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にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

―これもまた"We are not things "な映画―『駆込み女と駆出し男』を見た!

恋愛映画

『駆込み女と駆出し男』('15)を見た!

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V8!V8!!と去年手でV8ポーズを決めて、天にかかげてジョー!ジョー!イモータンジョー!!となっていた25歳男性だった僕やけども、あの『マッドマックス怒りのデスロード』ってそんなアッパーな部分で陶酔しつつも、結局心に最終的に訴えかけてくるのって女性たちによる「WE ARE NOT THINGS」というメッセージだったわけじゃないですか。
怒りのデスロードって誰の怒りって女性たちの怒りのデスロードだったわけで。
しかもそれって映画では核戦争後って設定だけども、現実にも起こりうるというかもう起こっている出来事なわけで。
そんな部分が一部の人はなんか「男性軽視だー!」とX JAPANの紅が始まるころのテンションの如く怒ってて、おいおいそんなに青筋立ててたらYOSHIKIみたいにすぐに体力無くしちゃうよ、大丈夫、そんな姿勢でって、まあそんな思想の人に配慮することもないんだけども。
最近、そんな女性蔑視な思想のことをミソジニーって言うって知ってへーってなりました。というかミソジニーって単語自体は聞いたことあったのですが、三十路的な意味から来てるのかと。三十路の女性を軽視するみたいな風潮から来ているのかと。
そっちの方が悲惨で嫌だけども。というかそういうふうな風潮全般的にNOと言っていこうな。

とまあ、なんでこんな話から入ったかといえば今回見た「駆込み女と駆出し男」がそんな「WE ARE NOT THINGS」な姿勢にあふれた映画であったからです。

というわけでいつものごとくあらすじを映画ドットコムから引用しましょう。

井上ひさしの時代小説「東慶寺花だより」を原案に、「クライマーズ・ハイ」「わが母の記」の原田眞人監督が初めて手がけた人情時代劇。舞台は江戸時代の鎌倉。幕府公認の駆込み寺・東慶寺には離縁を求める女たちがやってくるが、寺に駆け込む前に、御用宿・柏屋で聞き取り調査が行われる。柏屋の居候で戯作者に憧れる駆出しの医者でもある信次郎は、柏屋の主・源兵衛とともに、ワケあり女たちの人生の新たな出発を手助けすることに。信次郎役に大泉洋。駆込み女に戸田恵梨香満島ひかり樹木希林堤真一山崎努らが脇を固める。』(映画ドットコムより引用)


本当少ない文字数の中にこの映画の要素を語りきっていて素晴らしい文章だなと。長々とよくわかんないことを書くだけが文章じゃないぞって言いたい。俺に言いたい。
でも、まあこういうスタイルで書かせてください。
というわけで、この映画は江戸時代の駆け込み寺というものが舞台となっております。
今のように女性からは自由に離婚ができないその時代。離婚を求める場合、この寺に駆け込み2年の歳月を経て、離縁状を書いてもらうというのが、女性から離婚を求める場合のプロセスであった。とまあ、そんな大変な時代があったのねとその時点で興味のフックがものすごい。
というわけで、この映画はその当時の離婚、そして駆け込み寺がどのように機能していたのかという知的好奇心をくすぐる内容にまずなっているのですよ。
知りたくないですか。どうですか。
現代で言うなればDVの末に、離婚を決意した鉄練りじょご(戸田恵梨香)がそのような問題で駆け込みを決意した分、視点を入れ込みやすい。
その駆け込みを決意するところも辛くてね・・・。
必死に鉄練を頑張ってきているのに、旦那は女遊びに明け暮れてるどころか、止めに来た嫁を殴る蹴る、その上必死に頑張ったうえで出来てしまった顔の火膨れの傷を「そんなんじゃ誰もてめえには寄り付かねえよ!」と悪態をつく始末。この時点で、こいつ殺すしかねえ。ってなるけども、殺せないんだよね。映画だからね。その上、すぐに人って殺しちゃだめだからね、我慢してね。
と悪態をついた上に嫁の前で愛人とセックスを始める始末。
それに絶望し、じょごさんは生活に耐えるか、自殺をするか、駆け込みをするかとコイントス的なもので決めて駆け込みを決意するんですね。
いやーこれ、江戸時代を描いた映画やからじゃないでしょ。もうこの時点で、わかるー!!ってなっちゃう女性多いでしょ・・・
まあ、そんな女性が駆け込み寺で、どのように傷ついた心を取り戻していくか、そして自立していくかを描いた映画なのですよ。
そこで、心を取り戻していくのって、自分がこれまで知らなかった世界を知ること、その新たな才能に気がつくこと、そしてそれを意欲的に学んでいくことだということも描かれていきます。
学ぶじょごさん超かっけえ。というかどんどんいきいきしていく。その姿、まじ感動的。俺も、明日からちゃんといろんなこと学んで生きていきてえな・・・って思っちゃった。うん。

まあ、そんな女性が一人立ちしていく姿も感動的な映画なんですが、それよりもこの映画の魅力になっているのは、全編を通しての軽快て軽妙で文化の香りが濃厚な会話劇でしょう。
今や使うことのないその当時の言い回しを多く使いつつ、それを全編ものすごいテンポの速さで掛けあわせて行く。
正直、何を言っているのかわかんないシーンのほうが多いのですが、多分それは意図的。
すべてがすべて意味がわかんなくてもいい。それは置いていけぼりにする意図でやったのではなく、その当時の文化の豊かさを再現しようとしているのではないでしょうか。
だから会話が説明的ではなく、その当時の文化だからこその言い回しが多く使われた美しい音がする言葉、それがものすごいスピードで流されていくわけです。それがまあ心地よいこと心地良いこと!
会話劇は耳に心地よいようなテンポでやられるとやっぱええですな。
「わかんねえやつは置いていく」そんな姿勢だからこそ、今はその当時の言葉や文化がとても気になっている。八犬伝めっちゃ読みたい。
そんな会話劇が主体な映画ですのでしゃべりが達者なやつが主人公であればあるほど、心地よさと説得力が倍増するわけですよ。
というわけで主人公は現代日本映画界でもっとも軽妙なしゃべりが似合う男、大泉洋
彼は医者見習いでありながら、戯作者になりたいとも思っております。
だから駆出し男なわけですが、そんな駆出し男に様々な問題が振りかかるんですよ。
それを解決していくのが、彼の喋り。
中盤圧巻なのが、駆け込み女を取り戻しに来た暴君たちを長台詞で追い返すシーン。
暴君を追い返すほどの喋りというのは説得力とその暴君をまるで腕力でねじ伏せるかのような話術が必要なわけですけども、それを見事やりきた名シーン。
そのシーンが終わったあと思わず拍手してしまったもの、すごすぎて。
いやー、あれは名シーン。大泉洋渾身の演技だったなー。
まあ、彼は、登場からろくな目にあいませんが、そうやって一つ一つ問題を解決していくことで駆出し男は成長していくわけです。

駆込み女が寺で修行をし外界に戻るまでの期間が2年間。その間に駆込み女と駆出し男はどのような成長をするのでしょうか。
それがクライマックス、普通の恋愛映画なら当たり前なキスシーンの描き方におおっ!となってしまいました。
僕の胸もときめいてしまった。
男女の関係って不思議なものねと。そしてそんなことができるようになったじょごの姿にときめいてしまったのです。


いろいろ褒めたい映画です。
監督は原田眞人原田眞人といえば僕はKAMIKAZE TAXIが好きですけども、今回もKAMIKAZE TAXIみたくあっちらこっちらどこへ向かうかわからないフリーキーな話運びが軽快で素敵でした。
今回も題材からは想像できないほどフリーキーで軽快でテンポもよくて楽しい映画で・・・とKAMIKAZE TAXIが好きだった原田眞人監督ファンに勧められる一作なんじゃないかと。
俳優陣だと満島ひかりの名演っぷり!!もう満島ひかり凄すぎ。劇中でもいう言葉を借りるならば艷っぽさ。艷っぽさに満ちてます。
登場から素敵やなーとなる艷っぽさなのに、彼女の最期のシーンなんてもう泣いちゃうよあんな演技。
素敵だったなー。


あと江戸時代の文化的な豊かさもいっぱいつまってるのもまた楽しい。
その一方で、文化を制限するお上への怒りもそこかしらにあるのに静かな怒りを感じました。
わかるよわかるその気持ち!



とまあいろいろつらつら書いてきましたが江戸時代の離婚制度の一つ・・・というには語弊はありますが、そんなシステムの一つでもあった駆け込み寺を題材にしつつ、重苦しくなく、テンポよく楽しく笑いあり涙あり、もう今や失われてしまった江戸時代の文化の豊かさも味わえ、そしてWE ARE NOT THINGSと強いメッセージが込められた邦画の良作でした。
とにかく僕がこの映画で一番推したいのは大泉洋の長台詞!あのシーンを見るためだけでもこの映画を見る価値あります!
ぜひぜひー!面白かったー!!


大泉洋主演!映画『駆込み女と駆出し男』予告編