にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

俺、味が物足りない時に塩をひとつまみパラパラができるようになる。

  最近の私といえば、ご飯を作ることがどんどん上手くなっている。えっへんと『どうぶつの森』のキャラクターが得意げにするモーションがとても好きなんだけども、今、ご飯を作るのがうまくなっているという言葉のあとにはそのモーションをしていると思ってほしい。それくらい得意げに言っている。
 特に味付けの部分が上手になっている。なんとあの「ちょっと味が物足りない時に、塩をひとつまみぱらぱらと入れる」ということが自然に行えるようになってきた。
 これは大いなる進歩である。
 人類史には見えないかもしれないが、私からすれば大いなる進歩である。えっへん!


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 しかしこの「ちょっと味が物足りない時に塩をひとつまみ入れる」、ということができるようになるまで、結構な時間がかかった。
 なんせ、最初はこの部分ができていないものと認識していなかったのだ。味が物足りないのはそういうものと思っていたので、直すものだとまず認識していなかったのだ。
 認識していない不足や不備を直すことができるだろうか。
 否。断じて否である。
 つうわけで、味が物足りないのは直せるものだって気がつくのにまず時間がかかった。
 それから、じゃあ味付けが上手くいくようになったか……となると、そうではなく、今度は上手に味付けできるようになるまでのはるかな旅路が始まる。
とりあえず初期は過剰に味付けをしちゃっていた。なんせ『テレビ千鳥』を見ていたから。『テレビ千鳥』で千鳥の大悟が料理を作りながら「奥さん、砂糖は思ってる倍ですよ」と言っていたのを俺は聞き逃さなかった。
 それからは砂糖は思っている倍の時期に突入した。
しかし「砂糖は思ってる倍」は正しい。ネットで検索して、その時に薄味なレシピを引いてしまっても、作っている時はそれが薄味だなんて気がついていない。
作り終わって「頑張って作ったのになんだかなあ」……とがっかりすることも多かった。それならば砂糖は思ってる倍入れたほうがいい。
 しかし、千鳥大悟イズムの継承であるそんな過剰な味付けは当たり前だけども「味が濃い」という不満も連れてくることになった。
うーん、どうしたもんかね~と悩んだりしているうちに、徐々に、本当日々の中で、徐々にできるようになっていった。そんな気がします。

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 ここまで、料理の味付けができるようになったよ~なんて、まるで一人でできた手柄のように言ってるけどもそんなことは一切ないです。というかこれは一人で生活していたら絶対にできなかっただろうなって思う。
 そんなふうに書くと、私に「理解のある〇〇さん」がいて……みたいなのが出てきそうな感じだけども、そういうことでない。
 でも、私にはほどほどに理解のある家族や祖母はいて、そんなほどほどに理解のある家族や祖母にご飯を作ることがここ1~2年は増えたのだ。そしてそのことがとても大きい要因なのだ。というかほどほどに理解のある家族や祖母は大きいよ。何を卑下っぽく言うているんやって話です。本当。

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 まあしかし本当、家族にご飯を作るのが増えた。
 というのも、私は相変わらず働けてはいない。4年も働けていない。
 相変わらずやっちゃってる鬱はまだまだ厄介なのだ。
 とはいえ前に比べたら鬱もましになってきている。
 それでも相変わらず寝込む日もある。だいぶ減ってきてはいるんだけども。それでもやっぱり。
 しかしまあ、働いていないとなると必然的に家にいる時間も多い。
 だけど家族は働いている、勉強しに行っている。
 そして祖母は、さすがに働いてはいないけども、身体を動かすと、節々が痛いという。
 私は働きにはいけない。けども、ご飯なら作れる。家にいるし、身体の節々はまだ痛んじゃいない。
 っていうことでご飯を作る日が増えた。
 そうしているうちに、徐々に徐々に、ご飯を作っていくことがうまくなっていった気がする。


 なんて書くと、君は今までご飯も作ってこなかったん?君は何されてる方なん?となりますが、前に一人暮らしをしていた時期もありましたし、その前の実家に暮らしていたときも時々は作ったりしておりました。でも、一人暮らししていた時のご飯は、なんていうか面倒くさいものでした。
 仕事で疲れて帰ってきて、やる気には全然ならなくて、外食や弁当をよく買った。
 最近の冷凍食品は超美味しいのでそれもよく食べていた。特に冷凍食品のチャーハンとからあげはやばい。あれが冷凍食品だなんて信じられない。超美味しい。
 仕事で疲れ切ったあとに得意でもない料理を作る気にはなれない。なんならそのご飯を食べる時間は短くしたかった。
 言うなれば食事RTA。とにかくいかに食事の時間を減らすか、そのルート構築に神経を使っていた。(ここで、冷凍食品を大量買いすることで、三日後の自分の食事時間を大量短縮することができます)
 とにかく私は仕事ですり減った自分を取り戻す時間がとにかく欲しかったのだった。
 そうしたら鬱をやっちゃって、仕事に行かなくなったら、ではやっとまともにご飯を作るようになったか……といえばそんなことはなかった。
 日々適当にしか食べていなかった。住んでいたところの台所が嘘みたいに狭いのもあったし、鬱でしんどすぎて、ご飯を作るどころではなかった。
 冷蔵庫からウィンナーをそのままかじったりしていた。せめてレンジで温めた方がいいのに。
 だから「味付け」だなんて、そんなアウタースペースな領域にたどり着くことはなかった。
 一人分の料理を作るのはとても大変で、そこまでは全然いけないまま、数年が過ぎて実家に戻った。
 
 
 そして前述の通りに家族のためにご飯を作る日が増えた。
 そうなるとご飯を作るの意味合いが変わっていく。
 「面倒くさい」のは変わらないけども、それでも家族に喜んでほしいというか、仕事や学校で疲れて帰ってきた状態の人に、不味いものは出せないよな~と思って取り組んだりする。
 そして外にあんまり出ることができない祖母には、普段食べないものや、今まで食べてこなったものを作って、これが祖母の生活にとってちょっとした刺激になったらいいなと思っている。
 ただでさえ気が滅入るニュースが多いから、美味しいものだけは作ってあげたいって思う。祖母は外に出られないから、テレビしか楽しいことがないらしく、それはやばいと思ったのだ。外にでることができない老人は、びっくりするくらい坂上忍宮根誠司を見る羽目になっている。まじでやばい。なんとかしなきゃいけないと思ってる。
 でも、節々の痛みを散らす薬を作れるわけでもないので、せめて、頑張れることは頑張りたいってことでご飯を作ってる。


 そんなこんなな日々の積み重ねで、私は味が物足りない時にひとつまみの塩をぱらぱらとできるようになったのだ。
 とはいえ、まだ味付けは間違う。
 先日は初めて「砂糖」と「塩」を間違えた。マンガみたいな間違え方をして、死ぬほどに辛いそぼろができて、私はかなしくなって、山盛りのそぼろを三角コーナーに捨てた。
 まあ、上手くなっても間違う時は間違う。だって人間やからねえ。

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