「哭声/コクソン」を見た!
わからない。という感覚に陥ることは気持ちがいい。
その上、翻弄されるともっと気持ちがいい。
「コクソン」はとにかくわけがわからない。
見終わっても「國村隼」の本当の目的はなんだったのか?
あの祈祷師はなんだったのか?
あの女の正体は?
あの村はどうなっていくのか?
全て答えが用意されているわけじゃない。
でもとにかく気持ちがいい。
翻弄され続ける150分に、ダウナーな状態で見たにもかかわらず、そして後味は悪いにも関わらずもう気持ちは高揚しっぱなしだった。
というわけで僕は未だにこの映画がつかめていない。
ストーリーの解説もできやしないし、各シーンの意味も、暗喩もわかっちゃいない。
それでもとにかく気持ちがよかったのだ。
ドライヴし続ける映画だと思った。
始まってから終わりまでとにかくこの映画はドライヴし続ける。
一瞬たりともブレーキを踏まず、むしろアクセルをベタ踏みしてドライヴし続ける。
そのドライヴの要因になっているのが國村隼!
なんせ國村隼だ。
もう國村隼という俳優の魅力がこれほどまでにつまった映画が作られるなんて。しかも韓国で!
國村隼という人は怖い。
顔が怖い。声が低くて怖い。
しかしどこか優しげな瞬間も見える。
だから怖い。真意が見えなくて怖い。
そんな魅力がずっとずっとドライヴし続ける。
ふんどし姿で鹿を丸かじりする國村隼!
ふんどし姿かつ赤い目で襲いかかる國村隼!
滝行する國村隼!
家を壊される國村隼!
太鼓を叩きながらトランス状態に入る國村隼!
そしてラストにはあんな國村隼!
悪魔國村隼!!!
は~ええもん見せて貰った。
國村隼の7変化を見るだけで元がとれたというものです。
しかしまあ、ここまで登場人物達が傷つく作品も珍しいのではないでしょうか。
とにかく皆が皆傷ついていく。肉体的に傷ついていく。
ぼろぼろ~になっていく。
主人公は血まみれになって、ベッドを起き上がる時でさえ、タンスに頭をぶつけて。
もう徹底的だ。
身体への傷が人を不安にさせることを知っている。
とにかく傷が一つでもあれば、人ってのは不安になるものだ。
血が流れたらその日一日不安でしかたない。
傷がつくということは、もう安全地帯にいられないという証明であるわけで、肉体的にも精神的にも徹底的に傷ついていく主人公を通して我々観客もとにかく不安になる。
その極地がクライマックスの問答シーンでありましょう。
クライマックスは「誰が正しくて、誰が間違っているのか?」を徹底的に考えさせられる。
今まで見た物からなんとか予想しようとする。
でも、どれもこれも答えが見当たらない。
教えてくれよ!誰が本当のことを言ってるのか!と思うけども、それは考えなきゃいけない。頭を回転させろと告げるけども、頭は150分のドライヴでうまく動かない。
変わり続けるジャンル。コメディ、サスペンス、ホラー、アクション、超常現象、ゾンビ、エクソシスト。
そして立ちこめ続ける瘴気によって、我々も主人公も冷静な判断は出来なくなっているのです。
誰も彼も怪しく見えて、でも守りたいものはおかしくなっていて、どうしたらいいのだよ!と走り出した先にははい絶望どーんなラストにぐぬぬぬぬぬ。
ナ・ホンジン監督よ~!と唸ってしまいました。
ナ・ホンジン監督作品だと一番好きなのは『チェイサー』ですが、一番振り回されて一番いろんな意味で衝撃度が突き抜けているのはこの『コクソン』だと思います。
とにかくもう、すごいのなんの。
ここまで全部盛りに映画ってできるのか~と驚きっぱなし。
終始エネルギッシュ。
登場人物は走り回り、転げ回り、叫び、飯を喰い、物を壊しまくり。
韓国の人らは凄いの~としみじみ思ってしまいました。
このエネルギッシュさは見習わないといけないな~。
だってこんな山間部の村で起きた大量殺人死を描いた映画でじめじめ感を保ちつつ同時に走り抜けるってことができますでしょうか。わかんないけども、すんごいことしてるんじゃない?
ナ・ホンジン凄いことしてるんじゃない?
ナ・ホンジン監督の映画は好き嫌いあれど「なんか凄い感」がひしひしと伝わってくるのがもう毎度のことやられてしまいます。
落ち着きなんて一切見せずにこれからもめちゃくちゃな映画を作って欲しい。
観客の顔にパンチしまくるような映画をこれからもどんどん作って欲しい。
好きなところを書くと謎の女を演じてたチョン・ウヒさんの顔がどちゃくそにタイプでした。
途中「ここで待ってろ」って言われたあとに「うんうん」ってうなずくところとかめっちゃかわいかった。
あそこのGIF動画誰か作ってくれ。
永久に見ていたい。
というわけでコクソン。凄かったです。
なにがなんだかわかんないけどもパワフルな映画が見たいという人に勧めたい。そんな一本でした。