にゃんこのいけにえ

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『闇の自己啓発』を読んだ!

江永泉 木澤佐登志 ひでシス 役所暁 共著『闇の自己啓発』を読んだ!

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 「闇の自己啓発」ってタイトルがもう超いいじゃないですか。
 だって「闇」の「自己啓発」だもの。
 「自己啓発」って言葉が、今や勝ち得てしまった、光り輝く「圧倒的成長」的なスタイルは「闇」という単語をつけるだけで消え失せてしまって、それって素晴らしいよね、言葉ってそういうふうに意味があっという間に変わってしまうところが良いよね。
 私は「圧倒的成長~」とか「生産性~」とか、そういう一般的な「自己啓発」が苦手……というより、そんな風に生きることができなかったので、だからこそ「闇の自己啓発」に参加してみたいと思った。
 光り輝く自己啓発ではなく、うす暗くてじめっとしたところでも生きていくための、そんな闇の自己啓発


 本書『闇の自己啓発』は江永泉、木澤佐登志、ひでシス、役所暁らの四人による読書会を書籍化したものだ。
 読書会であるので、それぞれ取り上げている本がある。
 それぞれの本のテーマは”ダークウェブ”、”中国”、”AIとVR”、”宇宙開発、””反出生主義”、”アンチソーシャル”。それに映画『天気の子』や『ジョーカー』を鑑賞しての雑談や”加速主義”をテーマにした雑談もある。
 こういったテーマからも、よくない言い方だけども、自己啓発って目線からは品が悪くて、だからいいなって思う。
 だって自己啓発的なマナーの話なんかよりも、こっちの方が断然に面白そうじゃんか。
 そんで私はいつだって面白そうな方に歩いていきたい。
 
 
 面白そうな方、って言うと、この読書会はとにかく面白そうなのだ。一冊の本から、こんなに話を広げることができるんだ!そして読み解くことができるんだ!読むことの喜びと、それについて話すことの楽しさが詰まってる。
 またその読み解きというのが、この読書会のメンバーがこれまで得てきた圧倒的な量の知識ってのが、超単純な言い方だけども、めっちゃかっこいい~。知識と知識、本と本、思考と思考で、関係あるもの、一見関係ないもの、そんな様々なものがつながっていき、一つの大きな星座のようになっていくのは超きもちいい。
 特に江永泉さんと木澤佐登志さんの知識量が博覧強記に暴力的で、私はノックダウン状態になりながら「もっと読まねば~」と憧れを抱いたのでした。
 

 それと同時に、これほど沢山知識があっても、生きづらさという難問はなかなか解決することはない。
 むしろ、沢山知っているからこそ、物事のいろんな側面が見えているからこそ、世界のままならさをわかっているからこそ、生きづらさを解決することはできない。
 それほどまでに生きづらさは難しくてやっかいなものです。


 本書の感想からは外れますが、先日、私はお笑い芸人が多くのラジオ番組を配信しているアプリ「GERA」で吉住さんのラジオ番組「聞かん坊な煩悩ガール」の第7回を聞いていました。
 私は吉住さんのこのラジオ番組がとても好きなのです。毎週欠かさず聞いてるくらい好きです。
 第7回では吉住さんがアメトーークで「生きづらい芸人」をプレゼンし、見事その回が実現し、放送されたあとの収録でした。
 「生きづらい芸人」のある意味先頭であった吉住さんに、あるリスナーから「全く生きづらそうに見えない。自分の方がブサイクだし童貞だし生きづらい」とメールが届いたのです。
 そんなメールに対して吉住さんは「生きづらさでマウントを取ったらだめだよ。そう見えない人も、それぞれに生きづらさを感じて生きているんだよ」と言っていた。(この辺の吉住さんの返答のニュアンスがまた絶妙なので、できれば聞いてほしい。突き放すような攻撃的なニュアンスではないことだけは言いたいです)

 私が嫌う、この感想でも序盤に散々その嫌いのムーブを見せていた、「自己啓発」もまた、ビジネスという世界で生き抜こうとする、もしくはそこで生きづらさを感じている人が、生きやすい方法を模索するために読んでいるんだと思うのです。
 私がこれまでの人生で「あ~この人とは仲良くなれない……」と思った人たちも、またそれぞれの生きづらさを感じて生きているのでしょう。
 だからというか、まあというか、とにかく生きづらさは特別なものではないし、誰もが抱えているものだ。
 それでいてそれぞれの生きづらさは見えなくて、だから齟齬や無理解があって、それがまた生きづらさを助長したりするのだと思う。
 また本書でもマーク・フィッシャーの言葉から、語られていたように、生きづらさや鬱が社会的なシステムや環境にあるのに、個人の問題として処理や解決、そして治療していくことが求められるのも、またしんどい部分だと思う。
 だからこそ、生きていく中で、生きづらさ、それ自体をなくすのは難しい。
 でも自らが抱えている生きづらさを理解すること。そして、それを思いながらも生きる方法を模索するのは大事なのだと思う。
 そしてその方法が普通の自己啓発書であれ、アメトーークの「生きづらい芸人」であれ、『闇の自己啓発』であれ、その人に合うものだったらなんだっていいのだと思う。
 でも誰も何が合うかなんて教えてはくれない。
 だから探すしか無い。
 それは多くの本から、一冊を見つけることかもしれない。
 文章を書き記していって、その先にやっと見つかる思考なのかもしれない。
 ふと聞いていたラジオで、わかるものなのかもしれない。
 なんにしても、簡単な解決なんてない。
 だから探すことを諦めてはいけない。
 そしてできれば、そのやっと見つけた本を、やっと読み終えたその本を片手に、誰かと語り合う場があれば、それはとても楽しくて、素敵なのではないかと思う。
 


 この感想の最後に役所暁さんが書かれた『闇の自己啓発』のまえがきを引用しようと思う。
 ここになにかを感じた人に『闇の自己啓発』は合う本だと思う。



 世間や企業、集団は「自己」を嫌う。とにかく上の言うことに逆らうなと、個人の思考や批評精神を封じる方向に動く。その波に押し流されてしまうと、個人はいつしか考えることをやめて、世間を構成する大波の一部になってしまう。さながら押井守監督の映画『イノセント』に登場する、「人形」に変えられ、自我を、自己を失っていった少女たちのように。そして我々個人がその思考力を奪われ、「人形」にされてしまうと、大きな存在はますます大きくなり、誰も批判できない存在になってしまう。
 そんなビッグブラザーの支配する世の中で、自己を奪われないためには何をすればよいのか。私は読書会こそがその答えであると思う。ひとりで思考し、学び続けることが難しくても、ともに語り、学び、思考する共犯者がいることで自己を失わずに、思考することを続けやすくなる。そしてそれを発信することで、思考の種を撒き、共犯者を増やしていくことが可能になる。少なくとも私はそういう思い出、読書会―――「闇の自己啓発会」に参加している。
(中略)
 本書が、自分ひとりが周りと合わないことに悩んだり、既存の価値観に疑問を抱いていたりする人に寄り添うものになっていれば嬉しく思う。私もこの読書会を始めるまでは、孤独に生き、人生に絶望するひとりの人間であった。(江永氏に読書会に誘われたのは、私が誕生日に自殺しようとしていたときだった。)しかし「当たり前」をおかしいと感じているのは自分だけでない。世間に殺され、「人形」にされるくらいなら、世間を変革する方がずっとマシだ。そう気付いてからは、自分の思考を発信することで、どんどん共犯者を増やし、「常識」や大きな存在に対抗していこうと思えるようになった。
 この本を手に取ってくれたあなたは、決してひとりではないのだということを伝えたい。そしてもし、少しばかり本書の内容に触発され、面白いと感じてくれたなら、学び、思考し、発信することで、あなたの打ち破りたい何かに抗ってみてくれると嬉しい。思考の種を播き、ともに「開花」の時を待とう。

 これが私たちの、闇の自己啓発だ。
 役所暁