にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

どてらねこのまち子さん『Also sprach Zarathustra』

どてらねこのまち子さん

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"Also sprach Zarathustra"

 

 どてらを着た二本足で歩いてさらに人の言葉を喋る猫のまち子さんは喫茶店に来ておりました。喫茶店と言っても街の小さな喫茶店ではありません。ドトールにです。ドトールに初めてまち子さんがやってきたときは店員さんも驚きましたが、数回まち子さんが通うと店員さんも慣れて今ではまち子さんがやってくるだけで「アイスコーヒーですね」と言ってくれるようになりました。その常連さんのような感じがまち子さんには少し気恥ずかしくもありました。

 まち子さんは「ありがとうございます」と言ってアイスコーヒーを受け取ると(まち子さんは二本足で立っているとは言え、小さな子供くらいのサイズなので、カウンターで受け取るということができないので、店員さんがカウンターを回ってわざわざ持ってきてくれたりします。)とてとてと歩いていつもの席に座ります。それは2階の一番窓際の席です。

 まち子さんは窓から街の風景を見るのが好きでした。ぼんやりと陽の光につつまれながら街の風景を見るのが。窓の外には駅前の広場が見えます。大勢の人々があちらこちらに歩き回り、バスロータリーには定期的にバスがやってきて、タクシーの乗り場には人の列ができたりしていました。

 まち子さんはドトールに本を持ってきていました。哲学書です。猫がこの現代社会に生きるにはどうすべきかというのをまち子さんは真剣に最近は悩んでいました。なので哲学書を持ち歩いて読んでいるのでした。「なるほど・・・なるほど・・・」とときたま感嘆を声に出しながら読んでいますが、本当のところは全く内容は理解できていませんでした。それでも読むのが大事だとまち子さんは思っていました。読んでいたらいつか何かにたどり着ける気がする。その気配はまち子さんは感じ取っていたのです。なので読書は熱心にしていました。

 今日もまち子さんが「なるほど・・・なるほど・・・」と時たま、声を出しながら全く理解は出来ていませんでしたがちゃんと読んでいると、窓の外が騒がしくなっていました。

 なんだろうと思っていると、窓の外から見える駅前の広場に人だかりが出来ていました。

 なんとその日は有名な政治家さんがやってきて演説をする日だったのでした。

 しかしそんなことまち子さんは知りませんでした。なので、人だかりができているなーと思いながら、本を引き続き読んでいました。ときおりずびずびとアイスコーヒーも飲みました。少し氷が溶けたくらいがまち子さんは好きなのです。

 本を読んでいると色々なことをまち子さんはふと考えてしまいます。

 例えば、昔やってしまったふがいないこと(サバ缶を仲間の猫と争ったこと)、嘘をついたとこ(サバ缶なんてないよと仲間の猫に嘘をついたこと)、過去の失敗(サバ缶を沢山ため込んでいたことが仲間の猫にばれたこと)を思い出してはうわーとなったりしました。

 なんであんなことやってしまったんだろうとまち子さんは考え込んでしまいました。

 多分ですが、あの頃は未熟だったのです。まち子さんも今では部屋を借りて1人で住んでいる立派な猫になりましたが、あの頃はまだ実家猫だったのでした。まだ世間知らずで、それ故、横暴なところがあったなと今では思うことができましたが、あの頃は本当そんなところまで考えが至らなかったのです。

 哲学書を読んでいるとほとんどはわからないことだらけです。しかし時々、はっとある頭の中で考えがまとまる瞬間があったりしました。生きる上でこうすればいいのかもしれないということが少しばかりわかったりすることもありました。同時にまた新しい問題が生まれることもありました。

「うみゃみゃみゃみゃみゃ・・・」とまち子さんは頭を悩まします。そうです。生きていくことは沢山の問題と謎にまみれるということなのです。それを認識すればするほど生きづらくなっていきます。だから多くの人は見ないようにします。いろんな方法で見ないようにします。沢山の娯楽があるのには意味があります。それは人生の不条理さから目をそらすためです。

 でもまち子さんのように本を片手にそれに向き合うことは決して無駄ではないはずなのです。そうやって向き合った時間はいつか何かに繋がるはずだと、信じてただ読むべきなのです。

 おっと、地の文である私がついつい語りすぎてしまいました。そろそろ引っ込もうと思います。

 まち子さんはアイスコーヒーSサイズで2~3時間粘ります。ときどき無料の水をくんできて、それを飲みます。それだけで粘ります。お店側からは怒られそうな行為ですが、かわいい猫なので許されています。まち子さんもそのことに気がついています。まち子さんは周りの空気には意外と敏感なのでした。まち子さんはお店が許していることに甘んじていました。なぜならまち子さんはお金がないからです。いつか大金持ちになったら、1時間に1杯はお代わりを頼もうと思っています。そしてその時にはLサイズで頼もうとここに決めていました。まち子さんはそれくらいの優しさは持ち合わせているのでした。

 


 その頃、駅前で政治家武田大山による演説が始まっていました。武田大山の演説はヒートアップしていきます。国民の不満を上手くすくい上げるような熱の入った演説でした。群衆もそれに合わせて「いいぞー!」とやじを飛ばしたり、うなずいたりしました。武田大山の熱が群衆にゆっくりと広まっていきました。

 沢山集まった群衆の中にある1人の男がいました。彼は大きく長いフランスパンを持っていました。フランスパンを抱えたままじっと政治家を見つめていました。

 彼の名前は工藤。普段はタクシー運転手をやっている男でした。彼は現実に絶望していました。工藤はある大企業に勤めていたのですが、そこを3年前にリストラされ、家族にも逃げられ、そして、流れ流れてタクシー運転手をやっていました。彼は報われない現実の腹いせに政治を憎むようになりました。それは最初は軽いネットでの書き込みで終わっていたのですが、日々を積み重ねる内に彼の中で大きな憎悪へと変わっていきました。そのうちに、彼は死んでもいい政治家がいると思うようになりました。国益を妨げる売国奴は死んでしまえと思うようになりました。ある日、ネットをいつものように漁っているとき、密造銃の作り方のページにたどり着きました。それは冗談で作られたページだったのですが、工藤は本気にしました。本当に作ってしまおうと思い立ったのです。工場へ駆け回ったり、自分で加工したりしました。貯金は全て使ってしまいました。それでよかったのです。あの政治家を殺すことができるなら。

 


 まち子さんはお腹が空いてきました。よくよく考えるとお昼ご飯を食べていなかったのです。「うみゃみゃみゃみゃみゃ・・・」。外に出ようかしら、それともまだ残っていようかしら、悩んでいます。ケーキを頼むのもいいかな。いや、ケーキなんて食べたら太ってしまう!と悩んでいます。まち子さんは悩んでいました。しかしお腹はめちゃめちゃ空いています。外はまだ明るいです。本来ならまだ粘る時間です。でも背に腹は代えられませんでした。

 


 政治家武田大山の演説はさらにヒートアップしていきます。しかし工藤の耳には入ってきません。いつ殺すか、それだけを考えていました。密造銃はフランスパンの中に隠してありました。いざとなればフランスパンを割って、中から銃を取り出して、ずどん。

 頭の中で何度もイメージトレーニングを重ねました。工藤は場所取りに少しミスってしまったので、武田大山が演説している場所からは少し離れたところにいました。その上、工藤の前には多くの群衆がいます。その中で、確実に殺すためにはどうすればいいか。それを繰り返し繰り返し考えました。タイミングはいつか。いつ殺ればいいか。いつ。いつ。いつ。

 演説が終盤に入りました。武田大山が大きな声で訴えかけます。「政治には皆さんが参加するのが大事なのです!」もう時間は残されていません。殺すなら今しかない。

 その時でした。

 工藤の足を誰かがつついてきます。

 工藤が足下を見ると、そこにはどてらを着た猫がいました。

 なぜこんなところに猫が。と思っていると猫は喋りました。

 「あの・・・お話を聞いているところすいません・・・その大きなフランスパンってどこで売ってるんですか・・・」

 「はあ?」

 「あ、ごめんなさい・・・わたし、どうしてもお腹が空いてしまって・・・いいフランスパンだと思って・・・うみゃみゃみゃみゃみゃ・・・」

 「いいからどっかいけよ」

 「ごめんなさい・・・」

 猫は去って行きました。

 なんだあいつは。と思っていると、群衆が一斉に拍手をし出しました。畜生。タイミングを逃してしまった。あの猫のせいだ。くそっ。でもやるなら今しかない。工藤が焦ってパンを割ろうとすると、その瞬間また身体を誰かがつつきました。

 またあの猫か。くそっ。なんだってんだよ。

 振り向くと、そこにはスーツを着た男が立っていました。

 スーツの男は微笑みながら「工藤さんですよね」と言いました。

 「・・・はい」

 「公安のものです。そのフランスパンの中身、あっちで見せてもらいましょうか」

 


 武田大山は演説を終えて、黒い車に乗り込みました。武田は汗だくになっていました。

 「先生、お疲れ様です」と秘書がハンカチを渡しながら言います。

 「ああ」武田はハンカチを受け取り、顔を拭きながら、窓の外を見ます。

 手をふる多くの民衆。スモークがかかった窓なので、自分の姿は見えないとわかりつつ、武田は手を振り替えしました。職業病なのです。

 その手をふる民衆の向こうにひょこひょこと歩く小さなどてらを着た猫の姿を武田は見ました。猫はとても悲しそうな顔で歩いていました。ふとその姿が、幼き日の自分を思い出させました。大人に無下にされた日、所在なさげに街をふらついたあの日のことを。 「先生」

 秘書の声に意識が戻りました。

 「うん」

 「次は19時から会食です」

 「わかった」

 車が動き出します。政治家はその間も歩く猫をじっと見ていました。その瞬間でした。 パンと大きな破裂音がしました。

 


 大きな破裂音がした瞬間、人々は一瞬戸惑い、銃声だと把握した瞬間に叫び声をあげながら右往左往と逃げ回りました。

 武田を乗せた車が急発進します。しかし車の列に突っ込んでしまいなかなか動くことが出来ずクラクションを鳴らします。

 血がぼたぼたぼたと地面に流れ落ちます。その血に気がついた人が叫びを上げました。

 割れたフランスパンが地面に落とされています。

 火薬の匂いが漂っています。

「痛いよ、痛いよお」

 工藤が泣き叫んでいます。

 工藤の右手がなくなっていました。地面には密造銃の部品と工藤の指が散乱していました。なくなった手首の先からは止めどなく赤い血があふれ出していました。

 スーツを着た男が銃を工藤に向けています。

 でもその銃口からは煙は出ていません。

 工藤は逮捕されまいと抵抗しフランスパンから密造銃を抜き取り銃をスーツの男に向けたのでした。しかし引き金を弾いた瞬間、暴発したのです。なぜならネットで拾ったような設計図だったからです。さっきも書いたではありませんか。冗談で作ったサイトだったって。

 しかし冗談とはいえ、作り上げたその本物は、結果として工藤の手首を奪いました。工藤は泣き叫びながらへたり込みます。顔色もどんどん悪くなっていきます。赤い血が止めどなく溢れ続けます。

 


 人々が突然逃げ惑い始めたのでまち子さんはそれに揉まれてしまいました。

 「うみゃみゃみゃみゃみゃ・・・!!」なんとか流れに逆らおうとしますが人の流れ川の流れのよう。まち子さんは流れに揉まれ揉まれて気がついた時にはまたあのドトールの前にいました。駅前は人でごった返していて帰れそうにありません。そしてあの銃声のようなもの。あれが解決するまではどうもあちらには戻りたくありません。まち子さんにはそれよりもさっきの言葉が頭の中をぐるぐると回っていたのでした。

「どっかいけよ」

それを思い出すと泣きそうになりました。フランスパンがどこで売っているか知りたかっただけなのに。でもあの人が演説を聞いているのを邪魔したからそれも仕方ないのかな・・・と思いましたが、やっぱり悲しくなりました。

もう一度ドトールに入ろう。そう思って店に入ると「あっ、猫ちゃん!」と店員さんに言われました。

「またアイスコーヒー?」と言われました。まち子さんは頷こうとしましたが少し考え直して「あっそれと・・・このケーキを」とチョコレートミルフィーユを指さしました。空腹が限界だったのと、やっぱりむしゃくしゃしていたのでケーキも食べたくなったのです。もう太ることなんて関係なしでした。

 


 パトカーが一台、二台・・・何台と駅前に集まってきました。工藤の周りにも警察が集まります。その時、とてとてとコーヒーとケーキを運んでいるまち子さんは気がついていませんでしたが、まち子さんがいなかったら工藤の銃は群衆の中で銃が破裂していたかもしれないのです。そうなると吹き飛んだのは工藤の手だけじゃ足りなかったかもしれないのです。まち子さんのやったことには意味はなかったんだよと地の文の私は思います。でも、そんなことはまち子さんは知りません。一生知らないまま生きていくでしょう。多分人生とは、生活とは、そして運命とはそういうものなのです。

 


 まち子さんはまた2階の窓際の席に行きました。ぼんやりと窓から外を見ます。駅前にはパトカーが集まっていました。何台も集まっていて、駅前は騒然としていました。

 まち子さんはチョコレートミルフィーユを突っつきながら、哲学書の続きを読みました。

 するとこんなことが書いてありました。

 「忘却はよりよき前進を生む」

 なんのことかやっぱりわかりませんでしたが、さっきあった嫌なことは忘れようと思いました。そして哲学書の続きを読みました。そのうち、嫌なことはちょっとずつ消えていきました。

 「うみゃみゃみゃみゃみゃ・・・なるほど・・・なるほど・・・」