毎日、悪夢を見ている。
飲んでいる抗うつ剤の副作用に「悪夢を見ます」ってあって、そんなピンポイントな副作なんだよって思ったら、眠りが浅くなる上にその時期は精神状態が悪いから悪夢を見やすいコンディションが整うからとのことでなるほどねーとなりながら、毎日悪夢を見ています。
今日は気がつくと10畳くらいの薄暗い部屋にいて、その部屋の真ん中にルンバがちょこんとあって、辺りを見渡すとゴミが散らかってるからじゃあルンバを起動するかと電源を入れてじっと見つめているうちに、仕事に遅刻していた。
現場に着いた瞬間にめちゃくちゃに怒られて、後から来たおじさんも一緒に怒られた。
僕もおじさんも、職場でどう扱ったらいいかわからない。そんな空気を察して余計に辛い気持ちになる。
部屋に戻るとルンバが部屋の真ん中で止まっていた。部屋は半分も綺麗になっていなかった。
ルンバはどうやらゴミを吸いすぎて止まったらしく、ゴミポケットを取り外しそれを捨てようとしたら、床にこぼしてしまってなにもかも無駄になってしまった。
そんな夢から覚めて、起きても身体が重たい。まるで霊が取り付いているような気さえする。それくらい身体が重たい。
しかし僕はこの状態が心因性であるとわかっている。
だからこの身体の重たさは霊じゃないと思えるけども、メンタルクリニックなんてなかった遠い昔の人たちは、こんな説明のつかない身体のだるさや重さを「霊」として解釈していたんじゃないだろうか。
頭がおかしくなってしまった人を狐憑きと言っていたように。
統合失調症の人を座敷牢にぶち込んでいたように。
そういえば、僕のおじいちゃんの弟さんはどうやら統合失調症だったらしく、でも当時はそんな言葉もないので座敷牢にぶち込んでいたそうです。
そんな話を聞いたけどもなんて思えばいいかわかんなかったので、ただただ頭に留めることしかできなかった。
座敷牢にぶち込まれていたなんて聞いても想像が出来ないのだ。ビジュアルは思いついても、それがどのように生活に結びついていたかなんて全く想像がつかない。
僕も現代2017年に生きているから、抗うつ剤が処方されているわけだけども、遠い昔にいたら変なお祓いを受けさせられることになっていたのだろうか。それとも、ただの甘えだってことで処理されていたのだろうか。
ただの甘えって処理されるのは今も変わらないのかもしれないけども。
よせばいいのにFacebookを見てしまった。
また誰かの結婚式の写真が流れてきた。
「人生最良の日です!」と書かれた下に満面の笑みの人々。
そちら側の人生に行けることはあるのだろうか。
ずっと向こう岸を見ながら、憎いだの、羨ましいだの、たまに気持ちよく悪口を言って、笑ったりして。
でも、ずっと行けないとなると寂しいものがある。
向こう側に行けない人間なのかもしれないなと薄々気が付き始めている。
そもそもみんな凄いや。そんな風に人生を構築できるなんて。もう自分一人でさえ満足に動かさないのに。人生のコマンド入力うますぎないですか? こっちは人生の波動拳を打つだけでもまじ困難なのに、なんかえげつないコマンド入力して、モータルコンバットだったらフェイタリティ決めてる状態に持っていくじゃないですか、どうなってんすか、どうなってんすか!
21世紀休職青年な僕はなんとか人生を立て直したい気持ちと、社会に戻る恐怖で日々揺れている。the pillowsのブルースドライブモンスターじゃないけども、みんな一体どんなシステムで感情をコントロールしてんだ、教えてくれ、そのOSを俺にもインストールさせてくれ。
足りない、足りないとないもの探しばかりついしてしまうけども、友人と長電話したり、友人から短編の感想をもらったりと、僕の人生にしかない嬉しいことも確実にあるわけで、それをちゃんと見なきゃとも思う。
ついつい隣の芝生は青く見えてしまう。そして何より目の前にあるものを蔑ろにしてしまう。
今あるものをちゃんと認めておかないと本当に何もなくなってしまうぞ、俺よ。
と長々と僕は迷いまくっている。
「なにくだらねえことに悩んでるんだ!そんなことよりこっちに来いよ!でけぇ肉でも食って!コロナでも飲んで!バーにいる女にでも話しかけて来いよ!」って心のアメリカ人が励ましてくれる。
うじうじ悩んでる奴よりも、心のアメリカ人のように生きたらいいんだろうし、生きれたらなと思う。とりあえずコロナビールでも飲んでみるか。
ワイルドスピードでもとりあえずコロナで乾杯していたし、コロナでも飲んだら私の人生の何かがMEGA MAXするかもしれない。