にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

何が人生100年時代だ。元気に100年も生きれると思うなよ。

睡眠薬を飲んでも眠れない。

というか睡魔は来ているのだけども、その本格的に睡眠に落ちるまでの、あと数段の階段が登れない。

そういう夜はやきもきする。

やきもきをするとまた余計に眠れなくなってしまう。

眠れないと余計なことを考えてしまう。

余計なことを考える夜は大抵ろくなことにならない。

 

私の祖父が本格的に弱っている。もうそれは本格的に。

身体は動かなくなっていて、そしてなによりも全てが弱々しい。

祖父の近くで介護めいたことを少しだけやった。

それは大変だった。

それに疲れたのもあったけども、なによりも弱々しい祖父の姿に触れているのが辛かった。

 

祖父はもう90を超えていて、おじいちゃんもおじいちゃんなんだけども、でも長く生きた最後はこんな風になってしまうんだというのが、とても辛かった。

人生100年時代だの、90歳まで働こうだの、そんなことまやかしだ。

人は弱っていくのだ。

人は歳をとると弱ってしまうのだ。

身体は衰えるのだ。

身体は動かなくなるのだ。

あんなに利発的な人が弱ったことしか言わなくなるのだ。

100年時代だ、なんて軽々しくいう人は元気な姿で100年生きれると思っているのだろうか。

人は弱る。歳をとると弱る。簡単に弱る。

なんでそれすらも、いやそんなことからも目をそらせるんだろう。

 

母は私たちの家と祖父母の家を行き来して、なるべく手助けしている。

私もそれを昨日今日と軽く手伝った。

それだけで私は簡単にひよってしまった。

それがなんとも情けなくて、どうしようもない。

 

ケアマネージャーやカイロプラクティスの人がやってきた。

テキパキと動く。

祖父の手助けをする。

私は何にもできない。

祖父の身体の起こし方も知らないし、祖父の支え方もしらない。

今まで自分が好きだったこと、頭に入れてきた知識なんてなんの役にも立たない。どうしようもない。

 

祖父の次は自分の母と父の番だ。

そしてそのあとは私の番だ。

私たちは年を取る。

弱っていく。

死に向かう。

ただ、簡単には死ねない。

ゆっくりと弱っていく中で、多くの人の手を借りないといけない。

人が弱っていくとは、年をとっていくとはそういうことだった。

私はずっとそれに目をそらしていた。大馬鹿ものだ。

 

私はただ無職だから時間はあるので、今祖父の手助けはできる。なるべくやれることはやりたいと思う。

でもその一方で、弱っている祖父に向き合わないといけないと思うと、それはすごく怖くて勇気がいる。

 

子供の頃、いつか人は死ぬと知った時、本当に怖かった。泣き叫んだ。

それを今、思い出してる。

死ぬって凄く怖い。

本当に怖い。

それでも日に日に死に向かっていく。

それを避けることは絶対にできない。