にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

いつか何かしらの罪を犯してしまうかもしれない運転。

入ってくるお金と出ていくお金を計算したらプラマイゼロになってびっくりした。

今、口座には4万くらいしか入ってなくて、弟にそれを話したら「え、大学生やん」って言われたけども、いやいや俺は大学生の頃3万くらいしか口座に入ってなかったから4万はそれより1万多いわけよ。これが29歳の力ってわけですよ。

ただ、先日の引っ越しの代金やらが来月末に乗っかってきまして、そして入ってくる雇用保険がちょうどとんとん。なので、来月末になっても口座の中には4万くらいしか残ってないことになるわけであります。

4万。

29歳男性の口座に4万。

あまりの事態に脳がスパーキンッした私は、その足でTSUTAYAに行って漫画『それでも歩は寄せてくる』の一巻を買ってしまった。

お金を使っちゃいけないって思ったら、なぜか使ってしまう瞬間ってあるよね。なぜか我慢できなくて。なぜか現実が認識できない時。今日がその時だった。

その時っていつさ、その時って今さ。

 

しかしそんななけなしのお金で買った『それでも歩は寄せてくる』を10分ほどで読み終えた時はあまりの儚さに作品どうこうよりも動揺がまさってしまった。

漫画のコスパって悪くないですか?

なんて書くと、なんかどうしようもないし、しょうもないけども、漫画はまじで一瞬で読みおわってしまうのが辛い。

読みおわって、だからお金が無くなってから漫画をあんまり買わなくなったんだなと改めて再認識しました。ううう。

 

数行前で漫画のコスパわりい、なんて書いたけども、物語や作品をコスパ云々で語り始めたらまじで終わりだとも思ってる。

そうなると、辞書読んでろ、もしくは無料でもらえるスーパーのチラシ読んでろって話になるじゃないですか。

よくねえ。

それはよくねえ。

しかし、その一方でないお金を出すならば長く読めるものが読みたい、そう思うわけでございます。

貧すれば鈍する。

それを地で行く日々を相変わらず送っている。

 

今日はハローワーク雇用保険の説明会だった。

セミナールームに入ると山ほど人がいて、そのぎゅうぎゅう具合は奴隷船のよう。もしくはコンテナで密入国するかのよう。

延々と雇用保険の受給に関する話を聞いていた。

しかし60分もしたら集中力が完全に飛んでしまって、途中から何を言ってるのかさっぱりになってしまった。

そういえば、学生時代も授業中に集中力がなくなって何の話をしているのかさっぱりになることばっかりだったなと思い出した。

なんで、4時間のクーリンチェ少年殺人事件を集中して見ることができて、2時間の講習の集中して聞くことが出来ないんだろう。

クーリンチェ少年殺人事件を乗り越えたなら、なんでも出来そうな気がするけども、そうでも無いみたいである。

 

説明会の後半は「不正受給するなよ!!」ということを延々と説かれた。

なんかそんなことを聞いていたら、いつかそういうことをしてしまうんじゃないだろうか?という恐怖感に包まれた。

車の教習所に通っていた時も「交通事故に気をつけてくださいよ!!」という話を聞くたびに、私が車で誰かを轢き殺してしまう想像をして、罪悪感と恐怖感に襲われていた。

罪について説かれると、それをやってしまうんじゃないかって恐怖に襲われませんか。

私はしない!なんて言い切れないじゃないですか。

何が起こるかわかんないし。

いや、不正受給したろーなんて思ってないですけども、なんかの手違いでやってしまって、それで周りから非難されるんだ。多分。

もうだめだ〜と心の中のぼのぼのが叫んで、「しまっちゃうね〜」としまっちゃうおじさんがステップを踏んでたら、説明会は終了していた。

 

いらぬ罪悪感と恐怖感に襲われる。そんなことは他の人はないのだろうか。

ガラス細工が置いてある棚の前に立った時に「今ここで俺がもし暴れてしまったらどうしよう」と思うことはないのだろうか。

車を運転していて「今、気が狂って歩道に突っ込んでしまったらどうしよう」と思うことはないのだろうか。

いらぬ、想像をしすぎなのだろうか。

でも、私は自分の動作や行動を完璧にコントロールできる気がしないのです。

だから、ガラス細工を壊してしまうかもしれないし、歩道に車を突っ込ませるかもしれないし、不正受給をしてしまうかもしれないのだ。

その恐怖感だけはずっとあるのだ。

身体を二つ折りにされる地獄には堕ちたくない。

昨晩、書いた文章を読んであまりの暗さに「おえおえお〜」と猿岩石の5枚目のシングルみたいな声をダウナー気味に漏らしてしまったわけだけど、要するにあの時は気分がめちゃくちゃ落ちていたわけであった。

というのも、抗うつ剤が切れて24時間以上経っていたのもあって、気分は最悪に最悪を重ねた状態。

今日は朝からちゃんと抗うつ剤であるところのサインバルタを60mgちゃんと服用したのでなんとか気分はまた持ち直すことができた。

しかしながら、昨晩、睡眠薬を服用したせいで、今日は昼の3時くらいまで寝続けていた。

よろしくない。

 

気分が持ち直したと言っても、なんとなく虚無的な気分には相変わらずなっていたし、なんとなく体調は悪かった。

しかしながら今日は携帯ショップに行って契約の見直しをしてもらうというタスクがあったのだ。

そういえばフリクリの主人公の兄貴の名前ってタスクだったよね。と思いつつ、俺は携帯ショップへいく。

 

携帯ショップで契約の見直しをしてもらっていたら、隣の隣の席のおじさんが叫びまくっていた。怒りに任せて叫びまくっていた。

シャウトだ。

つうわけでシャウト・トゥー・ザ・トップ!とスタイル・カウンシルが頭の中で演奏をし始めて、この曲が一時期とくダネ!のテーマ曲だったなとかまたADHD的に思考が繋がっていくなか、どんどんおじさんは熱を上げていって、最終的には「このやろお!!!」と立ち上がる始末。

それを見ながら私はなんともみっともないわ、ぷぷぷぷとにやにやしてしまった。

その一方でよくもあんだけ、人前で怒りを出せるもんだと思ってしまった。私はあんな風に怒ることなんてできやしないよ。

しかし、携帯ショップで怒りに任せて叫ぶなんてことをしたら、それ専用の地獄に落とされるのではないかと思った。それ専用の地獄。上手く思いつかないけども、身体をガラケーのように二つ折りにされるとか。まあ地獄なんて信じてないけども。

 

つうわけで、私の契約変更はさらりと終わった。店を出るとき背後でまたおじさんの「ふざけんなよ!!!」という叫び声が聞こえた。そんなにさ、喋んなくたって、伝わることもあるだろう、と心の中の中村一義が歌っていた。

 

携帯ショップを出て、またもや虚無感のカーディガンを羽織った私はミスタードーナツに入った。

音楽を聞いたりしたけども、あんまり効果はなくて、こういう時は脳をとりあえず動かそうと思い読書をすることにした。読書をすることで脳をそれだけにするのだ。阿部和重シンセミアの続きを読んだ。

読み進めれば読み進めるほど、揃いもそろって狂った奴らしか出てこなくて、若干嫌な気持ちになりはしたが、かなり虚無的な気持ちは抜けたような気がする。

虚無感に対抗するにはやっぱり読書しかないのかもしれないと思う。

 

しかしこいつはまともな奴だと思っていた登場人物が重度のロリコンかつ変態だということが判明して逃げ場がない気持ちになった。

今のところ登場人物全員最悪ってすごい小説だな。一通り読み終わったら、今度は風通しの良い話が読みたいなという気持ちになってきた。

 

読書を1時間ほどして、虚無感から脱した私は、アルコ&ピースD.C.GARAGEを聴きながら1時間ほど歩いた。

外は寒かったけども、1時間も歩いたら汗だくになった。

一ヶ月で32万歩ほど歩いてるらしいんだけども、全く痩せる気配はない。

相変わらずなにもかもが噛み合っていないような生活と人生だけども、それでも強引にがちゃがちゃとしていかなければとは思う。

私は人生の噛み合わせを良くしていきたい。

 

そういえば通っていた歯列矯正は8割終わったところで放置していたら、先生が亡くなってしまい、後の2割はどうにもできなくなってしまった。

そんなことを思い出した。

ただ思い出した。

何が人生100年時代だ。元気に100年も生きれると思うなよ。

睡眠薬を飲んでも眠れない。

というか睡魔は来ているのだけども、その本格的に睡眠に落ちるまでの、あと数段の階段が登れない。

そういう夜はやきもきする。

やきもきをするとまた余計に眠れなくなってしまう。

眠れないと余計なことを考えてしまう。

余計なことを考える夜は大抵ろくなことにならない。

 

私の祖父が本格的に弱っている。もうそれは本格的に。

身体は動かなくなっていて、そしてなによりも全てが弱々しい。

祖父の近くで介護めいたことを少しだけやった。

それは大変だった。

それに疲れたのもあったけども、なによりも弱々しい祖父の姿に触れているのが辛かった。

 

祖父はもう90を超えていて、おじいちゃんもおじいちゃんなんだけども、でも長く生きた最後はこんな風になってしまうんだというのが、とても辛かった。

人生100年時代だの、90歳まで働こうだの、そんなことまやかしだ。

人は弱っていくのだ。

人は歳をとると弱ってしまうのだ。

身体は衰えるのだ。

身体は動かなくなるのだ。

あんなに利発的な人が弱ったことしか言わなくなるのだ。

100年時代だ、なんて軽々しくいう人は元気な姿で100年生きれると思っているのだろうか。

人は弱る。歳をとると弱る。簡単に弱る。

なんでそれすらも、いやそんなことからも目をそらせるんだろう。

 

母は私たちの家と祖父母の家を行き来して、なるべく手助けしている。

私もそれを昨日今日と軽く手伝った。

それだけで私は簡単にひよってしまった。

それがなんとも情けなくて、どうしようもない。

 

ケアマネージャーやカイロプラクティスの人がやってきた。

テキパキと動く。

祖父の手助けをする。

私は何にもできない。

祖父の身体の起こし方も知らないし、祖父の支え方もしらない。

今まで自分が好きだったこと、頭に入れてきた知識なんてなんの役にも立たない。どうしようもない。

 

祖父の次は自分の母と父の番だ。

そしてそのあとは私の番だ。

私たちは年を取る。

弱っていく。

死に向かう。

ただ、簡単には死ねない。

ゆっくりと弱っていく中で、多くの人の手を借りないといけない。

人が弱っていくとは、年をとっていくとはそういうことだった。

私はずっとそれに目をそらしていた。大馬鹿ものだ。

 

私はただ無職だから時間はあるので、今祖父の手助けはできる。なるべくやれることはやりたいと思う。

でもその一方で、弱っている祖父に向き合わないといけないと思うと、それはすごく怖くて勇気がいる。

 

子供の頃、いつか人は死ぬと知った時、本当に怖かった。泣き叫んだ。

それを今、思い出してる。

死ぬって凄く怖い。

本当に怖い。

それでも日に日に死に向かっていく。

それを避けることは絶対にできない。

 

誰が発達障害を決めるのか?ってそりゃとりあえずはお医者さんよ

好きな芸人さんが税金を納めてなかったというニュースがきっかけであの芸人さんはADHDではないか?というのがにわかに盛り上がっている。

これまで芸人さんのすべらない話的に消費されていたあれこれのエピソードは実はADHD発達障害由来だったのではないかというものだ。

とそれくらいにはADHD発達障害が認知されてきたというのはある意味で喜ばしいことであると思う。

それでこの話は特にその芸人さんがADHDだ!発達障害だ!と断定したいものではないし、ADHD発達障害と決めることってどうなの?って疑問符を投げかけたいものではない。

この一連の流れの中で「発達障害だと思って病院に行ったけども、怠惰なだけの健常者だとわかった」というはてな匿名ダイアリーの記事が再燃しているのに少しの怖さを覚えたので、今衝動的に文章を書いている。

「誰が発達障害を決めるのか?」という大きく出たタイトルをつけようと思うけども、そこまで話を大きくしたいわけじゃないので、タイトルは変わっているかもしれない。

要するには私が言いたいのは「発達障害だと思ったけども健常者だと言われた」ということに記事に対する妙な気持ち悪さについてだ。

発達障害だと思ったら怠惰なだけの健常者だった」という記事を昔読んだ時に私も気持ちがかなりブレた。

私はその頃にはメンタルクリニック発達障害だと認定はされていた。しかし「発達障害なのか?」という疑念はずっと残っていた。

というのも、やっぱり自分ではずっとこの「自分」で動いてきたので、今更、あなたは発達障害です、病気です、なんて言われても納得しづらかったのだ。

もちろんずっと人生で生きづらさは感じてきた。

多くのミスを生んで、多くの人に迷惑をかけてきた。

でも、あなたは「ADHD」だ「発達障害」だと言われてもやっぱりどこかで納得できなかった。

だから休職することになっても、結局復帰できなくてもあるところまでは健常者としてなんとか生きたいと思っていた。

でも、それは難しかった。

結局、私は障害者手帳を申請することにした。

 

と、自分語りを重ねた上で何を語りたいというのかというと、「発達障害だと思って病院に行ったけども怠惰なだけの健常者だった」という文章は、今まさに「ADHD」や「発達障害」で悩んでいて病院にまだ行っていない人に対して、「私も怠惰なだけかもしれんし、やめておこう」と思わせる力があると思ったからだ。

 

こんな場末のブログなんて誰も読んどらんと思うけども、もし悩んでいる人がいたら、そしてあの文章で揺さぶられた人がいたら、あの文章は気にせずに一度病院に行くべきだ。

そして、悩みを打ち明けるべきだ。

もちろん、病院合う合わない問題や、診断されたよどうしよう問題などあるけども、まずは悩んでいるならば病院に行った方がいい。

話はそれからだと思う。

 

ADHD発達障害と診断されることの良し悪しはもちろんある。色々と"世間の目"ってのもまだまだある。

でも、生きづらさだけはどうにもならん。

自分の生きづらさだけは先送りすればするほどどんどん辛くなる。

もし、その生きづらさにある種の名前がついているならば、名前をつけるべきなのだ。

そして、その名前を元に対策をしていくべきなのだ。

 

それから怠惰なだけな健常者だった。という書き方はめちゃくちゃ絶望を含んでいる。

それに関してはなんかまた社会的な病理を感じるし、ここを切り口にするとどんどん長くなるから、今回はやめておくけども、一度診断されて納得がいかなかったらセカンドオピニオンあるよってのは伝えておきたい。

医者によってはまじで適当な診断しかしない。本当まじで。

 

そんな医者disも入ったけども、それでもそんなADHDについて詳しいのはお医者さんだ。だから、悩んでいるんだったら一度助けを求めた方がいい。絶対そっちの方がいい。

 

というわけで、あの文章で心がぶれたり折れたりした、まだ名前を持ってない人に向けてこれを書いてみました。

病院の初診は最悪一ヶ月かかるけども、待つだけの価値はあるから。もし迷ってるなら一度予約だけでも入れてみよう。緊張するかもだけども、一つ一つこなしていこう。

 

健常者だとわかってがっかりしたという文章に対する、何か物思うこともあるけども、それまでは追いかけない。

 

にしても、本当生きづらい世界になってきてるんだなあ……とここ数日TLを眺めてるとより強く思いますね。なんか、どうしたもんやろね。

鬱の大波に飲み込まれて気がつけば沖にいる。

普通に生きていきたいだけなんですけども、その普通ってやつのハードルが異様に高かった!!

というわけで29歳男性は今現在、タリーズカフェで震えている!!

何故ならば鬱の波が押し寄せているし、胸は締め付けられるし、お先真っ暗な気持ちになっているからだ!!

ナイン・インチ・ネイルズだったら「Help me…I'm in hell」と曲にするところだけども、ナイン・インチ・ネイルズではない私はこのように今、文章を打っているのだ!!せめて救われようと文章を打つ!打つ!打つ!!!

 

鬱が突如とぶり返してきたのは先日の父、関東の一人暮らしの家にやってくるの回から、なんだけども、まあそれ以来とにかく生活はボロボロになっている。

まともなご飯も食べてないし、部屋は荒廃していくし、3日も寝続けるし、一体どうしたもんだい。

人と会う用事がある時以外は死んだように生きてる。死ぬように生きたくはない!なんて歌ったのは中村一義だけども、俺も俺もー!と思いつつ現状は死ぬように生きている29歳男性。

 

とにかくなんとかこんな状態から抜け出したいんだけども、なかなか抜け出せない。だから鬱なんだね。そうなんだね。と思うけども、もう2年も苦しんでるんじゃー、そろそろ良くなっておくれやー!と思うんだけども、そうはいかないみてえっすわ。

めちゃくちゃ苦しいけどもその苦しみに理由がないところが凄え鬱って感じで、理由のない鬱の波に飲まれております。せめてこれを乗りこなせたらと思うけども、そんなサーフィンは習ってない。サーフィンU.T.S.U.

 

先週も酷い鬱に襲われたので、もうこの鬱にはハードコアな映画をぶつけるしかねえ!!って思って三池崇史の『殺し屋1』をみたんですよ。

そしたら効果はてきめんだ!!

だいぶ鬱はましになったというか、映画を見ている間と見終わって数日はなんとかなりました。

でも、また数日経ったら寝続ける生活になって、それからまた鬱の波ですよ。

ちょうどええところはないのか。人生にちょうどええところはないのか。

 

そういえばTwitterを見ていたら10年を振り返る……みたいなのが流行っていて、みんな色んな10年があるなーと思っていたけども、俺の10年は……!?と思ったら、なんか気恥ずかしくなって書けなかった。

なんか10年を要約するのが怖くなってしまって、書けなかったよ。

自意識こじらせ太郎だから、10年を140字にまとめてたまるか!!みたいな気持ちもあるんですよね。

すごくうざい自意識やねえ。

いつだって頭の中で鳴り響く自意識に振り回されてるよー。

まあ、10年を振り返るのが流行っていた時は寝続けている時だったのでそれどころではなかったのですが。

 

昔、鬱の時は「本を読んだ方がいい」なんて自分で書いていた。というわけで本を読んだ方がいいんだろうなと思いつつ、本を開く元気がまだわかなくて、こうやって文章を打ち続けている。

文章を書いたら少しは気がまぎれるかな……と思ったけども、紛れているのか?これは紛れているのか?

紛れているかわからない。でもここで文章を打ち終わると鬱の波がまたどっとくると思うと、打ち終わり!!なんて言えない。

うーん、なんぎやねえ。

 

生きてるって大変だと思う。本当大変だと思う。

僕はこれからもこの扱いづらい頭と体を、なんとか動かし続けて、生きなきゃいけないんだろうなーと思うと、そりゃターミネーター1のラストばりに暗雲が立ち込めるわけだけども、それでも、なんとかやっていかねばならない。

いつだって心に希望を、未来に火を……

だって思いたいけども、いや、今きっつい!

きっつい今をなんとか乗り越えてえ!!

鬱の波をなんとか乗り越えてえすわ!!

 

いつか、鬱とかそういうことから解放されたいです。

ただただ幸せだなーと思いたい。

なんとなく辛いみたいな状態から脱したい。

もう何年もこんな状態なんですよ。

いい加減、いい加減もうええやろ。

もうええやろ。人生のイベントとしては長すぎる気がする。でも、多分、長いんだろうね。一回こうなったらなかなか抜け出せないのが鬱やものね。

 

それでも、こうやって文章を打っていたらなんとかなってきている気がする。少しは落ち着いてきたような気がする。

いや、気がするでいいのだ。それでもいいから、気がするでもいいからそれをなんとかほれを積み上げて今日を生き延びよう。

日々を生きるしかないんですよ。

それしかないんですよ。

 

普通に幸せになったら、幸せだなーって思うのだ。

公園のベンチで、なんてことない街角の喫茶店で、図書館のあ行の前で、天下一品の注文待ちの間で、地元の耳鼻科の前で、寝る前の少しの時間で、相対性理論のアルバムを聴いてる時で。

そんな時に幸せだなーと思いたい。

でも、今はまだどうやら無理みたいだ。そして引き続き悲しくなった私は2000字も文章を書いて、答えも何も見つからない。

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