好きな芸人さんが税金を納めてなかったというニュースがきっかけであの芸人さんはADHDではないか?というのがにわかに盛り上がっている。
これまで芸人さんのすべらない話的に消費されていたあれこれのエピソードは実はADHDや発達障害由来だったのではないかというものだ。
とそれくらいにはADHDや発達障害が認知されてきたというのはある意味で喜ばしいことであると思う。
それでこの話は特にその芸人さんがADHDだ!発達障害だ!と断定したいものではないし、ADHDや発達障害と決めることってどうなの?って疑問符を投げかけたいものではない。
この一連の流れの中で「発達障害だと思って病院に行ったけども、怠惰なだけの健常者だとわかった」というはてな匿名ダイアリーの記事が再燃しているのに少しの怖さを覚えたので、今衝動的に文章を書いている。
「誰が発達障害を決めるのか?」という大きく出たタイトルをつけようと思うけども、そこまで話を大きくしたいわけじゃないので、タイトルは変わっているかもしれない。
要するには私が言いたいのは「発達障害だと思ったけども健常者だと言われた」ということに記事に対する妙な気持ち悪さについてだ。
「発達障害だと思ったら怠惰なだけの健常者だった」という記事を昔読んだ時に私も気持ちがかなりブレた。
私はその頃にはメンタルクリニックで発達障害だと認定はされていた。しかし「発達障害なのか?」という疑念はずっと残っていた。
というのも、やっぱり自分ではずっとこの「自分」で動いてきたので、今更、あなたは発達障害です、病気です、なんて言われても納得しづらかったのだ。
もちろんずっと人生で生きづらさは感じてきた。
多くのミスを生んで、多くの人に迷惑をかけてきた。
でも、あなたは「ADHD」だ「発達障害」だと言われてもやっぱりどこかで納得できなかった。
だから休職することになっても、結局復帰できなくてもあるところまでは健常者としてなんとか生きたいと思っていた。
でも、それは難しかった。
結局、私は障害者手帳を申請することにした。
と、自分語りを重ねた上で何を語りたいというのかというと、「発達障害だと思って病院に行ったけども怠惰なだけの健常者だった」という文章は、今まさに「ADHD」や「発達障害」で悩んでいて病院にまだ行っていない人に対して、「私も怠惰なだけかもしれんし、やめておこう」と思わせる力があると思ったからだ。
こんな場末のブログなんて誰も読んどらんと思うけども、もし悩んでいる人がいたら、そしてあの文章で揺さぶられた人がいたら、あの文章は気にせずに一度病院に行くべきだ。
そして、悩みを打ち明けるべきだ。
もちろん、病院合う合わない問題や、診断されたよどうしよう問題などあるけども、まずは悩んでいるならば病院に行った方がいい。
話はそれからだと思う。
ADHDや発達障害と診断されることの良し悪しはもちろんある。色々と"世間の目"ってのもまだまだある。
でも、生きづらさだけはどうにもならん。
自分の生きづらさだけは先送りすればするほどどんどん辛くなる。
もし、その生きづらさにある種の名前がついているならば、名前をつけるべきなのだ。
そして、その名前を元に対策をしていくべきなのだ。
それから怠惰なだけな健常者だった。という書き方はめちゃくちゃ絶望を含んでいる。
それに関してはなんかまた社会的な病理を感じるし、ここを切り口にするとどんどん長くなるから、今回はやめておくけども、一度診断されて納得がいかなかったらセカンドオピニオンあるよってのは伝えておきたい。
医者によってはまじで適当な診断しかしない。本当まじで。
そんな医者disも入ったけども、それでもそんなADHDについて詳しいのはお医者さんだ。だから、悩んでいるんだったら一度助けを求めた方がいい。絶対そっちの方がいい。
というわけで、あの文章で心がぶれたり折れたりした、まだ名前を持ってない人に向けてこれを書いてみました。
病院の初診は最悪一ヶ月かかるけども、待つだけの価値はあるから。もし迷ってるなら一度予約だけでも入れてみよう。緊張するかもだけども、一つ一つこなしていこう。
健常者だとわかってがっかりしたという文章に対する、何か物思うこともあるけども、それまでは追いかけない。
にしても、本当生きづらい世界になってきてるんだなあ……とここ数日TLを眺めてるとより強く思いますね。なんか、どうしたもんやろね。