にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

短編小説『ランプ・妖精・ミルクフランス』

 ランプの中には妖精がいて、その妖精が光を放っているものだと私は子どもの頃信じていた。すべての光は妖精の光。私はそう思っていた。どのタイミングで真実を知ったのかは今となっては思い出せない。でも、どこかの瞬間にランプの中に妖精なんていないこと、そもそも妖精なんていないことを私は知ってしまって、あとはどうしようもない現実に向き合うしかなかったのだ。

 


 「向坂さん」

 と私の名を呼ぶのは先輩の竹柴さんで、書類の束を渡される。これこれを何時までにお願いねと言われながら渡される。私はうなずいて、処理し始める。あの書類は2時までに、この書類は3時までに、ちゃっちゃっちゃと処理していく。パソコンの画面を見続けて目がしょぼしょぼしてくる。ドラッグストアで買った一番疲れ目に効くという赤色の目薬を目に刺す。目をしばしばと瞬かせて、書類の山に目をやると、そこに小さな妖精のようなものがいる。

 あっと思わず声をあげてしまって竹柴さんが「どうしたの?」と聞いてくる。私はなんでもないですって言って、もう一度書類の山に目を通すと、やっぱり小さな妖精がいて、こっちをじっと見ている。小さな妖精は二頭身で、白い肉付きのいい身体をしていて、もののけ姫に出てくるあの小さなやつみたいだなと思う。でも、あいつと違って妖精だと認識したのは羽が生えているからで、それがなかったら、私は何か別の物だと認識していたに違いない。

 何度瞬きしても、その妖精は消えないので、見えてしまったと私の脳は認識してしまう。妖精がついに見えてしまったのだ。

 しかし、見えてしまったからと言って、どうなるものではない。私は終わらせなきゃいけない書類が山のようにあって、やらなきゃいけない仕事が鬼のように迫っていて、そんで、そんで、そんで。

 とにかく妖精にかまっている暇なんてないのだ。

 そうだ、妖精にかまっている暇なんてない。

 私は仕事の続きをする。

 ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃ。とこなしてく。エクセル、ワードを使いこなして仕事を終わらせていく。

 その間も視界の隅に妖精はいて、妖精は私の席の周りをずっとうろうろしていた。一度しっかり妖精の姿を見たとき、妖精は踊っていた。正確に言えばボックスを踏んでいた。妖精ってボックス踏むんだ。

 4時になった。書類の山は徐々に減っていく。もう少しで、山は山でも天保山くらいになる。小さな山になる。

 また目がしょぼしょぼしてきたので赤い目薬を注す。そういえば妖精が見えるようになったのは、この目薬を注したからだった。つまりはもう一度注せば妖精も見えなくなるのではないか。そう思って、注して、目をしばしばしばしば。書類の山に目をやると、やっぱり妖精はいて、妖精は私の目にしっかり見えて、あーやっぱ見えんじゃんって思ったら妖精は口を開いた。

 「見えてるんでしょ?」とかわいい声で私に向かって言い放つ。

 「うわっ!」と私は思わず大きな声をあげてしまった。社内中の人々が私を見る。

 どうしたどうした。とざわざわざわ。竹柴さんも心配そうに話しかける。私は思わず、言ってしまう。

 「あっ、なんかやばいくらい頭痛してきたので、今日は帰ります」

 

 

 

 帰れることになった私は家に帰る途中の電車の中で、心療内科の予約を入れる。妖精が見えるなんてこと心労以外にありえないとやっぱり思ったのだ。そうだ、あのときは仕事をぶわーってやってたから正常な判断が出来なかったけども、これは心労以外にありえない。妖精なんていないんだから、そうだよいないんだよ。

 でも、妖精は私のバッグの中に入り込んでいたらしくて、電車の中座っていたら、バッグの中からもぞもぞと出てきて、私に話しかけてくる。「ねーねー見えてるんでしょーねーってばー」

 私は一切無視する。疲れているだけだ。私は疲れているだけ。そう、疲れているだけなんだって。

 そう思いながら、家の最寄り駅に降りて、家に帰る途中も、ずっと妖精は私の周りを飛び回っている。

 ぶわわわわわわ。と羽音を響かせて、私の周りを飛び回る。

 「ねーねー」

 見えてない。見えてちゃだめなんだって。ずっと私は私を納得させようとする。心療内科の予約は取るのが難しくて1週間後になった。この心労をかかえて1週間過ごすのは辛いなって思ったし、心療内科の先生にはどう説明したらいいかわかんない。妖精が見えるようになったんです。あらそうですか。じゃあ、精神安定剤ですね~の未来しか見えない。そして現実は妖精が見えてるし、話しかけてくる。

 狂いそう。いや、狂ってしまっているのか。

 ぶわわわわわわと聞こえる羽音をシャットダウンさせるために、イヤホンを耳に差し込んで、音楽を流す。システム・オブ・ア・ダウンを聞く。大音量で聞く。ぶわわわわわって羽音は轟音にかき消されて聞こえなくなる。でも、妖精は私の前に飛んできて、私の前で口を動かす。声は轟音で聞こえないけども、何言ってるかはわかる。「無視しないでよ」って。

 


 家に帰って、私はベッドに倒れ込む。どうしよう、私、狂ってしまった。狂ってしまった私のことを今後誰が助けてくれるのだろうか。というか、狂ってしまったら今後私はどうやって生きていけばいいのだろうか。妖精が見えるようになりましたなんて、閉鎖病棟一直線だ。というか、薬物検査とかもされるのだろうか。私、クリーンに生きてきたはずなのにな。

 と思っていたら、妖精は私の枕元までやってくる。

 「ねー、ここだと誰もいないから話してもいいんじゃない?」

 ともっともなことを妖精は言ってくる。

 ああ、そうだ、私は妖精と一切コミュニケーションを取らずにここまでやってきた。家までの間一切、話すことなく。だって話してしまったら、私は本当に狂ってしまったことを誰かに見せてしまうからだ。でも、この家の中ならば、まだ大丈夫かもしれない。誰もみていない。

 「・・・あなたは妖精?」

 妖精はボックスを踏みながら私に答える。

 「そうだよー」

 「なんで、私、あなたの姿が見えてるの?」

 「それはねー、わかんなーい」

 「私、狂っちゃったの?」

 「それもねー、わかんなーい」

 「じゃあ、なんでコミュニケーション今できてるの?」

 「それもねー、わかんなーい」

 妖精との会話は以上のように不毛なものであった。その間、ずっと妖精はボックスを踏み続けていた。もう、私はだめかもしれない。故郷の母の姿を思い浮かべていた。この前、年末に帰ったら、少し小さくなっていた母の姿。母になんて言えばいいのだろうか。妖精が見えたよ。ああ、母は泣き出すだろう。あんだけ手塩にかけて育てた娘が狂ってしまったなんて。

 「ねーねーお願いがあるんだけどもー」

 とボックスを踏み続ける妖精が私に尋ねてくる。

 何?と聞く。

 「一緒に神戸に行って欲しいんだけどもー」

 

 

 

 翌日、私は高熱が出たと言って会社を休むけども、高熱なんて出ていなくて、妖精を連れて新幹線に乗って神戸に向かっている。

 「あのねー、神戸にあるイスズベーカリーってパン屋さんのミルクフランスが食べたいんだー」と妖精は言った。あ、そう。神戸ってここから凄く遠いよって言ったら「だからこそー見えてる向坂さんに頼んでるんだよー」って妖精。

 何で私の名前を知ってるの?って言うと「だってずっといたじゃんー」って妖精は言う。そう言われても、私はあなたのことを知らない。でも、妖精はずっとボックスを踏み続けているし、正直仕事に戻れる気がしていなかった私は神戸行きを了承してしまう。

 新幹線の車内の中で、ぼんやりし続ける私を横目に席についている小さなテーブルの上でも妖精はボックスを踏み続けていた。

 「楽しみだなー神戸初めてなんだよなー」

 喋りかけることに抵抗があった私は携帯のメモ帳を開いて、書き込む。

 ”なんでそのミルクフランスが食べたいの?”

 「だって、向坂さんと一緒に聞いたじゃん」

 "何を?"

 「星野源オールナイトニッポン

 そういえば、一年前くらいの星野源オールナイトニッポンtofubeatsがゲストで出ていた時に神戸のイスズベーカリーのミルクフランスが美味しいって話題になっていたはずだ。

 私はそのラジオを家で一人で聞いていた。そのときからいたってこと?

 "あなたってずっと私の近くにいたの?"

 「うーん。いたりいなかったりだよー」

 ”どういうこと?”

 「ぼくだって、あちこちいきたいときがあるんだものー」

 って言って、ボックスを踏み疲れた妖精はそのまま寝てしまった。

 


 神戸に初めて来た。

 そもそも、そんなに旅行しないし、住んでるところからあんまり離れたこと無い。出不精なタイプなのだ、私は。でも、今日は妖精に言われるがまま、神戸まで来てしまった。何をやってるんだ私は。と思うけども、神戸のイスズベーカリーのミルクフランスは私も食べたかった。それこそ「星野源オールナイトニッポン」で紹介されたときに、食べたいって思ったのだ。でも、私が住んでる場所から神戸は遠すぎる。だから行くことはなかったのだ。

 今日は来ている。神戸に来ている。

 新幹線を降りて、在来線に乗って、イスズベーカリーがあるという駅に降りたって、イスズベーカリーに向かう。

 イスズベーカリーは坂道の途中にある。

 「あ、あったよー!」私の周りを飛び回る妖精が嬉しそうな声を出す。

 わかってるよ。見えてるんだもの。

 私は店内に入って、トングを持つ。かちかちかちとならす。

 「なんで、それをかちかちさせるのー」無視。なんで、とかわかんないし。それより早くミルクフランスを買おう。

 ミルクフランスは店内のわかりやすい場所に陳列されている。私はそれを二本買う。1本は私用で、もう1本は勿論妖精用だ。

 買い終わり、外に出る。どこで食べようかと悩んでいると「ねーねー」と妖精が話しかけてくる。

 「あそこまで行ってみようよー」と妖精は指さしながら言う。その指の向こうには長い長い坂道があって、その向こうに丘がある。

 


 私は丘を上る。「がんばれーがんばれー」と妖精は言う。

 羽をぶんぶんさせて疲れないのかなと思うけども、妖精は全く疲れた様子を見せない。私はといえば、もう少し坂を歩いただけで、ぜーはーぜーはーと息を切らしている。いつも、家と会社の往復だけで、運動なんてしてないからもう全くだめだ。坂なんて上るんじゃなかった。こいつの口車に乗ってしまったらだめだ。後悔しかない。会社を休んで、神戸まで来て、パン屋でパンを買って、そして丘を上ってる。何をしているんだ私は。

 本当、何をしているんだろう。会社で大声だして、早退して、休んで、神戸まで来て、パンを買って、丘を上って、しかもそれが全部妖精のせいだなんて、こんなの狂人の行動だ。

 「ねえ」と私は妖精に話しかける。

 「なにー」

 「本当にいる?」

 「なにがー」

 「あなた」

 「ぼくー?いるよーほらほらー」と私の周りをぶんぶんと飛び回る。うるさい。

 「じゃあ、なんで急に見えるようになったの?」

 「だからーそれはわかんないってー」

 「わかんないって、言われても、こっちがわかんないよ」

 「でも、見えるようになってくれたから、神戸にこれるようになったから僕はうれしいなー」

 「はあ」

 「神戸、ずっと来てみたかったんだー」

 「はあ」

 「来たくなかったー?」

 「来てみたかったけども」

 「じゃあ、よかったじゃんー」

 「よかったって・・・」

 私はそこで、話すのをやめる。通行人が通りかかったからだ。妖精は多分相変わらず私にしか見えていないはずだ。多分だけども、だって、こんなのが周りに飛び交っている人間を見かけたらみんなぎょっとするはずだけども、行き交う人々の話題に「今の何?」みたいなのは一切無い。つまりは私にしかやっぱりこいつは見えてない。最悪だ。

 


 丘を登り切ると観光用の建物がいくつかちらほらと、公園があった。「ねーあそこに座ろうよー」と公園の中にあるベンチを妖精が指さす。

 疲れ切っていた私は妖精に言われるがまま、ベンチに向かって腰を下ろす。はあ。と声が出る。疲れた。本当に疲れた。

 「ねーねー、食べさせてよー」

 と妖精はミルクフランスを求めてくるので、袋からミルクフランスを一つ取り出して、妖精に渡す。

 「ありがとー」

 と言って、妖精は自分の身体の3倍くらいあるミルクフランスをかじり始めた。

 私も、ただ座っているのもなんなので、袋からもう一つのミルクフランスを取り出して、食べ始めた。

 美味しい。ミルクフランス、美味しい。私は夢中になって食べる。tofubeatsが言っていただけあるわ。ミルクフランス超うまいわ。

 「おいしいねー」気がついたら半分ほど食べている妖精が話しかけてくる。

 「うん」

 「来て良かったでしょー」

 「それはどうかわかんないけども、まあ美味しい」

 「本当、素直じゃないんだからー」

 気がついたときには私はミルクフランスを食べ終えてしまう。美味しかった。

 「美味しかった」

 「美味しかったねー」妖精も時を同じくして、身体の三倍はあったはずのミルクフランスを食べ終えている。どこにそんなのが入る余地があるんだ。と私は思う。

 「ねえねえー」

 「何?」

 「今日は連れてきてくれてありがとうねー」 

 「まあ、いいけども」

 「久しぶりにしゃべれてよかったよー」

 「久しぶり?」

 「覚えてないのー」

 「うん」

 「まあ、これからもーずっとそばにいるからねー」

 と言って、妖精は気がついた瞬間には消えている。あっという間に消えている。えっ、と言った瞬間には消えている。私1人を神戸に取り残して、妖精は消えてしまった。

 


 「そういえば昔、あなたよく1人でライトに向かって話しかけてたねえ」と母。

 帰り道、私は久しぶりに電話をして「昔、私、妖精が見えるとか言ってなかった」と聞いていると案の定の答えが帰ってくる。

 「子どもの頃はよくやっていたけども所謂イマジナリーフレンドのたぐいだと思って、あんまに気にしてなかったね」と母からそっけない回答。

 「で、どうしたの?」

 「いや、なんとなくそんなことを言っていたと思い出して」

 「あっそ。今度はいつ頃帰るの?」と後はおきまりの言葉。でも、この一件があったから、近いうちに帰ると言っておく。なんとなくだけども、久しぶりに実家に戻って休養するのもいいかもしれない。私は頑張りすぎていたのだ。

 神戸弾丸旅行を終えて、家に帰った時にはもう疲れ果てて、またベッドに倒れ込んだ。すると、枕元に、買った覚えのない小さな間接照明があるのが見える。

 私はなんとなくそれを点灯させてみる。

 


 翌日、会社に私は戻る。仕事もする。でも、以前よりは頑張らないようにする。あんまり頑張りすぎるのもよくないと思ったからだ。でも、相変わらず山のような量。毎日、こなすので精一杯。

 心療内科の予約はキャンセルする。私は暫定的に、狂ってないって思ってキャンセルする。まあ、狂っていたっていい。どっちにしろまだ人には迷惑はかけてない。自分も困っていない。

 あとは、たまに実家に帰るようになる。実家に帰ってぼんやりする時間を増やす。そのほかでいうと、旅行にも行くようになる。各地のパン屋を巡る。いろんなパンを食べる。それが自分のリフレッシュになる。

 そして、パン屋に行くと必ず二本は買うようにする。一本は自分のために。そしてもう一本は言わずもがな。

 私は家に持ち帰ると、間接照明の隣にそっと供えておく。

 次の日、だいたい供えていたパンが無くなっている。

 これは私だけの秘密だ。

 誰に言っても理解されない。私だけの秘密。だから、何度引っ越ししてもその間接照明だけは持って行く。結婚して、子どもが出来ても、その間接照明だけは持って行く。

 なんでパンを間接照明に供えるの?って夫に聞かれても、はぐらかす。それだけは私の秘密だ。

 

 ある日、子どもが間接照明に話しかけているのを見る。私はなんとなく笑ってしまう。

 子どもが言う。

 「ねえねえ。あのね、妖精ってランプの中にいるんだよ」

 そうだね。いるんだよ。妖精は、ランプの中に。

 

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