にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

短編小説「サウンドテストつり革」

短編小説「サウンドテストつり革」

 

 

「つり革って意外といい音がなるんですよ。もし機会があったら棒で叩いてごらん」と小学校にやってきた怪しげなミュージシャンはそんなことを言っていた。体育館にわたしたちは集められて、演奏会があって、その後に突然そんなことを言い出した。何を言ってるんだと思ったけども、その言葉だけは何故か頭にこびりついていたようだ。


それから20年近く経ってしまったが、つり革を叩く機会は存在していない。
というより、つり革を叩いてみようと思うことが今日までなかった。そりゃそうだろう。つり革なんて叩くもんじゃない。掴むものだ。
わたしが今そんなことを考えてしまったのはスマホの充電は切れてしまい、本も今日に限って持ち歩いてなかったから、電車で帰宅しているこの時間が退屈で退屈で仕方なかったからだ。
終電近くの電車は流石に満員ではないが、わたしが座れないくらいには人はいる。でも皆が皆どこか生気はない。仕事の疲れか、回ったお酒のせいか。
ぼんやりと握ったつり革を見ながら、小学生の頃に言われたつり革を叩くということを思い出していた。
そんな記憶がまだ残っていたことが驚きだよわたしよ。いろんな大事なことを忘れているのに、こんなことに記憶領域を使っていたなんて。
伊集院光は「人間は実は全てのことを記憶しているが、その記憶を引き出せないだけ」というようなことを言っていた気がするが、わたしもたまたまこれを引き出せただけなのかもしれない。
そんなことはともかく、あと家の最寄りまでの20分、どうしようか。
ぎゅうっと、つり革の白いつり輪を握る。
この感触はプラスチックなのか。
プラスチックであれば、なんとなく叩いた時の音は想像できる。
シミュレーション:つり革を叩いた時の音。
頭の中で再生マークをクリックすると、コンコンコンコンとシミュレーションした音がなる。
ああ、なるほどこんな音か。
「つり革って意外といい音が鳴るんですよ。もし機会があったら棒で叩いてごらん」
いい音って言ってもただのプラスチックの音じゃないか。あのミュージシャン適当をこきやがって。小学生相手だと思って見くびりやがって。
いや、まてよ。もう一度言葉をプレイバックする。
「つり革って意外といい音が鳴るんですよ。もし機会があったら棒で叩いてごらん」
「いい音が鳴るんですよ。もし機会があったら棒で叩いてごらん」
「棒で叩いてごらん」
「ぼぉぉおおおでぇぇえええたぁぁたぁぁいてぇぇえぇごぉぉぉらぁぁぁあんんんんん」
スローモーションで検証してもたしかに言っている。
棒だ。
シミュレーションにかけていたもの、それは棒だ。
なんてことだ。やり直さなければいけない。
しかしそうなると棒なんて、持ち合わせていないぞ。
トートバックの中を見る。親からもらったアランジアロンゾのトートバック。物持ちのいいわたしはそれを使い続けている。
かろうじて、棒的なもの、それはボールペンしかなかった。ジェットストリーム。書き心地is最高。
脳内にダイブ。
シミュレーション:ボールペンをつり輪に叩きつける。
黒い空間の中で、スポットライトが照らされた丸い光の中でつり革が一本垂れ下がってる。わたしはジェットストリームのボールペンを握って近づいていく。
つり輪に光が反射している。
脳内でわたしはつり輪にボールペンを叩きつける。
コンコンコンコン〜〜。
そりゃそうだよな。
そりゃそうだよな。って音しかならない。
予想していたことだ。
いくら棒で叩いてもいい音なんて鳴らない。
あのミュージシャン、かましすぎだろ。いい加減にしろよ。
わたしは脳内ダイブから戻ってきて、また電車の中で揺られ続ける。
あー、心底がっかりしたわ。いい音鳴るって聞いたのに、心底がっかりしたわー。
窓の外を見る。
風景は暗闇になり、街灯の光が障子の穴あきのようにポツポツと存在する。
そしてガラスにはわたしの姿が反射している。
わたしの姿は小学生の頃からはすっかりかわってしまってる。
疲れがあちらこちらに見える。
いつのまにか大人になってしまっているなあ。
疲れ切ったわたしのかおをじっと見る。
目は沈みきっている。
口角をあげてみようとするが、表情筋すらうまくうごかなくて、気持ちの悪いにやけ顔しか生まれない。
「つり革って意外といい音がなるんですよ。もし機会があったら棒で叩いてごらん」
わたしはつり革を実際に叩きもせず、脳内で完結していた。
いろんなことを経験してきたから、なんてそんなただ積み重なっただけの時間の上に胡座をかいて。
それが今のわたしか。
そう思うと、目の前の疲れ切ったわたしにも納得がいった。
「機会があったら叩いてごらん」
その機会とは今日のことではないだろうか。
今、これを叩かなければわたしはずっと疲れ切った大人になり続ける気がする。
いや、そうだ、ずっと疲れ切った大人だ。
叩かねばならない。叩こう。よし叩こう。
トートバックからジェットストリームのボールペンを取り出す。
周囲を見回す。生気のない人々が眼に映る。
突然つり輪を叩き始める女がいたらみんなどんな顔するだろう。
いや、知るか。
変な顔でもしておけ。
わたしは叩く。このつり輪を叩いて、音を確かめる。
好奇心ってやつを取り戻してやる。
周囲をキョロキョロしながら、ボールペンをつり輪に近づける。
よし、よし、よし。
叩く、叩くぞ。
小さくだが、手首を振って助走距離をつけて、つり輪にボールペンを叩きつける。
しかしだった。ボールペンはつり輪に叩きつけられなかった。
ボールペンはつり輪をすり抜けた。
あのプラスチックの塊をボールペンは通り抜けてしまった。
あっ。と気の抜けた声が出てしまった。
出来のいい手品のようにボールペンはつり輪をすり抜けしまったのだった。


「この度はありがとうございました」
突如システム管理会社を名乗る男から電話がかかってきたのはその翌日の昼のことだった。
「あ、なんのことでしょう」
「昨日の電車の件です」
「電車?」
「つり輪ですよ。つり輪」
あ。
「なんで知ってるんですか?」と思わず声に出してしまう。
「システム管理をやらさせてもらってますので」
背筋が突如冷たくなり始める。
何か知ってはいけないことをわたしは知ってしまったのかもしれない。
「いや、怖がらなくて大丈夫ですよ。最近は映画のせいで、こういう電話をかけると殺されるとか急に怯えちゃう方も多いんですけども、そういうことではないです」
「はぁ」
「あの、あなたが、昨日、ボールペンをつり輪に叩きつけてくれたおかげで、あのつり輪にバグがあることが判明しまして。そのデバック作業を手伝ってくださったお礼としまして、この度は連絡したんです」
「バグ?」
「ええ、バグです。なんていうか、私どもとしてもうまく作っているつもりなんですが、いかんせんバグって出ちゃうんですよね。まあ、ボールペンすり抜けるくらいのバグなら全然大丈夫なんですけども、それでも放置をしていたら全体の進行を妨げちゃう原因にもなっちゃいますし」
「はぁ」
突然のことで話が読み込めない。
冷たくなった背筋は徐々に温かさを取り戻していくが、その一方で別の恐怖がやってくる。
「バグとか、なんとかって、もしかして、この世界って、仮想現実なんですか?」
「あ、違いますよ」
違うのか。
「お客様のいる世界は存在する世界ですよ。まあ、その定義について話し始めると少しややこしいはややこしいんですが、少なくとも今お客様が創造されたような世界の全てが一つの小さなコンピューターの中にあるといったようなものではありません」
「でも、デバックとかなんとかって」
「それは言葉の綾でございますよ。まあ、こちらでいうところのデバック作業ってことです」
あんまりわからなくなってきた。
「まあ、深く考えると狂ってしまいますので。とりあえず、あなたはあのつり輪のバグを見つけてくださったので、お礼として3000円をお送りいたします」
「え、お金もらえるんですか」
「あ、はい。だってデバックしてくださりましたし」
「あ、ありがとうございます」


というわけで3000円が突如、わたしの元にやってきた。
つり輪を叩くと3000円もらえた。
いい音が鳴るかどうかはわからなかったが、わたしにとっては音よりも好奇心よりも3000円の方が嬉しい。
そして世界は思っているよりややこしい。
生活のことと、世界のこと、考えるとより一層疲れそうな気がしたので、わたしはこの3000円でスーパー銭湯に行こうと思った。
お湯に浸かれば顔もほぐれると思ったのです。

 

 

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