にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

進捗日記 2019年3月15日『ペパーミントキャンディー』

11時半ごろに起きる。9時起き目標だからめっちゃ寝坊したことになる。急いで準備して渋谷に行く。道中、iTunesUNISON SQUARE GARDENの『徹頭徹尾夜な夜なドライブ』を買って聞く。昨日、Apple musicでスカパラがカバーしたのを聞いて原曲に興味を持ったので買ってみた。とてもいい曲。凄く好みなので渋谷に行くまでの間ずっと聴き続ける。渋谷に着いたら友人と合流してアップリンク渋谷へ。

 

『ペパーミントキャンディー』(監督イ・チャンドン)を見る。

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 凄まじい大傑作だった。噂には聞いていたけどもここまでやられるとは思わなかった。

 線路の上に立つ男、電車が近づく、男は叫ぶ「帰りたい!帰らしてくれ!」。巻き戻る時代。歴史のうねりや変化する社会に翻弄された男。本当に帰りたかった場所とは?全てのピースがはまった瞬間、息を呑み、呆然とした。

なんて切ない話なんだ!あの瞬間こそ人生最良の時間だったとは…。

見終わって、どうすればよかったのか…どうすれば線路の上に立たずに済んだかを考えるも、あの時代に徴兵されてしまったことがそもそも詰んでしまった原因だとわかり、もう超絶悲しくなる。ただの一個人なんて時代に翻弄されるしかないよな…。

見終わって、頭の中で時系列を組み立てれば組み立てるほど悲しい気持ちになる映画。ある種、全ての始まりがわかるのがラストシーンな分、映画が終わってから頭の中でもう一度「あれってこういうことか!こういうことか!」と真の時系列順に進めることができる。なので二度目の映画は頭の中で始まるのだ!とカメラを止めるな!のキャッチコピーめいたものを言いたくなる。

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個人的には警官のシーンでのあの酒場の女性とのエピソードが切ない。初恋の女性に対して取り返しのつかないことをした後に、まやかしとはいえそれをなんとか取り戻そうとするんだけども、それすらも叶わず…。うーん。「帰りたい!帰らせてくれ!」だ!!!

時系列が逆に進んでいくので、最初であり人生の最後のズタボロな姿と、最後であり人生最良の時の姿の差にとんでもなく絶望してしまう。人の20年……。ラストカットの涙と近づく電車の音に、せめてもの救いを感じた。こういうことでしか救われないよなあ。

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昨日見ていた『1987、ある闘いの真実』もまた後ろにある映画というか、見ていたお陰で理解に役立つシーンがあった。韓国の歴史って馴染みがない分、映画で知ることもあって、そういう意味で映画って見ていると繋がっていくんだな。

ペパーミントキャンディーの主人公にとって、その後の人生を大きく変えることになってしまった光州事件を扱った映画『タクシー運転手』も見たいと思った。

 


見終わってから友人と喫茶店で映画について喋ったり、ドン・キホーテに行ってペパーミントキャンディーを実際に探してみたり、ご飯を食べたりして8時半ごろに解散。

 


帰宅中も『ペパーミントキャンディー』のことばかり考えてしまう。どうしたらよかったんだろうか…とか、自分にとっても「帰りたい!帰らせてくれ!!」と叫びたくなる日はあっただろうかとか。

イ・チャンドンの映画はこれが初めてだったけども他のも見なきゃと思いました。とりあえず今劇場で『バーニング劇場版』『オアシス』がかかっているので、それを見に行かないと。

 


帰宅後、小説を書こうと思うも、『ペパーミントキャンディー』のことばかり考えてしまって、わしが今書かなあかんのは感想や!ということでこの感想を書く。それでも書ききれた気がしない。もっとこの映画のことを考えたいし、話がしたいなと思う。

 


弟に『ペパーミントキャンディー』を電話で勧める。とりあえず見てくれ!と言う。その流れで母親とも電話。

「最近何を食べてるの?」と聞かれて「ウィンナーとミートボールとキムチと納豆」と答えると「もっとマシなものを食べろ」と怒られた。およよ。

進捗日記 2019年3月14日『1987、ある闘いの真実』『scratch 差別と平成』

 昨晩はあんまりよく眠れず。何があったわけでもないのに気持ちが妙に急いてしまっていたり、意味もなくTwitterを見たりしていた。こういう夜にちゃんと心が落ち着く方法があればしりたい。

 いつも通り4時半に一旦目が覚め、朝ごはんを食べて、米を炊いて、また寝て起きたら9時半を超えていて、朝9時起き目標から30分ほど寝坊。

 そのままシームレスに着替えたり支度したりして、10時半には家を出る。

 まずはメンタルクリニックに行って、傷病手当金の書類の不備を直してもらうことに。すぐ直してもらえたので嬉しかった。あとはポストに投函するだけ、だったのだが、投函直後に切手を貼っていないことに気がついてしまい絶望。思わず「なんでこういうことばっかりやっちゃうんだろ……」と言ってしまう。小さなミスに心が未だ引っ張られる。こういう時どでーんと構えれるようになりたいです。今みたいに過去の失敗体験がばばばとフラッシュバックするのはもううんざりです。

 それだけでなくても、今日は妙に心がしんどかった。3月のせいなのか?寒くなったり暖かくなったりするのに自律神経が追いついていないのか?よくわからないけども、気持ちは沈みっぱなしでヨクナイ!(リトルトーキョー殺人課のドルフ・ラングレンの口調で)

 そんな気持ちなので移動中、延々とART-SCHOOLのスカーレットを聞く。懐かしい以上に今の気持ちにぴったり合う。ART-SCHOOLは弱ってる心にフィットする何かがある気がする。まあ、あまり聞かないならそれに越した事はないのですが…。

 12時ごろ、高田馬場に着き、早稲田松竹へ。

 『1987、ある闘いの真実』(監督チャン・ジュナン)を見る。

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 凄く面白かった!1987年に起こった取り調べ中の大学生の拷問死が、次第に国家を揺るがす出来事になるといった実話を元にした群像劇。

 こんなことが私が生まれる3年前に韓国で起こっていたことに驚き、そして30年経ってここまで映像化されることにさらに驚く。

 群像劇であるため、最初は次々人が現れるのに面食らうけども、終わってみれば「あれは誰だっけ?」みたいなことがないのは凄いなあと脚本の整理力や演出力にも驚く。

 ミクロが次第にマクロになっていく様子にある種のカタルシスを置いているのだけども、それが最高潮に達するのがラストカット。

 これは韓国の人なら泣いてしまうんじゃないかと思ってしまった。俺も泣いてしまったし。

 個人的には大好きな俳優ハ・ジョンウがいい役で出ていて良かったです。しかし、韓国を揺るがしたものが、一人一人の小さな希望のバトンであったというのが胸が熱くなるポイントではなかろうか。

 世界は一人では変える事は出来ない。しかしそのバトンがつながっていくこと、そして団結することで確実に変わっていくのだ。と左翼っぽいことをいう。昔、父親は学生運動していたらしいし、いいですよね。最近は右とか左とかうるさいのでこういう文章を書くのもなんとなく不安になってしまう。

 話はそれましたが、凄く見応えがある映画だった。正直見る前はポール・グリーングラス監督の『ブラディサンデー』のようなドキュメンタリータッチの映画だと勝手に思っていたため、結構エンタメというか戯画化された演出には戸惑ったのだけども、最後のあの一点を見せるためでもこの演出は間違ってなかったと思うし、この話をエンタメとして昇華できる韓国映画界の底力やっぱ凄いなと思うのです。

 早稲田松竹は二本立てなのでもう一作本当は見ることできたけども、『1987、ある闘いの真実』を見て疲れたので退席することにした。

 

 それからいつものようにドトールへ。

 映画の感想をTwitterで呟いたあと、小説を書こうとポメラを取り出す……も、全く書けず。もやもやばかりが溜まっていく。その上、よせばいいのにTwitterで昨日見た「真面目で優しいだけの人間」という言葉をどんどん考えてしまって、その都度文章を書くが、小説とはいえないものがその度に出来上がる。

 私も昔「真面目で優しいだけの人間」という風なことを言われてしまったことがあって、そのせいで人ごとのように思えないのかもしれない。「優しすぎてダメ」とか言われると本当どうしたらいいかわかんなくなるから、みんなは人に言っちゃダメだよ。

 結局三時間もモヤモヤして、これじゃダメだ!となって一度ご飯を食べにいくことに。

 今日はすた丼を食べる。もりもり食べる。美味しいー。肉は偉大ですね。

 

 その後、またもやドトールに再度こもる。

 やっぱりなんとか書き上げたかったけども、思いつかず。小説は全然書けないですな。

 Twitterを眺めると(一日に何度Twitter眺めているんだろう~)『scratch 差別と平成』というラジオドキュメンタリーが凄まじかったという内容のツイートを見る。

 で、早速聞いてみた。

 相模原養護施設殺傷事件のドキュメンタリーであり、犯行を行なった植松被告との面会を通して一線を引くことや、差別問題、そして平成という時代が産んだものを見つめ直すという内容の番組だった。

 植松被告の言動が浅はかすぎて、私は何度も震え上がってしまった。大事件を起こした人間であるのに、その罪の意識がなく、そして殺す人間、殺さなかった人間の線引きすら自分勝手で、正直何度も憤りを感じた。

 記者が「植松被告は自分が役に立たない人間だと思っていたか?」と聞いて「はい」と答える。その後の「役にたつ人間になりたいと思って犯行を行なったのか?」というのが動機を言い当てたことには心底震え上がってしまった。

 これは昨今のヘイトスピーチLGBTは生産性がないから…発言にもつながる目線だよなあと思い、そしてその一方で私自身も適応障害で退職し、現在無職で日々無力感と向き合っているため遠くないものであると思った。

 しかし、その思想に納得するということは一切ないし、ましてや殺人なんて本当に許されることではない。絶対に許されないことだ。

 しかし、この日々感じる無力感というものが、時代によって生み出されているものだとしたら、植松被告もまた「時代の子(番組でそう呼ばれる)」だったのかもしれないし、私もそして今を生きるあなたも時代の子なのかもしれないのだ。

 うーん。うまくまとまらない。これは多分まとめようとするもんじゃないな。考え続けないといけないことだ。そんな気がする。

一応もうタイムフリーでは聞かないのだけども、youなんとかtubeでは音源が上がっている。ぜひ聞いてほしい。本当は私もタイムフリーでちゃんと聞けばよかったなと思います…。

 

 帰宅後、一日外に出ていたせいでぐったり。今もずっと人をダメにするソファーに寝転がってこの日記を書いている。一日外に出るとメンタルも体力もゴリゴリに削られるの何とかしたいなあ。

 あと今日も小説が書けなかったの本当にショックだ。とりあえずどうしたらいいんだろう。軽いものでもいいから書きたいなあ。進捗は今日もダメでした。およよ。

進捗日記 2019年3月13日

 朝10時に目が覚めて、相変わらずぼんやり。9時に目覚める予定でしたが、久しぶりに寝坊してしまいました。およよ。

 朝、友人から貸した本が郵送で帰ってくる。その中に手紙が入っていて読んでじーんとする。最近、レターセットを買ったので返事を書こうと思う。

 ピエール瀧のショックが未だに抜けず。とりあえずテレビは見ないでおこうと思った。なのでレッド・デッド・リデンプション2を進める。1日、1~2ミッションくらいしか進めないようなプレイスタイルで進めている。今日は石油がぱんぱんに詰まった馬車をパクった。石油がぱんぱんに詰まった馬車に銃弾が当たって爆死したり、頭を撃たれたり、体中穴だらけになりながら、何度も繰り返しやる。オール・ユー・ニード・イズ・キルっぽさ。12時頃、外に出なきゃなあと思いながらHair stylisticsのアルバムを聞いていたらノイズが心地よくて眠たくなってきて、2時間ほど寝てしまう。残念。

 2時になって、いよいよ動こうと思いつつも煙草をばかばか吸う。煙草への依存がどんどん強まっている気がする。煙草を吸っても美味しいとは思わないし、気持ちが良くなるわけではないんですけども、なんか吸ってしまう。心の弱いところをつかれている気がする。

 3時に出発して、たまむすびを聴きながら歩く。赤江さんが泣きながら気持ちを吐露をしていたのが印象的だった。話が一段落付いて流れたのが吉田拓郎の「全部だきしめて」で泣きそうになった。

 その後人類安寧の地「ドトール」へ。文章を書くか、本を読むかで悩んで、本を読むことに。ニック・ピゾラットの『逃亡のガルヴェストン』を読む。ニック・ピゾラットは僕が大好きなドラマ『トゥルーディテクティブ』の脚本・制作を担当した人。90ページほど読んでみたら「なるほど、これはトゥルーディテクティブの人だな!」と思った。主には構成の面で。ちょっと構成が分かったときはぞくぞくした。面白い本だなあ。

 


6時に晩飯を食べるため、ドトールの向かい側の松屋に行ってハンバーグ定食を食べる。その後、図書館に一旦立ち寄る。図書館に行くと読みたい本が山ほどあって喜ぶ。やっぱ図書館に行かないといけないなーという気になる。しばらく行ってなかったのを後悔してしまうよ。とりあえず何冊か借りたい本を見つけて『逃亡のガルヴェストン』を読み終わったら借りに来ようと思う。

その間、アフター6ジャンクションを聞く。今週金曜日からイ・チャンドンの『ペパーミントキャンディー』がリバイバル上映されると知って楽しみになる。同時刻に友人から遊びの誘いが来たので『ペパーミントキャンディー』を観に行こう!と言う。ついでに渋谷の交差点を見よう!と言う。渋谷の交差点は白石晃士監督の『オカルト』のラストで使われているので聖地巡礼をしようと言ったのだった。我ながらオタクっぽい誘い文句であると思う。

それからドトールに戻り、小説を書こうと思ってポメラを開くも、1時間ほど何も書けず。うーんうん。うーんうん。と唸って、何文字か書いたらすぱぱぱぱぱと文字が打てて、一気に5000字ほど書ける。嬉しいが、結構パーソナルな話になってしまったのでどうしよかと思う。少し寝かした方がいいかなあ。うーん。今はまだ早すぎるなー。5000字書いたけども寝かせることを決意。もう少し時間が経ったら、また書き直したりしよう。

 ちなみに自分で決めた締め切りは明日である。どうしようかと頭を抱えている。

 


 ドトールが閉まったので、モスバーガーに移動して、文章を書こうとするもそこからは1文字も進まず。で、代わりにTwitterを見ていたら「28歳なのに交際歴がない人と付き合った結果酷い目にあった」というツイートが流れてきて辛い気持ちになる。

 私も28歳男性なのに交際歴がほとんどない。なんていうか、なんていうかだ……。とりあえずやばくない人ではありたいと思うけども、もうやばかったりするのかな。もう戻れないところまで来てたりするのかな……とか不安になってしんどくなる。

 あと真面目で優しいだけの人だったという文面にも辛くなる。ガンジーに同じこと言えんのか!と憤るもガンジーは一夫多妻だったらしいし、性欲めっちゃ強かったという記事を読み、なんつうか、なんつうかだ……。

 とりあえず、あんまりダメージを受けすぎるのもよくないとは思う。その人が私に向けて言ったわけではないというのが大事。私は私なりのペースで生きていくしかないのだ。

 それからsession22を聞いたりしながら、帰り支度。

 22時超えても電車は満員。隣にいたカップルの女が「怖い~」と言いながら男に抱きついていたのを尻目にニュースをひたすら聞いて耐える。世界は平等ではない。強く生きねばならない……。

 スーパーで買い物をして、家に帰ってニュースをだらだら見て、今日もお風呂に入る事に成功。

 明日は早稲田松竹で映画でも見れたらなと思ったり。

 

進捗日記 2019年3月12日

 ここのところ毎朝9時に起きれている。目がさめると3分ほど歩いて自販機に行ってコーヒーを買って飲む。そんな感じで日の始まりを最近は行なっている。健康的だ!

 今日は昨日1日外に出ていた疲れが出たり、昨日の夜悲しくなったことの後遺症で昼過ぎまでダウナーが続く。チャイルディッシュ・ガンビーノのプレイリストを聴きながら適当に過ごす。12時のチャイムが外から聞こえてきて、そろそろ確定申告でもしにいくかと思うものの、平成29年分の源泉徴収票しかもらってないことに気がつく。

 とりあえず確定申告の相談窓口に電話して「平成29年分のしかもらってないんですけども…」と言うと係員から「はぁ???」と言われて少し悲しい気持ちになった。その後会社の方に問い合わせてみては?と言われたので電話を切って元の会社の総務の人に電話をかける。

 そしたらなんとか対応してもらえることになったのと、軽く世間話。今度ご飯を食べに行きましょうとなってメンタルがごりごり回復。誘われるのはいつだって嬉しいものです。

 そうしていると2時になり、外に出ようと思うも、眠たくなってしまい、昼寝。4時間寝てしまい起きるの18時。寝すぎた。

 それから米を炊いて、コンビニにタバコを買いに行って、レッド・デッド・リデンプション2を少し進めて、いつもの晩御飯を食べて、お風呂に入って、Netflixのシェフのテーブルを流しながら文章でも書こうとするも、特に思いつかず。

 ニュースをぼんやり眺めていたら速報でピエール瀧が逮捕されたこと知ってダウナーな気持ちに。

 なんとなくダウナーゆえに中原昌也作業日誌が読みたくなって適当にページを開いて読む。面白い。いつ読んでも本当面白い。中原昌也さんの摂取している文化濃度が濃すぎてすげえなあと思う。Apple musicでHair stylisticsがあるので聞いてみる。ノイジーな音楽が心地よい。

 

 

ほんのりと悲しい

 ほんのりと悲しい。突然ほんのりと悲しくなってしまった。そりゃもう突然のことだった。全く意図せずだ。ふわっと吹いてくる風のように、帰り道に香るカレーの匂いのように、窓から差し込む光の中を踊るほこりのように、ほんのりと悲しくなってしまった。

 特に何があったというわけではない。今日の私はメンタルクリニックに行って、先生と話をして、昼ご飯にハンバーグを食べて、それから小説が書けなくて、本屋に行ってイ・ランの『悲しくてかっこいい人』を買って、保険組合から傷病手当金を貰う書類の不備の連絡があって、汗をいつものようにかいて、ドトールでコーヒーを飲んで、つまりは普通の日を送っている。だけども突然ほんのりと悲しくなってしまった。

 こんな時はどうすればいいだろう?私はいつもどうしたらいいかわからなくて、ただぼんやりとしてしまう。音楽もそれほど楽しくなくて、映画を見る元気もなくて、テレビもただただうるさくて、できることと言えばラジオを聞くくらい。それもコーナーのまとめを聞くぐらいしかできなくなる。もう聞き過ぎて面白いかどうかもわからなくなったコーナーのまとめ。それをただ垂れ流す。

 思えば働いていた頃もよくほんのりと悲しくなることがあった。仕事中にほんのりと悲しくなって、どうしたらいいかわからなくなったことも度々あった。時にはそのまま悲しみに飲み込まれて、がっつりと悲しくなることもあった。

 無職になった今、逃げられるかと思ったけども、そうではないみたいだ。働いていてもいなくてもほんのりと悲しくなるときは悲しくなるのだ。

 私はこのほんのりと悲しくなるのが嫌で人と会おうと思うのかもしれない。もしくは何かに没頭していたいと思うのかもしれない。でも、人と会えない時、何にも没頭できない時、そんなときにほんのりと悲しくなってしまう。そしてどうしようもない気持ちになるのだ。

 ずっと楽しい気持ちでいれたらなと思う。悲しい気持ちになんて一切ならず、ずっとずっと楽しい気持ちでいれたら。でもそんなことは絶対にないんだろう。生きている限り、多分このほんのりと悲しい瞬間はやってくる。理由も、タイミングもわからず、やってくるのだろう。

 これは病気なのだろうか?ほんのり悲しくなってしまうのは病気だからなのだろうか。そうじゃなくて全人類全てが生きていく上で絶対に感じるものだとしたら、なんてシステムに欠陥があるんだ!と憤ってしまいそうだ。

 とにかく私はなんでほんのりと悲しくなってしまうのだろう。どうしたら逃れることができるんだろう。その方法を知っている方がいたら教えてください。私はほんのり悲しくなりたくないのです。

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