普通に生きていきたいだけなんですけども、その普通ってやつのハードルが異様に高かった!!
というわけで29歳男性は今現在、タリーズカフェで震えている!!
何故ならば鬱の波が押し寄せているし、胸は締め付けられるし、お先真っ暗な気持ちになっているからだ!!
ナイン・インチ・ネイルズだったら「Help me…I'm in hell」と曲にするところだけども、ナイン・インチ・ネイルズではない私はこのように今、文章を打っているのだ!!せめて救われようと文章を打つ!打つ!打つ!!!
鬱が突如とぶり返してきたのは先日の父、関東の一人暮らしの家にやってくるの回から、なんだけども、まあそれ以来とにかく生活はボロボロになっている。
まともなご飯も食べてないし、部屋は荒廃していくし、3日も寝続けるし、一体どうしたもんだい。
人と会う用事がある時以外は死んだように生きてる。死ぬように生きたくはない!なんて歌ったのは中村一義だけども、俺も俺もー!と思いつつ現状は死ぬように生きている29歳男性。
とにかくなんとかこんな状態から抜け出したいんだけども、なかなか抜け出せない。だから鬱なんだね。そうなんだね。と思うけども、もう2年も苦しんでるんじゃー、そろそろ良くなっておくれやー!と思うんだけども、そうはいかないみてえっすわ。
めちゃくちゃ苦しいけどもその苦しみに理由がないところが凄え鬱って感じで、理由のない鬱の波に飲まれております。せめてこれを乗りこなせたらと思うけども、そんなサーフィンは習ってない。サーフィンU.T.S.U.
先週も酷い鬱に襲われたので、もうこの鬱にはハードコアな映画をぶつけるしかねえ!!って思って三池崇史の『殺し屋1』をみたんですよ。
そしたら効果はてきめんだ!!
だいぶ鬱はましになったというか、映画を見ている間と見終わって数日はなんとかなりました。
でも、また数日経ったら寝続ける生活になって、それからまた鬱の波ですよ。
ちょうどええところはないのか。人生にちょうどええところはないのか。
そういえばTwitterを見ていたら10年を振り返る……みたいなのが流行っていて、みんな色んな10年があるなーと思っていたけども、俺の10年は……!?と思ったら、なんか気恥ずかしくなって書けなかった。
なんか10年を要約するのが怖くなってしまって、書けなかったよ。
自意識こじらせ太郎だから、10年を140字にまとめてたまるか!!みたいな気持ちもあるんですよね。
すごくうざい自意識やねえ。
いつだって頭の中で鳴り響く自意識に振り回されてるよー。
まあ、10年を振り返るのが流行っていた時は寝続けている時だったのでそれどころではなかったのですが。
昔、鬱の時は「本を読んだ方がいい」なんて自分で書いていた。というわけで本を読んだ方がいいんだろうなと思いつつ、本を開く元気がまだわかなくて、こうやって文章を打ち続けている。
文章を書いたら少しは気がまぎれるかな……と思ったけども、紛れているのか?これは紛れているのか?
紛れているかわからない。でもここで文章を打ち終わると鬱の波がまたどっとくると思うと、打ち終わり!!なんて言えない。
うーん、なんぎやねえ。
生きてるって大変だと思う。本当大変だと思う。
僕はこれからもこの扱いづらい頭と体を、なんとか動かし続けて、生きなきゃいけないんだろうなーと思うと、そりゃターミネーター1のラストばりに暗雲が立ち込めるわけだけども、それでも、なんとかやっていかねばならない。
いつだって心に希望を、未来に火を……
だって思いたいけども、いや、今きっつい!
きっつい今をなんとか乗り越えてえ!!
鬱の波をなんとか乗り越えてえすわ!!
いつか、鬱とかそういうことから解放されたいです。
ただただ幸せだなーと思いたい。
なんとなく辛いみたいな状態から脱したい。
もう何年もこんな状態なんですよ。
いい加減、いい加減もうええやろ。
もうええやろ。人生のイベントとしては長すぎる気がする。でも、多分、長いんだろうね。一回こうなったらなかなか抜け出せないのが鬱やものね。
それでも、こうやって文章を打っていたらなんとかなってきている気がする。少しは落ち着いてきたような気がする。
いや、気がするでいいのだ。それでもいいから、気がするでもいいからそれをなんとかほれを積み上げて今日を生き延びよう。
日々を生きるしかないんですよ。
それしかないんですよ。
普通に幸せになったら、幸せだなーって思うのだ。
公園のベンチで、なんてことない街角の喫茶店で、図書館のあ行の前で、天下一品の注文待ちの間で、地元の耳鼻科の前で、寝る前の少しの時間で、相対性理論のアルバムを聴いてる時で。
そんな時に幸せだなーと思いたい。
でも、今はまだどうやら無理みたいだ。そして引き続き悲しくなった私は2000字も文章を書いて、答えも何も見つからない。