昨年から僕はカウンセリングに通っている。カウンセラーの先生は僕と同年代くらいで、その先生にあれやこれやと悩みをぶちまけている。僕は毎回、それほど悩みがないって顔でカウンセリングルームに入って、馬鹿みたいに悩みをぶちまけて、そして気がついたら終了時間。信じられないほど悩みがあって、信じられないほど考え込んで生きていることを、その部屋に入る度に思わされる。
もう何回目かわからなくなったカウンセリングに行った。
「どうですか?」と聞かれる。
「最近、図書館に通うようになりました」と答える。
「それは大きな進歩ですよ」と言われる。
「やっとですが、できるようになりました」と答える。
そして涙があふれ出す。
ぽろぽろと涙があふれ出る。一滴一滴。ドモホルンリンクルの製造工程のように僕の目から涙があふれ出て、そしてティッシュを貰って涙をぬぐう。
ありがとうございますと言いながら泣く。
復職のトレーニングとして、朝に起きて図書館に通うということをし始めた。ただそれだけのこと。小さなことを大きなことだと褒められたことが嬉しくて、やっとここまでこれたことが嬉しくて、それを言葉にするならありがとうございますしか言えなくて、感謝の念を泣きながら伝える。
この部屋で何度泣いただろう?と考える。何度となくこの部屋で泣いた。男が泣くなんてみっともないと職場で言われたことがある。でも、この部屋で泣いても、先生はとがめるようなことは言わない。だからずっと泣いていられる。涙が止まるまで泣いていられる。
自分には自分のことがわからない。うまくわかっていない。うまく人に自分の気持ちを伝えることができない。そもそも自分の気持ちというものをうまく認識できていない。
自分の発する言葉が正解がどうかがわからない。いつからか、自分の発する言葉が全てミスを犯しているような気になって、発するのが怖くなってしまって、自然に言葉数が減ってしまった。
だから、何が怖いと思っているかの話になる。
僕は自分が気持ち悪い人間だと思っていると言う話をする。
じゃあ、なんで気持ち悪い人間なのかと思うようになったかを考える。
過去のこと。
高校生の頃に顔をいじられたこと。小学生の頃に女子に嫌われていたこと。沢山の小さな傷の話をする。もう何年の前のことなのに、ずっと忘れられないようなことを話す。
でも、決定的な何かはみつからない。自分が自分のことをそこまで嫌う理由は見つからない。
探すけども、まだ見つからない。
そのうちに、もっと何が怖いかの話になる。自分が怖い物って何かになる。
自分をむき出しにするのが怖いと言う。
自分をありのまま見せるのが怖いと言う。
だからいつも何か取り繕ってでしか動けないような気がしていると言う。
「もしかしたら、」と先生は切り出す。
「関係性が怖いのかもしれませんね」と言われる。
その瞬間に、あっ、と僕は呟いて、頭の中ではいろんな瞬間がつながっていく感覚に襲われる。
関係性が怖い。
会社の人との同僚としての関係性が怖い。
女性との、男女としての関係性が怖い。
僕自身と、一対一の人間としての関係性が怖い。
全てが繋がっていって、そうか僕は関係性が怖かったんだと思い至る。
その瞬間に時間が来る。あっという間に1時間がやってくる。
「次は2週間後にお願いします」と予定を入れる。
その2週間でもっと良くなっていたらいいなと思う。
脚本を書き上げた。誰に見せるでもない脚本。内容は河原で男女が駄弁っているだけの話。夜から朝になるまでの話。小さな小さな話。
魔法みたいな夜の話が書いてみたかった。サニーデイ・サービスの『夜のメロディ』に出てくるような夜の話。ロロの『校舎、ナイトクルージング』のような夜の話。僕が実際に体験した夜のような話。
それを書こうと思った。ただ駄弁っているだけなんだけども、終わった頃には何かが変わっていて、それでいて何を話していたかなんて覚えていないような夜の話。
それを書いてみた。
弟に読ませてみた。
「駄弁ってるだけだけども、駄弁っているなりの良さがあるやん」と言ってくれた。
その一方でもう少し展開があってもよかったかもと言われた。あまりにミニマルな話すぎたかもという懸念はある。そこを付かれたので「うおーやっぱり」という気持ちになったのも事実。
ミニマルすぎたかもしれない。もっと展開があってもよかったかもしれない
でも、なんとなくこのサイズの話を書いてみたかったのだった。
少しだけ変化する話。そこに今はなんとなく自分の希望めいたものを乗せてみたいなと思っている。
『カメラを止めるな!』を見た。
平日の昼間に行ったにもかかわらず満席で、そこまで人気になっているのかとびっくりしたけども、本編を見て納得。これは満席になるわ、ではなく、満席にならないとおかしい。
そして感想としては何にも言えない。ネタバレになってしまうから本当に何にも言えない。何ならどんな喜怒哀楽になったかさえ言えない。唯一言えるとしたら、最高にとてつもなく面白い映画だったということだけだ。終わった瞬間に「めちゃくちゃ面白かったな!」と友人に語りかけたくらいにはもの凄く面白い映画だった。また見に行きたい。そしてネタバレありの感想もぜひ書いてみたい。
今週は『SRサイタマノラッパー』と『SRサイタマノラッパー2女子ラッパー☆傷だらけのライム』を見た。
友人から見ろ見ろと言われていた映画だったけども、ここまでぶっささる映画だとは思わなかった。特に『サイタマノラッパー』は辛すぎて、もう見返したくないレベルで辛いシーンが多かった。しかし、それでも、それでもと一番底辺に落ちた瞬間に発せられるラップに心を打たれ涙をどばどば流してしまった。
『サイタマノラッパー2』は女子特有のタイムリミット感や生きていくことの困難さが描かれていてまたもや辛くなったけども、それを吹き飛ばすラップにまたもや感動。このシリーズは何もない人々に向けて作られているのだなと思った。俺も何もないやんけ・・・と日々悩むので彼らの姿は笑いながらも同時に刺されるような気分になった。俺もIKKUだしTOMだし歩なんだなと思う。だから1の焼肉店でのラップが刺さって、2のエンドクレジットの歩の姿に心が打たれるのだと思う。
素晴らしい映画だった。3も見るのが楽しみ。
羽海野チカの世界展に行った。
現行の漫画家で一番好きなのは誰かと問われれば秒で羽海野チカ先生や!と答えるくらいには羽海野チカ先生のことが大好きなのですが、そんな僕が羽海野チカ先生の原画展に行くと何が起こるかと言えば号泣しながら展示物を見回るという羽目になるわけです。
今回もぼろぼろと泣きながら「羽海野チカてんてー!俺だ-!!」と心の中で何度も叫びました。
途中、ハチクロの番外編が1話まるまる展示されていたけども、それが番外編って枠というより、完璧な後日談すぎて号泣。周りを見渡すと泣いている人多数。
その後の展示も素晴らしいものばかりで、改めて羽海野チカ先生の書く物が本当好きだなあと思ったのでした。
最後、羽海野チカ先生に向けてのメッセージノートコーナーがあったので「羽海野チカ先生の漫画のおかげでここまで生きてこれました」と書く。心からそう思ったので書く。
僕は羽海野チカ先生のおかげで生きてこれたと本当に思ってる。
羽海野チカ先生の漫画が無かったらどんな人生になっていただろう?
今とは全く違う人生になっていたかもしれない。それくらい、自分を作り上げた要因の一つだと思う。羽海野チカ先生、本当にありがとうございました。
にしても、ハチクロの展示を見ていて、もう僕はハチクロの登場人物よりも年を取ってしまったんだなと思う。そのことが意外で驚いてしまった。あとは修ちゃん先生くらいか、年上なのは。ひゃー。かつては大人に見えた登場人物の姿が、今では年下なんて。だからこそ彼らの青臭さがよけいにわかった気がした。大人のように見えた真山の滑稽さも、竹本くんの青臭さも、山田さんの不器用さも、はぐちゃんの切実さも、森田さんは・・・わからないけども、それでも彼らのことを余計に愛おしいなと思ってしまった。
やっぱり僕にとってハチミツとクローバーは大事な漫画です。これまでも、これからもずっと。