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にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

マームとジプシーの『cocoon』を見てきたよ

やあやあやあ。24歳男性は未だに関東地方にいる。故郷であった土地を離れて数ヶ月。未だに借り物な日常をいきておる。

しかし故郷であった土地よりもこの関東地方が素晴らしいのは演劇の話題作が次々と公開されている状態であろう。
さすが関東。やはり地元とは違うね。やっほいね。
先日、私がどちゃくそに感動してしまった『わが星』もそうだけども、他の場所でやらないようなあまりにクオリティが高い作品をやってる土地、それが関東。
めっちゃいいね。関東、それだけで愛せるね。


というわけでマームとジプシー『cocoon』を見てきたよ。場所は池袋。あの池袋ウェストゲートパークの隣にある劇場で見てきたよ。IWGPだね。からまわるベルベットの空だね。

"マームとジプシー。といえば「リフレイン」の手法を用いた作品が有名…"
という文章を何度読んだだろうか。
だいたい往々にして話題作はサブカル系雑誌に劇評がのる。地方都市に住む私はそれを貪るように読んでいた。「へー、マームとジプシーって"凄い劇団"があるんだー」いつか見てみたい。行動力も金もなかった私には程遠い世界だった。
しかし偶然関東に住むことになり、なんとTwitter上でチケットの受け渡しやらというSNSやん!21世紀やん!なこともあり、マームとジプシー『cocoon』のチケットを手にいれることができた。
あの劇評でたくさん読んだことがあったマームとジプシー。あらあらどんな風な作品なんだろうかとどきどきしていた。
そして何より今作は今日マチ子の『cocoon』の舞台版。どうなるのか全く予想がつかなかった。

劇の本編に行く前に、今日マチ子の話も少しだけ。
どうも『センネン画報』ダイレクト直撃世代です。
ということで私は高校生の頃に『センネン画報』を読んでしまった人間だから今日マチ子に対しては全面降伏気味なんだけども、それでも『cocoon』は全面降伏どころじゃなく、もう国の一部を持って行っていいよ、ってくらいには完全にやられた。
cocoon』を読んだのは遅ればせながら今年だったんだけども、もっと早く読めばよかったって思ったし、あと読む最中に背筋が伸びたんだよな。こんな作品をだらだら読んじゃだめだと背筋を伸ばして読書。その価値がある漫画。今更私が言うことではないけども、これは名作。


そんな名作をマームとジプシーが舞台化。というのは2013年の初演時に既に大きな話題になっていたし、やっぱりどうしても観たい作品であってけども、そこは地方都市。見れなかった。


で、観た。
めちゃくちゃ打ちのめされた。
見る前は池袋来たし「大勝軒」でも劇見たあとに寄るかーと思ってたけども見たあとはそんな余裕すらなくなってしまってすぐに帰宅してしまった。
あと物販で今日マチ子の『いちご戦争』、ユリイカ今日マチ子特集号、それからcocoonの初演時を一冊にまとめた本。
それを買ってしまった。散財をしなきゃと思った。その時は。少しでもこの作品の凄みを理解したい。そのためには今自分が持ってるテキストだけじゃだめだ。今日マチ子とその周辺についてもう少し理解しないとこの作品を噛み砕けない。そう思って散財。そういう作品


この作品でもリフレインが使われてまくっていた。
冒頭部の高校生活。
この作品のこの部分を友人に話してる最中に「桐島、部活やめるってよみたいな感じ?」って言われたけども、そうかも。
でも、もっとシーンを細切れにして、もっと繰り返すスピードが速い。でも次第に各々の高校生活が立体的に浮かび上がる仕組み。
繰り返す動作、繰り返す言葉は、繰り返す日常に。
「テスト勉強やった?」
「あのお菓子屋さん美味しいらしいよ」
「後輩がもめてる」
「バレーの試合」
「騎馬戦」
日常、日常、日常。


そんな彼女らが戦況の悪化により、ガマで看護隊になる。
その日々は前半部の慌ただしさとはまた異なる慌ただしさを持つ。
一気に死の匂いが濃くなる。
彼女らは小さなステージを慌ただしく走り回る。「看護婦さーん」と兵隊が呼ぶ声。慌ただしく走り回る。ノイズが次第にまじる。
それも繰り返す。繰り返す。
繰り返す動作、繰り返す言葉は、繰り返す日常に。
そして私はあっという間にあの日常が破壊されていたことをしる。
あの前半部のくだらないことで笑いあっていた日々を。

繰り返しが生活を産む。
繰り返しが記憶になる。
戦況の悪化でついにガマを追い出された彼女らは戦場の中を走り回ることになる。
小さなステージを走り回る。走り回る。走り回る。
名前を叫びながら、光が舞う中を、何度もぶつかり、身体も舞いながら。
目に見えて役者の方々も疲労がたまっていくのがわかる。
その状態で友人が一人死を選ぶ。
彼女らはその友人の記憶を思い出す。
それは前半部の学生生活の頃のシーン。
走り回り疲労が溜まった状態で再び演じられるそのシーンたちは、まるで切実な記憶のようであった。
もう一度戻りたいと心から願うあのころの記憶。
戻りたい。戻りたい。
でも、あの頃と全然違うということを「肉体の疲れ」が証明してる。あの頃と全然違う。


走り回り、走り回り、走り回る。
そしてこの作品は終わる。
繰り返すことで日常を作り出し、走り回ることで舞台上に戦争を作り出し、肉体の疲労で戦争が日常を破壊することを作り出す。
今日マチ子の『cocoon』を元にしながらもまた違うアプローチの作品になっていた。

劇中、これが沖縄であることも、1945年に終わったあの戦争であることも明言はされない。
それどころか2015年現在との繋がりを強調してくる。
遠く離れた人の話だと、自分には関係のない悲劇の話だと、そんなわけないだろうと。
あの時の彼女らはまるで自分の学生時代のようだった。だからこそ戦争の混乱に落とされる彼女らの思考は「私がいつかたどるかもしれない」思考のように思えた。


cocoon』本当に凄まじかった。その一方で個人的に"繭の中"というテーマがまだ噛み砕けてない(自分の中でうまく落とし込めない)のでこれは上演終了後に買った今日マチ子の『いちご戦争』を読んで噛み砕きたいところ。『cocoon』本当によかったです。



箇条書きスペース

・音楽がクラムボン。ひかりfrom hereを使った演出に泣く。
・役者陣がすんごい。青柳いずみさんの存在感。菊池明明さんのマユ、かっこよかったな…。
・青葉市子さんの声と佇まいはあの展開になった時こんなに切実になるとは思わなかった。
・「どこで死のう?どこで死のう?」ってセリフがもう本当に強かったな
・双子も「さとうきび」を食べて弁解する時の声が本当にかわいそうだった。
・こんな感じでまだ自分の中で渦巻いてます。この作品。
・見てよかったー。