にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

どてらねこのまち子さん『identity』

『どてらねこのまち子さん』

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"identity"

 「にゃんにゃんにゃん」とまち子さんが呟きながら歩いています。まち子さんは猫です。どてらを着た二本足で歩く猫です。そして日本語を喋る不思議な猫でした。しかし普段はちゃんとした言葉使いなのです。あんまり「にゃんにゃんにゃん」とは言いません。しかし今日は「にゃんにゃんにゃん」と言いながら歩いていました。そしてその顔は困り顔でした。

 そんな時、まち子さんの友達の岸本さんに出会いました。

「にゃんにゃんにゃん、あ、岸本さん」

「こんにちはまち子さん。どうしたんですか。にゃんにゃんにゃんと言いながら歩いたりして」

「実は、私、本当に猫なのかどうか気になってしまって」

「え」

「私、本当は猫じゃないのではないのでしょうか」

そうです。まち子さんはアイデンティティクライシスに陥っていたのでした。

とりあえず二人は喫茶店に入ることにしました。

 


まち子さんはアイスコーヒーを頼みます。岸本さんはブレンドコーヒーを頼みました。

「猫かどうか、わからなくて、にゃんにゃんにゃんと言いながら歩いていたのですか」

「そうです。猫かどうか自分でも自信がなくなってきてにゃんにゃんにゃんと言いながら歩いていました」

「で、どうでしたか、猫としての自信はつきましたか」

「いえ、逆ににゃんにゃんにゃんと言いながら歩いたことで、猫っぽく振る舞う何かになってしまった気がして、余計に自分が何か分からなくなってしまいました」

まち子さんは両手でカップを持ってアイスコーヒーをすすります。ずるずるずるという音がしました。

「まち子さんが思う猫っぽさってなんなの?」と岸本さんが聞きます。

「うみゃみゃみゃみゃみゃ・・・わからないんですよね・・・」

猫っぽさ。つまり、まち子さんにとっての根源の部分。それがまち子さんには見えなくなっていました。アイデンティティのなさはすなわち自分自身の喪失に繋がります。まち子さんは自分自身を失いかけていました。

「まち子さん、野生に戻ってみるというのはどうでしょうか」

「野生」

「そうです。野良猫がやるようなことをやってみてはどうでしょうか」

「野良猫がやること・・・はっ!私、わかりました!」

 


そうやって二人が向かったのは、商店街にある魚屋さんでした。計画はこうです。まち子さんが魚屋さんの店頭に並んだお魚をパクってくるというものでした。

「野良猫といえば、魚屋の魚をパクるってのが、野生ですよ」と岸本さんは言いました。

「自分から言っておいてなんですが、うみゃみゃみゃみゃ・・・やっていいのでしょうか・・・」

「大丈夫ですよ。パクったらすぐにダッシュすればいいのです」と岸本さんは言いました。そんな岸本さんを見ながらまち子さんは岸本さんには元ヤンだった過去があるのかなと思いました。

まち子さんは魚屋さんに向かって歩いて行きます。

魚屋さんの店頭ではがたいのいい店長さんが「いらっしゃいいらっしゃい!」とがなり立てています。

まち子さんは身震いしました。もしあの店長さんに捕まってしまったら半殺しにあうんじゃないかと。

まち子さんの脳裏に映画で見た様々な拷問シーンが目に浮かびました。

まち子さんの口にタオルが被せられて、水攻めにあう拷問。まち子さんが情報を吐くまで爪を剥がされ続ける拷問。コンクリ詰めされて海に放りこまれる拷問、というか処刑。

もうその全てが脳裏に駆け巡りました。

「いらっしゃい!なんにする!!」と店長さんはまち子さんに声をかけました。まち子さんはびくっとしました。そして、おそるおそる鯖に手を伸ばしました。そして一言。

「あ、これをください」

 


買った鯖は家で、味噌煮にして食べました。こんな風に調理が出来てしまうのが、そもそも猫っぽくないのではないかとまち子さんは自問自答しました。しかし、まち子さんは調理できてしまうのです。そして店長さんの気持ちにも寄り添うことができるのです。岸本さんに鯖の味噌煮を振る舞うことも出来るのです。まち子さんはそのままのまち子さんでいいんだよと私は思います。でも、私はただの語り部なので、まち子さんに話しかけることはできません。だからまち子さんは自分で自分であることを見つけなければいけないのです。それにはどれくらいの時間がかかるかわかりません。自分であることを見つけるのは明日か、それか死ぬまで見つからないか、わかりません。でも、とりあえずは今の鯖の味噌煮を作ってるその姿が私はまち子さんのまち子さんらしい姿であると思うのでした。

 


「できました」

「今日は変なことを言ってごめんね」と岸本さんは謝りました。

「いえいえ!わたしこそ、変なことで悩んでしまって・・・」

「いいんだよ。私も、私が時々わからなくなるし」

「そうなんですか」

「そうだよ」

「そういうもんなんですね」

「そういうもんなんだよ」

二人は鯖の味噌煮を食べ始めました。

「美味しいね」

「ありがとうございます」

「あと、今日のにゃんにゃんにゃんって言いながら歩いているまち子さんとってもかわいかったよ」

「え!あ!う!恥ずかしいです・・・」

そう言ってまち子さんは顔を赤らめました。

外は寒くなってきました。風が家の窓を吹き付けます。空には星々が光っています。なんでもない星をつなげて星座と呼んだように、いつの日か、自分の自分たるものをつなげていって、それを自分と呼べる日がくればいいねまち子さん。

「ねえねえ、岸本さん」

「なに」

「岸本さんって元ヤンだったのですか」

「ふふふ、どうだろう」

「えー教えてくれないんですか」

「ふふふ」

「うみゃみゃみゃみゃ・・・」

またまち子さんは困り顔をしました。