下書き保存で溜まっていく映画の感想が20を超えたあたりから数えられなくなった。
なぜここまでまじめに取り組まない進研ゼミのように溜まってしまったのだろうか。
映画を見ると感想を書きたくなり、Twitterには書く。そして今度は長文だと思いブログを開き書き始めると何故かわからないが途中あたりで毎回飽きる。
というより、なんていうか「もやもや」する。
恥ずかしくなる。
文章の体裁ばかりを気にして、自分がその映画を見てどう思ったかが消失してしまう。
書くのがそもそもストレスになり下書き保存。
そして世に出ない映画の感想がたまっていく。
しんどいしんどい。
そもそも、元々私はええかっこしいなのだ。
ええかっこしいなので、映画を見ている時も顔の横に指を起き「ふむふむなるほどなるほど」と知ったような表情をしている。
しかしそもそも私は涙腺が壊れただけの24歳男性で、世間をあっと言わせるような鑑賞眼も、人々を酔わせるような文章も書けないはずなのだ。
なのに、映画を見て「いざ、感想を」と思うと心のなかの文豪が邪魔をする。
「ちみ。その文章で恥ずかしくないのかい」
恥ずかしいです。
私は、かしこくない。
かしこくない人間だ、ということをちゃんとわきまえてなければならない。
じゃないとすぐに私は背伸びをしてしまう。
何かを知ったふうなことをすぐに言ってしまう。
そんな風な自意識なんてどこかへ捨て去って、浜村淳さんのように映画を語っていきたい。
ありがとう浜村淳です。
というように最近はまた自意識に苛まれている。
というか自意識やばくないですか。自意識ってなんであんなに人を苛むんですか。
なぜ自意識なんてめんどくさいものがあるんですか。
自意識なんてめんどくさい。こんなめんどくさいものを捨てたい。
捨てるにはどうすればいいんだろうか。
しかし捨てることはできない。なぜならもう自意識は俺の中でばっちばちにつながっているからだ。むりに引き剥がそうとしたら死んでしまう。ライク亀の甲羅。
でもなんとかしたい。
そうだ。めんどくさいにはめんどくさいものをぶつければいいんだ。
同じ速度でめんどくさいものとめんどくさいものをぶつけることで新たなものを生まれるのでは。
その結論に至った俺は、団地で練習するにはめんどくさい楽器「ピアニカ」を買ってしまった。
自意識が肥大化した24歳男性vsめんどくさい楽器「ピアニカ」
日が鋭く差し込む12:00。
俺はピアニカのケースを開ける。
ぺぽー。と生ぬるい音が団地に鳴り響く。
生ぬるく安っぽいその音が俺の過敏になった自意識を抑えていく。
ぺぽー。
ぱぴー。
ぷぽー。
ああ。なんとも気の抜けた音だろうか。
この音の前では俺のぎっちぎちになった自意識も無意味。無価値。
俺は膨れ上がった己ではなく、等身大の24歳男性に戻っていく。
ありがとうピアニカ。
I love youピアニカ。
thank you forピアニカ。
というわけでピアニカにはまっています。
演奏して気持ちいい曲はロッキーです。