして、私は「私」という一人称を使うことにずっと違和感を感じている。
感じ始めたのは中学2年生くらいの頃だったと思っていて、なんか「私」ってしっくりこないなと思い始めたのだった。とはいえ、「僕」や「俺」という所謂男性的な一人称がしっくりくるといえばそうではなかったので、そういうトランスジェンダーな悩みではなかった。
「あたし」というのも違うし「あーし」なんてのも違う。
「まみ子」という風に、自分の名前を一人称に使うのも、なんか違う。
というわけでしっくりこない。どんな一人称もしっくりこない。
26歳一般女性。という報道的な言葉使いで私を称した方がなんかしっくりくる。
しかし「26歳一般女性は~」というのはなんか違う。それこそ、なんか違う。
26歳一般女性は26歳一般女性なんだけども、それとこれは違うというか、その違いがわかっているならば、こんな悩みにはならないというか。
とにかく私は私を称することに悩んでいる。小さな悩み。あまりに小さな悩みだ。
とりあえず、一人称を使わずに会話をするのは困難を極めるので、私は「私」というのを一旦は使い続けていた。新たな一人称が発明されるまでは「私」は私でいいのだ。そう思っているけども、新しい一人称なんて発明されるわけもなく、ずっと「私」は私のままだ。うーん。しっくりこない。こないよー。
きみちゃんに相談しても一蹴されたように、私が「私」という一人称がしっくりこないという悩みは、家族が出来たとか、転職するとか、そういった悩みの前ではかき消されてしまう。そりゃそうだ。私が「私」というのに、悩んでいる間に、みんなは自分の人生を進めているのだ。
みんなの人生の進み具合に、ひやひやしながら、そして共感をしているうちに、しっくりこなさをあんまり吐露できないでいる。今のところ、言ったのはきみちゃんくらいで、きみちゃんも私の「私」問題は一蹴したので、私は私だけで「私」問題に取り組まなきゃいけないことになる。
私はなぜ「私」がしっくりこなくて、「私」を使うことに悩みを感じているのだろう?
きみちゃんが言うように「私」に大きな悩みが無いからずっとこんなことに悩んでいるのだろうか?大きな悩みがあれば、変わるのだろうか?
大きな悩み。
悩みを解決するために、大きな悩みを用意するというのも変な話で、でも、それしか解決方法が見当たらないので、私は婚活をし始める。
「俺はね、大きなことをやろうと思っていて、それを支えてくれる人を探しているわけ」とテーブルの前の男はまくし立てる。
はあ。と思いながら、この男は合わないなと思いながら、テーブルの前の男の話にうなずき続けている。
「俺はね、とにかく大きなことをやろうと思ってるの。そう大きなこと。わかる?わかってくれない?」
はあ。苦痛だ。なんかめんどくさい人にあたってしまった。しかし、この人は「俺」というのがなんかしっくりくる人だな。
俺という一人称をかろやかに使い果たしている。私の似合わない私とは全く違う気がする。どうしてこの人は俺がしっくり来ているのだろう。身の丈にあっているからか?俺を使いこなせるほどの自尊心を持っているからか?
「ねえ、聞いてる?」
と「俺」から叱られる。聞いてなかった。「俺」の話よりも、「俺」をうまく使えるあなたの自尊心が気になるのですと言ってしまうとどんな反応するだろう。
多分というか、絶対に怒るだろうな。そんなことを考えていると司会者が「じゃあ、時間になりましたので、テーブル移動お願いします」と話して、私の前から「俺」が消える。
私の前に、次々と人がやってくる。「俺」「僕」「私」「俺」「僕」「僕」「私」。
みんなうまいこと一人称を使いこなしている。どの人も「俺」であり「僕」であり「私」であった。私は「私」を使いこなせていないというのに。
時計を見る。もう少しで終わりの時間がやってくる。そもそも一人称の問題から目を背けるために参加した婚活パーティーだったせいもあって、全くといっていいほど成果がない。一人として、しっくりした会話ができなかった。みんな本気で取り組んでいるのに、私だけ、一人称の問題から目を背けるために参加している。多分失礼なんだろうなと思う。
「では、テーブル移動お願いします」
目の前にやけに毛量が多い男が座る。「よろしくおねがいします」と挨拶したあと、男が言う。震えた声で言う。自信の無い声で言う。着地点の無い声で言う。
「僕」
あ、この人もだ。と思う。
この人も、一人称が定まっていない人だと思う。
この人も、僕を使いこなせていない人だと思う。
この人も、私と同じ悩みを抱えている人だと思う。
「僕」が話し続けている。震えた声で、自信の無い声で、着地点のない声で。
「私」は遮る。
「あの、失礼な話かもしれませんが、一人称に不安を感じたことありませんか」と。
「僕」はぽかんとした顔をする。そりゃそうだ。何を言ってるんだ。私は私の思い過ごしだった。そうですよね。申し訳ないことをしてしまった。
「・・・僕が僕って言うの変でしたか・・・?」と「僕」は言う。
「いえいえ!違います・・・ただなんとなく、そう思っただけで」
「はあ・・・」
「・・・なんかすいません」
「・・・いえ、こちらこそ」
あとは無言。申し訳ないことをしてしまった。
きみちゃんに婚活パーティーの話をする。「どうなのうまくいったの?」と聞かれるが、「私は「私」の問題から目をそむけるために行った」と言うと「はあ?」と言われてしまって、結果何にもなかったことを伝えると「そんな気で行ったらそりゃうまくいかないよ。うまくいくものもうまくいかないよ」と言われる。
その通りだと思う。
「なんで、そんな「私」ってことをうまく使えないことに悩んでるの?もしかしてずっと悩んでたの?」ときみちゃんが言う。
「中学くらいからかな」
「じゃあ、中学の時になんかあったんじゃないの?」
「えーなんかあったのかな」
「じゃなきゃここまで悩まないでしょ」
「そうかな」
「そうだよ」
というわけで、私は週末に実家に帰ることにする。
実家の私の部屋は22歳で家を出た時のまんまになっている。まるでタイムトラベルだと思うけども、たった4年前のことなので、よくよく考えるとそれほどタイムトラベルをしているわけではない。しかし、22年をこの部屋で過ごしたので、あらゆる時間が降り積もっている。
私は、部屋をかき分けて14歳~15歳の頃の断層を見つけようとする。
でも、出てくるのは当時好きだった雑誌、当時買っていたCD、当時読んでいた漫画ばかりだ。私はそれらに行き当たる度に、それを読みふけり、それを聴き浸り、それらを繰り返しているうちに、土曜日は終了。
久しぶりに実家でご飯を食べる。母が聞く。「なんで帰ってきたの?」「いや、どんな中学生だったかって気になって」「そんな理由?」「うん」「相変わらず、変なこと考えてるのね」「いや、そうでもないけども」「昔から、なんかずっと変なことに考えていて、考え始めたらそれに一直線だったものね」「そうだっけ」「そうよ」「そうか」「そうよ」
ご飯を食べ終わったあと、母が水色の表紙のアルバムを取り出してくる。
「なにこれ」
「なんか話していたら思い出しちゃって、あなたのこと」
といって、ページをめくると、小さな子どもが写っていて、それはどうやら私らしい。
小さな子どもの私がはしゃいでいる写真が何枚も出てくる。海辺ではしゃぐ私。遊園地ではしゃぐ私。桜の下ではしゃぐ私。
「なんか、私、私じゃないみたい」
「この頃は、元気だったのよねー」
記憶にある私は内気気味だったはずだ。もっと、静かで、物陰に隠れていて、じっとしているような。
「保育園に入ってから、あなた内気になっちゃったのよねー」
「そうだっけ」
「そうよ。それからは暗い子。こんなにはしゃいでたのが嘘みたい」
嘘みたいな写真が何枚も続いていく。まるで私じゃないみたいだ。この「私」は一体どこに行ってしまったのだろう?私はいつ内気な「私」になってしまったのだろう?
久しぶりに実家の布団で眠ると、疲れがたまっていたのか昼過ぎまで寝てしまい、うわわああ!と残り数時間しか探索に当てられないことに気がついて絶叫。
すると、絶叫に気がついた母が、またやってくる。「何騒いでるの」とその手には私の中学の卒業アルバム。「あ、」「これ?見つけたよ」と言って渡してくる。
私は中学の卒業アルバムを開く。様々な写真。でも、多くの写真の中に私は写っていない。ページをめくる度に、私は内気な人間になってしまっていて、隅っこにずっといたことを思い出して、ああ胸が痛い。写真家がカメラを向けるのはクラスの中心人物ばかりで、隅っこにいた私がかろうじて写っている写真は、修学旅行の時に、あまりもので構成されたグループの端っこで弱々しいピースをしている私。
「あー」と私は唸って、この頃のことを瞬時に思い出す。
私は、京都に修学旅行に来ていた。余り物で構成されたグループだったから自由時間もさしてもりあがらず、寺や、お土産店も形式的に回るだけだった。そして余り物グループの中でも、さらに余り物になっていくという感覚が時間と共にどんどん身に染みていった。要するに、余り物グループの中で、仲良くなっていく人たちがいたのだ。私はその余り物グループの中から、さらに余ってしまった。そんなときだった。
私って「私」じゃないなあ。
突如、その疑問が去来したのだった。
私は全てに納得して、私は卒業アルバムを閉じる。そうだ、全てはあの瞬間だ。あの瞬間に、来てしまったのだ。なんてことだ。14歳の時に感じた寂しさとか虚無感を今の今までなんとなく引きずってしまっていたなんて!
私は卒業アルバムを手にとり、そのまま一人暮らしの家に帰ってきた。きみちゃんに報告したい気持ちになるけども、きみちゃんは「私」問題なんてどうでもいいことを思い出して、ぐっと我慢した。というか、卒業アルバムできみちゃんはめっちゃ写っている。私とは大違いだ。きみちゃんは私とは違って友達も多い。私は全然友達がいない。私が「私」であることにしっくりきていないのは、小さな問題だときみちゃんは言っていたけども、それは大違いだ。私にとってはこれは大きな大きな問題だ。とても大きな問題だ!私は、なんとかしなきゃいけない。私であることを使いこなせるようにしなければいけない。疎外感や虚無感から発生していたこの私問題をなんとか解決しなきゃいけない。
しかし、どうやったら解決するだろう。
今更、友達を沢山作れるわけもない。
というか、少ないなりに友達はいたわけだし。なのに、これを引きずっているのはどういうことだ。
私は、まだ足りないということか?少ない友達だけじゃ、だめなのか?
私は「私」であるとしっくりくるためには何が必要なのか?
それを確かめるためには、始まりの地に行くしかない。
というわけで次の週末には私は京都に来ている。12年ぶりの京都。久しぶりだ京都。
私はかつて修学旅行で行ったルートをわずかな記憶を頼りに思い出しながら辿っていくことにする。京都タワー。清水寺。そして寺町。京都市バスを乗り継ぎながら歩いて行く。私は何をしているのだろうと思う。私は「私」というのをしっくりさせたいだけだったのではないか。なのに、なぜ私は今、一人で京都観光を、それもかつての修学旅行の記憶を反芻させながら歩んでいるのだろう?
私は一体何をしているのだろう。といいつつも、そこは素晴らしき土地、京都。私はすっかり魅了されており、全く楽しくなかった14歳の頃とは違って、だいぶ楽しんでいる。 一人旅もいい物だな。私はこれまで一人旅というものをやってこなかった。でも、こうやってみると、一人旅というのは気軽にできるし、そして何より私に凄く合っている。
しっくりくる。私にしっくりくる。私は一人旅をしたかったのだろうか。
いや、そんなことを確認しにきたわけじゃない。私は「私」じゃないなと思ったことを取り除きたいのだ。しかし、いかんせん疑問が観念的すぎる。京都に再び来たくらいで、それは解決できるのか?でも、来てしまった。そこそこ遠い距離を私は新幹線に乗ってやってきた。お金だって馬鹿にならない。そもそも行動力があんまり無い私がここまでやっているというのは相当悩んでいるからじゃないか?
と、一人でぐるぐる悩みながら、寺町を歩いていると、修学旅行生の一群に遭遇する。 かつては私もあんな風に京都に来ていたわけか。と思っていると、集団の端っこ、さらに端っこにやぼったいオーバルの眼鏡をかけた、やぼったい女の子を見つける。
あっ、私だ。と思ってしまう。
私じゃないけども、私だ。あれは12年前の私だ。
一群から外れないように歩いているだけで、心ここにあらずな表情をしているあの子は私だ。私なんだ。
だから、どうするわけでもない。
私は、私が通りすぎていくのを見る。私は、12年前の私が通りすぎていくのを見る。
12年前の私だったら、どうされたかった?私はあのときどうされたかった?私は「私」じゃない。と思わず思ってしまったあの時、本当は何をしてほしかった。
12年前の私を追いかけたくなる。でも、やめる。あれは12年前の私じゃない。
現在の私でもない。
12年前の私によく似た、誰かだ。
もし、今追いかけて、何かをしたところでそれは不審者だ。
私が何かをするならば、12年前の私にじゃない。今の私にしてあげるべきなのだ。
原因が12年前にあるにしても、私が治癒できる私は現在の私だけなのだ。
原因は中学生の頃の修学旅行で感じた疎外感だった。その瞬間、私は私というのがしっくりこなくなってしまった。その疎外感は今の今までなんとなく引きずったままだ。高校生になっても疎外感があって、大学生になっても疎外感があって、社会人になっても疎外感があって、結果私は私というのがしっくりこないままだったのだろう。
じゃあ、どうすればいいの?と私は京都の東横インの一室で悩み続ける。どうしたらいいんだ。居場所をみつければいいのか?数少ない友人達がいるだけじゃこれは解決しないのか。解決しないんだろう。だって、それで満足していたら、私はこんな悩みに陥り続けなくてよかったはずだ。居場所。居場所!?26歳一般女性にもなって、私は居場所がないことに悩んでいる。いや、あるのだ。きみちゃんは話を聞いてくれているし、今の職場も悪いわけじゃない。なのにしっくりこない。どうしたらいいの。
私は気がついたらビールを2缶開けていて、気がついたときには眠っている。
そして起きたら11時近くて、チェックアウトに時間はもうすぐでまた「うわわわあ!」と叫んでしまう。
なんで二日目はだいたい寝坊してしまうのか。私がどうのこうの言う前にここを直さないといけないんじゃないか。と悩みながらテレビをつけるとサンデージャポンが流れている。あ、低俗番組!と私は思うが、部屋を出る準備をしながら流し続ける。
するとテレビに宇垣美里アナウンサーが写る。宇垣美里さんは悩みを吐露している。
お前はいい目にしかあってこなかっただろうとか言われていることを吐露している。
そして最後にこういう。
「みんな、それぞれの地獄があることになんで気がつかないんですかね」
私はその瞬間、ぼろぼろと涙を流している。
ぼろぼろとぼろぼろと、自分でも抑えきれないくらい涙が流れ出る。
そうだ、それぞれの地獄があるのだ。
宇垣美里さんにも地獄があって、きみちゃんにも地獄があって、あの昨日見かけた子にも地獄があって、私にも地獄がある。
私の地獄は、ずっとこれという居場所がないことだ。そして私は私ということにしっくりきていないことに繋がっていることだ。
そうだ地獄なんだこれは。
地獄にいるからずっと悩んでいたんだ。
小さな悩みなんかじゃない。大きな悩みだ。だって地獄にいるのだもの。
地獄にいるのに、小さな悩みなんて思えるわけがない。
サンキュー宇垣美里。私はあなたのことを肯定する。だって私のことを肯定してくれた。 だから、私は居場所を探そう。自分が自分でいれる居場所を探そう。
東横インのチェックアウト時間ぎりぎりで退出した私は、その足で鴨川に向かう。せっかく京都に来たのだから鴨川を見ようと思ったのだった。鴨川等間隔と岡崎体育が歌っていた奴を見たくなったのだ。
鴨川に来ると、男女が等間隔にならんで座っていた。延々と、延々と男女が連なっている。この人達も、この人達の地獄があるのだろうか。私には居場所を見つけた人たちに見える。でも、多分地獄があるのだろう。そう思うと、この世界は煉獄のように思える。いかんいかん、また悲観的になってしまった。私は、男女が並んでる近くを歩いて行く。
すると、一人ぽつんと座っている子を見つける。
横顔だけども、わかる。昨日のあの子だ。
オーバルの眼鏡をかけた野暮ったい子だ。
私は思わず、じっと見つめてしまう。多分、自由行動の群れから外れてしまって、何にもすることないからここにいるのだと思う。
そう思えるのは私が12年前の私をトレースしているからだ。私も、結局ひとりぼっちになってしまったんだよなあ。そうだ。ああ、思い出したくないこと思い出してしまった。
すると、彼女は私の方を振り向く。私と目が合う。彼女はぎょっとする。
「あっ」と声が出る。彼女はか細い声で「えっ」と言う。
「あっ」とまた声が出る。彼女はか細い声でやっぱり「えっ」と言う。
気がついたら頭の中はぐちゃぐちゃだ。どうしたらいい。こういうときどうしたらいい?
「あのさ、12年後から来たって言ったら信じる?」
気がついたらそんなことを口走ってる。
「えっ?」
完全にやばい人を見る目だ。というかやばい人だ、私は。何を言ってるんだ。
でも「っていうのは嘘だけども」と言おうとしたら、「12年後の私?」と彼女は言う。
何で信じるんだ。やばい人だろどう考えても。
でも、私は彼女の隣に座る。そして彼女と鴨川を見ながら話す。
「12年後から来たんですか」
「うん」
「・・・なんで」
「・・・君・・・というか私を助けるために・・・?」
「・・・ええ・・・」
「・・・まあそうなるよね・・・」
「・・・そうなりますね・・・」
間が生まれる。というか、間しか生まれないよこんな状況!どうしようかと思う。でも、喋りかけてしまったのだ。昨日、救えるのは現在の私だけとか言ってくせに、喋りかけてしまったのだ。どうしよう。と思ってると彼女が口を開く。
「12年後の私って、どうなってます?」
12年後の私。彼女は私の嘘を信じているのか、それとも乗っているだけなのか。わからないけども、そういうような質問をしてくる。だから考える。彼女のことを思って考える。私は彼女だ。私は12年前の彼女であって、12年後の彼女だ。だからこの回答だけは間違えちゃだめだ。
「12年後のあなた・・・っていうか、私だけども、まずさ、身体を見てみてよ、ぴんぴんしてるでしょ」
「あ、そうですね」
「だから、健康。それだけは安心して」
「よかったです・・・」
「・・・」
「・・・私に友達はいますか?」
彼女は真剣なまなざしで聞いてくる。その気持ちが強いほどわかる。彼女は12年前の私だ。12年前の私に友達はいなかった。でも、12年間に起こったことを伝えればいい。
「友達はね、いるよ」
「・・・沢山?」
「・・・いや少ない」
「・・・そっか・・・」
彼女は落胆する。でも、その後が大事なのだ。
「でも、みんな大事な友達だよ。少ないけども大事な友達」
「大事な友達ですか」
「そうだよ!数じゃないよ!大事な友達だよ」
「そうですか」
「あのね、ええと・・・12年後のあなた、っていうか私なんだけども、私はくだらない悩みに取り憑かれるんだけど」
「ええ・・・どんな悩みですか・・・?」
「ええ・・・それは秘密にしておこうかな・・・なんか変な絶望を与えるのもよくないし・・・でも、凄くくだらない悩み。本当凄くくだらない悩みだよ・・・でも、そんな悩みを聞いてくれる友達はいる」
「そうですか」
「うん・・・なんていうか、一度その友達とは疎遠になるんだけども、また仲良くなる。趣味とか合わないんだけどもね」
「へえ」
「でも、大事な友達だよ。大事にした方がいい」
「そうですか」
「それ以外にもいるよ友達。高校とか、大学とかで、できる・・・少ないは少ないけども・・・でもいい友達ができる」
「・・・そっかー」
「うん」
彼女は鴨川を見つめる。鴨川は陽の光が当たってきらきらしている。彼女はどう思っているのだろう。私の嘘に付き合っているだけなんだろうか。それとも本当に希望を持っているのだろうか。私はよくないことをしているんじゃないだろうか。でも、でも。でも!
だから私は12年前に言われたかったことを言う。
「今、寂しいよね」
「・・・はい」
「正直、未来のこととかどうでもいいくらい寂しいよね」
「そうですね・・・」
「めっちゃ周りとか憎いよね」
「・・・憎いですね」
私は今の私しか救うことができない。でも、それは12年前の私だったらの話だ。
彼女は今の彼女だ。今の彼女なら救うことができる。少しだけは。
私は腕を広げる。
「・・・なんですかそれ」
「・・・ハグしてあげようと思って」
「・・・ハグですか」
「・・・さすがに気持ち悪いよね」
「・・・・・・」
今の彼女は私の腕の中に飛び込んでくる。そして泣き始める。
「わあああああああああああああ」
私は今の彼女を優しく、優しく抱きしめる。
あのとき、私が欲しかったのがこれであるかどうかなんてわからない。でも、私は寂しかった。12年前の私は寂しかった。居場所がなくて寂しかった。だから今の彼女の居場所に少しでもなれるように私は抱きしめる。少しでも居場所になれるように抱きしめる。
しかし、26歳女性が、中学生女子を抱きしめているのは、やばい気がする。私はやっぱり何をしているんだろう?
何分経ったんだろう?私は時間の経過がわからない。今の彼女は私の胸の中で泣き続け、泣き続け、そして泣き疲れてしまったようだ。私は鞄の中から、お茶を取り出して、彼女にあげると、彼女は勢いよく飲み干してしまった。
「・・・ありがとうございます」
彼女は時折まだ泣きじゃくりながら、私にお礼を言う。
「いいよ。いいよ」
「・・・12年後の私って優しいんですね」
「・・・違うよ。ずっと君の・・・っていうか、私は私のままでいたんだよ、だからやさしいままなんだよ」
「・・・そっか・・・私は私のままでいれるのか」
「うん」
「・・・ありがとうございます」
そして今の彼女は腕時計を見る。そして「あっ」という。「もうすぐ集合時間みたいです」
「そっか」
「12年後の私さん。ありがとうございました」
「いいえこちらこそ」
「・・・また、会えますよね」
「会えるよ。だって12年後の私だもん」
「・・・そうですよね。じゃあ、12年後に」
「うん」
「じゃあ」
そういって、今の彼女は駆けだしていった。鴨川には私1人取り残された。
私はしばらく鴨川を眺めていた。
私は彼女を彼女の地獄から少しでも救い出せただろうか。私は空手形の希望を彼女に与えただけじゃないだろうか。
違う。違うと思いたい。彼女は、なんとかなるはずだ。私だってなんとかなったんだ。
私だって、少ないけども居場所を見つけれた。それに気がついたのは、彼女に話しながらだったけども。そう、居場所だ。少ないけども、居場所は見つけれていたんだ。
昨日、東横インで居場所がないーとか唸っていたけども、ずっと居場所はあったのだ。
私には少ないけども友達はいた。
それぞれの中に居場所はあった。
くだらない話を聞いてくれるきみちゃんがいた。
中学の時に疎遠になったけども、その後、なんとなくまた仲良くなったきみちゃんがいた。
だから、私には居場所はあったのだ。
それに気がつくかどうかだったなのだ。
私は私ということがしっくりきていない間中、ずっと居場所があったのだ。
それに気がつけていなかっただけだったのだ。
だから、彼女もその小さな居場所さえ見つけれたらあとは大丈夫。
そこを大事にするだけでいい。
その小さな居場所を大事にするだけでいい。
私はスマホを取り出して、きみちゃんに電話をかける。
「もしもし、きみちゃん。うん。いや、特に用事はないんだけども、なんかさ、ありがとうって言いたくなって」
きみちゃんは当然、はぁ?とか言うけども、私の話を聞いてくれる。
そう、「私」の話。
私は私で私だ。
他の誰でもない私だ。
私はこれからも私として生きていく。
寂しかった12年前も含めて私で、私しかない地獄を生きているのも私で、小さな居場所をつかめている今も含めて私だ。
私は、私でいいのだ。
しっくりこない部分も含めて私なのだ。
だから、私はずっと私でいる。
「ねえ、私、今どこにいると思う?」
「どこにいんの?」
「鴨川」
「え、京都の?馬鹿じゃねえの」
「ははははは」
そう言ってる私の目の前は鴨川が流れている。川面はきらきら光っている。私の周りには沢山の他人がいる。そして数え切れないくらいの地獄があって、数え切れないくらいの世界につつまれている。
私は、今、鴨川を見つめている。
私はここにいる。
今、ここに。