にゃんこのいけにえ

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映画って面白いね『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を見た!

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を見た!!

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クエンティン・タランティーノ最新作ですよ!やっぱりタランティーノ最新作となるとわくわくしちゃいます。私が中学生の頃、キル・ビルが公開されてR-15指定だったので、劇場では見れなかったのですが、TSUTAYAの店頭で流れていたDVDの本編を食い入るように見たり、レンタル落ちになったVHSを店員さんに頼み込んで買った記憶があります…。

そんな自分語りはさておいてタランティーノの9本目の長編映画

そんな最新作の舞台は1969年のハリウッドでございます。

1969年のハリウッドで何があったか、といえば「シャロン・テート殺人事件」なわけです。

シャロン・テート事件とは……なんてことはもう散々語り尽くされているわけですけども、先日読んだジョーン・ディディオンさんの『60年代の過ぎた朝』でも大きく触れられていました。

あの本でも大きく語られていたのは、結局ヒッピーカルチャー(もしくはカウンターカルチャー)が大きくなっていった果てにこの事件が起こり、そして60年代は終わってしまった……ということでした。

時代の終わりを告げる事件…というのはどういうことでしょうか?

タランティーノはインタビューで「ある種の純粋さが消えてしまったんだ」と語っています。

時代に終わりを告げる事件とはそういうものなのでしょう。

純粋さがその事件によって消えてしまった。もしくは消えてしまっていたことを明確に伝える。それがその事件の最大の加虐性なのかもしれません。

 

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そのある種の純粋さが残っていたという1969年のハリウッドをこの作品では完全再現します。

昨今よくあるCGでの再現ではなく、一部1969年の街並みがまだ残っている場所をブロック単位で封鎖して、そしてそこを徹底的に1969年に作り変えるというなんとも力をかけた徹底ぶり。

そんな風に作り込んだ1969年のハリウッドなので遠景ショットで見せる!人々を歩かせる!!そして何より車で移動する!!

この移動ショットの多幸感ったら!

街歩きもそうだけども、街をドライブしている時こそ、その街の空気のようなものを感じたりするわけです。その時代の音楽が鳴り響いたりするなか、移動することによってその時代、その場所にいると強く感じるわけです。

時代とは、その街とは、有名な建物やランドマークだけではなく移動にこそあるんだ!という強い思いが移動シーンの多くからも伝わってきます。本当移動シーンが気持ちいいのだ!!

 

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そんな中で1969年のハリウッドを主に右往左往する主人公が落ち目の俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)とそんなリック・ダルトンのスタンドダブルを務めるクリフ・ブース(ブラッド・ピット)。

主にこの二人の何でもない日々が描かれていくのです。

かつて映画で主役を張っていたリックの姿はどこへやら。今はドラマの単発の悪役仕事ばかり。アル・パチーノ演じる妙なプロデューサーから「イタリアに行って、あっちのウェスタンに出たらどうだい?」と言われ「わしはもう落ち目や!!」と泣いちゃうリック。それをよしよしするクリフ。そんな冒頭からもう素敵。

リックとクリフの関係がずっと良いのです。つまり、何が言いたいかといえば「友情」って最高やん?ってことで…。タランティーノがここまで純粋な友情を描いたのも本当初めてなんじゃないだろうか。

映画はそんな二人の日常を追いかけていきます。セリフを覚えたり、お酒を飲んだり、ドラマの撮影に行ったり、街をドライブしたり、犬に餌をあげたり、テレビを見たり、ラジオを聞いたり、ピザを食べたり、そんな日常を描いた描写のなんと豊かなこと!

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は『わんはり!!』とタイトルがついてもいいほどの日常系映画なのです。

  途中からリックもクリフも二頭身キャラに見えてくるような。「もうだめだー!」「サングラスで目を隠そう」「うん!そうする〜」と微笑ましいやりとりは日常系アニメのそれ。そして全編を貫く日々の豊かさには山田尚子監督のアニメを見ている時(特にけいおん!たまこまーけっとの頃のような)を思い出したりもしました。

 

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そんなリックのとなりに引っ越してくるのがロマン・ポランスキー監督とシャロン・テートなのです。

映画はリックとクリフの日常のほかに、シャロン・テートの日常も織り交ぜてきます。

パーティに行くポランスキー監督とシャロン・テート(この時にディープ・パープルのHushが流れる!)。後年、ポランスキー監督が映画化する『テス』を本屋に受け取りにいくシャロン・テート。そして何より、シャロン・テート自身が出演している映画を観に行くシーンのマジックのかかりっぷりったら!!

スクリーンに映っているのはシャロン・テート本人で、それを見つめているのはマーゴット・ロビー演じるシャロン・テートという少し変わった構図なのに、そこには間違いなくマジックがかかっているのです。映画ならではのマジックがそこにはかかっていて、私はこのシーンで涙を流してしまいました。

 

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シャロン・テートはなによりも「シャロン・テート殺人事件」という痛ましい事件の被害者としてその名が歴史に刻まれてしまいした。

語られるときはチャールズ・マンソンと一緒に語られます。チャールズ・マンソンはその主義主張が未だに語られます。なんならファンもいるそうです。でもシャロン・テートを今、事件の被害者以上に語る人がどれほどいるでしょうか?

全ての事件において、被害者の人生は語られることはありません。ある大量殺人事件の翌日、犯人の主張がワイドショーで朝から流されていたとき、本当心の底から嫌悪してしまいました。

本当は犯人の主張なんか流してはいけないのです。無視すべきことなのです。なぜ、大量に人を殺した者の主張がこの世に残っていくのでしょうか?

そして被害者の声はその犯人の声の前ではかき消されたままなのでしょうか?

  タランティーノシャロン・テートにも日常があったこと。未来を夢見る女優だったことを本当優しく描きます。シャロン・テートを被害者ではなく、本当ひとりの人間として描くことで救い出そうとするのです。

しかし、その日はやってきます。そう1969年の8月9日が。

 

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で、ここからはネタバレ。

1969年の8月8日から、リックとクリフ、そしてシャロン・テートに何があったかを丁寧に描いていきます。リックとクリフの長きに渡る雇用関係が終わりを迎えそうなこと。そして彼らは最後の飲み会を開こうとしていること。その一方でシャロン・テートも友人達と楽しくご飯を食べたりします。しかし画面には時間のテロップが差し込まれ、その日のその時間に近づいていくことを示唆します。

そうして真夜中、マンソンファミリーの数人がシャロン・テート宅にやってきます。

シャロン・テートはこのまま襲われるのか……と思ったところで、リックが「車の音がうるせえ!!」とブチ切れます。

その結果、なんとマンソンファミリーの数人はリックをターゲットに変更するのだった!!

映画館で「えー!!」と叫びそうになりました。

どうなるんだ……!と思っていたら、ここからなんと、びっくりするような展開の数々!!

私は劇場でめちゃくちゃ笑ってしまいました。

やりすぎ?

いやいや、やりすぎなんてもんじゃないよ。

物語を使った復讐というのは、人形遊びで人を殺すシーンをやるように、少し居心地が悪いのも事実です。

でも、それを超えて、やりすぎるくらいにこのシーンを作ったのは何よりの復讐だったのです。

それは実際は映画に描かれている以上の暴力をシャロン・テートにふるった彼らへの。そして彼らの名前が歴史に刻まれてしまったことへの。何よりの復讐なのです。

しかし、リックが「火炎放射器」を持ち出したときは腹を抱えて笑ってしまった。人生何が役に立つかわかりませんね。

 


しかしその過程でクリフは負傷してしまいます。そのクリフにリックがこう語りかけるのです。

「いい友人だ」

それに対してクリフはこう返すのです。

「努力してる」

なんと素敵なやりとりなんでしょうか。

最後になるはずだった飲み会。

でも、多分、リックは明日は煙草とお酒を持って病院に行くんだと思います。

二人の後日談が俺は見たい。

また二人でゲラゲラ笑ってたらいいなー。

 


そして映画はこの後、もっとも素敵な瞬間を迎えます。

リックがシャロン・テートの家に招かれるのです。

そこには本当の歴史ならば殺された4人がいます。シャロン・テートのお腹の中には赤ん坊もいます。

彼らは無事だっただけでなく、事件とは無関係になったのです。

この映画の中で、映画という物語の中で、被害者というレッテルすらも剥がしたわけです!

 


そしてそこにタイトルが出ます。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と。

「むかし、むかし、ハリウッドでーー」

 

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現実はそうではなかった。1969年の8月9日に事件は起きた。シャロン・テートは殺されてしまった。

でも、映画の中ならば。物語の力さえあれば過去は変えられる。世界をもう一度作り、彼女を救うことができる。

そしてこの映画の中でシャロン・テートは生き続けるのです。

事件も知らず。マンソンファミリーも知らず。生き続けるのです。

ある種の純粋さが失われてしまった1969年の8月9日。

でもおとぎ話の中でなら、その純粋さは失われずに済む。生き返らせることができる。

これはもはや巨匠という立場になり、お金も潤沢に使うことができるタランティーノだからこそ作れるおとぎ話でした。

物語を語るには強いディティールが必要です。

1969年の空気どころか、埃さえも再現した世界だからこそ、シャロン・テートを、純粋さをスクリーンの光の中に蘇らせることができたのです。

これは映画の魔法を信じ切ったタランティーノによる渾身の一作です。

1969年のハリウッドを再現した映画であり、アメリカの夜のように映画製作内幕ものであり、シャロン・テート事件の映画であり、とても優しいおとぎ話であり、そしてなによりとても面白い映画なのでした。

劇場の明かりがつく頃、つまりは2019年の日本に戻った頃、潤んだ目でなんて面白い映画を見たんだ!と思いました。

こんな映画の魔法が見たいから、私は映画を見るのかもしれません。

 

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