にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

『あみこ』を観た!

そういえば、最近ですが、『あみこ』という映画を見てきた。

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山中瑶子という1997年生まれの若干21歳の女性が、19歳から20歳にかけて作った映画だという。内容はあみこという女子高生に好きな人ができるけども・・・って話だ。なんだ普通の話じゃねえかと思った人、違うんだ、あらすじはあえて魅力的に書いていないだけなんだ。なんでそんなことをしているかというと、それくらいの先入観で見て欲しいからなんだ。もう前情報はこれくらいにして映画なんて見たらいいと思うんだ。僕はそれくらいの前情報で見て、ぶっ飛ばされてしまった。「あみこ、凄く、いい映画」見終わってからはその三語しかしゃべれなくなってしまった。

 


というわけでここからはネタバレあり。まあ「カメラを止めるな!」みたいにネタバレを踏んでしまうと魅力が下がる映画ではない。しかし、なんつうか、情報が溢れちゅう時代なので、めっちゃ若い監督がとったなんか評判になってる映画くらいの情報で見た方がいいような気もする。

 

 

 

で、僕はこの映画に打ちのめされたわけなのですが、それは僕がレディオヘッドが好きで、相対性理論が好きで、ナンバーガールが好きで、『(500)日のサマー』が好きだからというのがある。レディオヘッドはあみこが劇中聞いている音楽だ。ロータスフラワーという曲を聞いているシーンが出てくる。そこでロータスフラワーって!と俺は興奮してしまった。レディオヘッドの歴代のアルバムの中でも最も難解で人気がないキング・オブ・リムスに収録されている曲じゃないか。アルバムのリードトラックとはいえ、そこまで人気がある曲じゃない。要するに、それを聞いている時点で、あみこの地方サブカル少女っぷりがもう痛いくらいに伝わってくる。そしてそれに気がつくのがアオミくんという男の子だ。音楽を通して、意思の疎通がとれたというか、もっと言えば、運命共同体くらいに思っちゃうのって、これってあれじゃん、「(500)日のサマー」じゃん!あの映画ではスミスだったけども、長野県であみこはレディオヘッド運命共同体と思っちゃう。まあ、音楽以外にもアオミくんのニヒリストな部分とあみこの諦念感が合致してしまったというのもあるけども、とりあえず運命共同体だと思ってしまう。ただし、あみこだけ。

結局、アオミくんは大衆文化とあみこが評する先輩に取られてしまう。それどころか、その先輩のヒモに成り下がる。そしてアオミくんが言うのは「俺が好きなのはサンボマスターだし」と。

がーんだ。でも、あみこ、趣味で人を簡単に好きになってはいけない。なんてことを言えるわけもない。10代の頃は趣味が合うなんてことは奇跡に近いことなのだ。運命共同体に思っちゃうのだ。地方でくすぶっているサブカル少女は余計にそんなことを思っちゃうのだ。

長野県から、東京へあみこは行く。そのときの服装はセーラー服に、コートとマフラー。この服装を見て「セーラー服は戦闘服やん」と思ってしまった。バイ相対性理論である。相対性理論いうても、アインシュタインの方じゃ無くて、やくしまるえつこの方で、もっと言えば真部脩一在籍時の相対性理論の「地獄先生」だ。セーラー服は戦闘服なのだ。いつだって女子の戦闘服なのだ。好きな人に会いに行くのだから、戦闘服で行くわなと思ってしまった。

勝手に好きになって、勝手に思いをたぎらせて、それで悶え苦しみ、走り抜け、気がついたら東京へって、そんな行動をするあみこのことを見ていたら、気がついたときには俺の魂はナンバーガールのライブアルバムを再生していて、向井さんが「そんなあの子のことは透明少女」って言って、ぎゃぎゃぎゃぎゃがぎゃぎゃぎゃと田淵ひさ子のギターが聞こえた気がした。透明少女だ。あみこは透明少女だ。レディオヘッドが好きで、セーラー服で武装した透明少女だ。そんなあみこに俺こと28歳男性はやられていた。完全にやられていた。打ち抜かれていたのだ。あみこの言動の全てにやられてしまったのだ。

衝動的かと思ったら理性的、と思ったら衝動的。そんなあみこの言動は、このままこの映画の作りにも言える。衝動的に撮られているようで、理性でコントロールされたカットの数々。かと思えば、衝動的に撮られたとしか思えないカットもしくは編集のテンポ。この2つが共存している映画なのだ。めちゃくちゃメロディと歌詞がいいけども、ところどころ荒削りとしか言い様のないパンクバンドの1stアルバムのような映画だった。でも、映画なんて衝動的で作れるもんじゃない。山中監督は衝動性を理性でちゃんとコントロールしている監督であると思った。どこがってわけじゃないけども、なんつうか、独りよがりになっていない、開けた視点があるように思った。それは「面白い映画を作ってやる」という気概なのか。初めての映画作りという必死さが産み出したものなのか。3日しか無かったという編集段階での勢いなのか。SNSで見つけたという役者達のフレッシュな演技がもたらすものなのか。切れ味の鋭い台詞が貫くものなのか。とにかく俺には何がどうなって産み出されたかなんてわからない。でも、その全てが詰まっているのがこのあみこという映画なのだろう。俺はとにかくこの映画の持つエネルギーに打ちのめされた。

俺自身の話になってしまうけども、小説を書いている身としてはもっとやらなきゃという思いになった。何がってわけじゃないけども、これくらいのエネルギーをぶち込まなきゃと思った。ぶち込むのだ。エネルギーを。あみこの躍動を納めたこの映画のように、俺もぶち込まなきゃいけないと思った。

そんな風に、思わせる映画だった。

感想としては以上で、酷い感想だ。でも、とにかく衝動的に記したい気分になったので、ここに書いた。出来不出来なんてわからない。俺は山中監督のように、理性ではコントロールできてないのかもしれない。けども、とりあえずあみこを見た衝動だけは記しておきたいと思った。

不出来な感想で申し訳ない。ただ、あみこは素晴らしい映画だ。ぜひ見て欲しい。

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