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log:11 物語の必要性― 「パンズ・ラビリンス」を見た。

「パンズ・ラビリンス」を見ました。

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ぬぱー!
 
今年一番の注目作「パシフィック・リム」も公開前記念ということでギレルモ・デル・トロ監督作品の映画を見よう企画その1。
 
ずっと見たかった作品だったのですが、なんせこの作品の評判と言ったら「憂鬱になる」だの「ファンタジー見に行ったら火垂るの墓だった」となかなかに見るテンションをぺりぺりと削いでくるハードなものばかり。
とはいえパシフィック・リム公開前なのでギレルモ・デル・トロ監督作品は見たい、そして何より大きかったのが知り合いに「パンズ・ラビリンスを見ていないのは大きな損失ですよ!見なさい!」言われたのもあってそれならばと思い意を決して借りたのでした。
 
 
で、感想ですがすっごくよかったです!!
 
ギレルモ・デル・トロ監督作品はよくよく考えたらブレイド2(スナイプス番長!!)くらいしか見たことなくて正直その時はあんまりピンとこなかったのですが、このパンズ・ラビリンスは全編通して心の琴線をずっと刺激してきて大のお気に入りになりましたし、ギレルモ・デル・トロ監督は腕のある確かな監督なんだなーと心の底から思いました。
重く暗い話である一方、絵画のように美しく構築された映像。テーマにも通じる現実とファンタジーの対比にうっとりもしましたが、なによりも戦争とそれに巻き込まれる子供の悲劇は「なるほど火垂るの墓と言われるのも納得だな」となりましたし、これらを考えるにも素晴らしい作品でありました。(監督は主演の女の子への演技指導として火垂るの墓を見せたようでしたから、影響も受けているのかもしれません)
引きこまれ、夢中になり、登場人物の一挙一動に慌てふためくほどキャラクターに感情移入させる描写力の上手さにも唸りました。
 
そして悲痛かつ一瞬のきらめきをもった壮絶な幕切れに打ちのめされてしまい、その後一時間ほど呆然としてしまいました。
こんな感覚になった映画って久しぶりだなーなんて思ってしまいましたよ。
 
 
ここから少しネタバレ込みでこの作品ののことを考えてみたいと思います。
 
子供が子供として振る舞えなくなることが子供にとって一番の悲劇であるといったことをどこかで見聞きした気がするのですが、これはまさにその様な物語だなと思いました。
いつ死ぬともわからないような戦時下、本当の父親である大尉は死んでしまい見知らぬ土地で暮らすことになり新しい父親は高圧的かつ自分のことなんで一切見向きもしないどころか邪魔者であると思われている。唯一の肉親である母親は新しい父親の機嫌取りばかりし、自分のことを顧みてくれることもない。(この母親も大尉からすれば「後継を産む機械」くらいにしか思われていないのが辛い)
この子供と母親と大尉の関係は面影ラッキーホールの「ゴムまり」を思い出しました。
戦争であろうとなかろうとこんな子供はいるんだろうな。
その子供が逃げ込む先が自らが王女であるという物語だけだった。
 
この展開を見ている最中はずっとこの子供オフェリアの空想だと思っていました。
悲痛な世界から逃れるためにファンタジーを選択した子供の話だと。
でもふと思ったのがこれがすべて本当だとしたら?
よくよく考えると「どう考えてもファンタジーでないと説明がつかない」シーンがいくつかあるのです。
これは一体どう説明すればいいのでしょうか。
1つはオフェリアの妄想。
1つは本当にパンはいたということ。
辛い現実から逃れたいという一心が引き起こした奇跡なのではないのでしょうか。
なんて言ってみても、この話は救いがない。
この映画は妄想にも、そして実際に起こったこととしても取れるように描いているように思える。
でも、ここでどちらが本当かなんてのは実は重要ではないのかもしれない。
 
ここで重要なのはオフェリアが厳しい現実を生き抜くために選択した「物語」なのではないのだろうか。
「物語」は何故必要なのか?
それは人生は理不尽であまりに辛すぎるからだ。
オフェリアは一種の特権である子どもであることすら奪われてしまう。
そこで選択した物語は「自分が王女であり、待ち望まれた子ども」であるということだった。
裏返せば存在意義を裏打ちする物語を望んでいたと言える。
そしてオフェリアは自らの人生が幕切れようとしている時に選択するのが「物語」であった。
映画はその後、オフェリアのその後がおとぎ話として語られ、咲くはずのない木に花が咲いた瞬間で終わる。
それはオフェリアが起こした奇跡なのかもしれない。本当にオフェリアは王女になったのかもしれない。
でも1人の少女が時代の中で傷つき、血を流してしまったこと。それには代わりはない。
誰にとっても「物語」は必要だ。
物語は彩りであるべきだ。
しかし物語に依存せざるをえない状況は健全だといえるのか?
子どもが「物語」の中でしか生きれないような状況なんて許されるものではないはずだ。
いくらオフェリアがあの瞬間、幸せに満ちていたとしても、彼女には現実を生き抜いてほしかった。
 
ちょっとまとまらないけどもここで。