にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

映画『メッセージ』を見た!

メッセージを見た。

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 あらすじ。

 柿の種みたいな宇宙船が突如として地球に飛来。

 彼らの言葉を翻訳するように命令を受けた言語学者の運命やいかに。

 


以下ネタバレありの感想文。

 

 

 

 「人生ってのはチョコレート箱のようなもの、開けてみるまでわからない」ってのはフォレスト・ガンプの有名な一説だけども、いやいやチョコが入ってるのはわかっとるやないかいってツッコミもありました。

 そもそもでいうと12個入りのチョコレート箱ならば、12個食べてしまうともう空になってしまうこともわかっていて、チョコレート味がチョコレート味だということもわかっていたら、未知の体験なんてものは期待できない。

 しかしそれでもチョコレート箱を買ってしまうというのが人間なのではないのでしょうか。

 もう12個食べてしまえば空になってしまうチョコレート箱を、未知の体験になるなんてわかっていないチョコレート箱を買ってしまうのが人間なのではないでしょうか。

 「メッセージ」はそういう映画でした。

 


 始まりと終わりが無い言葉をやってきた宇宙人である「ヘプタポッド」達は使います。その言葉は行になっていて、その言葉を解析するうちに、主人公はある能力を身につけていきます。

 それは終わりも始まりもない時間感覚。

 未来も過去も並列で見ることができる時間感覚。

 それによってある男との結婚、そしてその男との間に子どもの姿を見て、男との結婚が失敗に終わって、その子どもの成長を見て、その子どもの死を見ます。

 その悲劇的な一生を見ます。

 それでも、その未来を選ぼうとする。

 なぜ。

 なぜといえば、我々はみんなそうであるから。

 


 私たちは生まれた瞬間から「死」という終わりには逃れられない。 人生最大のネタバレを食らって生まれてくるわけです。

 「死」という最大級の不幸からは誰しもが逃れることができない。 もしくは「子」を作る場合は、その子に「死」という不幸が訪れることを理解して作るわけです。

 そんな「死」があるなんて、わかっているのに、なぜ作るか。

 「死」があるのになんで生きるか。

 だって、そこには一瞬でも喜びがあるから。

 その瞬間、瞬間はわずかかもしれませんが「喜び」が確かにあるから。

 それだから人は生きているし、そして「死」という終わりがあるにも関わらず、生きていくことを選ぶわけです。

 「死」からは誰も彼も逃れられない。でも、ヘプタポッドの言葉や考え方をすれば、始まりも終わりもない、全ては丸くつながっている。

 私たちの人生の始まりは?

 父と母が出会って、その先に私たちが生まれた。

 その前は?その父と母の父と母達が出会って、生まれていった。

 その先は?まだわからないけども、もしかしたら出会って、そして生まれていくのかもしれない。

 始まりも終わりもまだない。

 始まりも終わりもない。

 おのおのに「生」と「死」はあるけども、それは始まりと終わりじゃない。

 ずっと続いていくものなのだ。

 それはずっとずっと。

 

 人はいつか死ぬ。必ず死ぬ。それはいつかはわからない。

 今日かもしれないし、明日かもしれない。

 遠くの未来かもしれないし、近い未来かもしれない。

 だからこそ私たちの人生の物語がいつ始まったかを知らなきゃいけない。

 死という私たちの終わりがあるからこそ、理解しておかなきゃいけない。

 劇中、もし「未来が全て見通せたら?」という問いが出される。

 その回答は「一つ一つに気持ちを入れていく」というもの。

 死が待っているというのはあまりに辛すぎる現実です。

 でも、それだからといって生きることを躊躇する理由がどこにありましょうか。

 生を諦める理由がどこにありましょうか。

 生の喜びを享受しない理由がどこにありましょうか。

 一瞬、一瞬の喜びに満ちた瞬間を受け取ること。

 それこそが、始まりと終わりがあって、始まりと終わりが無いこの生と死の中で生きていく理由なのではないでしょうか。

 

 

 

 回想に思われた冒頭が実は未来の映像(フラッシュフォワード)だったことに驚きながら、もう一度繰り返されるラストには涙がとまりませんでした。繰り返されるマックス・リヒターのオン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライトの音楽を聴きながら、目が痛くなるほど泣いてしまったのは、その後待ち受けている過酷な運命とそれでも抗い、確かに生きていこうとする姿に心を動かされたからでしょう。

 そしてこれは原作のタイトル通り「あなたの人生の物語」でもあることを理解したから。

 親と子、世界と宇宙、喜びと悲しみが入り交じったこれを人生と呼ぶならば、確かにこれは「わたしの人生の物語」なのです。

 

 人生はチョコレート箱のようなものだ。味もわかっているし、12個食べてしまえば空になってしまう。

 それでも買ってしまうし、それでも食べてしまう。

 それを不幸と呼びましょうか。

 いえ、絶対に違う。

 それこそ、生きているということ。

 そしてその渦の中にいるということを、その悲しみを、その喜びを、私たちは忘れてはいけない。

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