にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

ゆっくりだけども進んでいる。

 相変わらず眠れたり眠れなかったりする日々を過ごしている。今日は30分の睡眠と、1時間の睡眠と、2時間の睡眠しかできなかった。睡眠薬を飲んでいるにも関わらず。7時間眠れるという睡眠薬を飲んでいるのに全く眠れないとはどういうことなんですか。

 どういうことなんですかという言葉を打つとその後に琥珀さん!という名前を呼びかけたくなるのはHiGH&LOWの影響で、今もなんとか琥珀さんという名前をつけないように頑張ったが、結局このように書いてしまっている。そしてすぐに話が脱線する。うわわ。

 とにかく眠れない。眠れないのはどういう理由なのか。やっぱりまだメンタルがそれほどよくないからなのか、それとも抗うつ剤が効き過ぎているのか、どういう理由なのかわかんないけども、眠れない。

 眠れないので、最近は夜中に有吉弘行のサンデーナイトドリーマーを聞いたり、ドキュメンタリーを見たり、読書をしたりしている。そんで、朝にはなんとか起きたりしている。

 朝に起きたら、今度は復職のトレーニングってことで、図書館に通うようにしている。図書館を職場と見立てて、通うのだ。

 しかし、図書館に行っても、なんというか、2時間ほどで飽きてしまう。もっと読書に集中できればいいのだけども、気が散ってしまう性分なもので、すぐにふらふらと2時間もすれば外に出て、近場のドトールへ行く。近場のドトールは数時間滞在しても何にも言われないので、大変役に立っている。で、現在もこの文章をドトールで書いているわけです。

 


 産業医さんと面談を行った。最近どうですか?という話になったので、これこれこうで、良くなっている気がしますと言う話をした。それで、図書館に通うという話になったのだった。確かに良くなってきている。まあ、だめな日は相変わらずだめなんだけども、それでもいい日はだめな日を忘れるくらいには調子が良い。

 相変わらず、突然やってくる外圧ボールには弱い。やっぱりというか、精神的な耐久性は低くなっているみたいで、すぐにぐちゃりぐちゃりとなってしまうけども、普通に過ごしている分には普通に過ごせる。

 大きな進歩だと僕は思う。

 着実に良くはなってきている。着実に良くはなってきているのだ。もう少しだ。焦ることはない。本当よくなってきているんだから、焦っちゃだめ。

 


 先日、河川敷で一晩過ごした。友人達と一晩河川敷で過ごした。いろんなことを喋った。沢山喋った。そのうちに、沈んでいた日が上がり、川面が朝日で照らされた。

 夜を使い果たした。久しぶりに夜を使い果たした。翌日というか、一晩起きた次の日は、ぐったりと一日中寝たけども、夜を使い果たすのは楽しいもんだなと思った。

 あの川面の風景をまた見てみたい。あとの人生でどれくらいあの風景を見ることが出来るだろう?あの河川敷に流れていた楽しい時間を何度楽しめることができるだろう?

 意外とあるのだろうか、ないのだろうか。でも、あったらいいなと思う。まだまだ楽しみたい。もっと人生を楽しみたい。

 


 新作の短編小説が書けた。「ランプ・妖精・ミルクフランス」という短編だ。ドトールの店内のランプを見ていたら、なんとなく思いついた話だったけども、書いていくうちにどんどん広がっていって、そして落ち着くところに落ち着いて、結果として久しぶりにちゃんと書けた物語になった。

 嬉しかった。まだ書けるやん俺と自分のことを褒めたくなった。

 書けた日は嬉しくて、余韻で少しばかり眠れなかったくらい、嬉しかった。

 前に書くことが自分の居場所だと思うということを書いたけども、本当にそう思えた。書いている最中、本当に幸せだった。

 気持ちが良かったのだ。手から、頭から、文があふれ出て幸せだった。

 プロじゃ無いから書くことを自分はコントロールできない。要するに、書けないときに書くことができない。ムラが凄い。書けるときと書けない時のムラが凄くある。

 なので、前回の書いた短編から一ヶ月半くらい経ってしまった。その間、むなしさがあったけども、書けてしまえばこっちのもんよとも思えた。というくらいには嬉しかった。

 あんな風にまた書けたらなと思う。その一方で書けないときにも書けるようにもなりたいと思う。

 


 今日はそれから脚本を途中まで書いた。3時間半ほどぶっ通しで書いた。会話劇の脚本だ。上演する予定はない脚本だ。とりあえず前に後輩に書くと言ったのでその約束は果たそうと思って書き始めた脚本。

 自分なりの会話劇ってのを(自分ってのが薄いとは重々承知で)書いてみた。思えばちゃんとした会話劇を書くのは初めてだ。というより、自分の話じゃない脚本を書くのは初めてだ。小説では書けてたのですが、脚本はいつも身を切るような話しか書けてませんでした。あとちゃんとした会話をさせているのも初めてかもしれない。とりあえずチャレンジしております。面白いかどうかは今のところわかんないですが・・・

 

 

 

 明日は一ヶ月ぶりのメンタルクリニック。この一ヶ月はなにやら怒濤だった気がする。いろんなことが起こって、頭もぐちゃぐちゃになって、それで今やっとすっきりして。そんなことを話せたらと思う。

 


もう少しで休みはじめて1年経つ。休み始めた時はこんなに長くなるなんて思わなかった。こんなに休むなんて思わなかった。でも、ちょっとずつ変わってこれている。ちゃんと前に進めている。歩みは遅いかもしれないけども、ちゃんと進めている。

 それを明日は話そうと思う。

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短編小説『ランプ・妖精・ミルクフランス』

 ランプの中には妖精がいて、その妖精が光を放っているものだと私は子どもの頃信じていた。すべての光は妖精の光。私はそう思っていた。どのタイミングで真実を知ったのかは今となっては思い出せない。でも、どこかの瞬間にランプの中に妖精なんていないこと、そもそも妖精なんていないことを私は知ってしまって、あとはどうしようもない現実に向き合うしかなかったのだ。

 


 「向坂さん」

 と私の名を呼ぶのは先輩の竹柴さんで、書類の束を渡される。これこれを何時までにお願いねと言われながら渡される。私はうなずいて、処理し始める。あの書類は2時までに、この書類は3時までに、ちゃっちゃっちゃと処理していく。パソコンの画面を見続けて目がしょぼしょぼしてくる。ドラッグストアで買った一番疲れ目に効くという赤色の目薬を目に刺す。目をしばしばと瞬かせて、書類の山に目をやると、そこに小さな妖精のようなものがいる。

 あっと思わず声をあげてしまって竹柴さんが「どうしたの?」と聞いてくる。私はなんでもないですって言って、もう一度書類の山に目を通すと、やっぱり小さな妖精がいて、こっちをじっと見ている。小さな妖精は二頭身で、白い肉付きのいい身体をしていて、もののけ姫に出てくるあの小さなやつみたいだなと思う。でも、あいつと違って妖精だと認識したのは羽が生えているからで、それがなかったら、私は何か別の物だと認識していたに違いない。

 何度瞬きしても、その妖精は消えないので、見えてしまったと私の脳は認識してしまう。妖精がついに見えてしまったのだ。

 しかし、見えてしまったからと言って、どうなるものではない。私は終わらせなきゃいけない書類が山のようにあって、やらなきゃいけない仕事が鬼のように迫っていて、そんで、そんで、そんで。

 とにかく妖精にかまっている暇なんてないのだ。

 そうだ、妖精にかまっている暇なんてない。

 私は仕事の続きをする。

 ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃ。とこなしてく。エクセル、ワードを使いこなして仕事を終わらせていく。

 その間も視界の隅に妖精はいて、妖精は私の席の周りをずっとうろうろしていた。一度しっかり妖精の姿を見たとき、妖精は踊っていた。正確に言えばボックスを踏んでいた。妖精ってボックス踏むんだ。

 4時になった。書類の山は徐々に減っていく。もう少しで、山は山でも天保山くらいになる。小さな山になる。

 また目がしょぼしょぼしてきたので赤い目薬を注す。そういえば妖精が見えるようになったのは、この目薬を注したからだった。つまりはもう一度注せば妖精も見えなくなるのではないか。そう思って、注して、目をしばしばしばしば。書類の山に目をやると、やっぱり妖精はいて、妖精は私の目にしっかり見えて、あーやっぱ見えんじゃんって思ったら妖精は口を開いた。

 「見えてるんでしょ?」とかわいい声で私に向かって言い放つ。

 「うわっ!」と私は思わず大きな声をあげてしまった。社内中の人々が私を見る。

 どうしたどうした。とざわざわざわ。竹柴さんも心配そうに話しかける。私は思わず、言ってしまう。

 「あっ、なんかやばいくらい頭痛してきたので、今日は帰ります」

 

 

 

 帰れることになった私は家に帰る途中の電車の中で、心療内科の予約を入れる。妖精が見えるなんてこと心労以外にありえないとやっぱり思ったのだ。そうだ、あのときは仕事をぶわーってやってたから正常な判断が出来なかったけども、これは心労以外にありえない。妖精なんていないんだから、そうだよいないんだよ。

 でも、妖精は私のバッグの中に入り込んでいたらしくて、電車の中座っていたら、バッグの中からもぞもぞと出てきて、私に話しかけてくる。「ねーねー見えてるんでしょーねーってばー」

 私は一切無視する。疲れているだけだ。私は疲れているだけ。そう、疲れているだけなんだって。

 そう思いながら、家の最寄り駅に降りて、家に帰る途中も、ずっと妖精は私の周りを飛び回っている。

 ぶわわわわわわ。と羽音を響かせて、私の周りを飛び回る。

 「ねーねー」

 見えてない。見えてちゃだめなんだって。ずっと私は私を納得させようとする。心療内科の予約は取るのが難しくて1週間後になった。この心労をかかえて1週間過ごすのは辛いなって思ったし、心療内科の先生にはどう説明したらいいかわかんない。妖精が見えるようになったんです。あらそうですか。じゃあ、精神安定剤ですね~の未来しか見えない。そして現実は妖精が見えてるし、話しかけてくる。

 狂いそう。いや、狂ってしまっているのか。

 ぶわわわわわわと聞こえる羽音をシャットダウンさせるために、イヤホンを耳に差し込んで、音楽を流す。システム・オブ・ア・ダウンを聞く。大音量で聞く。ぶわわわわわって羽音は轟音にかき消されて聞こえなくなる。でも、妖精は私の前に飛んできて、私の前で口を動かす。声は轟音で聞こえないけども、何言ってるかはわかる。「無視しないでよ」って。

 


 家に帰って、私はベッドに倒れ込む。どうしよう、私、狂ってしまった。狂ってしまった私のことを今後誰が助けてくれるのだろうか。というか、狂ってしまったら今後私はどうやって生きていけばいいのだろうか。妖精が見えるようになりましたなんて、閉鎖病棟一直線だ。というか、薬物検査とかもされるのだろうか。私、クリーンに生きてきたはずなのにな。

 と思っていたら、妖精は私の枕元までやってくる。

 「ねー、ここだと誰もいないから話してもいいんじゃない?」

 ともっともなことを妖精は言ってくる。

 ああ、そうだ、私は妖精と一切コミュニケーションを取らずにここまでやってきた。家までの間一切、話すことなく。だって話してしまったら、私は本当に狂ってしまったことを誰かに見せてしまうからだ。でも、この家の中ならば、まだ大丈夫かもしれない。誰もみていない。

 「・・・あなたは妖精?」

 妖精はボックスを踏みながら私に答える。

 「そうだよー」

 「なんで、私、あなたの姿が見えてるの?」

 「それはねー、わかんなーい」

 「私、狂っちゃったの?」

 「それもねー、わかんなーい」

 「じゃあ、なんでコミュニケーション今できてるの?」

 「それもねー、わかんなーい」

 妖精との会話は以上のように不毛なものであった。その間、ずっと妖精はボックスを踏み続けていた。もう、私はだめかもしれない。故郷の母の姿を思い浮かべていた。この前、年末に帰ったら、少し小さくなっていた母の姿。母になんて言えばいいのだろうか。妖精が見えたよ。ああ、母は泣き出すだろう。あんだけ手塩にかけて育てた娘が狂ってしまったなんて。

 「ねーねーお願いがあるんだけどもー」

 とボックスを踏み続ける妖精が私に尋ねてくる。

 何?と聞く。

 「一緒に神戸に行って欲しいんだけどもー」

 

 

 

 翌日、私は高熱が出たと言って会社を休むけども、高熱なんて出ていなくて、妖精を連れて新幹線に乗って神戸に向かっている。

 「あのねー、神戸にあるイスズベーカリーってパン屋さんのミルクフランスが食べたいんだー」と妖精は言った。あ、そう。神戸ってここから凄く遠いよって言ったら「だからこそー見えてる向坂さんに頼んでるんだよー」って妖精。

 何で私の名前を知ってるの?って言うと「だってずっといたじゃんー」って妖精は言う。そう言われても、私はあなたのことを知らない。でも、妖精はずっとボックスを踏み続けているし、正直仕事に戻れる気がしていなかった私は神戸行きを了承してしまう。

 新幹線の車内の中で、ぼんやりし続ける私を横目に席についている小さなテーブルの上でも妖精はボックスを踏み続けていた。

 「楽しみだなー神戸初めてなんだよなー」

 喋りかけることに抵抗があった私は携帯のメモ帳を開いて、書き込む。

 ”なんでそのミルクフランスが食べたいの?”

 「だって、向坂さんと一緒に聞いたじゃん」

 "何を?"

 「星野源オールナイトニッポン

 そういえば、一年前くらいの星野源オールナイトニッポンtofubeatsがゲストで出ていた時に神戸のイスズベーカリーのミルクフランスが美味しいって話題になっていたはずだ。

 私はそのラジオを家で一人で聞いていた。そのときからいたってこと?

 "あなたってずっと私の近くにいたの?"

 「うーん。いたりいなかったりだよー」

 ”どういうこと?”

 「ぼくだって、あちこちいきたいときがあるんだものー」

 って言って、ボックスを踏み疲れた妖精はそのまま寝てしまった。

 


 神戸に初めて来た。

 そもそも、そんなに旅行しないし、住んでるところからあんまり離れたこと無い。出不精なタイプなのだ、私は。でも、今日は妖精に言われるがまま、神戸まで来てしまった。何をやってるんだ私は。と思うけども、神戸のイスズベーカリーのミルクフランスは私も食べたかった。それこそ「星野源オールナイトニッポン」で紹介されたときに、食べたいって思ったのだ。でも、私が住んでる場所から神戸は遠すぎる。だから行くことはなかったのだ。

 今日は来ている。神戸に来ている。

 新幹線を降りて、在来線に乗って、イスズベーカリーがあるという駅に降りたって、イスズベーカリーに向かう。

 イスズベーカリーは坂道の途中にある。

 「あ、あったよー!」私の周りを飛び回る妖精が嬉しそうな声を出す。

 わかってるよ。見えてるんだもの。

 私は店内に入って、トングを持つ。かちかちかちとならす。

 「なんで、それをかちかちさせるのー」無視。なんで、とかわかんないし。それより早くミルクフランスを買おう。

 ミルクフランスは店内のわかりやすい場所に陳列されている。私はそれを二本買う。1本は私用で、もう1本は勿論妖精用だ。

 買い終わり、外に出る。どこで食べようかと悩んでいると「ねーねー」と妖精が話しかけてくる。

 「あそこまで行ってみようよー」と妖精は指さしながら言う。その指の向こうには長い長い坂道があって、その向こうに丘がある。

 


 私は丘を上る。「がんばれーがんばれー」と妖精は言う。

 羽をぶんぶんさせて疲れないのかなと思うけども、妖精は全く疲れた様子を見せない。私はといえば、もう少し坂を歩いただけで、ぜーはーぜーはーと息を切らしている。いつも、家と会社の往復だけで、運動なんてしてないからもう全くだめだ。坂なんて上るんじゃなかった。こいつの口車に乗ってしまったらだめだ。後悔しかない。会社を休んで、神戸まで来て、パン屋でパンを買って、そして丘を上ってる。何をしているんだ私は。

 本当、何をしているんだろう。会社で大声だして、早退して、休んで、神戸まで来て、パンを買って、丘を上って、しかもそれが全部妖精のせいだなんて、こんなの狂人の行動だ。

 「ねえ」と私は妖精に話しかける。

 「なにー」

 「本当にいる?」

 「なにがー」

 「あなた」

 「ぼくー?いるよーほらほらー」と私の周りをぶんぶんと飛び回る。うるさい。

 「じゃあ、なんで急に見えるようになったの?」

 「だからーそれはわかんないってー」

 「わかんないって、言われても、こっちがわかんないよ」

 「でも、見えるようになってくれたから、神戸にこれるようになったから僕はうれしいなー」

 「はあ」

 「神戸、ずっと来てみたかったんだー」

 「はあ」

 「来たくなかったー?」

 「来てみたかったけども」

 「じゃあ、よかったじゃんー」

 「よかったって・・・」

 私はそこで、話すのをやめる。通行人が通りかかったからだ。妖精は多分相変わらず私にしか見えていないはずだ。多分だけども、だって、こんなのが周りに飛び交っている人間を見かけたらみんなぎょっとするはずだけども、行き交う人々の話題に「今の何?」みたいなのは一切無い。つまりは私にしかやっぱりこいつは見えてない。最悪だ。

 


 丘を登り切ると観光用の建物がいくつかちらほらと、公園があった。「ねーあそこに座ろうよー」と公園の中にあるベンチを妖精が指さす。

 疲れ切っていた私は妖精に言われるがまま、ベンチに向かって腰を下ろす。はあ。と声が出る。疲れた。本当に疲れた。

 「ねーねー、食べさせてよー」

 と妖精はミルクフランスを求めてくるので、袋からミルクフランスを一つ取り出して、妖精に渡す。

 「ありがとー」

 と言って、妖精は自分の身体の3倍くらいあるミルクフランスをかじり始めた。

 私も、ただ座っているのもなんなので、袋からもう一つのミルクフランスを取り出して、食べ始めた。

 美味しい。ミルクフランス、美味しい。私は夢中になって食べる。tofubeatsが言っていただけあるわ。ミルクフランス超うまいわ。

 「おいしいねー」気がついたら半分ほど食べている妖精が話しかけてくる。

 「うん」

 「来て良かったでしょー」

 「それはどうかわかんないけども、まあ美味しい」

 「本当、素直じゃないんだからー」

 気がついたときには私はミルクフランスを食べ終えてしまう。美味しかった。

 「美味しかった」

 「美味しかったねー」妖精も時を同じくして、身体の三倍はあったはずのミルクフランスを食べ終えている。どこにそんなのが入る余地があるんだ。と私は思う。

 「ねえねえー」

 「何?」

 「今日は連れてきてくれてありがとうねー」 

 「まあ、いいけども」

 「久しぶりにしゃべれてよかったよー」

 「久しぶり?」

 「覚えてないのー」

 「うん」

 「まあ、これからもーずっとそばにいるからねー」

 と言って、妖精は気がついた瞬間には消えている。あっという間に消えている。えっ、と言った瞬間には消えている。私1人を神戸に取り残して、妖精は消えてしまった。

 


 「そういえば昔、あなたよく1人でライトに向かって話しかけてたねえ」と母。

 帰り道、私は久しぶりに電話をして「昔、私、妖精が見えるとか言ってなかった」と聞いていると案の定の答えが帰ってくる。

 「子どもの頃はよくやっていたけども所謂イマジナリーフレンドのたぐいだと思って、あんまに気にしてなかったね」と母からそっけない回答。

 「で、どうしたの?」

 「いや、なんとなくそんなことを言っていたと思い出して」

 「あっそ。今度はいつ頃帰るの?」と後はおきまりの言葉。でも、この一件があったから、近いうちに帰ると言っておく。なんとなくだけども、久しぶりに実家に戻って休養するのもいいかもしれない。私は頑張りすぎていたのだ。

 神戸弾丸旅行を終えて、家に帰った時にはもう疲れ果てて、またベッドに倒れ込んだ。すると、枕元に、買った覚えのない小さな間接照明があるのが見える。

 私はなんとなくそれを点灯させてみる。

 


 翌日、会社に私は戻る。仕事もする。でも、以前よりは頑張らないようにする。あんまり頑張りすぎるのもよくないと思ったからだ。でも、相変わらず山のような量。毎日、こなすので精一杯。

 心療内科の予約はキャンセルする。私は暫定的に、狂ってないって思ってキャンセルする。まあ、狂っていたっていい。どっちにしろまだ人には迷惑はかけてない。自分も困っていない。

 あとは、たまに実家に帰るようになる。実家に帰ってぼんやりする時間を増やす。そのほかでいうと、旅行にも行くようになる。各地のパン屋を巡る。いろんなパンを食べる。それが自分のリフレッシュになる。

 そして、パン屋に行くと必ず二本は買うようにする。一本は自分のために。そしてもう一本は言わずもがな。

 私は家に持ち帰ると、間接照明の隣にそっと供えておく。

 次の日、だいたい供えていたパンが無くなっている。

 これは私だけの秘密だ。

 誰に言っても理解されない。私だけの秘密。だから、何度引っ越ししてもその間接照明だけは持って行く。結婚して、子どもが出来ても、その間接照明だけは持って行く。

 なんでパンを間接照明に供えるの?って夫に聞かれても、はぐらかす。それだけは私の秘密だ。

 

 ある日、子どもが間接照明に話しかけているのを見る。私はなんとなく笑ってしまう。

 子どもが言う。

 「ねえねえ。あのね、妖精ってランプの中にいるんだよ」

 そうだね。いるんだよ。妖精は、ランプの中に。

 

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やっていきの姿勢を保ち続けよう

 今、東京行きの新幹線に乗っています。休職してから一年近く、気がつけば定期的に関東の一人暮らしの家と関西の実家を行き来する生活にも慣れてしまいました。なんで、関西に戻ったりするの?療養です。なんでずっとそっちにいないの?病院が関東だからです。

  というわけで交通費やらを考えると、全く正しくない行動だけども、それでもこんな生活をしている。こんな生活ができるのは、家族のおかげだからで、その感謝は忘れないようにしたい。

 先週、書いた文章は、書かなきゃいけないってことでした。とにかく心が完全に折れてしまっていた時に書いた文章でした。あれから、一週間経って心の方はとりあえずは落ち着いています。

 


 後輩たちと話しているうちに新作の脚本を書いてみようとなって書き始めました。しかしどうもうまくいかない。僕はプロではないので自由自在に物語を作ることができない。とりあえず物語として自分が語ることができるものをなんとか探すということをしなきゃいけないんだけども、今回も難航している。内面を延々と描いていたらそれなりに格好がつく小説と違って演劇の脚本は起こった出来事を基本的に書かなきゃいけないなと思っていて、とりあえず何が起こる話なのかを考えなきゃいけない。

 しかし、僕がこれまで書いてきた演劇の脚本ってのは、内面をあれやこれやで描いてみるというのばっかりでした。

 つまり何にも起きてない話ばっかりだった。今書こうとしているのは何が起きているという話を書こうとしている。

 しかし書けない。5000字くらい書いてみたのだけども、どうにも面白くない。

 ダイナミックさが足りない。小さな話だから、といえばそりゃそうだけども、小さな話でも、ダイナミックさを感じる事はできるはずだし、そういうのが書きたい。

 小さくまとまったものを書くくらいならば、暴力的にでもまとまってない方が書きたい。

 そんなことを考えていたらまだ全然筆が進んでないです。

 とりあえずまだ書けてませんという報告でした。

 


 今から、産業医さんと面談があります。ここ一ヶ月の僕は、以前にも比べてどんよりとした疲れに支配される事は減った気がします。前に比べても少しずつだけども動ける量が増えてきた。そんな気がします。

 でも、この間、1日遊んだら次の日はもう全く駄目で、まだそこまでは回復してないんだなと思いました。遊び疲れってやつです。

 でも以前に比べたらぼんやりと1日寝続けるようなもの生活からは抜け出せている気がします。でもその一方で夜は相変わらず眠れません。睡眠薬頼りです。逆にいえば睡眠薬を使えば、うまい感じに寝れるし次の日も動けるしって感じにはなってきました。

  薬漬けだね、と先日他人から言われました。その通りだなと思います。

 僕も薬漬けになんてなりたくなかったよーと思うけども、それでも仕方ない。

 メンタルは耐久度は相変わらず低いけども、何もない分には沈み込む事は減ってきました。サインバルタを60mgと増幅薬を一錠飲んで、毎日やっております。多分ですがなんとかなってると思います。

 

 

 

 このままいけば三ヶ月後にはなんとか復職できている気がします。多分ですが、それでも、なんとかここまでやってきたって感じです。強く生きることはできないけども、自分から弱る場所にはいかないようにしながら、これからもやっていきたい。

 後輩とよく言っていたけども「やっていきの姿勢」をこれからも保持し続けたい。やっていくのだ。とにかくやっていくのだ。日々をやっていくのだ。いけてなくても、何もなくても、書けなくても、とにかくやっていくのだ。

やっていきの姿勢だけは崩さないようにしていきたい。

とりあえず、今日は面談。それをやっていき。

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手放すな、諦めるな、今の自分にはこれしかないんだ。

 書かなきゃいけない。書かなきゃ生きている意味がない。と思いながらもここ何日、何週間、何ヶ月も書くことができていない。

 少し前までなら、ポメラを開けば言葉があふれ出た。でも、今は全くだ。言葉を打ち込むことすらままならない。こんなエッセイめいたものですら打ち込むことが困難になっている。苦しい。苦しい。と思いつつも、書かなきゃいけないと何度も思う。

 書かなきゃいけないと思うのは生きている意味が感じられないからで、書かなきゃいけないと思うのは、自分の人生が書かないと何にもないことに気がついてしまうからだ。

 自分の人生には何にもない。それを見てしまうのが嫌で、自分は何かを作り出せる人間だと思い込みたいから書く。書く。書く。

 でも、書けない。何にも書けやしない。

 


 

 イヤホンで音楽聴きながら実家を歩いていたら、イヤホンのコードが扇風機に絡まってしまって、そのせいで扇風機が壊れてしまった。そのせいで、僕はひどく怒られて、それで母は「お前はいつもぼんやりしている」とののしった。

 僕はぼんやりしている。いつもぼんやりしているから、会社でも怒られて、女性にも怒られて、家族にも怒られる。

 だから書かないといけない。書く場所だけが逃げられる場所だ。ぼんやりしている自分が生きていける場所だ。でも、書けない。何にも書けやしない。

 

 トマス・ピンチョンLAヴァイスを見たので、映画版の『インヒアレント・ヴァイス』を借りたのだけども、結局見通すことができず、それどころか二日も延滞してしまった。

 それを返しにTSUTAYAに自転車で行って、店の前に自転車を止めた瞬間に、おじさんに「ここは停めちゃいけない場所だから!」と怒鳴られた。

 僕は怒鳴られるようなことをしたのだろうか?

 そのルールを守らなかったこと、知らなかったことは怒鳴られることに値するのだろうか?

 僕は「よくないよくないよくないよくない」と何度も呟いて、怒りでおかしくなるのをなんとかしようとした。もう何にもうまくいかなすぎて、自分の心がおかしくなりそうだった。

 


 だから書かないといけなくて、なんとかして書かなきゃいけなくて、物語を作らなきゃいけなくて、そして、それを誰かに届けなくちゃいけない。でも、何にも思い浮かばない。文章が、物語が、単語が、シーンが、タイトルが、何も浮かばない。

 僕は出がらしになってしまった。出がらしの人間だ。

 


 フラれてしまった。「君の気持ち悪いストーリーに私を巻き込まないで欲しい」と僕は言われた。僕は気持ち悪い人間だ。見た目もよくないし、太っているし、対人関係もうまく作ることができない。

 だから、書くんだ。嫌なことを忘れるために書くんだ。なんとか全ての嫌な感情を消化するために、昇華するために書くんだと思う。でも、書けやしない。物語なんて、思い浮かばない。それどころか、フィクションを受け止める心の余裕がなくて、あれだけ楽しかったフィクションの居場所に今の私はいない。

 


 書こうとした。

 書いた。

 出がらしの人間が九十九里浜に集まる。砂浜の上に巨大な風車が立っていて轟音をたてて回っている。その周りで人々が輪になっている。夕暮れになる。人々は散り散りになる。自死を選ぶ人間もいる。主人公は砂浜に座ってビールを飲みながらそれを見ている。

 それだけの物語。

 何にもない。それだけの物語だ。私はここまで書いて、書くのをやめてしまった。面白くもなんにもない。心象風景でも、詩でも、小説でもない。何かだ。形作られなかった何かだ。

 もう、書けなくなってしまったのか。絶望するのはまだ早いと思いつつも、もう書けなくなってしまったらどうしたらいいんだろうと思う。

 でも、自転車のペダルを漕ぐように、足を一歩一歩前に進ませるように、それでも、それでも、文章を打ち込み、刻み込まなきゃいけない。

 何かしか生み出せなくてもいいから、形作れなかった何かしか生み出せなくてもいいから、それでも、それでも書かなきゃいけない。

 そこにしか居場所がない。自分を表現する場所はそこしかない。気を遣わず、好き勝手できる場所はそこしかない。そこしかないんだ。

 手放すな。

 諦めるな。

 書くんだ。

 今、この文章を書くように、書き続けるんだ。

 

 ぼんやりしてようと、怒鳴られようと、気持ち悪がられようと、発達障害と言われようと、一年休職してようと、毎朝抗うつ剤飲んでいようと、眠れなくて睡眠薬を飲んでいようと、文章の世界じゃ許されるんだ。

 だから、書く。一文字打つのに、苦しんでも書く。誰が読んでいるかわかんなくても書く。言葉を打つ。全ての経験を無に帰さない。何でも産み出してやる。形作られなくてもいい。それでもいいから書く。書いてやる。

 


 僕は今、喫茶店ポメラを開いてこの文章を書いている。読んでいた本を閉じて書いている。正確には本を読むことができなくなって書いている。どうしても書きたくなったから書いている。本も頭に入ってこなくなったから書いている。頼んだアイスコーヒーを8割方飲んで書いている。怒鳴られた後に書いている。扇風機を壊した1日後に書いている。フラれた3日後に書いている。休職して1年後に書いている。生まれてから27年後に書いている。

 物語も、エッセイめいたものも、書けないけども、こんな文章だけは書くことができる。こんなもの、シャドーボクシングだ。誰に向かって打ち込む物でもない文章だ。それでもやるしかないんだ。書くしか無いんだ。全部を使って書くしかないんだ。

 今の自分にはこれしかないんだ。

 

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トマス・ピンチョン『LAヴァイス』を読んだ!

トマス・ピンチョンの『LAヴァイス』を読んだ!

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私立探偵ドックの元にかつて愛した女が訪ねてくる。どうやら今付き合っている不動産王が陰謀に巻き込まれてるらしい。OK、調べてやろうじゃないの。と言ってるそばから、不動産王と元カノが失踪。そして死体が一つ。そしてあれよあれよと陰謀の渦に巻き込まれていく。しょうがないので探偵はマリファナを吸って終始ラリラリ。ドックは事件を解決できるのだろうか!

 

と言った内容の本。あらすじを説明すると探偵小説っぽいですし、実際探偵小説的な話運びで進むように思えるのですが、そこは世界文学最大の巨人と言われるトマス・ピンチョンさん、一筋縄ではいかないです。

目を丸くしてしまうのが、とにかく詰め込まれた膨大な数のポップカルチャーの数。

時代はヒッピーカルチャーが終わりに向かっていった70年代初頭。そこにありとあらゆる文化が詰め込まれる。TV、映画、音楽、車、食事、麻薬、あれやこれや。

もう本筋が見えなくなるほど詰め込まれ、そして肝心の探偵もラリっちゃってるし、どんどんわけのわからない登場人物は出てくるし、読むのが大変ちゃ大変。

しかし、ネットの力を使って、出てくる固有名詞を調べたりしながら読んでいくと、あら不思議、固有名詞が一つ一つ輝きを帯びて、しまいには当時のLAの空気感を感じるようになる。

海。海から流れてくる風。タバコの煙たい空気。マリファナからの空腹感。タコスの匂い。排気ガスとそれに伴うスモッグ…。そういったものが浮かび上がっていく気がしました。

 

そしてそういう風に読んでいくうちに、感じるのは過ぎ去ってしまった文化への敬意。そして悲しみでした。それも昔は良かったなあではなく、時代というものが暴力的に変化していくことの悲しみというか。他の本のタイトルですが、ノーカントリーフォーオールドメンのような悲しさというか。この本も最初はおちゃらけて始まるけども一番大きな陰謀はアメリカそのものの闇に迫るもので、よくいうイノセントなアメリカの死みたいなものかもしれない。と聞きかじったことを言ってみる。

まあ、そんなアメリカ文化史的な楽しみ方もできるけども、徐々に高まっていくサスペンス性とそれでもラリり続ける性で生じるオフビート性が両立したこの物語を読んでいくのは単純に楽しい。

そして終わり側、思わぬ熱い展開に少しほろっとしてしまった。まさかのハートフルな展開。うるっとしてしまったな。

それから続くラストはある種の意思表示に思えました。消えゆくヒッピーカルチャー。それはマリファナの火を消すように簡単かもしれない。しかし、その次はやってくる。その次にまた備えればいい。また次の季節に向かって車を走らせるだけなのだ。それが波にのるってことなのだ。

 

あまりに癖が強くて(それでもピンチョンのなかでは一番読みやすいらしい!)誰でも彼でも勧められる本ではないのは間違いないのですが、しかし文学界の巨人の本と聞けば、その山に登りたくなる人もいるのではないでしょうか。

探偵小説でありつつ、アメリカ文化史的な小説でもあり、ポップカルチャーガイドでもあり…と盛りだくさん。正直読みきれた気はしないです。

でも読んだ後に「読んだぞー!」と言いたくなるような"山"を感じさせる読みがいのあるいい本でした。