にゃんこのいけにえ

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アンソニー・ドーア『すべての見えない光』を読んだ!

 アンソニー・ドーアの「すべての見えない光」を読んだ!

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 最近、友人たちと読書したらその感想を投稿するためだけのグループラインを作りまして、そこで後輩が「もの凄くよかったです」と大絶賛していたのがこの「すべての見えない光」でした。
 その後輩の熱量があまりにも凄かったので、これは読まねばならない本だと思い、速攻で読み始めたら、ぐいぐい引き込まれて「うわーこれすげー本だ-!」ってなって、なって、なりつづけて、読み終えていたという感じでした。
本当凄い本でした。
今、人から「なんか一冊だけ勧めてよ」って言われたら秒で「すべての見えない光」って早口で言っちゃうと思う。それくらいです。はい。

 


しかしこんな「すごかった!すごかった!」と神輿を担ぐ時のかけ声のようなテンションをまき散らしていても、本の魅力や感想は伝わらないわけです。
ではここからはつたないですが感想を書かせて頂きたいと思います。

この本に出てくるいわゆる主人公と呼ばれる立ち位置の人は二人いる。フランス・パリに住んでいた盲目の少女マリー=ロール。
そしてドイツの炭鉱町に住んでいた白髪の少年ヴェルナー。
この二人が歴史に巻き込まれ、思いもよらない運命の流れに身も心も引き裂かれ、そしてある一瞬の邂逅が・・・というお話です。
大きく言えばボーイ・ミーツ・ガールものと言えると思います。
しかし、この作品はミーツが凄いのです。ミーツに至るまでが凄いのです。
そしてそのミーツに大きく関わるもの、それが「ラジオ」なのです。

 

 

突然自分語りをするのですが、僕はラジオっ子でした。小学生の頃にラジオを買って貰ったのを機に、どこ行くにもラジオを片手にあちらこちらしておりました。関西にずっと住んでいたのもあってもっぱら聞いていたのはFM802でした。
好きな音楽のあれやこれやはだいたいFM802で教えて貰ったようなものです。
ラジオを聞いたことがある人ならわかると思うのですが、ふと流れてきた音楽に耳も心も持ってかれたことってありますよね。
名前も知らない人の音楽に、まるで恋に落ちたような気持ちに、いや、そんなものじゃない、この世界が書き換えられるようなそれくらいの気持ちになるようなこと。

またはAMラジオ好きに特に伝えたいのですが、ある時に話していた会話が数年後、もしくは数十年後突然フラッシュバックすることってないですか?
ある人生の局面において「あ、これあのときしゃべっていたことだ!」ってなることって。

僕はあります。
そしてこの小説はそれを思い出しました。

 


ドイツの炭鉱町に住むヴェルナーはある日ゴミ山から拾ったラジオを修理してもう一度音が流れるようにします。
そしてある夜そのラジオは月光のメロディーと共に「科学についてのお話」を流すのです。

ナチスドイツの占領によりパリを追われたマリーは大叔父が住むフランスの要塞都市サン・マロに身を寄せることになります。
そしてその大叔父の家の6階には、その「科学番組」が収録されたレコードが。そして番組を電波に乗せるための送信機があったのです。

マリー=ロールは、ヴェルナーはその後辛い運命が待っています。
特にヴェルナーは友人を救えなかったことや、戦場での体験で人間性を失っていきます。

マリーも多くの人を失っていきます。その中で心の支えになるものがジュール・ヴェルヌの「海底2万マイル」でした。

 


ヴェルナーがもうだめだとなったとき。マリーがもうだめだとなったとき。
マリーは送信機を使って叔父が聞いているかもしれないと思い「海底2万マイル」の話を聞かせます。
そしてその声はヴェルナーに届きます。そしてその時あの「月光」も耳に届くのです。
その瞬間、彼は確かに感じるのです。生きる希望を。そして失っていた人間性を取り戻すのです。

 


この本には強く強く感動しました。しかし、僕は未だそれを言葉にすることができません。でも人間性を失っていた者が、音楽で、そして物語で取り戻していく姿には心が強く打たれました。
戦争は強き者だけが得をするようなことです。
僕のような弱い人間はあっという間に淘汰されてしまうでしょう。
この本に出てくる人々は歴史に名を残すこともない弱い人々ばかりです。
でも、皆、小さな希望にすがって生きていきます。
闇に包まれそうになっても、誰かが生み出した希望は新たな火になることを伝えます。

生きていた人々の声や希望は、この世界に漂って誰かに届く。
そんな文章がこの本の最後には書かれています。
先日見たロロの「父母姉僕弟君」もそんなことを言っていました。
アンソニー・ドーアさんも、ロロの三浦さんも、二人とも強く願っているのです。この絶望に目を向けようと思えばいくらでも向けることができる世界で、1人1人が生きていたことの意味ってなんだろうかと。
意思は残る、希望は残る、言葉は残る。
それは確かに見えない。
でも頭蓋骨に覆われた脳が光を感じることができるように、それらも見えないけども確かに光なのです。
そしてそのときに、そのときとは「希望」を伝えないといけないときに、その出力を最大にするものを使わなきゃいけない。
希望を物語の形にしたり、音楽の形にしたり、そしてそれをラジオに載せて、遙か遠くまで飛ばさなければいけない。
それを誰かが受け取るかもしれない。
そしてその受け取った誰かは新たな希望を生み出すかもしれない。

 


この本は全編がまるで詩のような文章で綴られています。
特に印象的なのは世界に対する細やかな描写です。
世界のありとあらゆるものが生命力をもって描かれているのです。
イースタン・ユースの名曲「一切合切太陽みたいに輝く」を思い出しました。
アンソニー・ドーアさんのこの文章は世界への多幸感が溢れているようで、そして文中の言葉を引用するならば「目を閉じる前にできるだけ多くのものを見て」きた人の言葉のようにも思うのです。
僕には知らない鳥がまだまだ多くいる。知らない貝が多くいる。知らないこの世界の法則がまだまだある。知らない人々が沢山いる。
知らないもの。それを知ってしまったらまた世界は、一切合切が太陽のように輝き始めるのです。

 

 

500ページにもなる大作ですが、驚くほどさらりと読めてしまうのはまるで短編小説のような小さな章の積み重ねだからでしょう。
読書が苦手だと言う人も読みやすい本のように思えます。
ここまで書きましたが、相変わらずこの本のこと、何も伝えれている気がしません。
でも、鳥のこと、貝のこと、ラジオのこと、ジュール・ヴェルヌのこと、そしてまだまだ知らないいろんな世界のことを知っておきたいと思いました。
多くの、小さな小さな積み重ねは、2人の一瞬の邂逅を生み出しました。
その瞬間はずっとずっと続いてほしいと、そう思います。
別れの時はやってきます。
でも、それでも残り続けるのです。
その邂逅は残り続けるのです。
その奇跡に触れた瞬間「この本を読んで本当によかった」と強く思えたのでした。

 

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

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