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アン・ウォームズリー『プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』を読んだ!

アン・ウォームズリー「プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年」を読んだ!

 

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カナダにあるコリンズ・ベイ刑務所。そこで読書会が行われた。
刑務所で読書会と聞いてもあまりピンとこない。
そもそも刑務所にある本なんて、中がくりぬかれていてその中に武器が入っていてるんじゃないですか。
聖書の中にプラスチックスプーンを削ってナイフにしたものを忍ばせておいて、食堂に皆が集まるときにその聖書を持って行く。ターゲットはマイケル。奴は俺の妻と子供を殺した。俺はその復讐のためにこの刑務所に入ったのだった。俺は聖書を開く、くりぬいたページの一部が目に入る「汝の敵を許せ」。くそが。俺は小さくつぶやき聖書からナイフを取り出す・・・
ってシーンでくらいしか、本って出てこないイメージじゃないですか。
しかしながら、刑務所で読書会は成立したのです。
本書はその読書会にボランティアとして参加したジャーナリストのアン・ウォームズリーによるノンフィクション本である。

 

 

僕はこれまでのところ刑務所に入ったことはないのですが、映画やドラマで見る刑務所ってめちゃくちゃ荒れているので、僕なんかが入った日には「おいフィッシュ!(新入りのことをフィッシュと呼ぶ)てめえの趣味はなんだ?」「あ・・・う・・・読書とか映画です・・・」「なんだおめえ!ここは幼稚園じゃねえぞ!ママのところにかえって乳でも吸ってな!!」と煽られるか、何年もの渡ってけつを掘られ続けるか、もう悲惨な末路しか見えない。辛い。

どうやら現実の刑務所も同じようで、話すことといえば皆、犯罪歴の自慢ばかりだそう。そして傷害事件もしょっちゅう起きているよう。人間関係も同じ人種や同じようなグループで固まってばかりだそう。

しかし、読書会が行われることで刑務所内に変化が起きていく。
読書会に集まるのは様々なバックグラウンドを持つ人々だ。
食堂で介しても話をしないような人々。
しかし彼らは読書会においては同じ一冊の本を読んだ仲間。
彼らは読んだ本に対して様々な意見をぶつけていく。
それは「受刑者が読書会?」という偏見に満ちた作者、そして僕をも驚かせるようなものだ。
それどころか受刑者たちは読書会以外でも本の話をするようになる。読書会のメンバーを見つけたら、近寄って「あの本はどう思った?」と話しかけるようになる。
それに対し作者はこのように綴る。
「今や、彼らが夢中になっているのは麻薬ではなく読書なのだ」

 

 

昔、僕は年上の人に「本なんて読んだって意味が無い」と言われたことがあった。本を読むという行為をあざけ笑うような口調だった。僕はそのとき、何もいうことができなかった。本を読むのは好きなのに「意味がない」と言われた時に、それに対する回答ができなかった。

 

 

受刑者たちは毎月読書会のための本を読む。
「スリー・カップス・オブ・ティー」「月で暮らす少年」「夜中に犬に怒った奇妙な事件」「ニグロたちの名簿」「かくも長き旅」「ガーンジー島の読書会」「サラエボチェリスト」「戦争」「ガラスの城の子どもたち」「怒りの葡萄」「賢者の贈り物」「警官と賛美歌」「賢者の旅」「第三帝国の愛人」「天才!成功する人々の法則」「スモール・アイランド」「もう、服従しない」「ポーラ―ドアを開けた女」「ありふれた嵐」「6人の容疑者」「ユダヤ人を救った動物園」「またの名をグレイス」そのほかにも沢山。

 


これらの本は様々なテーマを取り扱っている。
「他者を救うこと」「人種問題」「読書を行う意味」「戦争」「人間性」「貧困」「刑務所」「自己啓発」「宗教」「異国の地」「実際の事件」「女性」
彼らは本を読み、本の中に含まれているテーマを読み解こうとする。そしてその過程で彼らは自分自身の人生を見つめ直していく。

受刑者の1人がどの本が好きか?と聞かれこう答える。


「どれが好きっていうのではなくて、本を一冊読むたびに、自分のなかの窓が開く感じなんだな。どの物語にも、それぞれきびしい状況が描かれているから、それを読むと自分の人生が細かいところまではっきり見えてくる。そんなふうに、これまで読んだ本がいまの自分を作ってくれたし、人生の見かたをも教えてくれたんだ」

 


刑務所なので、トラブルはつきものだ。受刑者もトラブルに巻き込まれることもしょっちゅうだ。しかし、その最中でも本の登場人物の信念の強さに救われたと気持ちを漏らす場面もある。
物語が時としてきびしすぎる現実を生きる上で支えになることがある。

 


本書を読む上で心地よいのはその読書会の場面だ。
受刑者たちが課題図書をどう読んだかを熱っぽく語る場面を夢中になって読んだ。
何かを熱っぽく語るということはその中にはその人の自分の言葉がある。それが行き交う読書会の静かな熱狂と興奮に触れると僕も読書会に参加したいという気持ちになる。多分、本書を読んだ人は全員そうなると思う。

 


刑務所の読書会という突飛なシチュエーションのノンフィクション本であるが、実のところは「読書」を巡る私たちの話でもある。
なぜ、これほどまでメディアが溢れても読書はすべきか。
「本を読んだって意味がない」って言われた時、回答できなかったけども、今ならその答えを言える気がする。
「私には必要だ」と。
人生は複雑だ。受刑者でなくても、人間性を奪われていると感じる生活をしている人も多くいるだろう。
読書は人間性を回復してくれる。
読書は知らなかった世界を見せてくれる。
読書は私自身を教えてくれる。
400ページもの本だけども、読み終わってすぐに「もっと本が読みたい」と強く思い、そのまま積んである山ほどの本から一冊抜き取りまた別の本を読み始めた。
そういえばこの本はこんな引用から始まる

 

「読みかけの本を残して出所してはいけない。戻って続きを読みたくなるからだ。――刑務所の言い伝え」

 

プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年

プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年