深夜三時になっても寝付けないので文章でも書くことにする。最近は睡眠薬を飲んでいない。飲まなくても眠れるようになったからだ。でもその代わり、昼夜逆転は治っていない。なかなか治らない。夜になっても寝付けない。なのでぼんやりと夜を過ごすことが多い。昼間よく寝てしまう。最近は時間があるのに、全く時間がないような感覚になるのは起きている時間が夜だけだからだろう。どうしようもない日々って感じだ。
そんなことをメンタルクリニックのソーシャルワーカーさんに伝えたら、朝決まった時間に起きて、陽の光を浴びるようにしてくださいと言われた。そして夜は無理して寝ないようにとも。毎朝9時には陽の光を浴びようとしているけども、なかなかうまく行かない。9時に目が覚めなかったりする。そして結局気がついたら昼間ってことも多い。28歳男性にもなって昼夜逆転に悩んでるってのも変な話だけども。
28歳男性なのだ。3月になったのもあって、あと28歳男性でいることができる期間も半年を切ってしまった。時間が経つのは早い。あっという間だ。でも、なるべく時間を長く感じたいからこうやって文章を書いているのかもしれない。私はなるべく生きている感覚を保っていたい。でもここ一ヶ月は人に会って楽しく喋っていた時間以外は死んだような時間を過ごしていた。ちゃんと生きたい。そのためにも昼夜逆転を治したいと思う。
先日、浅草ロック座に行ってきた。浅草ロック座はいわゆるストリップ劇場だ。ストリップを見てきた。と書くと、なんていうか、嫌な顔をする人もいるだろう。私も学生時代ストリップを見たという友人の話をほぼ苦笑いで聞いた記憶がある。友人はそのとき「浄化されたような気分になった」と言っていた。そのときの友人に謝りたい。私も「浄化された」のだ。
ストリップだから女性の方が踊り、そして裸になる。でも、それだけじゃないのだ。何がそれだけじゃないと思わせるのかわからない。しかし、それだけで終わるものではないというものを見てしまった気になった。もっと言えば崇高なものを見てしまったという気になった。
でもストリップって崇高なものなんだよー性産業じゃないんだよーって言いたいわけじゃない。ストリップは性産業という側面も勿論あるし、それだから成り立っている商売ということもあるだろう。
じゃあどう伝えれば、私が見た物を伝えられるだろうか。
いや伝えられないのだろう。私が見た物を100%伝えることは不可能だろう。
でも、何かを感じ取ったということは伝わるはずだ。佐々木中が文章を書くこともダンスなのだと言っていた。私に踊りは踊れない。でも、文章は書くことができる。
この文章はなるべくあの場で踊っていた踊り子の皆様に失礼がないように、それでも自分なりに踊るように書ければと思う。
音楽が鳴り響き、照明が踊り子を照らす。踊り子はその中で様々な踊りを披露する。ストーリーがある。物語がある。抽象化された物語を踊り子は踊りで表現する。私はそれをただ見ているだけなのに、その物語が伝わる。
踊り子が服を一枚一枚脱ぐと、裸体があらわになる。私にはない美しさを持っている。私は汚い人間だと思ってしまう。綺麗なものを見たと思う。女性にしか出せない美しさを私はそこで感じる。
美しさ。そうだ、美しさを感じるのだ。私は踊り子さん達の踊りと裸体を通して、美しさを感じるのだ。
武藤つぐみさんの話をどうしてもしておきたい。私がストリップに興味を持ったのは武藤つぐみさんという凄い方がいるという話を神田松之丞という講談師のラジオで聞いたからだ。武藤つぐみさんの踊りは凄まじかった。エアリアルという技らしいが、空中を舞う姿に私は拍手を送り、その拍手すら感動で止まり、気がついたら手が拝みの方になってしまっていたほどだった。
その技ができるようになるにはどれくらいの練習が必要なんだろうか?才能と技術と鍛錬の積み重ねによってしかできないような技。それがもう少しで触れれるような距離で行われている。空中を舞っている。
夢のような光景があるとすれば、これだと思った。それが人の肉体を通じて、表現されているのだ。
今まで見た物、聴いた音楽、触れてきた書物が遠くなるような感覚。そんな感覚がたった1人の女性によってもたらされたのだった。
私には「初心者が見た!ストリップガイド!」みたいな文章は書けない。これは自分の癖と怠慢によるものだ。でも、冷静さを欠いた文章なら書ける。主観しかない文章なら書ける。私はただただ武藤つぐみさんの踊りを見て、冷静さを欠いてしまうほど感動したのだった。
最後まで見て、もう一度見たいと思って、もう1ステージ見た。
武藤つぐみさんだけでなく他の踊り子の皆様全てが素晴らしかった。香山蘭さんという方の色気あるステージにも感動した。どうしてここまで色気が出るんだろうと思って、そして汚らしい自分と比較して少し悲しくなってしまった。
フィナーレで観客も一緒に踊るというところで、武藤つぐみさんが近くまで来て「いいねー」と褒めてくれた時、私は嬉しくて赤面してしまった。あのときは恋する14歳のような顔になっていたと思う。
結局4時間近く見ていたわけだけども、そんな長さは感じなかった。もっと見ていたいと思うほど素晴らしい時間だった。浅草の街を歩く私は冷静さをすっかり欠いてしまっていた。
以上が浅草ロック座でストリップを見てきた話になる。何を長々と書いているんだって話だけども、熱量が伝わればなと思う。具体性のことを書いていないのに、熱量だけ伝われと思うのは傲慢だけども。
でも、具体性のあることなんて書いてはいけないと思った。こればっかりは実際に見て欲しいと思ったのだ。目で、肌で、感じていただけたらと思った。
私にできるのは見てきた光景を具体性なく、ただ感情を踊るように書くだけだ。
つたない踊りだったに違いない。
酷いステップだったに違いない。
それでも、この私の踊りを見て、浅草ロック座に対して興味を持っていただけたらこれ以上に嬉しいことはない。
そこでは素晴らしい踊りを見ることができる。
美しい世界が広がっている。
私はただそれに触れただけだ。
そして冷静さを欠いただけだ。