にゃんこのいけにえ

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『復讐 運命の訪問者』を見た!

『復讐 運命の訪問者』を見た!

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二人の借金取りの男が、ある家族の家に上がり込む。片方の男は「パチもんやな」と言いながら持っている拳銃を弄んでいる。家族の父は持っている金を渡すが、足りていない。銃声が鳴り響く。まず殺されたのはその家族の娘で、母親はあまりの事態に泣き叫んだ。しかしそのあと、続けざまに母親も父親も撃ち殺された。他に誰かいないか借金取りの男たちは探す。拳銃を持っていない一人の男が子供部屋に気がつく。そしてそこの押入れを開くと、怯えた男の子を見つけた。手を汚すのを嫌がった借金取りの男はその男の子を見逃すことにした。
それから時間は流れ、その男の子は警察官になった。警察官になった男はヤク中を追い詰めるが、そいつは自殺した。そのヤク中の指の指紋は焼かれて無くなっていた。そのヤク中の死体を引き取りに来た身元引受人を見て、警察官の男は気がつく。やつはあの男だ。俺の家族を皆殺しにし、そして押し入れに隠れていた俺を見逃した、あの男だ。



90年代に黒沢清監督は哀川翔と10本のVシネマを作った。なんて知ったふうな口を聞いたけども、それを知ったのは後追いも後追いで、先日黒沢清監督が自身のキャリアを振り返るインタビュー動画を見たからであった。ネットにはなんでもあるなあ。もちろん無いものもあるけども。それでも結構ある。

 90年代に映画監督としてまだなかなか売れていなかった黒沢清監督はVシネマの世界に入っていったそうです。ってVシネマ!もうVシネマという言葉も死語なのでしょうか。未だに色々と作品が作られているものの、Vシネマの存在感は消えつつあると思います。Vシネマは90年代にめちゃくちゃ盛り上がった映画ジャンル…というよりは公開形態と言ったほうが正しいのでしょうか。つまりは劇場公開前提で作られる映画ではなく劇場公開はせずに製作をしたらビデオスルー、TSUTAYAなどのレンタルビデオ専用の映画というのがVシネマでした。
 Vシネマブームって頃はまだ全然子供だったので、正直通ってはいないです。しかし、関西圏に住んでいた私はVシネマはすぐ隣にある存在でした。
 それは『ミナミの帝王』シリーズです。
 竹内力主演のVシネマミナミの帝王』シリーズですが、関西圏ではなぜか日曜の昼間によみうりテレビで放送されまくっていたのです。
 というわけで、Vシネマをレンタルしたことはなくとも、『ミナミの帝王』を見たことある、という関西圏の人はめちゃくちゃいるんじゃないでしょうか。
 千原ジュニアで『ミナミの帝王』が作られるようになる2010年代になるまで、竹内力版『ミナミの帝王』は何度も再放送され、関西の人は竹内力が歌う主題歌『欲望の街』のイントロからAメロちょっとまではさらりと歌えるようになったものでした…(放送されるのがAメロちょいまでだから)
 

欲望の街 竹内力

そんな竹内力と90年代のVシネマのスターの座を二分したのが哀川翔だと言われています。これももちろん後追いでございますが、それでも哀川翔が異常な人気だった空気はちょっと覚えています。
特に個人的に印象深いのは木更津キャッツアイでの本人役での出演です。スター哀川翔が木更津にやってきた!という回は哀川翔に喜ぶ地方都市のヤンキー達の歓喜を強く刻んでいて、哀川翔って人気だったんだなあ~と思ったものでした。
あとは2004年の哀川翔主演100本記念映画『ゼブラーマン』とその特番です。哀川翔Vシネマでの軌跡をたどる番組が地上波で流れていたのって凄いことだよね。今思うとやばいね。
そんな竹内力哀川翔がダブル主演をした三池崇史監督の『デッド・オア・アライブ 犯罪者』って作品を中学生のときに見てしまって脳みそが焼ききれそうになったという思い出はさておいて、だいぶ前段が長くなってしまいましたが今回は哀川翔主演で黒沢清監督による映画『復讐 運命の訪問者』の話です。


黒沢清監督は哀川翔に会う前、ものすごく怖がっていたそうです。ヤクザ映画に出ている人だ…もしかしたら怖いのでは…と思ってたそうです。
しかし哀川翔さんにあってみると、とてもチャーミングで人間味があって頭のいい人だったそうです。
そして哀川翔黒沢清監督にこう言いました。
「ヤクザ映画に出てますが、いろんな役がやりたいんです。なんでもやりましょう。多分、自分の出るVシネマっていうとある程度は本数が出ると思うので何をやっても大丈夫ですよ。監督、やりたいことをやりましょうよ」
哀川翔超かっこいい。
そして気がつくと哀川翔主演で10本撮っていたとのこと。
哀川翔主演でVシネマを10本撮ったけども、ヤクザ映画ではなく、コメディやホラーのようなシリアスなものも撮っていき、その経験は黒沢清監督にとってとても大きなものだったそうです。

今作はそんな中の一本。発表は97年(黒沢清監督は同年、あの名作『CURE』を発表しています!)。二部作で、後編に『復讐 消えない傷痕』があります。
前編の『復讐 運命の訪問者』の脚本は高橋洋。次年の98年には『リング』を発表しています。いろいろな人のキャリアのうねりの中で、発表されたこの『復讐 運命の訪問者』ですが、とにかく異様な映画で迫力があって恐ろしい映画でした。


『復讐』と名前がついているようにこの映画はいわゆる復讐ものです。復讐ものは昔からある一定数常に作られている映画ジャンルでありますし、古典と呼ばれる作品も復讐をテーマにしたものはとても多いです。なぜそれほどまでに作られるんでしょうか。ただ、復讐というのが物語を作る上でとても便利であるのは間違いありません。復讐こそ、主人公に行動を起こさせる動機であり、それを達成しなければいけないもの、そして何よりカタルシスを生む装置でもあるわけです。クソ野郎が主人公にひどいことをすればするほど、やり返したときの反動は大きいわけです。
ここ10年で一番視聴率を稼いだドラマ『半沢直樹』も復讐ものであったことを見れば、復讐ものは観客からしても求めているジャンルなのでしょう。
しかし同時に「復讐」は修羅の道でもあります。
なんせ、主人公を地獄に叩き込んだ相手と同じ場所まで堕ちなければいけないからです。
同じような地獄を相手に見せるには、手を汚さなければいけないのです。
そうすれば、観客は主人公に対して引いてしまうかもしれない。やりすぎの復讐は胸をスカっとさせるどころか、嫌な気持ちにしちゃうかもしれない。
だから定期的に復讐ものには「やめろ!復讐は何も生まない!」なんて言うキャラクターが出てくるわけです。
うるせえな~と思いつつも、そうやって止める人がいなきゃ、その果てに待っているのは地獄です。
じゃあ本当に誰もその復讐を止める人がいなかったら?そしてその相手が化物のような存在だったら?

というわけでネタバレなしはここまで。以下はネタバレを交えつつ書いていこうと思います。ネタバレを読みたくない人はここでお別れです。それではまた。さようなら。
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哀川翔演じる安城の家族を皆殺しにした宮路と名乗る男たちは表向きはクリーニング屋を営んでいます。また慈善事業として刑務所から出てきた若者の保護司にもやっています。でも裏では殺し屋の斡旋業者をやっており、そして暴力団とも繋がっていました。殺し屋の連中は身元を隠すために指紋を焼き潰しています。
その上、宮路たちは兄弟でした。もう一人、姉がいます。彼らは兄妹間で結婚もしているようでした。
安城が触れてしまったのは底なしの悪意です。そうして彼の復讐は徐々にその悪意に飲み込まれていきます。

そして恐れていたことがついに起こります。安城の妻が宮路たちに連れ去られ、そして殺されたのです。


同年に黒沢清監督が発表した映画『CURE』の印象的なシーンにでんでん演じる警官が交番で部下を撃ち殺すシーンがありました。そのシーンは長回しで、交番をじっと撮っていたと思ったら、突然でんでんが拳銃を取り出して部下を撃ち殺す、日常の延長のようなあっけない殺人シーンです。
この『復讐 運命の訪問者』は『CURE』のあのシーンの雰囲気でアクション映画を作ったらどうなるんだろう?みたいな実験作のような作品でした。
復讐もので一番盛り上がるのは主人公がついに復讐を果たすときです。今作では拳銃を手に入れた安城が宮路達と銃撃戦を繰り広げます。しかしその銃撃戦の空気ったら!『CURE』の交番のシーンのようにあっけない、というか日常の延長のような緩んだ雰囲気から行われる銃撃戦。そのあっけなさや緊張感のなさがとても恐ろしいのです。
そして肝心の銃撃戦での身体の動かし方も、普通の映画と違って異様です。
登場人物たちが銃撃戦を棒立ちで行ったり、もしくはてくてくと歩くその最中で行ったりします。
きびきびと動くことはありません。まるで、物を取るときの動きのように、散歩するときの動きのように、緊張感がなく動きます。
でも、銃弾が当たると簡単にその身体は崩れ落ちるのです。身体から生気が一瞬でなくなり、簡単にただの肉に変容するのです。
生きている人も死んでいるものも境界線がぼんやりとしかないなか、でもその境界線を超えてしまったら、人はただの肉になってしまうのです。
また長回しや役者やカメラの動線がものすごくかっこいいです。横に移動するカメラ。立体的に動く人間たち。その動きの気持ちよさから生まれるダイナミズムはたまらないものがあります。
特に廃工場での銃撃戦の、各々の動き方は超かっこいいです。3つ、大きく開いた扉がある廃工場での移動と銃撃が超最高でした。
でも、これらのアクションを中学生の頃の僕が見たら、多分めっちゃ怒ると思います。全然かっこよくない!なんて言うと思う。
しかし、この生きているはずの登場人物たちがまるで幽霊のように動く、そのアクションは、見たこと無いような異様な迫力に満ちていました。
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にしても全編通してとても怖い映画です。ずっと怖い。
オープニングから最後までずっと奇妙で気持ちが悪くそして超怖い。
ホラー映画のような重たい画作りもですが、この映画の気持ち悪さの一端には全貌の見えなさがあると思います。
「大きな陰謀が!!」と言った全貌の見えなさではなく、どこまで触っても全てはわからない。
この気持ち悪さはどこまで深いものなのか、全くわからない。
その全貌の見えなさがとても気持ち悪いのです。
そしてその全貌が見えないってのはある程度見えているからこそ、また見えない部分が気持ち悪く感じるのです。
見えている部分は細かなディティールで描写されている。でも見えない部分は全くみえない。
これが本当に怖いのです。

また怖いものとして、この映画では繰り返し「心が折れた人々」の描写があります。
それがまた嫌な後味を残していきます。
暴力は何が嫌なのでしょうか。痛いから?怖いから?
暴力は人の心を壊すのです。死の予感に人は大きく怯えるのです。
心が折れてしまった人の姿はとても恐ろしく感じます。それは彼らに心があることの現れです。
心があるのは生きているからで、その生きている人間が「死にたくない」と泣き叫ぶのです。
その姿を丁寧に描写するのがとても恐ろしいです。
観客は映画をただ見るしかできない。映画には干渉することができない。目の前で人がどれだけ暴力を振るわれていようが、助けることはできないのです。

映画の終わり、ついに安城は復讐を果たします。でもその瞬間、安城は完全に向こう側に行ってしまうのです。向こう側に行ってしまった表情で、宮路を撃ち殺します。そこにカタルシスはありません。ただただ嫌な後味だけが残りぞっとしていました。

この映画の後編である『復讐 消えない傷痕』はまたテイストが変わって、奇妙な映画なのですが、それはまたの機会に感想を書こうと思います。
黒沢清監督が哀川翔主演で撮ったVシネマである『復讐 運命の訪問者』。
間違いなく黒沢清映画としての刻印が濃く刻まれた作品でした。当時の哀川翔ファンはこの映画をどう見たのでしょうか。
それもまた気になりました。

ラストの哀川翔の表情にぞっとしていたら、突然アコギが鳴り響き、エンドクレジットでは哀川翔が歌を歌っていました。
やっぱり哀川翔はスターだったんだなと思いました。

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