にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

カス・オブ・ボトム

一日中、苦しい苦しいうなり続けて、眠って、起きて、作り置きのカレーを食べて、また苦しい苦しい唸って、寝て、起きたら作り置きのカレーを食べて、日が沈んでようやくちょっと楽になったので本を読んでるうちにもう深夜。

 作り置きのカレーはもうすぐ無くなる。作り始めた時は一生食べれるんじゃないかってくらいの量になるのに、気がつけばすぐ無くなっている。

 ご飯を作るのも体力がいる。今日はご飯炊くまでに1時間くらい横になっていた。そして「よし、今なら炊ける!」とさっと動いて炊いた。無洗米なのに。

 

 

 今日は父親の夢を見た。父親の言動で振り回されてきた20数年間のことが未だに振り払うことができなくて、夢にまで出てくる始末。

 父親は夢の中でもいつものように僕の好きなものと生き方を悪びれず非難していた。本当に悪いと思っていない顔だった。

 被害者ぶりたいわけではない。むしろ父親を非難しようとすると内側から「今まで金を出してもらっていたのに?」という声が聞こえる。

 だから父親を非難しようとするとき、いつも心が引き裂かれるようなそんな気持ちになる。たまに、会話が成立すると嬉しく思う。でも、それは大概まやかしでそのあとまたひどい事を言われるのに。

 ひどい言葉も書籍化できるほどのひどい言葉ではない。「それくらい耐えろよ」と世間様に言われたら耐えなきゃいけないだろうし。

 ではこの世間様って一体なんだろう。僕を罰し続けてるものは一体なんだろう。僕は何から逃げられてないんだろう。

 

 

 前に友人に自分の事を話していたら辛くなって「頑張ったって言って」と頼んで、言ってもらったら涙が止まらなくなった。ただ単にそんな風に言ってもらいたかっただけだったかもしれない。

 ずっとずっと頑張ってきたのだ。誰がどう言おうと、結果には出てなくても、甘えていようと、頑張ってきたのだ。

 

 

このことを何度も認識したい。辛いことで忘れてしまう。自分の事を認めてくれる人のことを。でも忘れてしまう。その度に認めて欲しいとねだる。

いつまでこんなことをするのだろう。ずっとなのだろうか。

 

 

よく結婚しても子供が産まれても生き辛さは呪いのようにつきまとうって話を聞く。

 そうだとしたら、この生きづらさとは一生向き合わないといけないのかな。そうなると、本当に嫌だな。全て捨てたいな。

 

 

今よりほんの少しだけでも楽になりたいなと思う。そんな事が可能なのかわからないけども。

でも、可能なら、ほんの少しだけ楽になりたい。

その方法を考えなくてはいけない。

このままだと置きっ放しにしていたお茶のペットボトルのボトムに沈殿するカスのような人生だ。

 

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