にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

短編小説『なんとなく、遠くの方へ行く。』

 『なんとなく、遠くの方へ行く。』

 


 サンデーモーニングのスポーツコーナーで頑張ってる若者に「渇!」を入れてる老人の姿を見ていたら、日曜日をこれで消化するのは嫌だなって気持ちになって、なんとなくレンタカーでも借りて出かけようかと思い立つ。
 でも1人で行くのはどうも寂しいから、暇そうな奴に声をかけることにして、そうしたら思いつくのは後輩のひろしげ君だった。
 僕はひろしげ君に電話をかける。「あーひろしげ君。ひさしぶりー。急だけども、今日暇?」「今日っすか。TSUTAYAの返却くらいしか予定ないっす」「じゃあさ、ちょっとどっかいかない」「どっかってどこっすか」「全然決めてない。レンタカー借りてどっかいこうかと思って」「じゃあ、海行きたいっす」「いいねー」「いつ集合にします?」「じゃあ、今から1時間半後に駅前で」「うっす」
 そんなこんなで、1時間半後にはひろしげ君と落ち合って、駅前のレンタカー屋で車を借りて、海に向かってる。

 

 「ひろしげ君は最近何してるの?」なんてことを国道を走りながら聞く。
 「最近っすか、働き始めましたよ」とひろしげ君は答える。
 「えー。遂に」
 「はい。遂にっす」
 「どんなとこで働いてるの」
 「あの、山っすね」
 「山?林業?」
 「すげえなんて言ったらいいかわかんない仕事なんですけども、勤務地は山です」
 「ええ、どこの山?」
 「全国っすね。どこでもっす」
 「まじで、転勤ってこと?」
 「いや、呼ばれたらいくって感じっすね」
 「何その仕事。大変そう」
 「めっちゃやばいっすよ。めっちゃ痩せましたよ。足の筋肉とか超ぱんぱんになりましたし」
 「ははは」
 国道沿いを走ると、TSUTAYAが見えてくる。
 「あ、このTSUTAYAでも大丈夫なの?」
 「同じ県内なら大丈夫らしいんで、入って貰っていいっすか?」 とひろしげ君のDVDを返すためにTSUTAYAに入る。

 「何借りてたの?」って僕はひろしげ君に聞くと「あの、まじではずいんですけども、白雪姫っす」と答える。
 「え、なんで」
 「最近、知り合った女の子がディズニー好きらしくて」
 「へえー。話合わせようと思って?」
 「そうっす」
 結構ひろしげ君はまめなようだ。
 「さとるさんって最近、映画見ました?」
 「あー最近はジャッキーばっかり見てるよ」
 「へー、なんでっすか」
 「ジャッキー面白いから」
 「そうなんすか」
 「え、見たことない?」
 「そっすね、あんまっすね」
 「ポリスストーリーとプロジェクトAは押さえときなって」
 「へー」
 「いや、まじで」
 なんてことを話しながらひろしげ君がDVDを返却ボックスに投函するのを見届ける。

 


 ぽーん、目的地まで、あと2時間ほどです。
 とカーナビが言う。
 今日は透けるような青空でとても気持ちが良い。
 ラジオからは最近のヒット曲と、昔のヒット曲が交互に流れている。
 バックストリートボーイズのアイウォントイットザットウェイが流れてひとしきり笑いながら2人で歌う。
 「ひろしげ君ってバックストリートボーイズって世代?」
 「おれ、姉ちゃんいるんすよ。姉ちゃんがよく聞いてて」
 「へー」
 「さとるさんは世代っすか」
 「世代っていうか、よく流れてたからなー」
 「世代じゃないっすか」
 車は高速に乗る。
 ぶん、ぶん、ぶん。と道路のつなぎ目で車が軽くバウンドする。 

「さとるさんは最近なんかないんすか?」とひろしげ君が聞いてくる。
 「最近か-。本当俺、なんもないよ」
 「最近は何してるんすか」
 「いや、何もしてないよ。今日も、ぼーっとテレビ見てるだけの日曜になる予定だったし」
 「じゃあ、本当これ思い立ってだったんですか」
 「うん。思い立って。で、ひろしげ君絶対暇だろうなって思って」
 「うわー。暇とか言わなきゃ良かった」
 「ははは」
 「絶対、今狙ってる子といい感じになってやるからな」
 「ははは」
 サービスエリアの看板が流れていく。休憩も取りたかったので、一旦入ることにした。


 サービスエリアは車、車、車、バス、バス、トラックトラック、家族連れ、家族連れ、カップル、団体客、じいさん、ばあさん、老若男女でごった返している。
 屋台めいたものがいくつか出ていて、結構な人だかりが生まれていた。
 じっと見ると名物極上コロッケ!というのが売っているようだった。
 「買ってく?」「いいっすね」
 ってことで、買って、食べて、そこら辺のゴミ箱に包み紙を捨てて、また車に戻る。


 「さっきのコロッケ、美味しかったっすね」
 「よかったねー」
 「米欲しくなる味でしたね」
 「わかるわー」
 「ってか、海鮮丼食いたくないっすか?」
 「あ、いいな」
 「ちょっと俺調べますね」
 と助手席のひろしげ君はスマホで今から行く海の近くで海鮮丼を出している店があるかどうかを調べ始める。
 すると「あ、ありましたよ」と言って、じゃあ昼飯そこにすっかと決まる。


 次の信号を右です。というのを左に切って、海鮮丼屋に向かう。
 何度も、カーナビがリルートをする。戸惑っているんだろうなと思う。
 「あ、ここっすね」とひろしげ君が言う。
 一見古びた定食屋にしか見えない。
 石が敷かれた駐車場に車を停めて、店の中に入ってもその感情は変わらない。
 「こういうとこって、絶対美味しいっすよ」ってひろしげ君は言う。

 「うっわ。すっごいわ」とひろしげ君は目の前に出されたウニ丼のウニの量にびびっている。
 「こんな量のウニ、俺見たことねえっすわ」
 「これ、写真撮った方がいいんじゃない」
 「ちょい、撮りますね。うっわ。すっげ。スマホ越しでもウニの量半端ねえ。ってかさとるさんの三種丼半端なくないっすか」
 僕の頼んだサーモン三種丼も量がえげつない。
 大量のサーモン、あぶりサーモン、そしてこぼれんばかりのいくら。
 「案の定美味しい奴でしょ。案の定美味しい奴でしょ」とひろしげ君はテンションあがりながら、口に放り込む。
 「案の定っすわ~」とはしゃぐ。
 僕は笑いながら、楽しいな~と思う。


 「海、いいっすね」
 「海、いいなあ」
 寄せては返す波を見ている。
 目の前に見える景色がまるで夢の続きのような色彩に変わっていく。
 波の音が永続的に聞こえて、遠くでは小さな子どもが初めて見る波に驚きの声をあげている。
 海に目をやれば、サーフィンをしている人影がゆらゆらしている。 「俺、言ったらだめなこと言っていいですか?」
 「何?」
 「この状況でとなりにいるの、さとるさんじゃねえっすわ」
 「馬鹿野郎。同じ言葉返すわ」
 「まじで、彼女作ります」
 「はよ作れ作れ」
 海に来た物の、別に泳ぐつもりもないので、適当に見て、ぶらぶら歩いていく。


 「あー、ここのコンクリのところ、すっごい、気持ち悪いことなってますよ」とひろしげ君が指さした先のコンクリにフジツボがわっさりいて「うっわ気持ち悪」と笑う。
 「やっぱ、海いかれてますね。生態系きもちわり-」
 「おめえが海来たいって行ったんじゃねえかよ」
 「海って、たまに来たくなりません?」
 「わかるわー」
 僕も家でテレビ見ているよりは断然海に来ている方が楽しい。


 車に乗り込んで、レンタカー屋を目的地にして戻り始める。
 車内BGMは相変わらずラジオ。1日聞いていたら、少しずつ最近のヒット曲が何かもわかってきた。
 行きに比べてはしゃぎ疲れてしまって、お互い無言の時間が増えてくる。ちらっと見たらひろしげ君はスマホで何かをしていた。気になってる子にLINEでも打ってるのだろうか。


 車を走らせているとひろしげ君が「あっ」と言う。
 看板が見える。スーパー銭湯の看板。
 「行きません?」と提案に、僕は即座に乗る。


 湯につかった途端、全身がほぐれて「あぁ~」と弛緩しきった声が出た。疲れが一気に湯に溶けていくような錯覚。
 「さとるさん、露天行きます?」
 「いいねー」
 と外に出て、露天風呂に浸かる。外気と湯の温度の差がちょうどよくて、ずっと浸かっていられるなとなんとなく思う。
 そうしているうちに、ひろしげ君と今日の振り返りをする。
 今日の行き帰りで見た景色の話、海鮮丼の話、海の話。
 振り返るとどれも笑ってしまうほど愉快な思い出にいつの間にやらなっていた。
 ひとしきり笑った後に「でも、俺らずっとこんなことやってますねー」とひろしげ君は言う。
 そういえばそうだ。大学の頃、ひろしげ君と出会ったときからこんなことばっかりやっていた。
 「ひろしげ君、今度さ。あれいかない?」とチラシを見せながら言ったり「さとるさん、今度、これいかないっすか」と言ったり。
 湯に浸かりながら「思えば長いなこの感じも」と笑いながら言う。 「でも、彼女出来たらもう終わりっすからね」とひろしげ君は言う。
 「そんなこと言って、全然できないじゃない」
 「言いましたね。すぐ作りますからね。見ててくださいよ。就職した俺はひと味違いますからね」と言うのを「はいはい」と流す。

 レンタカー屋に車を返した頃にはもう日も暮れてる。
 ひろしげ君は「じゃあ、明日早いんで、今日は早めに帰ります」と言う。
 「いやいや。ありがとうね。急な誘いでも来てくれて」
 「また誘ってくださいよ」
 「彼女出来てたら、誘ったらだめなんじゃないの?」というと。
 「ケースバイケースですやーん」とひろしげ君は言う。
 それからひろしげ君と駅で別れて、それから僕は自分の最寄り駅までかえって、最寄り駅の近くのスーパーで総菜を買って、家に帰る。


 布団に入る前に、今日の写真を見た。
 はしゃいでいるひろしげ君、コロッケの写真、海鮮丼の写真、海の写真、はしゃいでる僕らの写真。
 「いい日だったなー」と気がついたら口に出していた。
 と、同時にいつかこんな日も終わってしまうんだろうなとなんとなく寂しくなってしまった。
 昔は、唐突に遊べるのはひろしげ君だけじゃなく、多くの友人達がいた。
 けども、みんな遠くへ離れたり、家庭を持ったり、その他諸々。
 こんな何でもない日、なんでもないけども、もう二度とないかもな、なんてそんな寂しいことが頭によぎってしまう。
 まあ、そうなったら1人で海にでも山にでも行ってやるか。
 電気を消す。
 にしても、あの量のウニは凄かったな。
 ふと、旅のメインが食事なったんだから、もう大人になってしまったんだなと思う。
 そうしているうちに眠りにおちて、目覚める頃には月曜日になっている。

 

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27歳男性とうさこちゃん

 ミッフィーの話がしたい。もしくはうさこちゃんの話。もしくはナインチェ・プラウスの話。全て同じ、あのうさぎのキャラクター。偉大な作家、ディック・ブルーナが想像したあの丸が二つとばつが一つで構成された顔を持つあのうさぎのキャラクターの話がしたい。

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 と言っても、あのキャラクターのことを分析するわけでも、ブルーナさんの功績を分析するわけでもない。これは私の1人語りだ。自分史ってやつだ。よく定年をすぎたサラリーマンが自分の人生に意味を見いだそうとしてやってしまう例のやつだ。

 この自分史にタイトルを付けるならば「27歳男性とうさこちゃん」にしようと思う。私は、ミッフィーと呼ぶよりはうさこちゃんと呼ぶ方が好きだ。日本で販売されているあの絵本は二社の出版社から販売されている。講談社から出版されているものはあのキャラクターは「ミッフィー」と呼んでいて、福音館書店で出版されているものは「うさこちゃん」と呼ばれている。
 ここは福音館版を訳した石井桃子さんに敬意を払ってうさこちゃんと呼びたい。
 なぜなら私の家にあの絵本がやってきたとき、あのキャラクターは自らをうさこちゃんと名乗った。小さな子どもだった私と友達になったあの子の名前はうさこちゃんだったのだ。

 

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 私はとてもうさこちゃんが好きだった。絵本は何度も読み返したし、NHKで放映されていたアニメも見ていた。
 「絵本の扉 開いてみましょ みんなで1,2,3。ページをめくり お話の国へ」
 あのテーマ曲は今でも諳んじることができる。
 家にはぬいぐるみもあった。
 子どもだった私にとってうさこちゃんは大事な友達だったのだ。

 じてんしゃにのって冒険をするうさこちゃん
 飛行機にのってはしゃぐうさこちゃん
 海に行くうさこちゃん
 どれもこれも自分の思い出のように覚えている。
 いや、自分の思い出だ。あの頃、私は一緒にいたのだ。
 私とうさこちゃんは一緒にじてんしゃにのって、飛行機に乗って、海へ行ったのだ。

 


 うさこちゃんの水筒も持っていた。黄色い水筒。私はそれを持ち歩くのがとても大好きだった。夏の暑い日は母がその中に麦茶を詰めてくれて、私はうさこちゃんの水筒を持ってあちらこちらに行った。
 夏のある日、花火大会に母と行った。帰りの近鉄電車の中で私はうさこちゃんの黄色い水筒を落としてしまった。
 泣き叫んで泣き叫んだ。祖父が近鉄電車に問い合わせをしたが見つからなかった。結局戻ってこなかった。
 それからしばらくして見かねた母があの黄色い水筒に似た水筒を私に買い与えてくれた。でも、勝手なことにあの水筒と同じような愛着を持つことができなかった。

 

 そうしているうちに私は小学生になり、徐々に徐々に成長していった。子どもは勝手だ。私にとっての一番の友達は変わっていった。ポケモンになり、映画になり、プレステになり、そして本当の友達になっていった。

 うさこちゃんはずっと家にいた。だからずっと見えていた。でも、見えていただけだった。

 

 私は就職活動を2年やった。
 何にもうまくいかない2年間だった。
 その頃に友人と梅田に遊びに行ったときに、ミッフィーショップの存在に気がついた。
 私とほぼ同じ背丈のうさこちゃんの像が挨拶をするように立っていた。
 私はうさこちゃんの隣に並んで、友人に頼み写真を撮って貰った。 うさこちゃんと久しぶりにそのとき再会したのだった。

 うまくいかなかった時期は唐突に終わって、就職が決まり、そしてあれよあれよのうちに東京に行くことになった。
 そのころ24歳だった。
 気がつけば私は「社会人」というものになっていて、これから会社の一員として働くことを、そして社会の一員として貢献することを期待される存在になっていた。そのことが自分の身の丈にあっていないぶかぶかなものに思えてとても居心地が悪かった。
 そのとき、東京で「ミッフィー展」が開催されていることを知った。
 私はその場所までの行き方を同期に聞いた。東京の地理なんて全くわからなかった。それでも、行ってみたかった。
 そして仕事終わりにその「ミッフィー展」に私は入った。

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 様々なアーティストがリデザインを施したうさこちゃんうさこちゃんの絵本の原画、そしてディック・ブルーナさんのドキュメンタリーが流れていた。
 ディック・ブルーナさんのドキュメンタリーを見ながら、改めて私は元はディック・ブルーナさんの指先から生まれた絵だったことに気がついた。
 そうだ絵なのだ。
 でも、その瞬間まで、絵であることを忘れていた。

 ミッフィー展の最後にはこれまで日本で発売されたうさこちゃんの絵本が全て置いてあった。「ご自由にお読みください」そう書かれた案内が目に入り、私は腰を下ろして読み始めた。

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 最初は「あー懐かしいな」と思いながら読み進めていた。
 じてんしゃに乗って冒険するうさこちゃん
 飛行機に乗ってはしゃぐうさこちゃん
 海に行くうさこちゃん

 そのうちに、私は涙を流していた。それも一粒、二粒なんかじゃなかった。止めどなく涙があふれ出ていた。止めようとしても止まらなかった。涙を流しながらページをめくり、読み終わると新たな絵本を手に取り読み進めた。
 気がつけば全てを読み終えていた。もう泣きすぎて目が痛くなっていた。

 最初は確かに懐古的な気持ちになっていた。まるで思い出のアルバムをめくるような気分であった。
 でも、懐古的な気持ちで泣いたのではない。
 途中から私は圧倒されていたのだ。
 ブルーナさんの世界を見つめる目の優しさに。絵本に込められた思いに。

 うさこちゃんの絵本の特に初期の頃はなんてことない話が多い。
 海に行く話、動物園に行く話。
 うさこちゃんとふわふわさん(お父さんのこと。素晴らしい訳だと思う。)がでかける話だ。
 うさこちゃんはとても楽しそうに話す。そしてふわふわさんは一見そっけなく返答をする。
 1日、楽しく遊んで、うさこちゃんは最後寝てしまう。
 そして絵本は終わってしまう。
 ただそれだけだ。
 大きなことは起こらない。突飛なことは起こらない。
 人生のおいての小さな1日の話だ。

 でも、そこに優しさが見えてしまった気がした。そしてたまらないほどの切なさも。
 うさこちゃんとふわふわさんが過ごしたそのとても小さな1日は、一生覚えているような小さな1日で、そして人生においてもう二度と戻ってこない1日なのだ。
 そしてその価値のことをうさこちゃんもふわふわさんも気がついてはいないのかもしれない。
 でもブルーナさんだけは気がついている。
 あの過ぎ去った日々の大切さに気がついている。そしてそれが戻ってこないことも。
 子どもが大人になって、子どもを育てることになる。子どもはいつしか成長してまた大人になる。世界は回っていく。あと300万年くらいは生物史的には人類は絶滅しないらしいので、もしかしたら300万年はそうやって回っていくのかもしれない。
 それが自然のことだ。
 でも、それは大きな目線でだ。
 私たちは1人1人は小さな人生を生きている。
 「かけがえのない」なんていうけども、私たちの人生は一回きりで、訪れる瞬間も一度しかない。
 二度と同じ瞬間は訪れない。

 そのことをわかっている人の絵だった。そのことをわかっている人の作品だった。
 人生が過ぎ去っていくものだと。悔いているわけではなく、そういうものだと。
 絵本に刻まれた線の一つ一つがそれを語っているような気がした。
 シリーズが進むにつれてうさこちゃんは学校に入る。友人もできていく。ダンスを踊ったりする。なんなら万引きをして罪の意識を感じることもある。そして祖母が亡くなる。悲しみにくれる祖父をはげましにいく。
 人生が進んでいく。
 親と子だけの時間から、子が徐々に大きくなり1人の存在になっていく。
 私もそうであったように。
 うさこちゃんと自転車に乗っていた私は小学一年になるころには1人で自転車に乗れるようになっていた。
 うさこちゃんと乗った飛行機には小学2年の時に乗った。
 うさこちゃんと行った海には両親との旅行で行った。
 96年に私は小学校に入って、友人も出来ていって、万引きはしなくて、でも罪の意識を感じるようなこともしてしまって、それから、それから。
 うさこちゃんが大人になっていくように、私も大人になっていったのだ。

 ブルーナさんは色使いを6色のみにとどめて、デザインにもある一定の制限をもうけて描いていた。
 改めて見て欲しい、私は洗練された構成に驚いてしまった。
 そして、そのデザインが伝えるのはこの世界の美しさだ。
 うさこちゃんはうさぎの子だけども、同時に私たちの世界に生きているのだ。
 海の美しさも、うっそうとした森も、抜けるような色の青空も、全て全て詰め込まれている。
 うさこちゃんは美しい世界に生きている。
 それは同時に私も美しい世界に生きているってことなのだ。

 閉店時間が迫り、私は外に出た。そこでうさこちゃんのぬいぐるみを買った。新居にも、うさこちゃんを呼びたくなったのだ。


 それから時間はまだ経つ。
 社会人になることを、そして大人になることをもっと要求されているうちに、私は心のバランスを崩してしまう。
 そうしているうちにニュースが流れてくる。
 ディック・ブルーナさんが亡くなったというニュースだった。
 あの偉大で、そして優しい、ブルーナさんが亡くなった。

 「デザインはシンプルであることが一番大事」
 「今日は昨日より少しでもいいものをつくろうと心がけて、ずっとやってきました」

 ブルーナさんの言葉はなんとか働こうともがく私の心に鳴り続けている。でも、うまくはいかない。それでも鳴り続けている。


 それからまだ時間が経つ。今はカウンセリングに通っている。
 そして自分のことを見つめ直している。
 「これからどんな風に生きていきたいですか?」と問いかけられる。
 「・・・恥ずかしいですけども紳士になりたいですね」なんて言ってしまう。


 でも、その後に思い出す。
 もっと、なりたい生き方があったことを思い出す。
 それはあのミッフィー展で初めて出会ったうさこちゃんの絵本だった。
 タイトルは「うさこちゃんはじょおうさま」
 うさこちゃんが一国の女王様になることを考えるという話だ。
 その中に出てくるあるページを私は引用したい。

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 「でも、なにか わるいことがおこって
  だれかがかなしんで いるとき
  こんなふうに そばに いって
  なぐさめるのも じょおうさまです」

 ここのページこそ、私がなりたい人間だ。

 

 今日、家を出ようとしたら埋もれているうさこちゃんのぬいぐるみが見えた。私はすぐに部屋を汚くしてしまう。埋もれさせてしまうのだ。
 だから私は急いで掘り起こして、うさこちゃんを床に座らせた。申し訳なかったなと思いながら床に座らせた。
 これからも私はうさこちゃんと共に生きていきたい。何を言ってるんだと思うけども、共に生きていきたい。
 うさこちゃんは私の大切な友達なのだ。

 

どてらねこのまち子さん 第5話

どてらねこのまち子さん

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第5話

 "Halcyon and On and On."

 

 どてらねこのまち子さんはコロッケが好きなので、よく商店街の肉屋のコロッケを買うのです。
 「すいません。コロッケを3つください」とまち子さんが肉屋の主人に声をかけると肉屋の主人は人食いコロッケに襲われている最中でした。
 「痛いっ!痛いっ!!たすけっ!!たすけええええ!!」と肉屋の主人が叫びます。その声にはごぽごぽと言う音が聞こえます。気管に血液が逆流しているのです。
 店の奥から肉屋の主人が助けを請うように走ってきました。肉屋の主人の下あごは人食いコロッケに食いちぎられていて、穴ぼこになっていて、それは缶ジュースのプルトップのようでした。
 血液が目に入って視界が遮られていた肉屋の主人はディスプレイに突撃しました。ディスプレイが肉屋の主人の血で染まります。
 ころころころも。ころころころも。
 妙な鳴き声をまち子さんは耳にしました。
 まち子さんが鳴き声のする方に目をやると、ディスプレイの上に人食いコロッケが立っているではありませんか。
 ころころころも。ころころころも。
 人食いコロッケの確かな殺気を感じ取ったまち子さんは一歩、二歩と下がります。
 肉屋の主人はもはや叫び声を発することもできず、身体の部位が食いちぎられる度に「べっ、べっ、べっ、べっ」と息を漏らすことしかできなくなっていました。
 まち子さんは覚悟を決めて逃げようとしました。
 すると背後から「うぎゃああああ!」と叫び声がしました。
 振り向くと、後ろの24時間営業の中華料理店の店員がのたうち回っているではありませんか。
 そうです。人食い麻婆豆腐です。
 人食い麻婆豆腐が店員に襲いかかっていたのです。
 人食い麻婆豆腐はその粘りを活かして、店員の首と胴体を見事に分離させてしまいました。
 しせしせしせん。しせしせしせん。と呟きながら人食い麻婆豆腐は中華料理店の客に襲いかかりました。
 中華料理店の床は一気に血で染まりました。ただでさえ滑りやすい床が、もっと滑りやすくなってしまいました。
 「ひぃぃ!こいつは整体じゃねえ!脊髄引き抜きマンだ!!」
 肉屋の隣の整体から叫び声が聞こえて、その直後窓ガラスを首の無い人間の身体が突き破りました。
 その直後、ぴろりろりーんと音が鳴って整体の自動ドアが開きました。長い脊髄がぺろんとついた生首を持った脊髄引き抜きマンが出てきました。
 人食いコロッケに人食い麻婆豆腐に脊髄引き抜きマン。
 その3人が商店街の同時多発したのでした。
 これは世界的に見てもまれなことです。
 まち子さんはその3人にじりじりとおいつめられていました。
 ころころころも。ころころころも。
 しせしせしせん。しせしせしせん。
 脊髄引き抜きまーす。脊髄引き抜きまーす。
 3人の鳴き声がまち子さんを追い詰めます。
 肉屋、中華料理店、そして整体。
 それぞれをつなぎ合わせると三角形になる中、その中点にまち子さんは追い詰められて行ったのです。
 そのときでした。
 まち子さんの身体がぶわっと浮きました。
 そうです。3人の異常殺人者の殺気により、空気が圧縮され、一瞬のうちにはじけ飛んだのでした。
 そのパワーは皆様も知っての通り1人の異常殺人者が持つあの圧縮能力の三倍・・・ではありませんでした。三乗でした。
 まち子さんの身体は天高く高く高く飛ばされて行きました。
 「うわー」
 まち子さんの身体が上下逆さまになります。
 持っていた買い物かごも逆さまになってしまい、買った物が落ちていきます。
 「あっ、なすびが」
 買ったばかりのなすびも落ちていきます。紫色の皮が日光に照らされています。
 まち子さんの身体は空高く飛ばされていきました。
 でも、いつまでも飛び続けることはありません。
 そうです。地球には重力があるので、落ちてしまうのです。
 まち子さんは重力を感じ始めました。
 「うわー」
 まち子さんの身体が落ち始めました。
 しかし、安心してください。
 3人の殺人者が集まったせいで、まち子さんは成層圏ぎりぎりまで飛ばされていたのです。
 なので、すぐには落ちることはありません。
 まち子さんにとってこれが初めてのスカイダイビングになっていました。
 気持ちいい。まち子さんはそう感じたそうです。
 しかし、このままでは確実に落ちてしまいます。
 このままでは死んでしまう!
 その時でした。小粋なベースラインを奏でながら一機の戦闘機がまち子さんに近づいていました。
 戦闘機を操縦するのは、そうです、米軍随一のパイロットと言われたホークスでした。しかし、引退していた彼がなぜ・・・!
 ホークスは後のインタビューでこう答えています。
 「乗らなきゃいけないって感じたんだ。俺はそのとき、基地で若いガキどもの相手をしていたわけだけど。咄嗟にコクピットに乗り込んで、それからは一気に空に飛んだよ。ああ。勿論、許可なんか下りてない。でも、今は飛ばなきゃいけない。そう思ったんだ」
 ホークスはコクピットの上部開口を開けて叫びました。
 「まち子!ここに飛び込むんだ!」
 まち子さんは身体をうまく使って、コクピットに向かいました。
 そのときの様子をホークスはこう言っています。
 「まるで、アイアンマンのようだったよ。彼女は誰よりも鉄の心を持ってる。ああ。俺が保証するよ」
 まち子さんは見事に戦闘機のコクピットに入ることに成功しました。
 「ホークスさんありがとうございます」
 「いいってことよ!まち子!それよりもあれを見てみな!」
 とホークスが地上を指さしました。
 するとそこには富士山が今まさにラジオ体操第二を踊っている最中ではありませんか!
 その光景の美しいこと。なんてこと。
 富士山がラジオ体操第二を踊るのは江戸時代以来だと言われています。
 まち子さんもそんな風景を見ることができるなんて思ってもみませんでした。
 「ホークスさん。ありがとうございます」
 「いいってことよ。それよりもまち子。新年おめでとう」
 「ホークスさんこそ、あけましておめでとうございます」
 「あいかわらず堅え女だぜ!」
 ホークスの操縦する戦闘機が富士山の周りを旋回します。
 その戦闘機から出る飛行機雲はいつしかHappy new yearという字になっていました。

 

 「って夢を見たんだけども、これって1富士、2鷹、3なすびってことになるのかな」とまち子さんは私に聞きます。
 私は「うーん・・・」と答えるのを迷ってしまった。
 「そもそも、もう初夢じゃないからねえ・・・」と私はそう答えてコーヒーを啜った。喫茶店に飾られたカレンダーは1月15日の文字
 「そうだよねえ・・・」とまち子さんも嘆いて、ココアを啜った。
 「あちちち」とまち子さんは悲鳴をあげた。
 まち子さんは猫舌なのだ。

トリミング。

 金曜日に東京に戻ってきて、その足でカウンセリング受けて、過去を振り返って、終わって家に帰った途端に気持ちが一気にロウに入って、そのままずっと寝続けることしか出来なくなった。
 金曜日の夜から、日曜の夕方までほとんど寝ていた。起きていても、ぼんやりしているだけで、何の生産性のあることもできなくて、したくもなかった。
 多分、実家に戻っていたことの疲れがどっと出てしまったのと、過去を振り返ったことのダメージが一気に来て、何にもできなくなってしまったのだと思う。

 

 

 ただただ寝続けた。変な夢ばかり見た。
 僕が「不夜城」に出演している夢だった。あの昔の。金城武が出ていた映画だ。

でも夢の中の「不夜城」は似ても似つかなかった。

なぜなら僕が新宿のデリヘルの元締めの役だった。

でも、変な金に手を付けてしまって、暗殺者役のチューヤンに追いかけられるのだった。チューヤンめっちゃ怖かった。ナイフ捌きが超すげえの。

あのチューヤンを現実でも見てみたいと思うが、かなうことはない。
 早く文明よ、進化して。

 夢を映像化できる技術が生まれたらいいのにな。
 沢山ある映画よりも面白い映像がそこからは生まれる気がする。
 強引なストーリー展開とはっと驚くようなイメージの羅列。
 僕が書く物はまだ自分の夢にも勝っていない。まずは夢に勝ちたい。どんな風に勝ち負けをつけるのかわかんないけども。

 


 今回のカウンセリングでは中学生の頃までを振り返った。
 といってもどこまでが本当にあった過去なのかわからない。
 もう過去は僕の頭の中で都合よく生まれ変わっているのかもしれない。
 それでも、はき出した過去はどれもろくでもなくて、辛かった。
 辛い過去を背負っている人は山ほど居る。その人たちはどんな風に乗り越えれたのだろうか。
 過去をチャラにできるものを今に見つけたのだろうか。それを見つけなければ過去からは逃げることが出来なかったりするのだろうか。

 


 一番最初の記憶は2歳か3歳の頃に海遊館に行った記憶だ。
 その階段を降りている最中の記憶。
 僕は父親の背中におんぶされている。
 階段の踊り場にちょうどいる。暗い。
 登りの階段の奥の方に青く光る水槽が見える。
 それが最初に記憶だ。

 


 保育園で一番最初に思い出すことは自転車でドアに突っ込んでしまってドアのガラスを割ってしまった記憶だ。
 自転車の練習中だったのだ。まだコマを付けて自転車の練習をしていた。
 僕は叫んで逃げたけども、外に出ようとしたところで、だめだと思って引き返した。

 


 保育園の頃に人はいつか死ぬってことを知った記憶がある。
 そのとき僕は泣いて「死ぬのは嫌や、嫌や」と言った。
 母は「まだ死なないから大丈夫や」と言ったと思う。
 あれから20数年経つけどもまだ死んでいない。

 


 小学校の頃、女子にめちゃくちゃ嫌われていた。
 僕が移動したら女子が机ごと離れたこともあった。
 バスで隣の席になった女子が「うわー私の隣こいつやで~」と言っていた。
 過去になんでも原因を求めるのは良くないけども、基本的な女性怖いはこの辺で作られたのかもしれない。

 


 いじめられてもいた。よくちょっかいを受けていた。
 今となっては当時のことをうまく思い出せない。
 でも、最終的には怒って椅子を投げた。
 椅子は人に当たらなかった。それで良かったと思う。

 


 他にも父親の実家の酒屋が倒産したのを聞かされた父親が号泣した夏休みの日のこととか、ピンポンダッシュに間違えられて知らないおじさんにめちゃくちゃ怒られかけた日のこととか。
 そんなことを思い出す。

 


 いろんな習い事をした。全部うまくいかなかった。
 水泳、習字、剣道。どれもうまくいかなかった。
 水泳は早く泳ぐことができなかった。
 習字は所謂太い筆の時はうまく書けるんだけども、それ以外は最悪だった。
 剣道は僕の状況を見かねた母が強制的に近くの道場にぶち込んだ。 全く向いていなくて、全然うまくならなかった。
 行くのが本当に嫌だった。

 

 

 過去に原因を求めるのはよくない。みんな過去を乗り越えているのだ。
 それでも、改めて思い返すと過去がぎっしり心に染みついている。 辛かったことも沢山染みついていて、でも、その辛かったから出来上がった自分もいる。
 27歳になって改めて見つめた大人になる前の子どもの自分の姿はあまりに不格好で、直視に堪えない。
 思い出した日は辛くて仕方なかった。けども、あれがあったからつかみ取れたものもあったはずで。
 全てを否定してはだめだ。
 だから、染みついている心の癖だけ洗い流せたらいい。

 


 辛かったことばっかり人生で思い出してしまうけども、本当はそうじゃない。
 辛かったことばっかりじゃない。
 楽しかったことも沢山、あったはずだ。多分。
 それがあったからここまでやってこれたはずだ。
 そんなことを思い出していきたいし、それが自分を作ったはずなんだ。
 だから染みついたものは全て消し去って、自分を作った楽しい思い出だけを振り返って生きていけたらと思う。

 


 楽しい思い出を一緒に作ってくれた友達の皆さん、今はどうしていますか。
 僕はサニーデイサービスの青春狂想曲でいうところの「こっちはこうさどうにもならんよ」って感じですけども。
 多分みんなも「こっちはこうさどうにもならんよ」ってかもしれないけども、それでもまた会えたらいいなと思う。
 今まであったみんなとピクニックができたらいいのにと思う。
 公園に集まってご飯を食べて、お酒を飲んで、フリスビーを飛ばしたりして、僕はみんなに感謝を言う。
 でも、そんなことは叶わないから、なるべくみんなと、それぞれに会いに行かないといけない。
 そんなときに、ちゃんとした顔で会いに行けるようにも、俺は頑張らなきゃいけない。

 できる範囲でいいから毎日を生き続けなきゃいけない。

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『牯嶺街少年殺人事件』を見た!

「クーリンチェ少年殺人事件」を見た。

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 クーリンチェ少年殺人事件である。とにかくあのクーリンチェ少年殺人事件である。
 映画本をある程度読んだりしていると、必ず「名画」として紹介されるあのクーリンチェ少年殺人事件。
 でも長らく権利関係によりディスク化されておらず見るには市場になぜか出回っているBSで放送された録画版を見るしか、海外版を買うしかなかったなかったあの映画。
 しかし、ついに1年前、あの名画がリバイバル上映されるようになった。しかもマーティン・スコセッシ監督主導による4Kデジタルリマスター版で。
 私は当然のように「見たい!見たい!見たい!」と唸ったが、当時はあまりにも忙しすぎた。4時間の映画を見る余裕が当時の生活には無かった。
 そうしているうちに上映は終わった・・・ように思えた。
 しかし結構ありとあらゆる映画館でやっているようなのだ。
 そしてそのたびに「うわー見に行きたい!」となりつつも、2017年の私は体調不良のために見に行けなかった。(体調不良の話が多くてすいません。どうしても今の私と体調不良は不可分なもので・・・)
 2018年始まり、実家に戻っていると京都に新しく出来た出町座という映画館で「クーリンチェ少年殺人事件」がかかるというではないか。
 私はクーリンチェ少年殺人事件を見るため、じっくりと睡眠を取り、外出をせず、とにかくこの4時間の映画に備えたのだった。
 で、やっと見た。クーリンチェ少年殺人事件。
 見終わった瞬間は登山を終えた時のような気分になった。
 なにせ4時間である。
 とにかく見終わって数日は4時間の映画を咀嚼するので精一杯だった。
 面白い、面白くないという映画の原始的な感想は元よりも、とにかく遂に見てしまったという気持ちが先だったのだった。
 数日経って、自分の中でクーリンチェ少年殺人事件というのはこういう映画だったのではないかというのがおぼろげであるけども見えてきた。

 

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 この映画は61年に台北で実際に起きた事件に着想を得ているとのこと。
 14歳の少年がガールフレンドを殺してしまったというその事件。
 その事件が起きた場所が「クーリンチェ」である。
 言うてしまえば少年が大好きだった彼女をふとしたきっかけで殺してしまったという今でもたまに見かける愛憎系事件である。
 しかしエドワード・ヤン監督はこの3面記事的な事件(といっても台湾で始めて起きた未成年による殺人事件なので、当時としてはとても衝撃的だったものなのは想像がつく)を「4時間」かけて描く。

 物語は主人公の小四(シャオスー)が中学受験を失敗し、夜間部に入学が決まるところから始まる。
 そして小四が映画スタジオに忍び込んで、突発的に「懐中電灯」を盗むところを描く。ボーイ・ミーツ・ガールはまだ先だ。
 その後、小四の周囲の不良グループの小競り合いが描かれる。
 常に充満している暴力の気配。
 賭けビリヤード。レンガで殴られる子ども。カンニングをさせろとせがむ同級生。ボーイ・ミーツ・ガールはまだ先。
 時間を取って小四とその周囲の環境が描かれる。
 冒頭に表示される字幕には当時の台湾の状況が書かれる。
 中国から渡ってきた外省人と呼ばれる人々と台湾に元々いた内省人との対立。時代に翻弄される大人たちの不穏な空気は子どもたちに伝播していったことも。

 小四が小明(シャオミン)に出会うころには小四の暮らす世界の息苦しさをすっかり私たちは堪能している。生きづらい。誠に生きづらい。(個人的には男子学生のきりきりとした争いに中学~高校を思い出した。生きづらかった~!)
 小四は小明と出会うのは保健室だ。2人はひょんなことから授業をさぼって出歩く。まるでデートのようでほほえましい。
 でも、その瞬間にも遠くの方で軍隊の演習は行われているし、小四は別の不良グループから小明に手を出したと絡まれる。

 小明を巡って二つのグループが争いになったことがわかる。小明は遠くへ消えた不良グループのボスのハニーのことをまだ思い続けている。小四はそのことに気がついていてとても心苦しい。

 学校には転校生がやってくる。別の学校でほかの子どもを切りつけたと噂になっているやつだ。
 そいつと仲良くなる。そいつは言う「日本刀は家の屋根裏から見つけたんだ。お前の家の屋根裏にもあるかもしれないぜ」
 こういった武器は日本統治下の名残だ。


 不良グループの争いの末にある悲劇が起こる。
 小四は小明に言う。「僕が君を救ってあげる。僕はずっと君の友達だ」
 小明は「世界は変わらない」と言って離れる。

 

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 4時間かけて描かれるのは小四と小明が出会い、そしてその関係が次第に変化し、そして殺害に至るまでの物語だ。
 その殺人事件は概要だけ取り出せばただの男女の痴情のもつれと処理される物だ。
 でも、この映画はそうじゃないってことを伝える。
 この殺人事件はそう簡単に処理していいものなんかじゃないと伝える。
 殺人事件が起こるまでには小四と小明の関係があって、その周囲には子どもたちの関係があって、そのさらに周囲には大人たちがいて、その周囲には国家があって、そして世界がある。
 殺人事件が起こるまでにマクロがミクロに影響していくのを4時間かけて描いた物語なのだ。


 エドワード・ヤン監督は1961年の台北に観客をたたき落とす。
 あの時代の台北を映像だけでなく皮膚感覚で伝えてくる。
 といっても映像はいわゆるドキュメンタリータッチなんかではない。いわゆる手持ちカメラで撮られたようなシーンはほぼない。
 どのシーンもまるで絵画のような構図と、極端に明暗が表現された光設計で描かれる。
 説明的な台詞はほぼなく、我々は膨大な数の人間関係も状況も全て目の前の映像からくみ取るしかない。
 その一方で物語を語る際、省略が多様される。
 説明もされず、省略も多様されるので一瞬も気を抜けない。
 私たちは必死に映像から情報を取りだそうとしなければいけない。
 その結果であるけども、私は1961年の台湾にいたような気分になった。あの世界に4時間いたような、もしくは1年間いたようなそんな気分になった。
 でも、ただいただけだ。手出しはできない。

 人々の姿は極端な引きで描かれる。
 小四と小明がとてもパーソナルな話をしているときでさえ、残酷なまでに周囲にいる人々の動きも描く。
 帰宅の準備をする購買のお姉さん。移動する生徒たち。木々の動き。風の流れ。それがとてもパーソナルな会話をする彼らの周囲で蠢いている。
 それを私たちは見るしかできない。
 どこへ行っても二人きりになんかなれない彼らの姿を見ることしか出来ない。
 いつだって世界がずっとそばにいる。

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 後半明らかになるのは小明ファムファタールっぷりだ。
 いかに彼女が周囲の人々を惑わせてきたかの姿が徐々に明らかになる。
 彼女の依存体質も、彼女の真の姿も。
 いや、ずっと小明はそのままの、本来の彼女の姿でいたのだ。
 でも、誰もかも、向き合おうとはしなかった。
 いや向き合えなかった。
 本当の意味で、彼女を救えるものはいなかったのだ。


 彼らを取り巻く世界はまるで劇中に出てくる暗闇のようだ。
 1961年の台湾は誰も彼もが疲れ切っている。
 大人たちは暗闇の中でもがき、暗闇からなんとか這い出ようとするが、暗闇は色濃くて抜け出すことができない。
 大人たちは子どもたちに暗闇を切り開くことを託す。
 大人たちでも切り開けなかった暗闇なのに。
 子どもたちははその暗闇を懐中電灯のわずかな光だけで進んでいく。
 でも、小四は文字通りのその光を手放して、武器を持つ。
 その武器はあの戦争の名残だ。


 小四は小明に言う。
 「君のことを全部知っているよ。でもいいんだ、僕だけが君を救うことができる。君には僕だけだ」
 悲痛な小四の言葉に小明にこう返す。

 「あなたも他の人と同じ。優しくするのは私の愛が欲しいからね。でも、私はこの世界と同じ。変わることはないわ」

 

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 もしあのとき、懐中電灯を手放さなかったら?
 小四はそれでも光を照らすことを諦めなかったら?
 もしくは、あの日に世界を変えることを諦めて姉の勧めを受けて救いを「宗教」に求めていたら?


 でもそんなこと誰にだってわからない。
 この世界の全てがまるでこの殺人事件のお膳立てをしていたように事件は起きる。
 あの戦争の名残りの刃物で小四は小明を刺す。
 その殺人事件は突然起こったように見える。
 でも、そうじゃないのだ。
 4時間かけて私たちは見てしまった。
 全てを。世界を。1961年の台湾を。内省人外省人の軋轢を。不良グループのいざこざを。子どもたちの争いを。友情を。家庭を。小明を。小四を。

 

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 劇中流れるエルビス・プレスリーの「Are You Lonesome Tonight?」の歌詞を引用したい。
 「君がそんなにつらいのなら 戻ってあげようか? だから言ってくれ 今夜は僕が恋しいと」
 映画を見た後では小四の悲痛な叫びに聞こえる。


 一つの殺人事件からその周囲の全て、そう文字通り全てはこの四時間の映画に刻み込まれた。
 全てのシーンがうっとりするほど美しくて、嫌になるほど悲痛で、もう二度と戻れない望郷の香りに包まれている。
 スクリーンに映し出された光と闇を一生忘れることはないだろう。

 映画が終わって、この日が2018年の1月であることを思い出したのは手に握った分厚いコートを見たからだ。あの4時間はあの明るい夏の日にいたのだ。

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