夢の中で昔好きだった人が出てきたけども夢の中ですらうまくしゃべれなくて私は起きてそのことに絶望する。夢ですらうまくしゃべれない私はどこでうまくしゃべることができるのだろう?
起きて自分の現状に絶望する。絶望するのは簡単だ。ただただ目の前のことを認識すればいい。私の現状は休職一年、もうすぐ休職期間が切れかかっていて、復職の目処は立っていない。このままいけば退職することは火を見るよりも明らかで、それを認識しては口の中に苦い物が広がっていく。
この部屋には2年以上住んだ。もうすぐ3年目になろうとしている。物が沢山ある部屋。そして借り上げ社宅。退職となったら貯金もない私はこの部屋の物を出来るだけ処分して、そして実家のある大阪に帰らなきゃいけないだろう。
でも実家に戻ってどうする?またやらなきゃいけないことが沢山ある。新しくメンタルクリニックを探して、貯金を見ながら身体の調子を整えていって、そして仕事を探さなきゃいけない。
当たり前といえば当たり前のこと。でも、目の前に存在する当たり前にこなさなきゃいけないことに対して今はなんていうかただただ辛く、そして険しい山のように思える。
一年。あまりに早かった。そして治らなかった。私の身体は治らなかった。そして休職期間が切れる。そして退職へ。わかりやすいルート。
幸せになりたかったなと思う。幸せが何かわからないけども、少しばかり心の安寧みたいなものが欲しかったなと思う。
ようやく身体の調子が戻ってきたのにもかかわらずここで、このメンタルクリニックでの治療が打ち切られて、実家に戻るのもとてもじゃないけど受け入れることができない。
人生はままならないものだと、菊池成孔のラジオを聞いているとある曲の歌詞を和訳してそう繰り返していた。そう人生はままならないものだ。いつも間に合わない。いつも失敗してしまう。
それでもそれなりに生きてきた。失敗を繰り返して生きてきた。それでも間に合わなかった。ただそれだけのことなのだ。
私は、今回も間に合わなかった。
友人に相談した。友人はとても頭の回転が早く、そして冷静だ。だからこう言った。一ヶ月できることをやるんだと。
まだ終わったわけじゃない。一ヶ月やれることをやる。外にでる。出る時間を伸ばす。身体がこれだけ動くんだとアピールをする。
それはまだやれる。
でも少し前まで一日3時間しか身体が動かなかった人間にそれは可能なのだろうか。一日8時間最低でも動かすことができないと復職できないと聞いた。それが可能なのだろうか。難しいと思う。苦しいと思う。でも何もやらないよりはましだと思う。
いつだって希望は残っていると誰かが言った。菊池成孔は人生はままならないものだと言った。どれも正しくて、どれの言葉も今はすがりたい。
助けて欲しいなと思う。誰に向けての言葉かわからないけども、助けて欲しいと思う。
でも、みんな自分の人生で精一杯なのだ。助ける余力なんて誰も持っちゃいない。
だからなんとかすべきなのだ。自分で、私の力で、私の少ない余力で。
「もう少し時間があれば」とメンタルクリニックの先生は言った。
もう少し時間があれば変わったかもしれないのに。
やっぱり間に合わなかったのだろうか。
今から間に合わせることは可能なのだろうか。
ドトールの隅っこでこの文章を書いている私の一ヶ月後はどうなっているのだろうか。
一ヶ月後。復職ができました。ありがとうございます。な未来もあるのだろうか。
それとも、やっぱり間に合わなくて、部屋を引き払って実家に帰っているのだろうか。
そんな未来すら見えなくて、ぼんやりとコーヒーを啜り飲む。
やっとよくなってきたのになあ。
やっと身体が動くようになってきたのになあ。
エレファントカシマシのEASY GOを私は聞く。「神様俺は今人生のどのあたり」と叫びはとても響く。
神様、俺は今人生のどのあたりなんだろう。私はどのあたりまで来れたのだろう。どのあたりまでしか来れなかったのだろう。どこへ向かっているのだろう。必死に生きてきたのになあ。そうでもなかったのかなあ。やれることはやってきたけどそうじゃなかったのかなあ。
いろんな後悔が頭の中で渦巻いている。でも、それでも諦めちゃだめだとも思う。
あと一ヶ月。諦めずにやっていこう。復職するのがベストだとは思わないけども、それでもそれを目指してやってきたのだ。それを自ら手放してしまうほど馬鹿じゃ無い。
やれることをやろう。まだやれる。やれるはずだ。
夢に昔好きな人が出てきた。うまく喋ることが出来なかった。でも、今度出てきたら夢の中でもいいからうまく喋れたらいいと思う。
そんな風にしてなんでもいいから昔の自分よりは良くなっていきたい。
それだけのことなのだ。
それだけのことだ。