アディダスのスニーカーのスタンスミスを去年に初めて買って履いてみたら、あまりに履き心地よくて「うわーめっちゃいいじゃんこれ〜」ってことで、そっから一年間、スタンスミス履いて歩きまくってたら、底がすり減ってなくなったから駅前のミスターミニットで思わず修理したけども、それでもやっぱりこのまま履き続けるのはあかんかもって思っていたら、母から「遅れてきた誕生日プレゼント」ってことでスタンスミスを買っていただけることになって、まじで超嬉しいって感情と、31歳で靴を買ってもらうのって申し訳ないなって感情が共存。
というわけで二足目のスタンスミスを買った。というか買ってもらった。ありがとうございますしかない。嬉しい。
そんで、二足目のスタンスミス。そんなにスニーカーに詳しいわけでもないし、こだわってきたわけでもないし、違いがわかってるわけじゃないけども、去年に初めて履いてから「えーめっちゃええやんええやん」となった感覚があったし、その感覚がスニーカーに対して芽生えたのが凄く嬉しかった。
靴で感動することがあるんだと思った。
思えばこういう感覚は10代とか20代前半で通ってるもんかもって思うけども、その頃は全然靴もファッションも興味がなかった、というより自己肯定感の低さゆえに「ファッションに興味を持っても……」みたいな気持ちになっていた気もする。
それから使えるお金もあったわけじゃないし、お金があったら別のことに使っていたし…というわけで、ファッション的なものが苦手な期間がずっとあった。
というか未だに全然苦手だし、ファッション全然わかんないってなるし、お金もないし、大体ユニクロか無印で済ませちゃうし。
でも、自己肯定感が以前よりは高まった気はする。少なくとも服屋に入って吐きそうになることはなくなった。前は服屋に入っただけでつらくて吐きそうになってた。今はそんなことない。
多分、年齢による変化もあるだろうし、何かしらの価値観の変化もあるだろうけども、大きかったのは『あつまれどうぶつの森』で好きにおしゃれを楽しんだりしたことだと思う。前にも書いたことだけども、本当それは大きかった。
なんせこんな組み合わせもあるんだとか、服を買いたいだけ変えたし、服に合わせて髪型や髪色も変えれたし、とにかくおしゃれ楽し〜ってどうぶつの森をやりながら思って、気がついたら現実の自分にも反映させたいって思ってたんかもしれない。
そんで回り回って「スタンスミスええやんええやん」になったんだと思う。って書くと、自分の流れをあまりにいい物語化しすぎている気もする。本当はもっとノイズがあるというか、それぞれの時期の、それぞれの思いや気持ち、そして流れだったり、試行錯誤だったりがあるはずで、それらをなくしてある種単純化してしまってるんじゃとも思う。
でも、やっぱり、というか、どうぶつの森はとても大きかったよなーと思う。
こんな自分でもおしゃれを楽しんでいいんだと思えたきっかけだよ。そんで"こんな自分"ってワードを無くして、もっと自分あげてこ〜みたいになったのは「気持ち的にギャルになりてえ」みたいなこともあるけども、それはまたややこしくなるから違う機会の方がいいと思う。
それはそれとして、書きながら、去年スタンスミスを買うきっかけになったのを思い出した。友人が「両目さんはこのスタンスミスが似合いますよ。なんかミッフィーっぽいですし」と言ってくれた色のスタンスミスがあって、それを買ったんだった。
そのミッフィーみたいなスタンスミスを一年履いて、スタンスミス好きになって、スタンダードなスタンスミスも買った。
だからその友人にもしまた会えたら、あの時勧めてくれて、そりゃ軽い気持ちだったと思うけども、それでも、本当にありがとうって言いたいって、ずっとずっと思ってる。
で、もしまた会えたら足元のスタンスミスを見せて「ずっと履いてるよ〜」って言えたらそりゃなお良しなんよ。