にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

空っぽな私は本を読むことにした

 空っぽやな、私は。とついつい思ってしまう時はやばい状態になっている証拠で、そんなときはどうしたらいいかと思うと、結局本を読むしか無いのではないかと最近は思っている。

 映画でも音楽でもなく、本な気がする。頭に直接文字をたたきこんでいって、小説ならば物語に身をゆだねたりすること。その他の本なら情報の海に身を投じることで、幾ばくかの空っぽな自分という感覚からは抜け出せる。そんな気がした。

 でもなんで映画じゃだめなのか。音楽じゃだめなのか。それはわからないけども、個人的には音楽は常にサウンドトラックのように鳴り響いているもので、空っぽを埋めるものにはなり得ないということ。そして映画は空っぽの時は見れないということがある。

 映画はある程度精神が満たされている時じゃないと個人的には見れないのだ。まあ、映画館でも行って、席に座ったら見れちゃうものだけども、それでも空っぽな気持ちの時は映画館に行く気力も、Netflixで映画を見る気力も湧かない。

 でも、本ならばページを開いて、目を通すだけで、その場で物語の世界に身を投じれる。その間は空っぽだという気持ちにはならなくてすむ。そういうことなのではないかと思ったりしている。関西で言うところの「まあ知らんけど」ってことだけど。

 最近は本を読んでる。具体的にはスティーヴン・キングの本を読んでいる。突然スティーヴン・キング強化月間が始まったのだ。

 まず最初に読んだのはスティーヴン・キングが「小説の書き方」について書いたその名もずばり「書くことについて」という本だった。これがあまりに面白くて400ページ強の本だったけども一日で読み切ってしまった。特に「書きたいのならば、沢山読んで、沢山書くことだ」という言葉に感銘を受けてしまった。余計に本を読まねばという気持ちになったのはこの言葉があったからだった。

 それから小説に手を出した。家にあった『ゴールデンボーイ』だ。ここに収録されている『刑務所のリタ・ヘイワース』が読んでみたかったのだ。『ショーシャンクの空に』の原作で、刑務所に投獄されたアンディという男の30年にわたる物語だ。夢中で読んでしまった。最後の方、電車で読んでいたんだけども、最寄り駅に着いたところで残り30ページで家に帰るまでにどうしても読みたいという気持ちになり、寒い待合室でむさぼるように読んだ。いい話だった。

 「希望はいいものだ。たぶんいいものだ。そしていいものは死なない」という言葉が心に残った。私こと両目洞窟人間(28歳男性)は刑務所にいるわけじゃない。自由の身なのに、そんな希望を胸に宿しているか?という気になった。本を出したい。文学フリマに出展したいという気はあれど、そこまで死なない希望かといえばわからない。だからこそ、希望は宿さないといけないと思った。そんなことは頭の中に、一陣の風のように吹き込んだ。

続けて読んだのは表題作の『ゴールデンボーイ』だ。

こちらは恐ろしい話だった。ナチスの元高官と少年の交流が次第に恐ろしい出来事を招くという物語だけども、人は何かのきっかけがあればモンスターになりえるのかもしれないと思わされた。そしてそのきっかけは些細なものかもしれない。自分の中にある悪意を増幅させた結果かもしれない。だけども、それが一度でもその沼に足を突っ込んだが最後、もう抜け出せなくなってしまうんだと心底私は恐れてしまった。怖い物語だった。

 とこのような感じで、キングさんの本を最近はむさぼり読んでいる。読む前に自分の中にあった「空っぽ」という感覚は気がついたらあまり感じなくなっている。やはり、読むべきなのだろう。空っぽだと感じている時は本を読むべきなのだろう。

 というわけで今は『IT』を読み始めてる。全4巻という大作だけども、とにかく今から読み進めるのが楽しみだ。どんな物語なんだろうか。どんな世界に連れて行ってくれるのだろうか。本は開くだけで、文字を読み進めるだけで、遠くの世界に連れて行ってくれる。そしてそれは時に希望をもたらし、時に恐怖をあたえ、そして空っぽであるという感覚をぬぐい去ってくれるものだ。

 

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

 

 

 

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)