にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

2020年8月4日『呪怨:呪いの家』ヒット記念!呪いの生配信" の書き起こしメモ。

2020年8月4日、Loft project主催で"『呪怨:呪いの家』ヒット記念!呪いの緊急生配信"というトークショーが行われました。

タイトルの通りNetflixドラマ『呪怨:呪いの家』に関するトークショーでした。

このドラマをとても楽しみました。そしてこのドラマについてもっと知りたい!知るならとことん知りたい!とこのトークショーの配信チケットを買い、2時間半のトークショーの間、ひたすらメモを取りまくっていました。

以下はその配信を見ての内容のメモになります。

これは自分の趣味として取っていたメモで、公開するつもりも全くありませんでした。有料の配信のため、道義に反すると思ったためです。自分のために取ったメモのため、読みづらい部分も多くあります。

しかしメモを改めて読み直したところ『呪怨:呪いの家』に関する興味深いことが多く語られていると思ったため、公開しようと思った次第です。

トークショーの配信から一年近く時間が経ったことから、このメモも公開してもいいかも…と思いましたが、関係者からもしだめですとなったらすぐに消します。

 

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2020年8月4日

呪怨:呪いの家』ヒット記念!呪いの生配信

【出演】
高橋洋(映画監督、『呪怨:呪いの家』 脚本)
平山夢明(小説家)
山口綾子(怪談師)
三宅唱(映画監督、『呪怨:呪いの家』 監督)

三宅唱監督はトークショー中盤からの参加。

 

 

「そもそも呪怨:呪いの家はどのように始まったか?」

高橋「一瀬隆重さんから2019年に話があった。

一瀬はそもそも呪怨のオリジン、起源を作りたいと思っていた。Vシネ版が産まれる前の話をやりたい。これが一番最初のアイデア。」

 

「Vシネからのキャラクターを作ってきたが、それは飽きられている。別の角度からやりたい。」

 


「つまりは昭和の終わりから平成の始まり。

まだJホラーと名前が付く前の時代。」

 


95年はJホラーの企画が通り始めた頃。

理由は阪神大震災サリンによる不安から→それによりホラーの企画が通る。

 

呪怨:呪いの家』で一番始めにでる事件、宮崎勤

宮崎勤事件が起きているころの空気がJホラーにつながる。

高橋洋→Jホラーの揺籃期が作りたかった。

 


だから伽椰子、俊夫は出てこない。→しかしそれを思わせるものはある。

Vシネ版ももともとは清水崇は実際の事件を敏感に感じ取って、作られた作品。

やるからにはオリジナルに敬意を払いたい。

Vシネ版の姿勢とそれはずれていないと思う。

 


荒川良々、こういった役柄は珍しいのでは?

→本を書いている最中から一瀬隆重の中に主人公からは荒川良々のイメージがあった。

一瀬さんは舞台をよく見に行っていた。

血を吸う宇宙でも一瀬隆重荒川良々を舞台で見て抜擢した。

しかし荒川良々がこれまでやっていた演技はコメディ的なもの。

どういうものかわからない…と高橋洋は感じていた。

 


高橋洋→作家に見える役者をキャスティングするのは難しい。

女優霊の柳ユーレイは中田秀夫監督が抜擢した。

柳ユーレイは監督に見える人。

荒川さんも結果として作家に見える人に写った。

平山夢明「大丈夫か?って思ったけどもベスト。呪怨は作り込みではなくドキュメンタリーホラー。しかし見知った人が出てくると困る。荒川良々は不気味に見える。それが真ん中にいて動き始めることに生々しさがある」

山口綾子呪怨のファンからするとこれまでの答え合わせをするつもりだったのに、このNetflix呪怨シリーズの中でも新しいものだと思った」

平山夢明呪怨シリーズの最大の武器は手数の多さ」

呪怨は手数がめっちゃ多い。または話の展開が早い。これほど話の展開が早い邦画は仁義なき戦いしか思いつかない。最終的な落とし所が恐怖であることが発明だったのでは。

 


高橋洋「断片的な群像劇であることは今回も意識していた」

 


脚本を書く時はどういう風に?

一瀬隆重が大きな流れを組んで作った。30分1話で、どういう風にするかの構成した。

高橋洋はその構成に実録犯罪テイストをどんどん入れていった。2人でキャッチボールした作品。

M君(宮崎勤)が深夜番組プレステージをカーステレオで流していた。そういうエピソードを入れる。

三宅唱監督がさらに入りこむ。

M君がカセットを返してというときの手の動き→これは本当の宮崎勤には出来ない。

→だから宮崎勤とは違う人ということであると演出している。

 


平山夢明「湿度とは言えないが、重力みたいなものを感じる。それは高橋作品には感じる。いつの間にか引っ張られるような」

山口綾子「1話1話の終わり方が良かった。エンディングの曲凄かった」

 


エンディングの曲は一瀬隆重が見つけた。

アイヌの民謡。

ソンカイヨ。→ネズミが小鼠を従えて、餌を見つけようとするけども捕まる歌。

ソンカイヨ→子供を従えて。

この意味は偶然。

 


一瀬隆重アイヌ文化が好き。

 


高橋「この想像のさせかた。とてもよい」

平山夢明「タイトルバックのイメージは、あの根が五芒星のように見えて魔界のように感じた。人間が産まれる前から遥かにあるもの。何か巨大な意図を感じる終わり方」

高橋洋「あれが一番怖いという人もいれば、あれに癒やされて見る」

平山夢明「ワンスアポンアタイムインアメリカを見たときに沢田研二がかかって死ぬかと思った」

 


平山夢明「あれ、ふいに彼とドライブしてて、あれが流れたら嫌だよね」

 

 

 

清水崇監督から感想はありましたが?

高橋洋「まだ話せていない。でも僕は犬鳴村は絶賛した」

 


高橋洋「犬鳴村は凄えなって思った。病院の中で幽霊が出るシーンは特に。」

 


脚本はどれくらいの期間で作った?

去年の1月から3月、4月まで。

でも、監督が決まってからもぎりぎりまで。

6話ラストはぎりぎりまで迷った。

最初ははるかが歌手としても成功して、舞台裏に行ったらえらい目にあうってラスト。

最終的にはブリーフ男に襲われる。

平山夢明「まさかパンツ男に襲われて終わるなんて」

山口綾子「あのスピード感がいやだった」

平山夢明「通り魔みたい」

 


屋根裏で孕まされた女は本庄はるか?

高橋洋「セカンドシーズンじゃないとなんともいえない。しかしセカンドシーズンはまだ決定していない。Netflixの反応次第」

一瀬隆重は凄く喜んでた。一時期ベストテンの2位まで行った。

しかし韓流にはかなわないってなりました。

やっぱホラー映画はそうだよね。

山口綾子世にも奇妙な物語でCMが流れて凄く嬉しかった」

平山夢明「CM凄くよかった。思いっきりぶん殴りにいってるのが。本気を感じた」

コマーシャルの表現は若い人はそれでも大丈夫なのか?

→山口さんは学校の怪談世代だから慣れている。けども今の時代は自主制限だからCMを見るだけでも気持ちがあがった。

 


小田島のお父さんと6話のユウサクの死に方が印象的だったけども、あれは霊圧でしょうか?

高橋洋「あれは1シーズンの中でも、棺の中で異様な顔で死んでいるのと同じくらい賛否両論」

消えちゃうやつはどうだった?

→平山「あれはありだと思った」

 


平山夢明「あの辺りの表現にヘレディタリーを思った。話の離陸はリアルなんだけども、コアの部分はホラー独自のものが欲しくなるから、ああいうのは基本的にはあんまりに好きじゃないけども、これに関しては好き」

山口「怪談新耳袋の"記憶"を思い出した」

 


高橋洋「あれって霊圧かわからないですけども。あれって昔、アメリカの田舎であった。アンブローズ・ビアスが書いてる。いかにも実録みたいに書いてるけども、それで都市伝説のようになっている。」

消えた2人は共通していることは妊娠した女を差し出そうとして、しくじってしまった。

それで消されてしまった。

 


平山「1話目じゃなくて6話だからグルーブがかかっていていい」

 


山口「初歩的な質問だけども「呪怨は本当の話」ってのはどこまで本当?」

清水崇は市井で不倫の果てやネグレクト等の起きている陰惨な事件に触発されている。

→それとサカキバラ事件等をかけあわせた作品。

 


ホラーはある種の教訓があるからいい。

平山「ホラーは幸せになれない場合の検証例をいくつも出していく。薬の効能書きみたいなもん。薬だけだから死にますって書いてるのは。僕らが頑張ってるのは、こういうことをしたら幸せになれないってカードを積み重ねていってるんだよ」

 

 

 

ここで高橋洋監督・脚本による短編映画『彼方より』が上映される。

 

引用元

ハイナー・ミュラーハムレットマシーン』、『マクベス(改作)』

ジャック・デリダマルクスの亡霊たち』

トマス・ド・クインシー『マクベス劇中の門口のノックについて』

 

「彼方より」を鑑賞して。
高橋「最後のイナゴの大群はいま問題になっていること。聖書レベルの危機は国連が本当に言ってること。

アルプスを超えて→正しくはヒマラヤなんだけども、教えてくれた人がアルプスって言ってて間違えてるけどもリアルを撮った。

画面撮りはiPhoneで撮った。

ディスプレイ上を再撮影すると妙に立体的に見える。→これはまだまだいけるんじゃないの!

沖島勲捧ぐ→フィクションの形でディスカッション映画を作っていて、沖島勲さんがやっていたことに近いことに仕上げの段階で気がついたので捧げた。

最後に歌う歌はエンリオ・モリコーネエクソシスト2のリーガンのテーマ→しかし音程が外れているってのは著作権対策。」

 

山口「あえて、リモートの悪いところを残しているのか?」→電波状態が悪くてフリーズしたのはたまたまなった。しかし"権力の手先を逆さ吊りにする"という台詞を言うと、何故かなるのでそのまま使った。

 


平山「リモート映画を作ると映画が死ぬんじゃないか?ってことに対する対抗なのか?」

→榎本さんが言った「リモート映画は映画の死を加速させる」と言っていたが「リモート映画についてできることあるんじゃないか?」と思い、彼方よりを作った。まだまだできることがあると思う。

 

 

三宅唱監督がついに登場。

 


ここで観客からの質問に回答していく。

「黒い女はなんですか?」

三宅唱監督「現場では、黒い女は誰が演じるか?と解釈した。ちゃんと読んでいくと聖美を演じた里々佳さんが演じるべきだろうとなった。しかし聖美が過去に見えていたかどうかは実際にはわからない。しかし物理的には聖美が似ている必要があると思い、里々佳さんに黒く塗って演じてもらった。黒く塗った里々佳さんに小田島の子役の子が泣いちゃったってのがありました」

高橋「里々佳さんの目だから眼力が出たってのがありましたね。Jホラーとして新しいいろんなことをやったけども一番うまく行ったのは黒い女だと思う。説明するとつまらなくなっちゃうけどもこれは異界から来た何か。

もともとはイナゴの大群情報を教えてくれた知り合いの子供が新宿御苑の大きい木を3周したら突然消えた。探し回ったら、子供は見つかったけどもかぼちゃの頭をした人間の絵を描いていた。木を3周していたときにかぼちゃの頭をしたものに連れ去られたと言った。5年前の話」

「わけのわからないものに出会った子供がかぼちゃの何かと解釈した」

 

 

そういえばと、平山「人間って物凄い硬いもので叩かれるとかぼちゃみたいになるんですよ。」

 


山口「かぼちゃの幽霊を見たことがある。心霊写真に白い煙でできたかぼちゃが写っていた。拡大したらおじいさんや子供やらが大量に横に密集したのがかぼちゃのように見えた」

→高橋「アルチンボルドのだまし絵みたいですね」

 


高橋洋新宿御苑の話を聞いたときに思い出したのは、知り合いの美術さんが新宿スバルビル前で早朝に解散したときに、新宿の目の近くで頭はかぼちゃ、そして身体は針金のような人がひょこったんひょこったんとすれ違った。くるっと振り返ると周りの通行人が見てみぬ振りをしていた。新宿に異形のものがいるんじゃないか笑」

 


高橋洋「つまりはわからないものに出会った時の形象化である。しかしかぼちゃにすると笑っちゃうから黒い女にした」

 


平山が三宅監督に「一時期、呪怨シリーズは味がなくなった中でよく作ったなと思った。後半のエンディングの曲とロケ地が潜在意識的に残るようなものがあった(ブレア・ウィッチ・プロジェクトを思い出した)あれはどこで撮った」

三宅唱「いっていいかわからないけども北海道の神の子池という場所。自分は行っていない。それをいっていいかわからないけども。エンディングの曲を最初に聞いたとき、アイヌの歌という情報をもってきいたけども、なんていうか、普通の曲のような楽しいやいいという感情ではなく、違う場所で感情を感じるような曲だと思った」

平山「あのエンディング曲があることによって、重みがついたような気がする。幸せな出会い」

 


三宅監督「怪談師の方と初めて話します」

 


山口「三宅監督はホラーが好きですか?」

→三宅「とても怖がりです」

 


自分の怖がりな部分がホラーを作るのに活かされているか?

→三宅「こわがりだと、基準がゆるくならないか?と心配だった。しかし一瀬隆重プロデューサーと詰めを相談しながらつくった。怖いな怖いなと思いながら作った」

 


平山「脚本は一瀬隆重高橋洋の共同ということであったが、現場でも一瀬さんがかなりこだわったところはあったか?」

三宅「白い服の女が話数を重ねる中でどのようなグラデーションを重ねていくかをどういうテクニックで見せるかを共通させた。現場ではバージョン違いもいくつか撮った。それをやる余裕があった。トータルでは休みを入れて6週間強あった。しかし個人的にはもう少し欲しかった。30分という尺とはいえ、やることが1シーン1シーン物理的にやることがあったので、結構やることは沢山あった。まいにちフルでつかった」

 


山口「呪怨って有名な家がもともとあるが、別の家を選んだ理由はありますか?」

三宅「清水崇監督が撮ってたあの家はもう無い。駐車場に変わった。だから新しい家をさがした。ロケハンで何軒も回って決めた。しかしもうすでにこの家も取り壊されている。事前に取り壊しが決まっていた。というわけで好き勝手やった。好き勝手やるのが前提だったのでそれで探した。」

 


平山「荒川さんがこういう役は珍しいと思うがどうだったか?」

三宅「荒川さんは最高だった。ご本人もコメディタッチではないので戸惑ってはいたが、笑いはないですと伝えていたし、一緒にやって一個のシーンで10個のリアクションができる細かい演技ができる人。だから、トーンを決めたり、キャラの雰囲気が決めれたと思う」

平山「過去のトラウマや引力に縛られた人」

三宅「現場では小田島のキャラに笑っていた。例えば葬式であのことを言うのはこれ言う!?と笑ったりした。しかし棺桶で写真を撮るか撮らないかは悩んだ。ト書きではなかったが、これをやると超えてしまうからやめようと言った」

 


平山「彼氏の死に顔とお父さんが霊圧で死ぬシーンはどうやった?」

三宅「死に顔は難しかった。あけてちょうど見えるカットは使わないようにして、順番変えて、タイミングをずらす必要があると思ってそうした。玉手箱方式だとまずい。消えるところはシナリオだとあれじゃなかった。現場的な事情で変わった。

高橋「最初は正気を失って路上で車にひかれる。それはやめて突拍子もないものにした」

 


平山「あるいみ歌舞伎の見得を思った。おまえたちが見ているのはホラーなんだよ!と突きつけるシーン」

 


三宅「屋根裏が必然的に高い。最初に屋根裏にあがるところで派手な劇伴がかかる。映画がはじまるぞ!と映画に一歩踏み出すようなシーンで気に入っている」

平山「あの屋根裏が禍々しい魔のジェネレーター」

 


高橋「シナリオではどれくらい照明やカメラワークの指示はあったか?それはほとんどないが、家でミチコが霊視をするシーンは、軽く描いた」

三宅「脚本のト書きの書き方や文のリズムでこういうカット割りなのかなと感じた。文に演出してもらったと思った」

「デジタルでの撮影や画面設計にはどういう狙いが?」

→「オファーを受けた時点で人間ドラマや実録犯罪や本当にあった話として撮って欲しいという意図があったので、いわゆるJホラーの作法でやるのは違うんだろうなと、気がついたらJホラーに入っている。ドラマシーンはドラマ、ホラーシーンはホラーとぱきっと切り替えるのも違うから、バランスをぼやかすことを考えて撮った」

カメラマンと三宅監督がリチャード・フライシャーの十番街の殺人を見返したのはなぜ?

→具体的に活かそうというわけではないけども、直感的にただのホラーじゃない、だだのホラーっていい方も違うんだけども、ノワール映画を見ておいた方がいいと思った。

 


平山「見ていて、自分たちの世界と地続きにある感じがぞくぞくして面白かった」

三宅「地続きが自分も一番怖いと思ったのでできてよかった」

 


山口「呪怨 呪いの家というタイトルですが、あえて原点であるとタイトルにしなかったのは意図があるのか?」

→高橋「呪怨 呪いの家というタイトルになったのは伽椰子とかの死んだ人の話ではなく家という場所の話になったから、そのタイトルになってよかったと思う」

アメリカのタイトルは呪怨オリジンズ。→エピソード0的な狙い方。

 


平山「反響はあったか?」

→三宅「一回、全力でTwitter検索をした。楽しかった。ユーチューバーがびびってるリアクション動画が最高に楽しかった。すっごい参考になった」

 


Twitterで中国語で見ると面白いって感想があった。音声が中国語とか選べる。

英語の声優さんよりも中国の声優さんの方が声色が似ている。あと声優さんの演技が違うのが面白い。

ちょっと違うなとおもいつつ、面白いと思った。

 

 

 

「海外の視聴者から感想はあったか?」

→三宅「呪怨オリジンズで検索した。総体として、伽椰子と俊夫君がこの20年世界で愛されていたことを知った。子供の頃のトラウマだよ!と言っている人がいたりした。公開前に日本の歴史的ディテールがあるけども、それが海外の人は抜けるけどもどうなるんだろうか?と思った」

高橋「海外の人は酒鬼薔薇事件のシーンをドラマの中で知る、それはどう思ったのだろうと思った。」

 


高橋洋インフェルノ蹂躙は埼玉愛犬家連続殺人事件は元にしていない。自分の想像力で作った」

 


Jホラーは猟奇事件から想像力を広げて作られていった。

 


質問「クレームはあったか?」

→高橋「お客さんが怒るのは自由だから。しかし作り手として表現の中に倫理は持ち込まない。大事なことと芸術は別と小津安二郎の考えに立って作った」

三宅「自分もスタンスとしては同じ。なんでしょうね、僕は今回の作品でやることで考えることがあった。今まではそういう事件から目をそむけていた。過剰なくらいに。しかし今回は思いっきり見てやろうと思ったし、その中で、うーん言葉を選ぶけども、そうしてよかった、それは世の中の見方としてと思った。趣味として持ちたいとは思わないが、そういうことがあると考えるのは大事だと思った」

 


高橋「お客さんが受け入れるものを考えるのは倫理や道徳ではなく落とし所として考えている」

 


平山さんの倫理許容範囲の考え。

→小説で書くときは台詞のカギカッコの中は無政府主義にしている。ただ自分の倫理は一個ある。今言ってはいけない言葉を使ったときに、だからその人間はだめなんだとは描かない。そういう言葉は使うがだからだめとは言わない。言葉を使った人はだからだめなんだとは断罪しない。暴力や無慈悲なことをしている人それはいいとは描かない。

非倫理には立たない。

読む意味のないものになってしまうから描かない。

 

 

 

平山「ラストのえっという終わり。シーズン2を匂わせた終わりだけどもまだ何にも言えないんですよね」

三宅「はい、なんにもいえないっす」

 


高橋「何の約束もできないけども、このあともし展開があるとしたら、次のポイントになるのは1999年の清水崇監督が呪怨を撮り始めるという点」

 


平山「Jホラーはヘレディタリー等に影響を与えた。また今作で新たなフォーマットができたんじゃないか?」

 


三宅「今回89年の年号の切り替わりが抜けているけども、そこをやってほしいと友達からリクエストされた」

高橋「飛ばした時期に、取り扱ってはいないが八王子のナンペイ事件、八王子愛犬家殺人事件もあるね。しかし昭和の終わりから平成の始まりってめちゃくちゃ突出して悪いわけじゃない」

 


平山「世間がホワイトニングされた中で、凶悪事件のシミが目立ったのと、そこに地震が目立ったのと、これまでは戦中派はそういう耐性があったけども、そろそろ無くなっている時期だった」

 


コロナはホラーになんの影響が

→平山「断絶感。人は一人では生きれないということ。高橋さんがやってるホラーに文学性を加えて深度を深めて提出するってのは大事」

 


平山「三宅監督はこれを撮ってて楽しかった?」

三宅「楽しかったです。ホラーは緊張感が必要だったので各部どれが緩んでもいけない。映画作りが楽しいと思った」

平山「一瀬さんは強面のイメージだけどもどうでしたか?」

三宅「各部の仕事に対してリスペクトがあった。そしてだめなことはだめと言うので、やりやすかった。一瀬さんはごまかさない。質問をすると何らかの回答がでるので、一緒に物を作るには楽しい人だった」

 


高橋「一瀬さんは本当に三宅監督を信頼していた。俳優陣の一番いいところを引き出してくれた。今まで一瀬さんが組んだ監督とは違うところが三宅監督にはあった」

 


三宅監督「俳優それぞれも職業は同じでも違う人間なので、それに合わせて考えるのが楽しいと思っている。今回もいろんな女性がでているけども、ひとくくりするのには雑すぎる。一人ひとり違う業もある。だからこそ一人ひとりちゃんと見た。」

山口「女性のことで考えたのが、聖美が襲われるシーンがあったが、普通は女性がやられていやなことなのに、襲っている側が笑ったりしていて悪い人に見えないようにしたのは?」

三宅「あれは悪意を全面に出したいわゆる不良漫画的なものではなく、自分たちがやっていることが凄く悪いことだと思っていない。やっているときは大したことだとはおもっていない。やったことにやったことの重大さに気がつく。それが自分にはより怖いと思った」

 


一番たいへんだったシーンは?

「スケジュール的に後半から撮った。だからいろんな登場人物の最初のシーンが死体からだった。逆から撮っていくのが大変だった。聖美の彼は初日が水死体から。でも大変だったのはそんな感じ」

 

 

 

「みなさんが最近見たホラーのおすすめは?」

高橋「最近はコロナの影響で出不精で、配信や家にあるDVDに頼っていて、新作は見ていない」

平山「ジャックビルドハウスが面白かった。人間で建てるんですよ。あれは結構面白かった。あとネットでエクソシストを見返して面白かった」

高橋「本当の意味での社会派ホラーが日本でも撮られたと樋口さんが批評していた。その前例がエクソシスト。それは嬉しかった」

山口「今、配信で色々と見ることができるのは、見る側としては嬉しいが、ネットで映画を見ることはどう思いますが」

高橋「映画館で見るのはいいですし、映画館も大変だから行ってほしいとおもうけども、それでもネットで見るのはだめだとは思わない。映画館はノンストップで見れるし、DVDはデータとして受け取るものに感じる。しかし造り手として勉強しなきゃいけないからデータとして見るのは大事だし」

三宅「絶対に映画館で見るほうが楽しいと思ってる。しかし今は映画館にはいけてない。呪怨呪いの家も家で見るとか携帯で見るってなったときに、いつでも消せるという環境の仲でどう作ったらいいかと思った。しかし高橋さんの脚本が怖いと思ったからそれを信じた。配信となったときに、脚本が大事になるし、これからは物語がもっと面白いものが大事になると思う。配信では物語を意識して、映画館では他のことができると思う」

 


高橋「呪怨呪いの家は従来の呪怨の家のような話ではなく、どんどんやばい家に近づいていくという構成した。三宅監督が禍々しいものにどんどん近づいていく演出ができていてよかった」

 


呪いってなんなのか、みなさんの解釈は?

 


高橋「三宅監督の演出で印象だったのが、家に踏み込んだ人だれしもが呪われるわけでもないし、転換点も完全としていない。呪いという言葉だと強いが、暗示に近い。人間は暗示をかけられたら、その人がやろうとおもっていなかったけども、ぽつんとたれたインクのように、大きなシミになっていく。呪いは暗示であり、暗示は誰でもできることなんだ」

 


平山「呪いはマイナス方向への想像力だ。マイナスであるゆえに振り払うことができない。その人の中に住み着いてはじっと待って弱ったときに吹き出てくる。またこれは呪いなんだよと思うことで思考停止ができる」

 


平山夢明精神科医が出している狂いの始まりで「部屋を巣」にすると狂う。きれいにするとましになる。

きれいにしないとだめになる。

人間の理性ではなく動物性のところに安心感をもとめる。

匂いをつけたくなる。

 

 

 

山口「いいこともわるいことも思い込みであれば呪いである。自分も怪談ライブをするときにのどぬーるスプレーがないとしゃべれないと思いこんでいた。一回忘れたときにライブが出来て脱却することができた」

平山「これは呪術的思考である。子供は道路のペイントを踏まないようにしたりする。それが過剰になるとやばい」

三宅「演出するときも、キャラの1個の行動が呪いのせいなのか、その人のせいなのか、そんな簡単なスイッチじゃなくて、しかもオンオフではなくグラデーションであるということを意識した。見る人にはそのグラデーションの具合を見てもらえるとあの世界を楽しめると思う。どっちと考えると、答えがない」

 


「みなさんそれぞれが考えるJホラーの定義とは?」

高橋「Jホラーはメディアがつけた定義。ヌーベルバーグも自分たちが行ったことでない。メディアが行ったこと。作り手は引っかかってる。特にJ。海外の人が日本伝統の~って言われると、いやいやいや黒沢清や鶴田法男達で参照していたのはたたりや回転、つまりは19世紀のアングロサクソンが作った作品なんだ、それを踏まえて本当に怖いホラーを作ろうとした。そういう意味では復興運動なんだ。1960年代にそういうホラーが作られたけども、あまり大きな流れにならなかったものを、いつかこれでいけると思いやってきた。Jホラーは日本伝統を踏まえたものではない。アングロサクソンが作ったホラーを復興したもの。そして一人ひとりがやってきたことは違う。パッケージングされると違和感がある」

 


平山「リングや呪怨の昨今、頭からしっぽまで徹底的に怖いものを作ろうとした作品なのかなと思って、手法なのかな?とは思う。真摯に真面目に力こぶ入れて作ったものであるのかな」

 


山口「かっこつけてもしょうがないので、私にはJホラーの定義は言えない。小さいときからJホラーの数々を見て楽しんできた。定義は自分で見つけてください」

 


三宅「きれいにはしまらないけども、単純にJホラーのJは日本であり、日本の話をやるものなんだとは思っていた。Jホラーには今回しか関わっていないけども、色々と見て、やっぱ「日本」というのがでかいなって思った。Jホラーを見たあとは自分の住んでいるここを考えてしまう」

 


高橋「今回、雨を降らせるってことを三宅監督がこだわっていたけども、それって和なじめっとした雨とうけとられるかもしれないけども、やばいときって、水回りがやばいとはありますが、アングロサクソンが考えているスピリチュアル的なことでも雨は出てくる。日本、日本じゃなくても霊的な想像力は共通しているものがある。

ラルゴ館というやばい屋敷がある。どこかにやばい屋敷があって、それを探すってのは自分たちが88年にやってて、それが呪怨呪いの家に反映されて、アングロサクソン的な場所だけではなく東京にもあるんだと。88年にプレステージという深夜番組で、知り合いがラルゴ館の話をした。それを宮崎勤が録音してカーステレオで流していた。こうやってやばい話は繋がっていく。そして自分でも描いていて、そういうことにぞくぞくする。結局Jホラーはそういうぞくぞく感をかもしだせるかなのかと思っている」

Podcast『はぐれラジオ純情派』が50話も続きました。

両目洞窟人間です。
私と、弟で、きゃっきゃとその時々のカルチャーだったり、思ってることを話しているPodcast『はぐれラジオ純情派』がなんと第50話を迎えました。

‎はぐれラジオ純情派: 『第50話記念!!!50回も続けた自分たちを自分たちでただただねぎらう兄弟!の回』 on Apple Podcasts

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始めたのが昨年2020年1月17日だったということで、それから1年5ヶ月でやっと50話までたどり着きました。
続けれたのは「とりあえずラジオはやっぱやり続けたい」と思っていた我々兄弟のぼんやりとした願望と、そして聞いている人がいる、という実感によるものです。
特に、このラジオを聞いている人がいる、という実感によって続けれた部分も本当に大きいです。
その実感によって「やっぱラジオを続けよう」と思ったことも何度もあります。
もちろん初期衝動的に始めるのも大事なのですが、続けるには初期衝動だけではなかなかうまくいかず、そこには誰かの反応があって続けるものもあるのでしょう。
私は反応がなくとも創作を続けれる純粋な芸術家みたいなものに憧れますが、私はそうではないので、聞いている人から反応があって、そのことでまた初期衝動が復活して、そして続けることができました。
本当にありがとうございます。

というわけでラジオ内でも言いましたが、次は目指せ75話、それができたら100話。と小さいような大きいような目標はすでに掲げております。
肩に力は入らず、頑張りつつ、頑張らず、適度な温度で、なるべくですが、続けていこうと思います。

はぐれラジオ純情派へのご意見、ご感想、お便りは
hagujunradio@gmail.com まで

#はぐラジ  でも感想等をお待ちしております。

それではこれからも『はぐれラジオ純情派』をよろしくおねがいします。

『ミッチェル家とマシンの反乱』を見た!!

『ミッチェル家とマシンの反乱』を見た!!

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超面白かった~!!!超笑った~!!!!
もうそれだけで、大満足どころか年間ベストってぐらいの作品だったのですが、思ってもみなかったことに遭遇してしまう。
それは主人公親子の関係性で、それが見ている今の自分(30歳男性)と重なりまくってしまったのだ。
事あるごとに、うわーわかんじゃんこれ~。ってなって、主人公が家族のことで一喜一憂するのをまるで我が事のように思った。
そして終盤、その関係性に対する変化で、私は、えぐっえぐうっえぐっ、と嗚咽漏れるくらい泣いてしまった。
この映画でこんなことになると思っておらず、不意打ちのように喰らったことにより情緒がえげつないことになってしまった。
私は泣きすぎて、痛くなった目玉をそれでもぎょろぎょろと動かしながら、なんとか結末まで見届けて、ああなんていい映画なんだ!!と思ったのでした。

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この映画に打ちのめされた私は、人にこの映画を勧めまくっているのですが、その時に使うキャッチは『劇場版のクレヨンしんちゃんを"スパイダーマン スパイダーバース"の手法で作った映画』と言っている。
それで引っかかる人は絶対に引っかかると確信して言っている。
何も嘘を言ってるわけではなく(クレヨンしんちゃんのところは、例えであるけども)スタッフはあの名作『スパイダーマン スパイダーバース』とも共通している部分が多いそうだ。
特に一番注目を浴びているのはプロデューサーであるフィル・ロードクリストファー・ミラーのコンビだと思う。
監督作は『くもりときどきミートボール』『21ジャンプストリート』『LEGOムービー』と大傑作ばかり。
あと言えば『ブルックリンナインナイン』の製作総指揮とシーズン1第1話、つまりパイロット版の監督もしていたりと私や弟的にはこの10年はフィル・ロードクリストファー・ミラーの手のひらで転がってぱなしやないかいと思う。
そしてなによりこの2人の名前が決定的になったのは『スパイダーマン スパイダーバース』のプロデュースだと思う。(フィル・ロードはスパイダーバースの脚本も担当している)
そんなコンビの新たなプロデュース作品!それは面白いに違いないと思った映画好きも多いと思うのです。
フィル・ロードクリストファー・ミラーのコンビとしての監督作品の新作はApple TVで配信されるAfter Partyという全8話のドラマだそう。これはパーティーの夜に起きた殺人事件をPOVスタイルで何が起きたかを描くミステリーコメディドラマだそう。面白そう!!!)

しかし、ついつい名前が知っている方にブレてしまうけども、ではこの映画の監督は誰?という話になります。
監督はマイケル・リアンダさん。この方は『怪奇ゾーン グラビティフォールズ」』のクリエイティブディレクターを勤めていた方だそう。
そして今作ではマイケル・リアンダは脚本も勤めている。共同脚本にジェフ・ロウさんがクレジットされているけども、ジェフロウさんもグラビティフォールズの脚本を書いていた人だそうです。
つまりはマイケル・リアンダさん含めて、『怪奇ゾーン グラビティフォールズ』組が結構関わっている映画なんだそうです。
といいつつ、私は『怪奇ゾーン グラビティフォールズ』を見たことないです。現在Disney+で配信されているそうです。
またDisney+に入ることがあれば、ぜひ見てみたいとは思います…。

そしてマイケル・リアンダさんとはどういう人なんだろう?と思ったので、海外のインタビュー記事をグーグル翻訳にかけながら、ところどころ不明瞭な日本語で読んでいったところ、この作品の大きなものが見えてきた…
なんて大ぼらをふくのはよくありませんが、要するにこの作品はマイケル・リアンダ監督の半自伝として作られたそうです。
マイケル・リアンダ監督の自分自身の奇妙な家族と、そして自分が大好きなロボットの世界をマッシュアップさせた。
それがこの映画なんだそうです。
なんて素敵な想像力なんだ!!!

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変な自分と変な自分の家族の話…というように、出てくるこの主人公ケイティとその家族は変人揃いだ。
まず主人公のケイティは変な子供だったと自認している。小学生時代に友達を作るために映画を作る。そしたら、それが妙にグロくて、笑われる。でも映画作りはやめなかった!自分自身のアイデンティティはよくわかんないけども、映画が友達で、弟とばっかり遊んで、自主映画作るにしても弟や飼ってる犬、もしくはぬいぐるみ(!)に出てもらってる。そして作ってる作品はノイローゼコンテンツ(by山岸聖太)という変だけども、なんていうかぶっちゃけケイティかっけえじゃん!とやっぱ思っちゃう。(しかしこのノイローゼコンテンツにも……というところが、作り手のどれほどふざけたように見える作品であっても、作っていれば個人の思いは入っている…というメッセージ、いやメッセージというほど大層なものじゃないけども、思いは入っちゃうよね、と思ったり)
そんでケイティは変……というか、「変」とカテゴライズされるのは周囲と相対的に判断されるものであって、湧き上がる創作意欲をおらおらおら~!と形にしまくる…しかも完全ホームメイドかもしれないけども、作れちゃうのってケイティかっこいいよ!と思う。変じゃないよ!っておもうけども、やっぱり周囲の環境に左右される頃ってきっついよねと余計に思ったり。
しかしケイティのホームメイドノイローゼコンテンツは結果その才能は認められアートスクールの進学が叶う!ってところからがこの映画のスタート。
やっと才能が認められた~と思っていたのに、お父さんは心配性…ということで父リックはそれを認めていないというか、心配しすぎるゆえに子供を認めていないし、目の前のケイティをちゃんと見ていない。
それが、ケイティの心を傷つけてしまって、でもアートスクールにいけば、当分合わなくていいしと思っていたら、父リックは仲直りのために大学に行くまでの道のりを車で行こうと言い出す。
最悪!
そんでわかる!
あの父親って存在はなんですかね、日常で積み上げてきた不和で家族仲がやばくなったら、突然旅行しよう!と言い出すんですよね。非日常でカバーしようとするんですよね。その前に、日常の言動をなんとかせえやって思うのですが、それはさておき。
まあ、その旅行やその後のトラブルでストレートに互いを認め合い、その父と和解する、というのならば、嫌いな話になっていたと思う。
しかし、その和解に至るまで、この映画は複雑な過程をたどる。気持ちは簡単じゃなく、何度も角を曲がるように、あちらこちらと行く。そしてその複雑な過程と、その過程の果てに吐き出される単純な気持ちに、私は、うおぅうぉっうおっと泣いてしまったのでした。
ふと思い出した作品はアレキサンダーペインの『ネブラスカ』であったりしますし、他に思い出したのは夢眠ねむさんが「最上もがさんと揉めてるんですよね~」と外野に言われると「私と最上がいくらケンカしても、そのことに対して言ってくるやつらよりはうちらの方が仲がいいから!」って言葉だったりする。
miyearnzzlabo.com

私は愛憎というややこしいもので、愛と怒りと混乱に疲れ果てていたところでした。
未だに親への関係に困りつつ、難しいと思ってる私は、ちょっとどうかしちゃうくらい泣いてしまったのでした。

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にしても、なんて狂ったアニメであろうか。
狂ったアニメ…とはアングラ的な意味ではなく、ほぼ秒単位で繰り出されるギャグであったり、引用の多さであったり、会話のスピード感であったり、とにかく一瞬足りとも、一切の隙を作らない、高密度も高密度な作品で、こんなものがよく作れたなって思う。監督のTwitterで6年かかったと言っていたけども、個人作業と実際のスタジオ作業がどれくらいの時間が裂かれているかわかないけども、6年かかるよなあと思う。
時間がかかったアニメかつ狂った作品でいえば『シン・エヴァンゲリオン』もめちゃくちゃ狂った作品だったわけですが、米国も米国ですげえ狂ってる。今年は狂ってるアニメが豊作だよ!嬉しいよ!!
海外アニメを見ているとそのスピード感に「すげえな!」ってなるけども、それで二時間映画作れるんだって思いましたが、私は同時に思っていたものはケイティが作っている動画がノイローゼコンテンツっぽいと言ったわけですが、山岸聖太が昔ファミ通WAVEで作ってたみたいなノイローゼコンテンツが二時間続いたら?みたいなことも思ってしまった。
ノイローゼコンテンツで作られた映画みたいだなって思いました。本当に。


www.youtube.com

↑ノイローゼコンテンツはこういう感じの映像です。


そう言うと「疲れそう~!」って思うかもだけども、物語の筋ははっきりしているから、見ていてストレスは感じない。
つまり「これはいまどういうこと?」みたいな混乱だったり、何を見ているの?みたいな混乱はない。
画面構成が物凄く巧みなんだと思うのですが、凄く見やすいから本当にそういう意味での混乱は一切ない。
その上でびっくりする情報量があるし、気が狂ったようなテンポで進んでいく。
そういう意味でも『シン・エヴァンゲリオン』を思ったりしました。
東の『シン・エヴァンゲリオン』、西の『ミッチェル家とマシンの反乱』。
狂ったアニメ二本立てしてほしいですね。

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そういえば、物語の話をあんまりしてこなかったけども、いわゆる、ロボットが反乱!という話です。
いいな~と思ったのは序盤でAIが「人間がロボットに優れているところを言え」って問う時に「愛とかつまらないことを言ったら、承知しないぞ」って釘をさしてくるのがいいなって思いました。
このシーンがある意味象徴的なんだけども、凄く単純化された「いい話」をものすごい勢いで避けていく。
そのほか、テクノロジーであったり、それを使う人々、社会、全てを皮肉というか、笑い飛ばしていく。
でも、それだけでは終わらなくて、それらを皮肉りつつも、物事の多面性というか、その色んな面を見せていく。
「自然」っていいよね。スマホって悪だよね。って映画ではない。
人間の感情とも技術も皮肉も、単純化しない。
全ては複雑だし、その複雑さを理解しつつ、安易に肯定もしないし、安易に断罪しない。
そうした上で、その願いのような、祈りのような希望を描く。素敵な作品だと思いました。
にしてもすげえ皮肉だと思ったのがいわゆるAppleのCEO的な人が「みんなの情報を売るなんて悪いことだとは思わなかったんだ~」と言うシーン。ガチ目の犯罪に対しての、謝罪のトーンの軽さに笑ってしまった。
つくづく人を喰ったような作品だよ!
あと反乱を起こすマシンが使ってる武器が、反重力ビームみたいなのが良かったです。
DEAD SPACEとかHALF-LIFEとかのゲームっぽくて。
ビーム!みたいなのよりも反重力ビームでふわふわ~ってかっこいいよね。なんかいいよね。
と思ったら劇中一番えげつないビームを放つのが、あの、あの!おもちゃである!!!
口からぶわぁー!と出した時にめちゃくちゃ笑ってしまった。
あっちの人もあのおもちゃのことは不気味に思っていたのね。モルスァ……。
それからなにげに「おお~」と思ったのが、00年代のあのヒット曲を使う演出だったり。
もう00年代はノスタルジックなものってのも勿論あるけども、これまで00年代はまだ映画であんまり出てこなかった気がしたので、ついに!という気持ちになった。
「00年代」も遠い過去だものね。ついに80年代や90年代から離れたようで嬉しかったです。
懐かしいあの曲が、世界を救う1シーンで使われるよ…!ってフラッシュ動画を見ていた小学生の俺に言っても「はぁ?」っていうかもしれない。世界は動く。それだけは知っておいてほしい。

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この犬、犬だよね…?が世界を救う大きな武器になるのも凄くいい。
飼い犬がえげつない活躍をするという意味でも、やっぱり映画版のクレヨンしんちゃんっぽい。
というか「野原一家ファイアー!」みたいなシーンがあったし、映画版のみさえっぽいシーンもあった。
だから日本でも予想を遥かに超えて受け入れられる気がする。
まだ見ている人が少ねえだけ!ってやつだ。
日本語吹き替え版で見たけども、お父さんの声が川平慈英でびっくりした。
むむむっ!なこともなくちゃんと達者な吹き替えをしていた。
主人公のケイティを演じる花藤蓮の吹き替えも超いい。
というか総じて吹き替えのクオリティも凄くよかったので、吹き替え版おすすめです。
なんせ情報量がとにかく多いから字幕を見ている暇すらない。だからこんな風に素晴らしい吹き替えを作ってくれてめっちゃ嬉しい。

そういえば、これは監督の半自伝で…なんてしたり顔で書いたけども、そんなことはこの映画を見ていたらわかるのだ。
そしてその瞬間に、この映画に出てくる変な家族は「どこかのだれか」の家族じゃなくて、「あなたやわたし、そしてみんな」の家族の話になる。
まあ、家族と問題を抱えていて、家族が苦しくて苦しくて仕方ないという人も勿論いる。
その人達も含めて、肯定するつもりはもちろんない。家族から逃げていいというのも勿論あります。
それと同時に私のように揉めながらも、その感情をどうしたらいいかわからなかった人としては、この映画で描かれたことは、すごく理想的かもしれないけども、その理想さ故にいいなって思った。
そして難しいけども、また自分の変な家族に向き合おうとも思ったのでした。

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とかく、やりたいことが多すぎる。(2021年5月版)

とかく、やりたいことが多すぎるけども、気がついたら日々に流されることが多い。
という出だしで、先月一旦やりたいことをまとめたりした。
5月になった。
先月やりたかったことはできたのか?できなかったのか?実際にしたことはなんだったのか?
それらを振り返りつつも、今月、5月のやりたいことも考えていきたいです。



4月にやりたいと書いたこと。
庵野秀明監督の映画がみたいよ。
 →できなかった。実写作品もアニメ作品も見ることができず。また祖母の家にいたため、BS1で放送されたドキュメンタリーも見ることができなかった。

岡本喜八監督の映画がみたいよ。
 →できなかった。岡本喜八監督の映画面白いんだろうな~と思いつつも、Netflixで選ぶ元気までは沸かず。でも岡本喜八監督が自作品でもお気に入りの1本「江分利満氏の優雅な生活」がNetflixに入った。見たいは見たいです。

・友人に勧められた映画がみたいよ。
 →できなかった。シンプル申し訳ない気持ち。

黒沢清監督の映画がみたいよ。
 →できた。『スパイの妻』を見た。でも流れで別作品を見ることはできず。ううう。

・本をちゃんと読み切りたいよ。
 →読んでいた本は読みきれなかったけども、別の本が読めた。ただ読んでいる本は4月の2冊から6冊に増えた。ううう。


4月に実際にできたこと。
見た映画
犬神家の一族
・スパイの妻
イレイザーヘッド
・(秘)色情めす市場
・ドロステのはてで僕ら
・ラスト・クルーズ
見たドラマ
ツイン・ピークス(シーズン1)
読んだ本
・暴虐外道無法地帯 ガガガガ 1巻(山下ユタカ)
・月刊MdN 2017年5月号(特集:TRIGGER—若きアニメスタジオ「トリガー」の5年半史)
サウンド&レコーディング・マガジン 2020年9月号
・ギター・マガジン2021年5月号
・コンビニに生まれかわってしまっても(西村曜)
弟とやっているラジオ『はぐれラジオ純情派』の更新話数
・5話


4月の反省たち
毎度のことながらそうなんですけども、私は好奇心旺盛といえばいい聞こえ方しますが、興味があちらこちらと放射状に飛び回ってしまって、結局のところそれでなにか一つ筋の通ったことができていないのですが、4月のできなかったこと、そしてできたことの対比からもそれが浮かび上がったような気がします。
反省…といえば、あれですが、興味をあちらこちらに持つのはいい面でも勿論あるわけで、それをうまくコントロールしながら、つまりは興味をあちこちに持ちながら、読む時は、そして見る時はしっかりそれらに向き合いながら見ていきたいと思います。
4月で個人的に大きかったのは、デヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』を見たことで『ツイン・ピークス』を見始めたことです。評判が良い…というか「なんかすごい」と見るものが口をあわあわさせている2017年のリミテッドイベントシリーズにたどり着けるように、シーズン2もぼちぼちと見ていきたい。
ツイン・ピークス』もそうなのですが評判や感想を聞いて「あ~おもしろそうね~」と思い続けて、長年見てこなかった作品をこれからは見ていきたいなって思います。もちろん、できるか、わかんないけども、それでも。
あと4月半ばからめちゃくちゃ歩くようになりました。今、一番生活の背骨にしたい部分は歩くことかもしれない。あるきながらだとラジオが聞けるのでそれも良いです。というわけでめちゃくちゃラジオを聞く生活に突入しています。ラジオ、めっちゃ面白い。


5月にやりたいこと

ツイン・ピークスが見たいよ
 シーズン2、映画版、そしてリミテッドイベントシリーズ…とまだまだ道のりは長いですけども、ツイン・ピークスを見終えた人間になりたい。

・気になってる映画が見たいよ。
 気になってる映画が見たいです。今とくに見たいのは『ミッチェル家とマシンの反乱』、『ラブ&モンスターズ』、『AWAKE』の三本が気になっています。あと4月に見たいなって思ってて、見れなかった作品とかも徐々に見ていきたいですね。

・本を読み終えたいよ
 『三体』を読み終えたいです。とかく、あちらこちら読む本も増やしてしまい、めちゃくちゃなことになってきたので、まずは一番最初に読み始めた『三体』を読み終えたいです。集中力を集中させるのも大事です。

・小説が書きたいよ
 そろそろ新作を書こうと思います。

そんな感じです。相変わらずこれはやりたいことであって、やらなきゃいけないことは除いていますが、やりたいことができるようになって、やらなきゃいけないこともできるようになるはず、なのです。たぶん。

『スパイの妻』を見た!

『スパイの妻』を見た!

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2020年の黒沢清監督による映画。
めちゃくちゃ面白かったです!


「知りすぎてしまったこと」によって恐ろしい目に合うというサスペンスは多くあります。
というかサスペンスは知ってしまったことで、ほぼひどい目に合うジャンルとも言えます。
主人公は「知りすぎてしまう」ことで日常が奪われるわけですが、今作の知りすぎてしまう状況はあるフィルムを見てしまうことに端を発します。
凄くホラー的にこの映画を言ってしまうと「見ると死んでしまうフィルム」を見てしまったがために恐ろしい目に合う話とも言えますし、黒沢清監督の作品で言えば『CURE』のあのフィルムを思い出します。
CUREのあの世界を救済する邪悪なフィルム。
CUREのあのシーンを初めて見た時、私はこのまま見ていたら本当に「知ってしまうのでは?」と怯えました。
あの瞬間が、今まで見た映画で一番怖かったシーンだと言ってもいいです。
しかしこの『スパイの妻』のそのフィルムのシーンはある意味もっと怖いものでした。
その映像を見ても、誰かを殺すことができる催眠を植え付けられることもありません。呪いをかけられるわけでも、おばけが写っているわけでも、死ぬわけでもありません。
しかしそこに記録された映像は、この世で最もおぞましい映像です。
あの戦争の中で、人が人に対して行った恐ろしくて残酷な行為の記録です。
大まかなあらすじしか知らなかったので、そのフィルムを見るシーンでこの話が太平洋戦争の中でも「あの恐ろしく残酷なこと」の話だとわかりとても驚きました。
(昨年くらいにそれについてのNHKスペシャルをたまたま見ていたのが、いい副読本になりました)
それゆえ、あの邪悪な映像を見ることが本当に恐ろしかったです。
そしてなによりも恐ろしいのはそのフィルムはこの世に本当に実在することです。
主人公と私たち観客が見るのはその当時に実際に撮られた映像なのです。
つまりはあの場所で、あの行為をしながら、「笑顔」でカメラに向き合った人々がいたということが何よりもおぞましく見えました。

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さて蒼井優が物凄くキュートに主人公を演じてるのが楽しい。喋り方も昔の映画っぽい~と楽しいですし、あの自主映画のシーンはなんだか妙におかしい。
そんな自主映画でやっていた戯画的なスパイから、本当にスパイになっていくのを見ているうちに、それこそ夫の計画に加担する気持ちに連動するように主人公もそして私たちも楽しい。なんせバレるバレないな緊張感やこの計画は本当にうまくいくのだろうかといったハラハラドキドキ、そして何よりこの主人公夫婦の愛の行方というメロドラマも素敵に見える。
ある種の極限状況の中で、夫婦の愛というか、夫婦って他人やねって思ったり、夫婦って一番近い人だものねって、色々な気持ちが出てきては消えていく。
からないから不安になるし、不安になるからわかりたいと思う。

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そういえばびっくりしたけども『スパイの妻』ってタイトルだけども、本当にスパイ映画的な鑑賞感を得られるとは思わなかった。
というわけでそのシーンは、劇中の言葉で言えば「お見事!」と言いたくなりました。
トリックの部分というよりは、そんなにエンタメしてくれると思わなかったので嬉しくなったのです。
スパイの妻という映画のタイトルは伊達ではないな~、なんて楽しんでいたら全てに対し冷水がぶっかけられます。



ワクワクするようなスパイの冒険は終わり、主人公は精神病棟に閉じ込められ、爆弾が降り注ぎ、街は火の海になります。
主人公の聡子は火に包まれる街を見つめ、数多の絶叫を聞くことになる。
あの火を放ったのは自分かもしれない。少なくともその手伝いはしたかもしれない。

大義や公儀のため、といった言葉が出てきて、主人公は自らが信じる大義のために行動をする。対立する幼馴染の憲兵もまた信じる大義のために行動する。
一緒に山で遊んだという2人は、大義の中で大きく変わっていきます。
主人公は嘘を付き、亡命を図ろうとし、幼馴染の憲兵は拷問をしても顔色一つ変えません。
それは全て自らが信じる大義があるからできることです。
その大義大義のぶつかり合いは戦争の縮図です。そしてその結果犠牲になるのが、あの火に包まれる街であり、絶叫で死に絶える人々であり、あのフィルムに記録された全てです。

主人公は被害者ではなく、加害者といえるかもしれません。
彼女の取った行動が、誰かを殺す手伝いをしたのかもしれないのだから。でもそれを責めることはできるでしょうか。
あの事実はやはり諸外国に伝えるべきだと、2021年に生きる私は軽く思ったりします。
でもそれこそが大義です。
そしてその大義の結果、犠牲がでるのは仕方がないと言っていたのは主人公そのものです。
しかし、その結果に人の心は耐えられるものではありません。
大きな信条だとか、愛だとか、生活だとか、そういうものを踏みにじり、そして自らも手を汚し、無垢ではいられなくなるものが戦争なのだと、あの海岸で泣き叫ぶ主人公を見ながらやり場のない気持ちになるしかなかったのでした。

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黒沢清監督はある場所を別の場所に見立てるのが上手いなあって思ったりするのですが、今回だと憲兵の部屋凄かったですね。
多分、階段の踊り場かホール的な部分なんだろうと思うけども、そこに机を持ち込んだり、物を増やしたりして、取り調べをする部屋っぽく見せて、後半ではその部屋のまま皆でフィルムを見るというホール的な使い方をする…。
違和感がありそうなことなのに、むしろ同じ部屋で進むからこそのテンポの良さもあって凄くいいなって思った。
一つの空間で多くのことをするのそういう舞台的な見立て演出をこういう現実的な演出が求められる作品で取り入れるその胆力がかっけえ~!って思っちゃった。
黒沢清監督のロケハンについていきたい。
この場所はこう使えるな~って思う瞬間に立ち会いたい。