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マーク・ウィーデンバウム『エイフェックス・ツイン、自分だけのチルアウト・ルーム――セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』を読んだ!

マーク・ウィーデンバウム『エイフェックス・ツイン、自分だけのチルアウト・ルーム―セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』を読んだ!



タイトルが示す通り、エイフェックス・ツインが1994年に発表したアルバム『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』についての本です。
『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』の本と聞けば、おおっと前のめりになる人も多くいるでしょう。
エイフェックス・ツインが1994年に発表した、とても奇妙で、形容し難く、そして心地の良い音楽。
私自身とても好きな音楽であり、それでいて「全てを聞いたことがない」アルバムです。
というのも聞いているといつも眠ってしまうのです。
それは初めて聞いた10代の頃もそうでしたし、31歳になった今もそうです。
むしろ、最近では眠る前にこのアルバムをApplemusicで再生します。いつも3曲目で、無題と呼ばれたり、#3と呼ばれたり、もしくは"Rhubarb"と呼ばれたりするその曲で眠りに落ちてしまいます。
昔、2ちゃんねるエイフェックス・ツインのスレッドにかかれていたことをふと思い出してしまいます。
不眠症の友人がセレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2を聞きながらだったら眠れるって言ってた」
そんなことを私は遠い昔に目にしたなと思いながら眠ります。


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マーク・ウィーデンバウムさんが書いたこの『『エイフェックス・ツイン、自分だけのチルアウト・ルーム』という本はエイフェックス・ツインの『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』についての本です。
しかしエイフェックス・ツインがいかにしてこのアルバムを作り上げたか?という本ではありません。
そういうメイキング的な本ではないです。
一応、エイフェックス・ツインがこれらの音楽を明晰夢に頼りながら作っていった……という逸話が出てきますが、その逸話程度で、その逸話も『ニューロマンサー』のウィリアム・ギブスン明晰夢を頼りに物語を描いているということに接続されていきます。
その他、エイフェックス・ツインについてまわる、伝説や噂についての本でもありません。
アメリカでのレーベル契約時の話や、周囲にいた人の話も出てくるのですが、そこについての本ではありません。
ではなんの本かと言えば『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』じゃないかなと思います。
この本の原題も『Selected Ambient Works Volume II』です。
そして本の冒頭では「セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2にはヴォリューム1が存在しない」という話から始まります。『セレクテッド・アンビエント・ワークス85-92』はあれども、ヴォリューム1と呼ばれるアルバムはない。
この本はそこから始まります。
そしてこの本はこの『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』についての全てをなるべく書き記そうとしているのです。
このアルバムがいかにして聞かれていったかを「ビートに欠けた」という言葉から辿っていきます。
多くの評論家やカタログで「ビートに欠けた(beatless)」とこの音楽を形容していたこと。そしてそのようなアルバムだということを聞いたことのないリスナーに宣伝していたこと。SNSSpotifyyoutubeもなく、インターネットよりもまだワールド・ワイド・ウェブだと呼ばれていた時代、音楽が容易に聞くことができない時代でリスナーに想像をさせる言葉として使われていたこと。
現在、映画音楽としてアンビエント音楽的なものが増えていること。それらはアンダースコアリングとよばれていて、当時でいう「ビートレス」な音楽だということ。ビートレスだと言われていた「セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2」にビートを見出す人々が現れたこと。
アンビエント音楽の始祖であるブライアン・イーノのこと。事故に会い入院中、やっと思いでレコードを流したこと。そのレコードの音が小さく周りの環境音に混じって聞こえたこと。その経験からアンビエントミュージックのアイデアを思いついたこと。
それから後にレイヴの会場で何時間も踊り続けた人々が疲れた身体を癒やすための部屋で「チルアウト」と呼ばれる音楽が流れていたこと。治癒中に生まれた音楽のアイデアが実際に人々の治癒に使われていったこと。
エイフェックス・ツインが『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』の前に発表した楽曲が「ON」で、当初はそれが次のアルバムの先行曲だと思われていたこと。そうじゃなくて、人々を騒然とさせたこと。
『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』は一曲を除き全てのタイトルが無題(untitled)なこと。無題なはずなのに、多くの人が呼ぶ曲名が存在していること。その曲名がもともとオフィシャルなものではなかったこと。その曲名をつけた人物はレーベル「ワープ」のディスコグラフィを自分のためにまとめている作業をしていた当時大学生だったこと。曲名もリサーチなど特にせず、ブックレットの写真を見て直感的につけたものであること。後にその大学生は10年ほどワープで働いていたこと。勝手に名前をつけるという行為は今に始まったことではなく、クラシックの音楽がそのままでは呼びづらいために「月光」や「悲愴」と呼ばれたり、ビートルズのアルバムが「ホワイトアルバム」と呼ばれていったこと。
データベース化する中で、無題では登録できず「#1」といった通名がつけられていったこと。
エイフェックス・ツインの音楽をクラシックに置き換える作業のこと。エイフェックス・ツインとクラシック業界の交流のこと。
『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』の楽曲を用いた映画のこと。映画の中で流れるその音楽の役割のこと。
『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』の楽曲で踊った人々のこと。振り付けと音楽の関係性のこと。
そして『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム3』のこと。

この本は『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』についての、その音楽とその周辺についての、そして人々の中で、どのように流れ、どのように聞かれたかについて、書かれた本です。
つまりはある部分の歴史を『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』から切り取った一冊とも言えます。
そしてそういった歴史は忘れ去られてしまう。その空気や、その気配、その感情を。
大きな歴史からは見えないけども、残されるべき歴史です。これもまた。



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この本が書かれたのは2014年の頃。ヴォリューム1が存在しないように今はまだ『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム3』は存在していない。しかし多くの未発表音源があるのではないか。もしかしたら匿名の人物として発表しているのではないか?と作者は思索に及んだりしています。その同じ年の9月にエイフェックス・ツインは13年ぶりとなるアルバム『syro』を発表します。
そしてその翌年2015年の初めにはsoundcloudでuser18081971というユーザーが100曲以上の音楽を投稿します。
もうお察しの通り、そのユーザーはエイフェックス・ツインだったわけで、彼は最終的に200曲以上soundcloud上にアップしたと言われています。
存在しなかったはずのセレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム3は存在するようになりました。
それはyoutube上に、そしてアンオフィシャルにですが。
ファンはその中から、アンビエント的な楽曲を見つけて、その200曲以上もの未発表音源からなかったはずのセレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム3を作り出したのです。セレクテッドをしているのがエイフェックス・ツインか、1ファンかという大きな違いはあれども、なかったヴォリューム3はもう存在しているのです。


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ブライアン・イーノが入院中、思いついたアンビエントミュージックというアイデア。それが1994年、2枚組の奇妙な音楽として発表されました。その背景にはレイブの中で、踊り疲れた身体を癒やすチルアウトミュージックだけが流れるチルアウトルームがありました。
Applemusicには音楽のジャンル一覧に「チル」があります。踊り疲れていなくても、日常の中で疲れていく心や身体を、人々は音で治癒したいと思うのかもしれません。
私はこのアルバムを聞くたびに眠ってしまうといいました。だから全部はわかっていない。サブスクで二枚組のCDを入れ替えずに、延々とつなぎ目もなく流すこともリピートすることも可能になりました。だからこそ無題で、分け目のない、その音楽は空気のように漂い続けるのです。
『セレクテッド・アンビエント・ワークス・ヴォリューム2』は今もなおどこかのベッドルームで流れているのです。