にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

両目洞窟人間、第10回文学フリマ大阪に出店します。

どうも皆様こんにちは。
両目洞窟人間です。
好きなコンビニのパンはウィンナーがばーん!と入ってるやつです。


両目洞窟人間ですが、この度、2022年9月25日に開催されます第10回文学フリマ大阪に出店します。
というわけでその告知記事を書かせてもらいます。
以下詳細。

第十回文学フリマ大阪【入場無料】
2022/09/25(日) 11:00〜17:00
・会場: OMMビル 2F B・Cホール(京阪電車・大阪メトロ「天満橋」駅下車一分)
・詳細:
bunfree.net


両目洞窟人間のブースは『G-41』です。

矢印のところが私のブースです。
そこに金髪のやつがいたらそれが私です。

文学フリマは初出店です。
今回、自作短編小説をまとめたZINE『両目猫舌通信』を販売します。
Vol1~Vol.3をそれぞれ10部ずつ持っていく予定です。

値段は
両目猫舌通信Vol.1が200円
両目猫舌通信Vol.2とVol.3が300円となっております。

改めて収録作品の紹介をしますと
Vol.1が『ランプ・妖精・ミルクフランス』、『2147年のスーベニア』、『今号の両目洞窟人間さん(日記)』、『ぽんぽこりん、考察』
Vol.2が『くまくんとしゃけくん』、『失われたタンゴが聞こえてきたので』、『今号の両目洞窟人間さん(日記)』、『世界を燃やしてほしかった』、『とうめいな、たましい』
Vol.3が『恐怖!巨大花!!』、『アンダーグラウンド・ガールズ・ラフィング・エキセントリック・ジョーク』、『ねこ太郎、現代の鬼と戦う』、『アイム(ノット)ミー』
となっております。
しゃべる猫が出てきたり、少し寂しい話だったり、近未来だったり、奇妙な話だったり、とにかく私がこれまで書き散らしてきたものがぎゅっと詰まっております。
もしよければぜひぜひです。


当日はなるべくブースにいようと思いますので、もしよければお立ち寄りください。

それでは。2022年9月25日は文学フリマ大阪でぜひぜひお会いしましょう~。

2022年9月20日の午前三時の感情

 今は2022年の9月20日、午前3時前。2022年9月19日を私は睡眠で溶かしてしまった。
 台風が来ていた。それで予定がなくなってしまった。
 だからってわけじゃないけども、朝まで勉強をしていた。不安に襲われたからだ。
 この先、どうすれば生きていけるんだろう?って不安。
 そういう不安に襲われた時は、何かに没頭するのがいい。だから勉強をした。
 現実逃避のために勉強をした。
 勉強をしすぎて、妙に頭が稼働しすぎた。それで睡眠薬を飲んだ。
 そしたら2022年9月19日は消えてなくなってしまった。すべて眠っている間に無くなってしまった。

 
 それから起きている。2022年9月20日を起きている。
 テレビをつけている。NHK。AIによる自動音声が台風情報を伝えている。
 AIによる自動音声というのがいまいち私には理解できない。それでも何度も繰り返されてる。
 AIによる自動音声。
 AIによる自動音声が言う。「命を守る行動をしてください」
 台風は住んでいる地域から離れていった。
 ただ低気圧が残っている。頭痛がする。
 頭痛と精神的なダウナーに身体全部を包まれてる。
 あんなに寝たのに、気分は良くなくて、もう少し寝てみたいと思うけども、あんなに寝たから眠れない。


 古川日出男の小説を読んでいた。『とても短い長い歳月』という古川日出男のこれまでの諸作品をDJが抜粋し、DJミックスのようにつなぎ直した一冊の本。
 それを読んでいた。
 読みながら、私は文章が書きたいと願った。
 体調が悪くとも、精神が良くなくとも、とにかく文章が書きたいと願ってしまった。
 古川日出男の文章はそんな気持ちにさせた。読ませていく、その文章は。
 私は文章を書いていたい。
 文章を書くことで何か変化を期待しているわけじゃない。
 ただ文章を書きたいと願っている。文章を書くのは楽しいから。ただ楽しいことを私はしたいのだ。


 耳の奥が圧迫されているような気がする。
 それは低気圧のせいかもしれない。
 気分が悪いのも、低気圧のせいかもしれない。
 低気圧のせいじゃないかもしれない。
 なんのせいか結局のところわからない。
 ただ、しんどくて苦しいという感覚だけはある。
 だから、楽しいことがしたい。
 そんな中でも楽しいことを。忘れられるようなことを。
 だから文章を書いている。特にオチはない。
 でも2022年9月20日の午前三時の感情だけはあるつもりだ。


私と弟でやってるPodcast『はぐれラジオ純情派』が第100話を迎えました。

皆さん、こんにちは。両目洞窟人間です。
この度、私と弟でやっておりますPodcast『はぐれラジオ純情派』が第100話を迎えました。
第100話!!!
二年半、なんやかんや続けてきて、気がつけば第100話になりました。びっくりですね。
第100話ではこれまでの振り返りをしております。
あの回ではこんなことがあったな。あんな話をしたな~と振り返っております。
もしよければぜひぜひです。

open.spotify.com


ここからは、はぐれラジオ純情派と私について。
第100話の中でも話しておりますが、はぐれラジオ純情派を始めた当初は、今よりももっとメンヘラ状態であったので、人と喋っていても汗が止まらなくなる、しんどくなるということに悩んでおりました。
そんな中、Podcastがやりたい、と思ったのはなんでだったか、今となってはその衝動の元もわかりません。
ただ、弟とやろうと思ったのはそこにいたからとよく言っていますが、弟と喋るならいわゆるメンヘラ的な状態にならないで済むというのもあったからです。
それはやっぱり兄弟だからこその楽さというのもありました。
でも100話も続けれたのは、楽さ以上に楽しさがあったからだなあと今は思います。
千原ジュニアは「千原兄弟は解散しないですよ。兄弟ですから」って言っていたそうですが、はぐれラジオ純情派も多分兄弟だから続くのかなと思います。
色々とありましたが、ここまで一緒にラジオを録ってくれた弟に感謝を改めてしたいです。
そしてこんなPodcastを聞いてくださる方にも感謝をしたいです。
次は150話、200話を目指したいですね。
まだまだ兄弟でくだらない話がしたいです。ということを書くと弟に苦笑いされるのでこっそり書いておきます。
それでは、これからもよろしくお願いします。


感想、お便り、ご意見、コーナー「夕方のチャイム」へのメールは
hagujunradio@gmail.com
まで!

それでは~。

NOPEを見た!(もしくは見ると取り憑かれることについて)

NOPEを見た!ネタバレめちゃしまくり感想です。



見る、という行為は文字通り主観的である。それゆえに自分が見たものが信じられないということが起きるわけだし、逆に「自分の見たものを信じすぎてしまう」ということもある。
人は自分の見たいものしか見ないという言葉もあるように、見るは信じるとイコールであるし、見ることは信じることだ。
NOPEは見てしまったがために取り憑かれてしまう、そしてそれに人生をかけてしまう、その上であまりにひどい目に会うという話だと思った。
具体的には「惨劇の中、直立した靴」だし「夜空をかける謎の光」だ。
自分の見たものはなんだったのだろう?あのあり得ないものはなんだったのだろう?
それを言葉にすれば「奇跡」であるし、その「奇跡」を目撃すると、人は我を失う。
元いた世界に帰れなくなってしまう。
見ることは恐ろしい。
人を変容させてしまう行為であるし、同時に目をつむらない限り、もしくは背けない限りはずっと生きている限りやり続ける行為でもあるからだ。


NOPEの空からやってくるものは「奇跡」でもなんでもなく、それは意思があるのかさえわからない、ただ人を食らう謎の生き物だったわけです。
あの惨劇を生き延びたアジア系元子役、現テーマパークのオーナーはそこに集めたお客さんと一緒に、あっという間に食べられてしまう。
でも何より残酷なのは、あのチンパンジーによる惨劇を生き延びたものの、顔の皮膚が剥がれたあの元女優も呼んでいたことだと思う。
元オーナーは彼女に何を見せたかったのだろう?
それはあのチンパンジーの惨劇で直立していた靴のような「奇跡」がこの世界にはまだあるということかもしれない。
その「奇跡」を手懐けている自分の姿かもしれない。
その「奇跡」に希望を見せたかったのかもしれない。
しかしその「奇跡」はこちら人間サイドの勝手な思い込みであり、ただの人を食らう生物だった。
「奇跡」というものを都合よく解釈してしまったがゆえに、テーマパークでの惨劇は起きた。
普通に考えれば恐ろしいものをなぜ「奇跡」と思い込めたか。
やはりそれは「直立した靴」を見てしまったからだと思う。
そして、その場にいて、顔の皮を剥がされてもかろうじて生き延びた彼女に見せたかったのだろう。
この映画を見ていて、あまりのやりきれなさを感じたのはこの部分であって、人生の幸と不幸が釣り合わない、その辻褄のつかなさこそ、ホラーであると思ったりしたのだった。


世界初の映画は馬が走る姿を捉えたものだった。
その逸話が繰り返されるようなクライマックスは興奮したからこそ、その撮影した映像が見たかったと思うが、一応IMAXで撮った、そして映画館で流れているそれこそが「撮った映像」ということかもしれない。
でも、それだと上がり切らねえなとちょっと思ったりした。
撮影素材を見たという、生の感覚が足りないっすよとは思ったりした。
ただ、そこから映画というものから、写真へさらに遡っていくラストよ。
映画が1秒24コマの写真が連続するならば、空に浮かぶそれをたった一瞬捉えた写真はすべての映画の原点だ。



www.youtube.com



スーパーカーのナカコーさんのTwitterの感想でも書かれていたことだけども、中盤の惨劇が起き、家に血の雨が降り注ぐ中、カーステレオから聞こえてくる音楽がVaporwaveのようにピッチとテンポが落ち、リバーブがかかって鳴り響いているのはとてもかっこよかった。
サントラにはそのバージョンの音楽が収録されている。なんと素敵な!
Vaporwave的なものが、レトロでも近未来でもない、片田舎の中で使われるのは、超センスがいいじゃん、最高じゃん、と私はなったりしたのでした。

32歳になりました。

32歳になりました。

 

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今年もどうぶつの森のダチたちに祝われる私です。

 

 

まずは32って数字にびっくりしています。

自分が32歳、信じられない。となりますが、時間と人生は本当にそれだけ進んじゃったんでしょう。

若いって言うほど若くもないし、歳をとったなんて言えるほど歳をとったわけでもない。

微妙な年齢です。

32歳な自覚があるかといえば、本当に全然なくて、なんなら金髪だし、いつも使ってるリュックにはカービィのぬいぐるみをぶら下げてます。

完全に変なおじさんってやつで、「うわーやばいよなー」と思いながらも、金髪もカービィをぶら下げるのも結局やりたかったことを今やっているわけです。

自分の中の社会性で言えば「こういう風に生きるのがまともなのだ」と言うてくるわけですが、27歳で社会をドロップアウトしてしまってから、結局戻れてないし、そのなかで「まとも」ってことを追い求めるのも疲れてしまって、やっとのことですが、私は好き勝手に生きてみるってのをやってるような気がします。

好き勝手に生きるって言っても金髪にするとか、カービィをぶら下げるとか、それくらいなんだけども、でも自分にはそれは怖くてずっとできなかったことでもありました。

やっぱちゃんと生きなきゃって意識がずっとあったんでしょうね。

 

 

31歳最後の日は結局眠りほうけていました。その前日に友人と遊び呆けたってのもあったから、その遊び疲れだったんですけども、相変わらず一日動いたら一日動けないってのは変わらないし、ちゃんとできないなってことばっかりで、毎回言ってる気がしますがやっぱ落ち込んでしまう。

仕方ないって割り切るほどは私は強くないし、どうしたらいいのかなあと落ち込んでばかり。

32歳として生きていくぞ!と思うけども、32歳な生き方がどんなのかわからないし、自分にできるとも思えない。

やっぱり悩んじゃう。強く強く悩んじゃう。

 

 

とはいえ、私の人生も少しは進んでいるはずだと思いたくて、9月には珍しいことがちょっとだけ起きます。

9月3日には自作小説を朗読することになりました。9月25日には文学フリマ大阪に出店することになりました。

小説を書き始めたのは2017年の社会をドロップアウトしちゃった頃です。

家に篭りながら、ドトールに行きながら、なんとなくぼんやり書いていました。

それで何かを変えようとか、一発逆転するんだ、なんてことは一切思ってなくて、それをすることでモヤモヤをなんとかしたかったり、単純に書くのが楽しかったりして、結局そんなことを5年も続けています。

そしたら、朗読だったり出店する機会がやってきました。

そのほかにも小説を書いてることで、出会えた人もいますし、良かったこともあります。

気がついたら自分にとっての大きな存在になっていたのかもしれません。

 

弟とやっているpodcastも100回にいきそうだし、このブログだって500回以上更新していて、私は何かをぼちぼちと続けることが得意なのかもやっと思ったりしました。

中身はともかくですけども、ぼちぼち続けてる。

それを簡単に武器だよ!と言いたいわけじゃないけども、自分にとって楽しいことをぼちぼち続けていたら何かあるかもなーと最近はよく思います。

変な人生だし、私自身変な人間です。

でも、そんな中でもその都度、その都度で頑張っていこうと思っていたのは嘘じゃなくて、その頑張りは人から見たらそれも変かもしれませんが、時にはその変なことで大きく救われたらしている、そんなことをよく思います。

 

相変わらず、気力を失ってぼんやりしている日も多いですし、寝込みがちです。

変な人生だけども、変な人生を歩み続ける勇気も本当のところはなかったりします。

それでも、腐らずに生きていたいなと思います。

変な人生を歩んでる割には、明るくて人付き合いがいい、なんてそんな人だったらいいなあと思います。

 

そして何よりですけども、こんな変な人を支えてくれてる家族には物凄く感謝したい。

32歳はもっと家事やらを頑張りたいなと思いました。家事苦手ですが、やれることを増やしていきたいです。

あと友達。本当にありがとうございます。今の自分がいるのは友達がいたからだと本当に思います。各々大変だけども頑張って生きていこうね。

 

32歳の目標としては、定期的に新作の小説は書きつつ、ちゃんと生活をしていきたい。家事をしたりご飯を食べていきたい。その上で変な私でも生きていける方法を模索したいってのはあります。

こんな私でも生きていける道をなんとか見つけたい。あればいいなと思います。

あとはできることはなんでもやっていきたい。

頑張るぞ。おう。

 

というわけで私は32歳になりました。

こんな私ですがこれからも皆さまよろしくお願いします。

 

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ジュンくんはいい事を言うなー。