書きたいことは何もないんだけども、文章を書いておかないといざという時に書けない気がして、とりあえず手を動かしている。
いや、本当書きたいことはなんもなくて、さっきから「書こうかなー」と思いながらトロとパズルをやったり、HASAMI groupの「夢の泡立ち」を延々と聞いたり、テレビで石田ゆり子が荒井由実の「卒業写真」を歌ったりするのを聞いたりしていました。
書きたいことはなんもない。
まじでなんもない。
頭の中ってものを可視化できるのならば、私の頭の中はまじで空っぽで、そこから出てくる文章なんて無なのではないのでしょうか。
そして無を書き散らした後、死にたくなったりしないのかなと思ったりします。
でも、なんとなく書かなあかんなと思っていて、それはだいぶ書くことから遠ざかっていたから、だいぶ人間力が低下している気がして、要するには感情や思考の出力の仕方が下手になっている気がするのです。
書くことって要するにはぼんやりと思っていることを形作る作業というか、一本の木から仏を掘り出す作業なんじゃないかと思っていまして。おいおい、お前、自分の文章を「仏」って言いやがったか?と。いや、私は自分の文章を仏だなんて思ってはいないけども、でも一本の木から何かを掘り出す作業に近いのではないかと思っています。
形のないところから形をなんとか作る作業が文章を書くことだとしたら、私はその作業を大きくサボっていたので、かなり思考が弱っている。感情の出力が下手になっている。人間力が弱っている。そんな気がするのです。
でも、書くことって同時に弱点を見せる作業だとも思っていて、ハウス・オブ・ザ・デッドというガンシューティングでボス戦の前になると「ボスの弱点はここだよ!!」と教えてくれるのですが、それを書くたびにやっている気がする。
私が書いたものを繋げていけば、私の簡単な殺し方がわかるんじゃないかとも思うのです。
でも、なんで書かなきゃいけないか。それも書いてこんな誰でも見ることができる場所に公開しなきゃいけないか…って、ここでつらつらそれっぽく語ることもできるだろうけども、結局私は弱点を見せたいんだろうし、もしくは弱点を共感してほしいんだろうし、何よりここで書くのが一番簡単で楽なんだろうと思う。
だから、私はここに365個以上の記事を公開している。日々を公開している。日記を公開している。感想を公開している。小説を公開している。戯曲を公開している。辛かったことを、しんどかったことを、楽しかったことを、何にもなかった日を、何かあった日を公開している。
私はどこかの誰かに私の文章が届くことを祈っている。多分それは私は一人じゃないと思いたい、その願いの成れの果てで、それはとても気持ちが悪いし、ただどうしようもなく切実なものだ。
私が好きなミッフィーの話の中に「うさこちゃんはじょおうさま」というのがある。
そこでミッフィーはある国の女王になることを願う。
でも一番やってあげたいことは「悲しんでる人がいたらそっと側に寄り添ってあげたい」という。
私はそこまでのことはできない。
寄り添うことなんてできない。
私は私でいっぱいいっぱいだ。
でも、この吐き出しまくった何かがどこかの誰かに届けばと思う。その瞬間だけは何かは忘れられるような。
私が多くの文章を読んできて、そう感じたような。
そんなのが書くことができればと思う。
なんて、書きたいことは何もないなんて言いながらもう1400字も書いている。
結局は何もないわけじゃなかった。
もやもやしている頭の中は空っぽに見えたけども、そのもやを封じ込めれば何か文章めいたものになるのだ。
私は空っぽだと思いがちだ。
私は空っぽじゃないと思うために書き続けた方がいいのだろうと思う。
弱点を晒し続けたらいいのだと思う。
それがどこかの誰かに届いて、一瞬でも何かを与えられたら。
そんな傲慢さに似た願いだけども、叶うことをどこか夢見ている。