にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

ジョーン・ディディオンと29歳男性。

 29歳である。昨日は28歳が終わってしまうとただをこねる文章を書いた私も、1日が過ぎて晴れて29歳になった。

じたばたしても時間は過ぎる。あっという間に過ぎる。そうして私は29歳になってしまった。

28歳の最後の日はジョーン・ディディオンのドキュメンタリーを見ることから始まった。

ジョーン・ディディオンはアメリカの作家で、60年代から70年代に注目され、その後は映画脚本や小説等多岐にわたって活動した。

彼女のドキュメンタリー『ジョーン・ディディオンザ・センター・ウィル・ノット・ホールド』がNetflixにあったので見た。

そもそもジョーン・ディディオンになぜ興味を持ったかと言えば、山崎まどかさんのツイートからだ。これまたNetflixで見ることができるローリングストーンズ誌のドキュメンタリーで映画監督キャメロン・クロウが若い時に「ライターを目指すならばジョーン・ディディオンを読むべきだ」と勧められたと語っていたという趣旨のツイートをしていたのだ。

その時に、ジョーン・ディディオンの名前を知った。そう言わしめる彼女の作品を読んでみたいと思ったが、ちょうど深夜なので読むことができない。そんな中、Netflixに彼女の半生を追ったドキュメンタリーがあると知り、見てみようと思ったのだった。

「ライターを目指すならばジョーン・ディディオンを読むべきだ」

私はライターを目指しているわけではない。

しかし、書くことは大好きで、今もこうして書いている。できることなら書くことは続けたい。続けるには先人の偉大なる仕事に触れなければならないと思っている。

言葉を操る人々の仕事を。多くの紡ぎ出された言葉を知りたいと思う。そうして、なるべくそれを消化し、自分の力にしたいと思う。情熱だけでは続けることができない。いくら趣味とはいえ、体力も筋力も必要だ。

だから知りたいと思った。ジョーン・ディディオンという作家の作品を。そして彼女自身を。

 

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ドキュメンタリーは彼女の半生を追うものだ。投稿エッセイで優勝した彼女はヴォーグで働くようになり、結婚し、退職をして、そしてカリフォルニアに移住する。そこで60年代の狂騒を目撃し、それを本にまとめ上げる。

ベツレヘムに向け、身を屈めて」と題された本は、60年代を切り取った書物として注目される。

その後も多彩な仕事に手を出していく。映画製作に小説家としての活動。それからジャーナリストとして海外を飛び回るようにもなる。

しかし2003年に娘が倒れる。集中治療室での治療の最中、夫が心臓発作で亡くなる。

そして娘もその後、39歳の若さで亡くなる。

 

彼女の半生を追ったこのドキュメンタリーから浮かび上がるのは書くことの業を背負った者の人生だ。書くことに取り憑かれたと言ってもいいかもしれない。書くことで時代を切り取り、様々な事件を切り取り、描写してきた彼女は夫と娘の死を書くことで乗り越えようとする。

しかしそれにすがっているというよりはそうするしかないというように見えた。といってもこのドキュメンタリーを見た上であるが。

この時に書かれた作品は『悲しみにある者』『さよなら、私のクィンターナ』という作品になっている。

 


チャーミングな女性である。身振り手振りを交えて言葉を話す。時折見せる笑顔が高齢ながらもとても可愛らしく思える。

しかし、書く言葉、文章、作品はとても冷静で淡々としていて、それでいてディティールとイメージに彩られ、そして何よりそこに流れていたであろう空気が真空パックされている。

ドキュメンタリーを見て、ジョーン・ディディオンさんの作品が読みたくなった私は1時間かけて市内で一番大きな図書館に行ってその読める本『60年代の過ぎた朝』を読んでみた。そして読んだ時の印象は上に書いたものである。

ジョーン・ディディオンさんの本を読んでいていちばんの印象を書くのを忘れていた。何よりだけども「声がいい」のだ。

文章を読んでいて声がいいというのも不思議なことだけども、とにかく声がいいと思えた。

声がいい文章なんてどうやったら書けるのだろうか?わたしにはそれが不思議で仕方なかった。

そしてこの声の良さに惹かれて私は3時間ほどずっと読みふけっていた。心地いい時間だった。

 


ジョーン・ディディオンさんのことは全く分かっていない。まだ本も途中までしか読めていない。ドキュメンタリーを見たくらいだ。だからジョーン・ディディオンさんのことをもっと知りたいと思う。この声の良さを知りたい。耳が心地よくなるような文章を書くにはどうすればいいのだろうか?その不思議はまだ不思議のまま、わたしの目の前に存在し続ける。

 


28歳最後の日はジョーン・ディディオンさんに捧げた。

書くことを続けたいと思ったからだ。

しかし、私の文章はまず声として響いているのだろうか?

そしてもし声として響いているのなら読んでいる人にはどんな声で響いているのだろうか。

キンキンと響く声なのか、低い声なのか。不快な声なのか。心地いい声なのか。

わからない。

ただ、心地いいものにしていきたいと思う。

ジョーン・ディディオンさんの本から聞こえてきた声の良さを自分の中にも取り込めたらと思う。そんなことが可能なのかわかないけども、それでもできることなら頑張ってみたい。

 


私は29歳になってしまった。親がケーキを買ってきてくれたので、ろうそくに火をつけて願い事をして火を吹き消した。

「病気を治すことと、仕事を見つけること」

そんなことを願ってみた。

私はやっぱりふつうに生きれるならばふつうに生きたいと思っている。

同時に書くことはここ数年で見つけた私の居場所の一つだとも思っているので続けていきたい。

なるべく、ではなく、必ず続けていきたい。

せっかく見つけた場所なのだ。その場所を手放すのはもったいない。

 

ジョーン・ディディオンさんの『60年代の過ぎた朝に』の冒頭、こんな文章から始まる。

「私たちは生きるためにみずから物語をつくり、それで自分を納得させる。」

生きるためには自ら物語を作る。それがジョーンさんには書くことというものを通してだったのかもしれない。

私が書くことを居場所だと思えたのも、書くことで混乱に満ちた人生を物語化することができ、それで納得することに成功したからかもしれない。

ならば尚更手放してはいけないのだ。書くことを。物語を作ることを。

 


29歳という数字はなかなかに重たくて、もうすっかり私は大人になってしまったのだなと思う。でもその一方で大人になった実感なぞなくて、頭の中では幼児の私が暴れまわっている。もしかしたらそれは行動して現れているかもしれない。

だからこそ書かなければならないと思う。大人になるため、なんていうのは大層なことだけども、29歳になってしまったことをちゃんと直視するためにも、この人生を把握するためにも、混乱し続ける脳みそを抑えるためにも、書くことは必要なのだと思う。

 


ケーキを食べて29歳になった。それから眠りにつこうとしたが、頭と心は妙に跳ねまくっていて、寝付くことができない。不安と不安を打ち消すように心が躁状態になっている。その騒ぐ心はただじっとしていても収まることはない。薬を使っても収まらない。ただ、ただ書くしかない。

そんな私は私を助けるために文章を書いている。それをあまつさえ、人に見えるようにしている。

せめて人に見せるものであるならば、それがいい声で届いていることを願いたい。でも、そんなこともないのだろうという諦めも少しある。だからもっと読まなきゃいけなくて、だからもっと書かなきゃいけないとも思う。

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