フィリップ・K・ディック作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んだ!
初フィリップ・K・ディック(以下PKD)である。27歳男性のタイミングでなぜ読もうと思ったかというと、好きなアイドルの西田藍さんのインタビューを読んだりしていたら西田藍さんの壮絶な過去のうおーとなり、なんかもやもやしているうちに西田藍さんの好きだというものをちゃんとふれなければとなり部屋の片隅で眠っていたPKDのこの本を読まなきゃとなったというとても気持ち悪い理由。
だってさ!好きな人が激押ししてるものってめっちゃ気になるじゃん!というわけでそういうことです。はい。気持ち悪いっすね。
というわけで読みました『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
もう私が今更感想を書いても仕方ないというほどの本でございますが、このタイミングで読んで、この本を読んだ私という存在は単一なため感想書きます。
あらすじ。
めちゃくちゃ荒廃した未来で、アンドロイドが脱走したので、賞金稼ぎのリック・デッカードはアンドロイドを処分しにあちこち走り回るよ!
この小説を原作にした映画といえば『ブレードランナー』。私は毎回見通そうとしても、開始から30分目のところで寝てしまうあの映画。
しかし、あの未来映像はとても心をうつものでした。
降りしきる酸性雨。
ネオンに満ちた街。
多国籍かつ無国籍な町並み。
変な料理を出す屋台・・・
といったものは全部この小説に出てこなくてめちゃくちゃびっくりした。
フォクト=ガンプ検査法やホバーカーは出てくるけども、それ以外は全く出てこない。
そこの部分にびっくりしたよー。
その代わり強調されているのが、動物の存在。
最終戦争によって動物がほとんど死滅してしまっているので生きている動物を買うことが、ステータスになっている世界が舞台。
デッカードは所有している電気羊の代わりに生きている動物を買うことを目標として脱走したアンドロイドを処分しようとするのだった。
というわけで電気仕掛けの動物というのが沢山出てくる。
本物そっくりだけども、電気仕掛けの動物。
そうじゃなくて生きている動物をなんとか所有させてくれ~とあちこち駆け回るデッカード。脱走したアンドロイドを6体処分することはできるのだろうか。
個人的に電気仕掛けの動物というのが気に入った。
生きた動物に比べたら最悪ということだったけども、電気仕掛けの動物、なんて素敵なのだろうか。
終盤には電気仕掛けのガマガエルというのが出てくる。
そのえさとして、電気仕掛けの蠅が必要になるというディティールには唸ってしまった。
電気仕掛けで飛ぶ蠅を飛ぶ、電気仕掛けのガマガエル。
なんて素敵な荒廃した世界なのだろうか!
本物の人間とそっくりに作られたアンドロイドと人間を見分けるのはフォクト=ガンプ法というテストである。
それは感情移入のテストである。アンドロイドには人間と同じような感情移入ができないため、そこで判断するというものだ。
感情移入こそが人間が人間であると見分けるものだという前提になりたったテストである。
しかし、物語が進むうちにデッカードは悩む。
俺は本当に人間なのか?
アンドロイドなのではないか?
人間とアンドロイドを分けるものはなんなのだろうか?
地獄巡りの末にデッカードは一つの結論に達する。
どんなものにも命があるという結論だ。
殺してきたアンドロイドにも。それは砂漠で拾った電気仕掛けのガマガエルにも。勿論自分たちにも。
そこには分けるものはない。
そんな風に気がついたりする。
アンドロイドの命というテーマは今後も繰り返し語られるテーマだ。
それこそ最近でもドラマ『ウェストワールド』でも語られゲーム『ニーア・オートマタ』でも語られた。
そんな後発作品の原点としても面白い一冊だった。
にしても、電気仕掛けの動物店とか行ってみたい。
電気仕掛けの猫とか見てみたい。