1980年代の東京を舞台に、嫌みのない図々しさを持ち、人の頼みは断れないお人好しの大学生・横道世之介の日常と彼を取り巻く人々のその後を描く。
ちょっとだけネタバレあります。
見終わった瞬間に今年のベストだけでなく自分の中でのオールタイムベストを確信しました。今後10年間くらいは好きと言い続けるような、そんな映画に出会った!と喜びに打ち震え、そして気がつけば見終わってからずっとこの映画のことばかり考えているような生活を送っています。
この映画の監督、沖田修一の「南極料理人」がとにかく好きで。よくどれくらい好きかと例えるのに「もしあれの9時間版があったら見るくらい好き」と言ってるくらい。なんで好きかと言われれば、とぼけた雰囲気や空気感の構築が好みなんですね。映画見てるぞー!っていうよりかは、いつまでもその空気に浸っていたいなあと感じさせるような作品作りをしている人だと思います。
物語のリズムも独特。冒頭から本当ゆったり始まる。わかりやすい引きもない。でも気がつけば見入っている。本当何なんだろう。この人の技のようなものが知りたい。
ゼロ・ダーク・サーティと同じく160分もある長尺な映画ですが、あちらと同じく飽きることはありません。あちらがビン・ラディン暗殺作戦という大きなテーマに対して、横道世之介という1人の大学生とその周りの人々の話は些か長尺な映画にしてはスケールが小さいように思えるかもしれません。でも、僕にはこの映画はこの時間が必要だと思いました。それは即ちこの映画上映時間は横道世之介という1人の大学生についての思い出を観客が作るのに必要な時間なのだと。
横道世之介という人物造形についても触れておきたいです。
本当にどこにでもいるような人なんですよ。大学生らしく下心もあるし、図々しいし、汗っかきだし。
そんな特別な人間じゃない。けど、あいつのことを思い出すと笑い話をいくらでも思い出しちゃうようなやつ。
変にイノセントな人間造形だったらこんなに好きになってなかっただろうな。
この距離感の設定も本当絶妙だなあと思うのです。
キャラクターでいうと出てくる奴ら全員が愛おしいんですよね。
特に愛おしいなあと思ったのは大学に入学した日に出会ったの倉持と阿久津のエピソード。
若さ故の軽率さ、そして現実を受け止め決意を固める倉持の後ろ姿は印象的だった。あと綾野剛演じる加藤のエピソードも"ある意味"衝撃的(館内から女性の悲鳴が聞こえたほど笑)。そしてあの告白の後にスイカを膝で割る世之介はやっぱり可笑しい。
この映画での吉高由里子さんの可愛さのインフレがやばい。世間知らずな吉高由里子、変な所でツボに入る吉高由里子、プールに飛び込む時に変な声を出す吉高由里子、うちわで感情を表現する吉高由里子、カーテンに包まる吉高由里子、名前を呼び合う吉高由里子!
そしてあのキスシーン!舞い上がる気持ちを表現するかのようなカメラワークにどきどきしました。
キャストの素晴らしさを一人一人あげていくだけで2時間くらい平気で話せるよね。あの1シーンだけ出てきた井浦新のことだけでもめっちゃ話したくなる。
物語の構造上、とある事が中盤で明かされる。あの感覚は何かに似ているなと思ったら、木更津キャッツアイの7~8話のラストでぶっさんの遺影が映った時と同じ感覚だった。
この愛おしい時間が永遠ではないことが冷酷に告げられてしまうあの瞬間。
しかし、永遠ではなくても確実にその時間は存在していた。なんでもないけども楽しいと思えたあの時間。そんな時間のことを思い出と呼ぶのだ。
横道世之介は人を笑顔にした男の話ではない。ふとした瞬間に、思い出してしまうようなあいつの話だ。特別な人間の話じゃない。でもその関わった人の中で生き続ける思い出のような人。そんな人は僕の中にもいるだろうし、あなたの中にもいるだろう。そして横道世之介という映画自体がそんな人のような映画なのだ。私はふと映画のことを思い出のように思い出してしまう日が来るんだろうなと思っている。
劇中の加藤の台詞を引用すると
「あいつに関わっただけで人生が得した気がするよ」と言って思い出し笑いをしてしまうような。
ラストシーンで僕は涙が溢れて仕方なかった。何で泣いたかなんてわからない。でもどうしようもない涙が溢れてしかたなかった。悲しいからでもなくて、辛いからでもなくて。でも僕は号泣と言っていいくらい涙が溢れ出ていた。
そして笑顔で走り続ける世之介の姿を見ながら劇中の吉高由里子演じる祥子ちゃんと同じ事を思っていた。
「世之介大好き―!」
最高に好きな映画です。超オススメ。