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にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

『ラ・ラ・ランド』を見た!

『ラ・ラ・ランド』を見た!
 涙腺が大雨降った後の玉川くらい崩壊するもんだから、すぐにおいおいおいと泣くわ、涙腺がどばあって決壊するわ、水は溢れ、家は流れ、そして残された家族は「アルバムを流されたのがつらかった…」って言うから、それはつらいなって思ったりじゃあ家族って何だろうって山田太一が思ったりした結果できた作品が『岸辺のアルバム』だそうで。というわけで涙腺が絶賛崩壊中の26歳男性なんだけども『ラ・ラ・ランド』を見てきたのです。
 そしたらオープニングの多幸感で既に涙ぼろぼろ。渋滞しまくってる高速道路の上で踊り狂う大勢の人々。その絵面だけでうわー!最高だー!となってたら男がいそいそと近寄って行ったトラックのドアをがぁーって開けたら楽団がいてばぁー!って演奏したときに崩壊してる涙腺がさらに崩壊してまたもや心の山田太一岸辺のアルバムを書く羽目になっていた。
 いや、山田太一は脱線してるとしても、楽団出てくるところやばかったんですよ。僕、超越するとちょっと涙腺がどうかなるみたいで。高速道路で歌い踊るなんて、まず現実では見ることできないじゃないですか。というわけで超越しちゃってるわけですよ。そしたらさらに楽団出てきてって、超越に超越したらもう次元超えてるわー。八次元くらいいってるわーって。しかも、このオープニングは全部1カットで撮ってて、それも超越してるわけですよ。地続きにえぐいことがどんどん起こると、超越が積みあがっていく感じ。もう、しょっぱなにどんなバベルの塔作ってるんだよって。すげえなって。家に帰ってこのシーンのことを調べたらリハーサル映像が出てきたけども、駐車場に車止めて、監督がiPhoneで撮ってて、それがほとんど本編と同じ映像だったから、もともと監督の頭の中にこれがあったんだ。ってびびって。もうまただばだばだ。心の山田太一岸辺のアルバム3を書いてた。
 

La La Land - Behind the Scenes "Traffic" - In Cinemas Now


 その後も「はぁっ!!」とか「うおっ!」ってなるシーンの連続で、ミアがパーティに行くシーンも素晴らしかったし、セブが弾く80年テイクオンミーもよかったけども、次の山田太一が出てきたのはタップダンスのところ。あそこやばくないですか。あんな楽しすぎるシーンがあっていいんですか。いいんですかって野田洋次郎なら問いかけてるし、吉高由里子なら復縁するレベル。とりあえず言葉上はあんまりうまくいってなさそうなことを言ってるのに、徐々になんとなくひかれあってるな…って思ってたらすっとタップシューズを取り出して、それに履き替えて踊り始めたらそりゃ恋やん!恋やん!!!星野源以来の恋ーーーーーーーーーーーーー!!!ってなって。ただただ楽しすぎてまた泣く。
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 ここまでは「いやー素晴らしい多幸感につぐ多幸感だなー。絶対に二回目もみようー」って思ってたらそのあと、そのあとですよ…。 
あんなに多幸感に溢れていたミュージカルシーンが全く出てこなくなるんですよ。びっくりした。この映画の売りだと思ってたのに全く出てこなくなって、代わりにリアルで辛い展開が続く続く続く。あんな些細なことで喧嘩したり、一人芝居失敗するとかもうまじで苦しい苦しい苦しい…となってわしの体力はもうゼロじゃ…田舎に帰ろう…帰りたい…って思ってたら、起死回生のチャンス到来、そしてエマ・ストーンが地の底で歌を歌うわけです。久しぶりのミュージカルシーン。これまでのミュージカルシーンとは打って変わってダンスもぎゅんぎゅん動き回るカメラワークもなし。あるのはエマ・ストーンの独唱のみ。ここで歌い上げられる歌詞に僕はようやくこの映画のテーマをさとり、そしてそのエマ・ストーンの歌声にこらえきれなくなりまたもや涙腺は崩壊。
 もう泣きつかれた、こんなに泣いたのはおぎゃおぎゃとこの腐敗した世界に生まれ堕ちたとき以来だもう疲れたと思ったら、ったらですよ、そのあとのさらなる展開。僕は腰を抜かしそうになったよ!
 5年後の未来で別れている展開には「なるほど」って切ない表情を浮かべながら納得したけども、あのセブズでの演奏中に見るもう一つのあったかもしれない世界の姿に様々な感情が押し寄せそれがうねりにうねってもう俺は翻弄されまくって嗚咽する勢いで涙が溢れて口をぱくぱくさせもう耐えられないかもしれないかもしれないって思ってたら最後の最後であの二人の表情ばぁーん。
 あそこでの表情を皆さま見ましたか。見た?凄くない?あの表情でこの映画終わるの凄くない?
 セブもミアもお互いのことを元カレ元カノだの恨めしそうだの、野田洋次郎吉高由里子を見るような、そんな目で見ていないわけです。
 ミアは女優に、セブはジャズ・バーのオーナーに。あの頃の未来にぼくらは立っているかな…って夜空ノムコウ的なことでいうなれば、あの頃の未来に立ってるわけですよ。やっとかなえたあの日見た夢の中で二本足で立っているわけだけども、それができたのはあの時にお互いがいたからなんですよ。
 それを観客は知っているわけです。だってずっと見ていたから。映画ってそういうもんじゃんって言われたらそうだけども。だってずっと見てたんだもの。1人と1人が2人になって、その2人が夢を語り合って、その夢の前でボロボロになる姿を。でも語り合っていた夢に今立ってるじゃん!って。
 それはあの日思っていたような2人で立っているという未来じゃないし、その演奏中に見る、また別の未来での幸せの形でもない。
 でも叶えた。
 お互いに夢を叶えた。もう夢に浮かされた夢追い人ではなくなった。
 そのあのときに一緒に戦った戦友を見るように、お互いがお互いを見て、そしてまたバラバラになっていきます。
 それがとても切なくて、でもこれをバッドエンドとは絶対に言いたくなくて、なんていうか語彙力が無いから「切な良い」とダサい造語を作るしかないわけです。ここまで号泣しながら思ってるわけですけども。岸辺のアルバムは9くらいまで行ってる。 
 
 監督はデミアン・チャゼル。前作『セッション』も「うわあわわわああ!」って僕は泣いてしまったわけですが、今回も涙が止まらねえ作品でございました。すげえ映画じゃねえか!いい映画じゃねえか!!