にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

短編小説『ダンボール箱のさとこさん』

 さとこさんが頭にダンボール箱を被って出社してきたのは月曜日のことであまりの異様さに誰もなにも言えなかったから1番年下の僕が聞きに行くことになってしまった。
 さとこさんは僕の5つ上の女性の先輩だ。さとこさんはあんまり口数は多くなくて、細いフレームのオーバルの眼鏡越しの伏し目がちな表情が印象的な人だった。いつもまじめに仕事をする。変わったことはしないし、する印象もない。
 それが週を開けると突然頭に箱を被って出社してきて、いつもと同じように仕事をし始めたのでみんな戸惑いに戸惑っているのだった。
 僕は様子を伺いながらさとこさんに近づいて、改めてこの状況を見る。
 さとこさんは頭にダンボールで出来た箱を被っていた。正面、背面、両側面にはそれぞれ簡易的な表情が付いていて、今の正面は黒丸が二つに横棒で出来た口が一つでどうやら標準の顔ってことらしい。
 さとこさんは箱を被っている以外はいつも通りの仕事をテキパキとやっていた。
かたかたかたかたと事務仕事をこなしている。
ただその異様な光景にさとこさんの前に座っている1番年上の間宮さんは怒っているような表情をしている。
 その間宮さんの顔を見て、怒りの鉄槌がさとこさんに落ちる前に僕はさとこさんに話しかけることにする。
「あの、さとこさん?」
さとこさんは僕に振り返る。簡易的な顔がこちらにむく。
 箱を被っている以外は普通の格好。紺のカーディガン。白のシャツ。社員証。紺のロングスカート。至って普通の格好。
「えーと…なんて言えばいいんだろう…」
「この箱のことですか?」
 さとこさんから返事がきてぎょっとする。なにもぎょっとすることはないけども、箱を被ったさとこさんから声が出たというのが妙に異様で、僕はいまいち現実を処理できない。
「そうです、その箱のことで」
「今日から被ることにしました。……だめですか?」
 そう言ってさとこさんは頭の箱を回転させる。    そうすると側面が正面にむく。そこには目の部分がバツになっていて、口の部分は波線でどうやら「駄目」な時用の表情みたいだ。
「いえ、駄目じゃないんですけども…」
僕の発言に間宮さんが怒りの矛先を僕に変えたような表情をする。間宮さん、怒るのは少し待ってください。
「大丈夫です。分かってます。これが変ってことも。でも、これでいさせてください。それ以外は全部ちゃんとしますから」
 さとこさんは落ち着いていて、それでいて力強くそう僕に伝える。僕は押しに弱いのでそう伝えられるとなにも言えない。
「あーわかりました。さとこさん。全然大丈夫です。というか僕が決めることじゃないですけども。でも、大丈夫です」
 そう伝えるとさとこさんは箱を回転させる。
 笑顔になっている。
 僕はホッとする。
 それでさとこさんはまた仕事に戻って、僕も席に戻る。
 そうすると部長がやってきて「さとこのやつ、なんて?」と聞かれたので「箱は被るけども仕事はちゃんとやるので許してほしいとのことです」と伝えると部長は「うーん。そうかー。うーん。うーん」の悩みながら席に戻っていった。
 よくよく見渡すと今日の職場はみんなさとこさんに注目している。なにがあったんだ。気でも狂ったのか。僕とさとこさんはなにを喋ってたんだと僕の耳には次々飛び込んでくる。
僕の胃はキリキリと悲鳴をあげるが、さとこさんは全く気にしていない様子で仕事を続けている。

 

 さとこさんがその次の日も、またその次の日も箱を被って出勤する。頭にダンボールで出来た箱を被っている以外はこれまでと同じようにさとこさんは振る舞う。なにも変わってないように。
 みんなは戸惑っている。露骨にさとこさんに対して悪口を言っている人も増えた。
 間宮さんは水曜日の朝、さとこさんを呼び出して怒鳴りつけた。でも、さとこさんは箱を取ることはしなかった。
 間宮さんに怒られた後、さとこさんは目の部分が8割くらいの月の形をしていて、口が三角形の表情を正面に持ってきている。
 多分、怒っているってことなんだろうなと僕は思う。


 その週の終わりにはさとこさんのことを箱子さんって誰かが呼び出して、そのあだ名が定着する。
 みんなこっそり呼んでいたのに、山本先輩がうっかりさとこさんに箱子さんと呼んでしまう。「あっ」と固まってしまった山本先輩に「箱子でいいですよ。箱子です。よろしくお願いします」とさとこさんはお辞儀をする。
 それから公然とさとこさんは箱子さんと呼ばれるようになった。
 そして、さとこさんはその週の間、何度も上司の人や総務の人と話したりしている。
呼び出しを受けて席を外すことも多い。
 さとこさんは多くの人から何故箱を被っているのか聞かれ続ける。精神の病気も疑われる。みんなうろたえる。でもさとこさんだけはずっと平然としている。


 部長が僕のところにやってくる。
「あのよーさとこのことなんだけども」
「はい」
「また話しかけてくんねえか」
「えーとなにを聞けばいいんですか」
「なんつうか、なんで被ってるのか、俺たちには言ってくれねえんだよな」
「でも、僕にも言ってくれないかもですよ」「あれになって初めて話しかけたのお前だし。また行ってくれねえか」
「えー」
「頼むわ。今日はそれを最優先で」
 まじですか。と思った時には部長は消えてしまっていた。
 僕はしばらく悩んだ後、社内に空いている会議室があることを確認したのちにさとこさんに話しかけに行く。
「さとこさん」
「はい」
「会議室で少しお話ししたいんですけども」
「今ですか?」
「そうですね…すいませんお忙しいのに」
さとこさんは目がバッテンの表情に切り替える。
「すいません…」と僕は謝る。
するとさとこさんは箱を回転させてニコニコ顔にする。
「冗談です。いいですよ。行きましょう」
 さとこさんと僕は連れ立って会議室へ向かう。  社内中の人が僕らを見ている。好奇心と、妙な笑み。多分僕とさとこさんのバランスに笑っているのだと思う。さとこさんは身長が170くらいあるけど一方僕はそれよりも小さい。だから箱を被った長身の女性と、それについて行く小さな後輩の図がおかしいのだと思う。
 僕もそっちの立場なら笑っているだろうと思う。

 


 会議室でさとこさんと向き合う。今の表情は黒丸が二つ、横棒一つ。ノーマルな表情。改めてじっとさとこさんを見るとその異様さにたじろいでしまう。
 僕は何から話を聞けばいいかわからず、口ごもる。
「なんでこれを被ってるかですよね」
 沈黙を断ち切ってくれたのはさとこさんだった。
「あ、そうです」
「ありきたりな理由ですよ。コミュニケーションに疲れちゃったとかそういう理由です」
 さとこさんは相変わらず落ち着いたトーンで話す。
「そういう理由なんですか」
「はい。ありきたりでしょう」
「ありきたりかわかんないですけども……」

 沈黙が始まる。僕はつぎに聞く言葉を探す。

「さとこさん…えーと、聞いていいかわかんないですけども…そのー、コミュニケーションに疲れたって思うに至った要因とか原因とかはあったんですか…?」
僕はおずおずと聞く。
さとこさんは首をひねる。
「……全部かな」
「全部?」
「生活の全部です」
僕は納得したような、してないようなトーンの「あー」を言って、また黙る。
どうしよう、また会話が終わってしまった。
何か、話さないといけない気がする。えーと。えーと。ふと前を向くと黒丸が二つに横棒一つの表情。深刻な話にそぐわないほど、能天気な表情。
「あの…さとこさん、その表情、いいですね」
僕はふとその感情をもらしてしまう。
「…そうですか?」
「あ、はい。なんか……その黒丸と横棒の顔がなんか能天気で…というか、昔見た子供番組のキャラクターみたいで、可愛らしいです」
沈黙が入る。

へんなことを言ってしまったかもしれないと怖くなる。

 するとさとこさんは箱を回転させる。ニコニコ顔が正面にむく。
「私、これ、気に入ってるんです」
その姿が妙に素敵に思えて僕は「さとこさん、なんかかっこいいです」と言ってしまう。
さとこさんは「ふふふ」と笑ってお辞儀をする。



 その日はずっとさとこさんの言ったことがぐるぐると回る。さとこさんは生活の全てが疲れてしまって箱を被ることにした。生活の全て。何もかも嫌になってしまったのかな。
でも、社会と接点を持たなきゃいけない。生活が嫌になっても生活を続けなきゃいけないから。
それの妥協点があの箱だったんだと思う。
奇をてらっているわけじゃなくて必死の生存戦略があの箱だったのだろう。
 さとこさんの方をチラッとみる。側面の怒りの顔がこちらに見える。
 さとこさん、本当はずっと怒っているのかもなあと思ってしまった。

 


 僕は部長に軽く説明をする。
 部長はもごもご言って納得はしてないけども、仕事に支障はないみたいだと判断してさとこさんを追求するのはやめることにした。
 そのあとの日々もさとこさんの元には産業医やカウンセリングやらがたまにやってきて、その度に席を外す。
 心療内科通いも始めているらしい。
 社内ではさとこさんへの悪口はまだあるし、間宮さんはまだ怒っているっぽい。

 でも、さとこさんは相変わらず会社に来ている。
 ダンボール箱を被って。4つの表情を器用にぐるぐる回して。
 僕はその姿がとてもかっこいいと思う。
 なので今日はさとこさんに話しかけにいく。
 さとこさんと取るに足らない話をしようとする。
 ちょっとした冗談にさとこさんは「ふふふ」と笑って、笑顔の表情に切り替える。
 その姿が妙に愛おしくて、そしてかっこよく思えて、僕はさとこさんのことを尊敬してしまう。

 

 

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