にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

積み上げ式自分。

 眠れなくて、ぼんやりしていたらいろいろなことを考えてしまう。とりあえず思考がぐわーってなってきたら文章を書くしかない。

 恋愛をほぼせずにアラサーになってしまって、日々寂しい生活を送っているわけだけども、最近ではもうこんな風な日々もいいもんであると思うようになってきた。

 と、こんな風に思えるようになったのはカウンセラーの前で号泣したからで、仕事のことも生活のことも、思っていた沢山の、思っていたことをぶちまけたからで、そうしたらカウンセラーが「やることぜんぶやってきてますよ。頑張ってきたんですね」って言ってくれたから、ようやく思えるようになったことです。

 そうだ。僕はやることをちゃんとやってきたんだ。その上で失敗はしてきたけども、やることは全部やってきた。

 そう言ってもらえるとだいぶ助かった。身も心も助かった。本当にしんどかったのだ。それまでは本当に辛かった。

「何かが足りない」と人に言われて、その何かが何かわからないから、ずっと追い求めて、でも、そんなの追い求めるなんて無駄だってわかって。

「何かが足りない」なんて思っている人には思わせておけ、俺は俺で十分満足してるんだ。俺は俺でいることにそれほど足りないなんて思っていないんだ。

 何かが足りない人間なんかじゃない。人からそう思われるような人間じゃない。ずれてるかもしれないけども、そのずれすら個性だと思って頂きたい。

 俺は、俺です。なんかややこしいかもしれないし、ずれてると言われることも沢山あったけども、それ含めて俺です。

 だから、いいんだ。今の自分を見捨てて、ありもしない何かを探すのなんてそんな不毛なことはしなくて。

 自分なのだ。

 とにかく今の自分を褒めてあげなきゃいけないのだ。

 ここまで生きてきた自分を褒めてあげなきゃいけないのだ。

 やってきたのだ。

 ちゃんとここまでやってきたのだ。

 悪いこともせず。人を憎むこともなく。ねじまがることもなく。ちゃんとちゃんとちゃんとちゃんとやってきたのだ。

 それで十分じゃないか。

 十分じゃないか!!

 


 そりゃ寂しくないかでいえば寂しい。でもそれはまた別の話だ。

 そうなっていることに対して、問題を自分におきすぎちゃだめだ。

 こういう人生になってしまったのも、なんかそういうことだったんだろう。

 足踏みが多い人生だけども、全部が全部自分のせいだなんて思ってたから病んでしまった。

 足踏みしてたっていいじゃないか。どうせ人生はくそほど長いんだ。これからだって、山ほど歩かされるんだ。

 だから今はとにかく足踏みする。今度はもっと遠くまで行けるように今は待機する。そういう時間だ。今はそういう時間なんだ。

 もうすぐ休職して1年になるけども、この時間が無駄だったなんて一度も思わない。お金は沢山減ったけども、その代わり沢山の友人とふれあえる時間はあった。本当にやりたいことは何かを見つける時間もできた。自分は他の人に比べたら圧倒的に体力が無いこともわかった。自分のこれまでできなかったことは病気だったこともわかった。だからこそ、それを乗り越える壁だってこともわかった。

 何一つ無駄な時間じゃなかった。

 全部、全部無駄な時間じゃ無かった。

 そういうとこれまでの時間も、何一つ無駄じゃない。

 小中高の時間も、浪人していた1年間も、大学の5年間も、就職してからの2年と半年も、そして休職していた1年も、全部全部無駄じゃ無い。

 ここで起こったこと全部が今の自分につながってる。今の自分になってる。よかったことも嫌だったことも、楽しかったことも悲しかったことも、今の自分につながってる。

 でももっといい自分になりたい。

 でももっとよい自分になりたい。

 だから、何もないなんて思ったりなんてこともう二度としない。

 足りない自分だなんて思ったりなんて、もう二度としない。

 今の自分は、これまでの自分の総決算だ。

 自分が足りないと思うならば、これから足していけばいい。

 何もないってまだ思うんだったら、これからどんどん増やしていけばいい。

 まだまだ自分にはあるはずだ。

 あいにくながら自分にはまだ飽きていないのだ。

 もっといい自分をもっと作り上げていきたい。

 それはこれからの時間で作り上げていきたい。

 

 田我流が「ゆれる」でこう歌っていた。

 「社会から見れば窓際の人 でもいつに生まれても「俺は俺だ」と」

 そんな風な歌詞が頭によぎる夜中。

 未熟で、まだだめなところだって沢山ある。

 でもまだまだやりたいことは沢山あるし、挑戦したいことだってあるし、見たこと無い景色だって山のようにある。

 だからここから一つ一つまた積み上げていきたい。

 今の俺の上にどんどん積み上げていきたい。

 1年後でも、10年後でもいい。振り返った時に、あの頃よりも、積み上げることが出来たなって心から思えたら上等だ。

 誰かに言われた何かを探すんじゃ無くて、自分が求める自分になれる何かを探していこう。

 俺はそんな俺になっていきたいって心から思う。

 

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短編小説『はじめてのおつかい(ねこからの)』

 休日。何も予定がない私はいつものように散歩をしている。齢が20数年以上生きてきて、未だに予定の組み方というものを理解していない私はどうしても一人行動が多くなってしまう。そのことに対してそんなに危機感を覚えていなかったけども、人は「そんな生活をしていたらずっと一人だよ」と言う。その言葉を浴びせられる度に、うるせえと思うけども、同時に孤独なまま一生を送るのは嫌だなと思う程度には私は人間的な強度は弱い。

 今日はお日柄もよく~と天気予報士が言っていたように、陽がとても気持ちよく散歩にはずいぶんと向いている日だった。私はニューバランスのスニーカーをずんずんと前に進ませて歩いていた。

 耳にはイヤホンをつけて、好きな音楽を聞いていた。スカートを聞いていた。20/20というアルバム。澤部さんの歌声を聴きながら歩き続ける。

 それはとても気持ちよくて、こんな気持ちのいい日を誰かに邪魔されるくらいならば、一人でも良いと思っている。でも、一生こうだとしたら、飽きてしまった時が最悪だなと思う。

 私は今、散歩に飽きていないから、散歩を続けているわけで、散歩に飽きてしまったら私はいよいよすることが無くなってしまう。

 そんなことが頭を過ぎる。あんまり考えないようにする。

 小さな猫が目の前を通りすぎていく。白い小さな猫。

 私はなんとなくその猫を追いかけていく。特段どこかへ行く用事があったわけではない。散歩だから。小さな猫を追いかけるのだって、選ぶことが出来る。

 小さな猫は路地に入っていく。私はその路地に入る。住宅と住宅の隙間に生まれた路地を歩いて行く。その路地は住宅の屋根や庭に生えた木々のせいで、陽の光が全く入ってこなくて、暗く、そして涼しい。

 小さな猫はその路地をすいすいと歩く。私はがたがたになった路面に足を何度かもつれさせながら、小さな猫を追いかけていく。

 小さな猫は路面の行き止まりで立ち止まる。私も立ち止まって、かがむ。そして「にゃーにゃー」と喋ってみる。こんな姿、会社の人に見られたら、恥ずかしくて死んでしまいそうだけども、ここは会社から電車で1時間は離れた場所で、同僚も近くには住んでいないから全く気にせずに「にゃーにゃー」と喋る。

 すると小さな猫は私に振り向く。小さな猫は大きな目で、私をじっと見る。「にゃーにゃー」と私は言う。

 うみゃあ。と小さな猫は返答をした。

 それから、小さな猫は路面をぱしぱしぱしぱしと掘り始めた。

 私はそれをじっと見ていた。なんらかのトリガーに触れてしまった気がして、それをじっと見るしか無いと思ったからだった。

 数分ほど、小さな猫がぱしぱしと路面を掘るのを見ていた。

 路面から小さな金属片のようなものが見えていた。私は、近づいて、金属片を取り出す。

 それは鍵だった。小さな鍵。鍵の後ろには黄色の楕円のプラスチックが付いていて、そこには「歌舞伎町5番。27」と書かれていた。 コインロッカーの鍵?なんでこんなところに。

 と思っていると、小さな猫は私の膝に飛び乗った。そして、私の顔をじっと見た。うみゃあ。うみゃあ。

 多分だけども、この鍵を開けろと言っているのかしら。なんてことを思ってみた。

 それは多分、私の思い違いなんだろうけども、そう思ってしまったのだから、仕方ないなと思ってしまった。

 直感的に動くことも時には必要で、小さな猫の目は私の直感を揺さぶってきたのだ。

 私は「これを開けに行ったらいいの?」と聞いた。

 うみゃあ。うみゃあ。と猫は鳴いた。ならば開けに行こうじゃないか。私は「にゃーにゃー。にゃーにゃー」と言った。「開けてくるから、ちょっと待っててね」という意味で言ってみた。

 うみゃあみゃあ。通じたみたいだった。

 今日の私は猫語を操れるみたいで、いつの間にこんな能力をと思ったけども、これも全部、思い違いなのかもしれない。

 でも、私は小さなコインロッカーの鍵を小さな猫に渡されてしまったので、開けに行かなければならない。それは予定の無い私がしなきゃいけないことで、他の人には任せられることじゃない。

 「じゃあ、開けてくるから。にゃーにゃーにゃーにゃー」と私は言う。うみゃあ。うみゃあと小さな猫は転がり回った。喜んでいるみたいだった。

 


 最寄りの駅から、新宿までは1時間くらいかかる。なぜ歌舞伎町のコインロッカーの鍵があんな路地に埋められていたのだろう?

 私は真っ先に薬物取引のことが思い浮かぶ。薬物取引のために誰かがあそこに鍵を埋めていたんじゃないか。だとしたら、私は今とんでもない社会の沼に足を埋めようとしているのではないだろうか。 しかし、それを考えると、あの猫の姿が浮かぶ。うみゃあ。うみゃあ。私は薬物取引のことを考えるのをやめる。代わりに猫のお使いに手がけているというファンタジーの世界に自分の思考を沈ませる。

 そんなわけはないと思いながら、猫のお使いにでかけるのは楽しい。どうせ今日は予定がない。薬物取引だったら、すぐに警察を呼べばいい。私は、ただ鍵を拾ってあけただけだと言えば大丈夫だ。

 薬物取引じゃなかったら、私は猫のお使いをしているだけの孤独な20代女性。それはそれでどうなんだろうと思いも、やっぱり過ぎるけども、あんまり考えないようにしていたら、気がついたらそこは新宿。

 


 新宿に来るのは久しぶりで、あまりの人の多さにめまいを起こす。 私は人の多い場所が得意でなくて、人の多い場所は思考があまりに落ち着かなくて、イヤホンのボリュームを無意識にあげる。

 ぎゃーんというギターの音に耳をすませながら、人の波をすいすいとかき分けて歩き続けたらそこは昼間の歌舞伎町。

 ゴジラの顔がくっついた映画館の下で、スマホの地図アプリを立ち上げる。「歌舞伎町 5番 コインロッカー」と打ち込むと、地図に赤いピンが刺さる。

 歌舞伎町のラブホ街の近くにある小さな路地の先にピンが刺さっていた。

 私はそこに向かって歩く。昼間の歌舞伎町は観光客しかいない。まだ怪しい雰囲気はそれほどないので、女性1人で歩いてもまだなんとか怖くなかった。もし、夜にあの猫と出会っていたら、断っていただろうなと思いながら、私はラブホ街に足を進める。

 ラブホ街に入ると、カップルや風俗嬢みたいな人をちらほら見かけた。私は1人その中を地図アプリを何度も確認しながら歩いた。ピンは「レインボー」という名のラブホの近くの路地に刺さっていた。私は「レインボー」を探した。携帯を片手にレインボーを探す私の姿は客がいるラブホを探す風俗嬢みたいだなと思った。その姿がなんかおかしくて私はうにゃにゃにゃと笑いそうになった。

 レインボーというラブホテルは文字通り、7色に光っていた。LEDの照明がけばけばしく7色に数秒ごとに変化する。ここかと思っていると、カップルが一組入っていった。休憩は2900円と書いてあった。しかし、私はレインボーに用はない。さっきのカップルも私には関係ない。私は、レインボーの近くの路地に興味があるだけだった。

 レインボーの近くに路地がないか見ていると、レインボーと、隣の雑居ビルの間に鳥居が、そしてその向こうには、ビルの影に隠れた神社があった。地図アプリを見る。コインロッカーはこの先にあるようだった。

 私は鳥居をくぐる前に一応、礼をしておいて、それからくぐった。鳥居から小さな社寺までの参道はレインボーのせいで、7色に代わる代わる光っていた。私はその参道を進む。小さな社寺から少ししか離れていない場所に私が探していたコインロッカーはあった。私は社寺で一旦、そして一応、礼をして、それからそのコインロッカーに向かった。

 ここら一帯はラブホと雑居ビルに囲まれているせいで、影になっていたけども、コインロッカーの上には緑色の屋根が取り付けられていて、その屋根に装備されていた蛍光灯のせいで、コインロッカーだけがまるで聖なる場所のように輝いていた。

 私はコインロッカーの27番を探そうとした。すると、みゃあみゃあと声が聞こえた。

 ふと、その声がした方に向くと、猫たちがいた。

 黒猫がみかん箱に乗っていた。その黒猫を囲むように、複数の猫たちがいた。

 黒猫は私にむかって、みゃあみゃあと鳴いていた。

 「どうしたの?」と聞く。勿論、言葉が通じるとは思っていない。でも、黒猫はコインロッカーを指さした。

 「これ?」と私が聞く。すると、黒猫はうなずいた。そして周囲の猫たちも「みゃあ、みゃあ」と鳴き始めた。

 「にゃーにゃー」と私は言ってみた。今から開けるよ。って意味で言ってみた。

 通じるなんて思ってなかったけども、猫たちは途端に喜ぶような声色で「みゃあみゃあ!」と騒ぎ始めた。

 私は27番のコインロッカーを見る。鍵は刺さっていない。私はポケットから、鍵を取り出して、回す。

 そして開く。

 匂いがした。

 カレーの匂いだった。

 そこにはできたてのカレーライスが皿に盛り付けられた状態であった。

 ありゃりゃと思っていると猫たちは歓喜の声を上げていた。

 みゃあ!みゃあ!みゃあ!

 私はその皿を取り出す。皿は温かい。本当にできたてのようだった。そしていい匂い。

 私はその皿を猫たちの近くに置く。すると黒猫がみかん箱から降り立ち、そのカレーをくんくんと匂いを嗅いだのちに、食べ始めた。 黒猫は猫舌を物ともせず、どんどん食べていく。

 みゃあ!みゃあ!

 黒猫は喜んだ。そして、その声の後に周囲の猫たちもそのカレーライスに群がった。

 みゃあ!みゃあ!みゃあ!

 猫たちは喜んでいるようだった。

 なぜ、できたてのカレーライスがこのコインロッカーの中にあったかなんか私にはわからないし、その鍵が1時間以上離れた路地に落ちていたかもわからない。

 でも、私は呼ばれたのだと思った。

 この猫たちにカレーを振る舞うのがどうやら今日の私の任務のようだった。

 27番のコインロッカーをもう一度のぞき込むと、奥に袋が入っていた。それを取り出すと、それはレトルトカレーの袋だった。

 みゃあ。

 と黒猫は言った。

 その時、あの小さな猫の姿が思い浮かんだ。

 「これをあの小さな猫に持って行ったらいいの?」

 みゃあ。黒猫はうなずいた。

 「にゃーにゃー」と私は言った。わかった、持って行くよ。という意味で言ってみた。

 私の猫語はやっぱり通じて、黒猫たちは歓喜の声を上げた。

 みゃあ!みゃあ!みゃあ!

 


 鳥居を再びくぐり、レインボーの隣に出た。

 陽は少しだけ傾きかけていた。

 私は戻って、このレトルトカレーをあの小さな猫に渡しに行こうと思った。全てのことはわけがわからない。今日のことは何一つわかっていない。

 あの小さな鍵がなぜあんな場所にあったかも、今日の私はなぜ猫語をしゃべれるかも、なぜできたてのレトルトカレーがコインロッカーに入っていたのかも、全てはわからない。

 ミステリーだ。

 全ては謎に包まれている。

 でも、今日、私は呼ばれてしまったのだ。この全ての物事をつなぐ人間として私は呼ばれてしまったのだ。

 孤独で、予定のない、私がその責務を果たさなきゃいけなかったのだ。

 それはたまたまだったのかもしれない。誰でもよかったのかもしれない。でも今日に限っては私だったのだ。誰が仕組んだことか、神様が仕組んだことか、それか酔狂な人が仕組んだことか、それすらもわからない。でも、今日は私だった。それだけでいい。

 世界は広いのだ。

 世界は広くてわけがわからないのだ。本当はそうなのだ。

 私たちはわかっているふりをしているだけで本当はわかっていないのだ。

 だからコインロッカーにカレーが入っていることだってありうるし、猫たちのバイパスになりうることだってありうるのだ。

 私はそんな風に、自分を納得させた。

 


 自宅近くのあの路地の戻ってきたときは、もう陽はほぼ沈んでいて、路地はさらに暗くなっていた。でも、あの路地の行き止まりに小さな猫はいた。

 「にゃーにゃー」私は猫に向かって話しかけた。全部やってきたよって意味で話しかけた。猫は私に気がついた。にゃーにゃー!と嬉しそうに猫は私に返答した。

 私は鞄の中から、レトルトカレーの袋を取り出した。

 「これ、持って帰ってきたよ」と言う。小さな猫はこくりとうなずいた。

 にゃーにゃーと猫は私に言った。

 多分、ありがとうという意味だったのだと思う。

 小さな猫はレトルトカレーの袋をくわえる。小さな猫とほぼ同じサイズなのに、いとも簡単に猫は袋をくわえた。

 私は「にゃーにゃー」と言ってみた。

 でも小さな猫は私の猫語には反応せず、そのままどこかへ行ってしまった。

 


 それ以降、私と猫が意思疎通できることはなかった。

 私が猫語をしゃべれたのはあの日のあの時間だけで、そして、あのレインボーの近くにあったコインロッカーも気がついたら無くなっていた。

 全てはあの日のあの時間だけのことだった。

 でも、いい。

 私は猫とおしゃべりができたのだ。

 私は猫のお使いを頼まれたのだ。

 そしてそのお使いを完遂したのだ。

 それは私だからできたのだ。

 あの日の私だったからできたのだ。

 

 

 

 相変わらず、予定の埋め方が下手な私は1人で休日を過ごしている。

 そんなのじゃ、いよいよ孤独になるよと私のことを揶揄する声もたまにある。

 でも、私は孤独でも、予定の埋め方がへたでもいいと思う。

 それはあの日のことがずっと残っているから。そしてたまに私の家の前にレトルトカレーの袋が置いてあるからだ。

 そのときはあの小さな猫のことと、あの不思議だった時間のことを思い出す。

 


 散歩をしていると、小さな猫が私の前を横切った。

 私は咄嗟に「にゃーにゃー」と言ってみた。

 猫は私に振り向きもしなかった。

 もう猫語をしゃべれることはないんだなあと思った。

 みゃお。みゃお。

 あの小さな猫の声がした。

 私はさっきまで猫がいたところを見た。

 でも猫はどこかへ消え去ってしまっていた。

 私は散歩を続けた。ニューバランスのスニーカーでずんずんと前に進んだ。

 


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27歳男性はなんでも書き記そうと思い立つ

 私の私の彼は左利き~と歌ったのは麻丘めぐみであったか。そんなことはどうでもよくて、私の彼も彼女もいないの27歳男性は右利きである。前回の記事で希望を強く抱いた27歳男性はそんな希望はどこへやら、この二日間ほどは強く眠ってしまっていた。

 それはもう延々に次ぐ延々である。何もする気がおきず、何のフィクションも摂取する元気もしくは集中力がないので、とにかくやっていたことといえば有吉弘行のサンデーナイトドリーマーのネタコーナーをYouTubeで流しながら寝続けると言う行為のみであった。

 不毛ではないか。

 しかしながら身体が動かないことには仕方ない。不毛なことしかできないのだ。何の集中力も起きず、わき上がる元気もないとなれば眠り続けるほかないのだ。

 途中、かの先人はどのように不毛な時間を過ごしていたかを気になり部屋に転がっていた『中原昌也作業日誌2004→2007』を少しばかり読んだ。

 すると中原昌也氏は不毛な時間を過ごしているように思えて、あちこち買い物に行き、そしてライブやトークショーをこなしていたのであった。

 私はそんな元気もなかった。傷病手当金が入ってくるまで、植物のように過ごそうと思い立ったが、ここまで植物のようになるとは思っていなかった。

 今日はウェス・アンダーソン監督の『犬ヶ島』を見に行こうと思っていた。しかし、身体がしんどくて断念してしまった。その代わりにやっていたことは何かといえば、やっぱり睡眠で、睡眠しかしていなかった。

 


 途中、目覚めた私はTwitterを開いて、何か起きてるかなーと見ると、私の大好きなラジオ番組である『アルコ&ピース D.C.GARAGE』が炎上していた。

 次のスペシャルウィークの企画でアベンジャーズのファルコンを脱退させようというが映画ファン、アメコミファンの怒りを買ったようで大炎上していた。

 誠に悲しい気持ちになった。 

 アルピーのラジオが心の支えであるので、まるで自分のことのように辛くなってしまった。

 頼む、番組を聞いてくれ・・・と言う気持ちも湧いたが、そんな思いはかき消されるように大炎上していた。昔オールナイトニッポン時代のスペシャルウィークで大炎上スペシャルなんてやっていたけども、それとは比較にならないくらい炎上していた。

 そもそも、一番組でファルコンを脱退させることが本当に可能なわけないじゃないか。それにここ数週間の放送のファルコン推しなんて、他の番組では聞いたこと、見たことないレベルだったぞと思うも、言葉にすることができない。

 そのうち、Twitterでも好きな人々が怒り始め、そして、私はまたもや辛くなり、睡眠に向かったのだった。

 ここで、いかにアルピーのラジオが素晴らしく、今回のスペシャルウィークの意図があなた方が思っているものとは違うと説明すればよかったのかもしれないけども、そんな元気もなく、そんな能力もない。ただただずーんと沈むだけであった。

 


 こんな時、明確に「俺はこういう立場だから!」と言えれば心も強くなるのだろうか。しかし、そういう風にいうこともできない自分が嫌で嫌で仕方なかった。

 自己主張するにも能力が必要で、立ち位置をはっきりさせる能力が必要で、自分にはそれが欠如していると思った。

 私は何かをはっきりさせることが本当に苦手で、だから会社でも怒られ続けていたことを思い出した。はっきりとするのが求められる中で「はっきり」とさせるのがわからなくて、難しい。

 私は曖昧な中で生きている。曖昧な海をたゆたうとしている。

 なんでもはっきりさせることができたら変わったのかな。今の自分の人生じゃない人生を送ることができたのかなと思う。

 そこまで思い悩むことでもないけども、今の私はすぐに思い悩んでしまうのだ。

 


 ギターを弾いた。ナンバーガールのURBAN GUITAR SAYONARAの冒頭のリフが耳コピで弾けるようになった。昔は本当にギターが下手で、どうしようもなく、ソロも嫌で嫌で仕方なかったけども、10年もなんとなく触っていると弾ける物が広がっていくんだなと思った。にしても下手だけども、それでも、まあ下手なりには上手になってきている。

 自分はこれまで、何にもできない人間だとずっと思っていたけども、10年もギターを弾いていたら好きな曲の一部分が耳コピできたように、何かは少しずつできるようになっているのかもしれない。

 だから、虚無と体力のない日は忘れがちな何かができるようになっているかもしれない27歳男性という私は忘れないようにしようと思う。

 こんな風に書いて残しておかないとすぐに忘れてしまう。

 すぐに嫌な思い出に書き換えられてしまう。そんなことから逃げる唯一の方法は書き記すことだとなんとなく思っている。

 


 少しばかり元気になった6月7日の夜の今は、近隣のバーミヤンに逃げ込んで水をがぶ飲みしながらこの文章を打っている。

 明日も元気だろうか。元気だったら、映画を見に行きたい。そろそろ自分ばっかり見ているのもまた飽きてきたので、少しの時間は自分を見ないようにしたい。

 そう思っていたら『七人の侍』がリバイバル上映されることを知った。見に行きたいなと思う。名作をちゃんと見ずに27歳になってしまった。もう少しで28歳になってしまうし、27歳のうちに『七人の侍』を見ることができたらそれは素敵なことだと思うのです。

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27歳男性は人生の明るい面だけを見ようと思い立つ。

 お金が無いので家でぼんやりしていたのだけども、ぼんやりしているだけでも腹は減るし、気が滅入ってくるので、1時間ほど歩くことにした。

 1時間ぼんやり考え事をしながら歩いていたのだけども、脳内会議の主な議題はなんで失敗してしまったのかなーということであった。

 なんで失敗してしまったの、失敗の意味はとなれば、いつものように休職している現状のことになるんだけども、休職するという前になんとかならなかったのかと思い悩む。

 しかしながら、脳内会議がいくらわっしょいわっしょい進んでも、失敗する他なかったという結論しか出ず、私はとぼとぼと歩くはめになったのだった。

 


 そもそもなぜ失敗してしまったのだろうか。なぜ徐々に心がすり減っていき、すり減った分を回復することができなかったのだろうか。

 その謎を追い求めるためにまずは2年かかった就職活動に目をむける。

 その二年間の間に心はすり減ってしまい、無になった状態で社会に出てしまったのがそもそもの要因なのかしらと思い当たる。

 どこかで自尊心を回復させてあげればよかったけども、自尊心はその後もばきばきに折れ続けてしまって、挙げ句の果てに今の現状だと思えば、納得がいくようないかないような。

 


 と、過去に目を向ければ暗いことばっかり思い当たってしまう。

 オールウェイズルックオンブライトサイドオブライフという心持ちで、人生の明るい面を見ましょう。見よう見よう。

 しかしながらなかなか明るい面が見当たらず、どうすることもできないので、ドトールでぼんやりするほかない。

 ぼんやり。最近はとにかくぼんやりしている。

 しまおまほもびっくりのぼんやり情報局っぷりだ。

 ぼんやりしすぎて、全ての輪郭がぼやけてくる。日々とか時間とか心とか性格とか。

 全てが溶け出したその先には何があるのでしょうか。

 私はまだわかりません。

 


 最近はプランクをやっている。休職と抗うつ剤のコンボですっかり太ってしまった身体をなんとかすべく、プランクを行っている。

 毎日60秒を目標にしてやっている。1週間続けたらちょっと余力も出てきたので、昨日は90秒も続けることができた。

 走るほどの元気はまだないので、とりあえずは当面はウォーキングと筋トレでなんとかしていきたい。なんとかなるかわかんないけども、やらないよりはましだと思いたい。何事もやらないよりはましだろう。

 


 昨日は映画でも見ようと思ったけども、虚無が酷くて全く見ることができなかった。虚無が酷いときは何にも頭に入ってこない。特に幸せな人たちの物語なんて、全く入ってこない。幸せでございますなあと嫌みな人間に成りはててしまってるので、何にも心に響いてこない。

 じゃあアート系の作品でも見たらとなったので、見てみても全く入ってこないどころか細部のふとした瞬間に過去のことがフラッシュバックして頭に入ってこず、太ももをまた殴る羽目になってしまった。

 しかたないので、ギターを弾くことにした。お金が無いといいつつ、ヘッドフォンアンプ(4000円)を買った私は、ここ数日ほど何かあればすぐに弾くようにしている。

 ギターを弾いている間は虚無からはなんとか解放される気がする。 多分だけどもそれは自分を見なくてすむからかもしれない。そう思いながらサニーデイサービスのセツナを何度も何度も練習した。ギターを歪ませて、ライブ盤の時の音像を意識しながら何度も弾いた。

 ギターを弾き始めて10年くらいになるけども、相変わらずへたくそなままだ。でも、ある程度のコードならなんとなくは弾けるようになっていて、10年やっていたらそれなりになるなあと思った。

 文章も書き続けていたらそれなりになるのかなあと思ったりした。この文章も、まったく人に見せることを意識せずに感情の赴くままに書いている。本当は見せることを意識した文章を書いた方がいいのかなと思ったりする。でも、今はそんなの書けないから、部屋の中でギターを弾くように、文章もドトールの喫煙室でかき鳴らしている。

 


 明日は雨がふるそうだ。日課のウォーキングも行えないので家にこもってハヤシライスでも作ろうと思う。あと掃除。今部屋はバベルの塔のようにぐちゃぐちゃになっている。すぐに部屋をぐちゃぐちゃにしてしまう。カウンセラーから「空間認識能力が低いので、部屋をぐちゃぐちゃにしやすい」と言われてしまった。

 「物をなるべく減らしてください」と言われたけども、もう言われた時点で物を沢山持ちすぎてしまっていた場合、どうしたらいいんだろう。まあ、捨てなきゃいけないんだろうけども。 

 


 最近はドラマ『コードネーム・ミラージュ』をHuluで見ている。広井王子が原作で桐山漣が主演のアクションドラマだ。毎週深夜に放送されていたとは思えないほどのもの凄いアクションを毎話見ることができるのですっかりはまってしまっている。

 最初の2話くらいはその世界観に違和感ありありで入り込むことが難しいけども、入り込むことができるともう全てが愛おしい。佐野ひなこの天才ハッカーという役柄なんて、最初は全然受け付けないんだけども10話まで見たらまあ、愛おしい。

 よくわかんないけども、その物語のペースに合わせるってのも大事なんだなーと思った。合わせるのがめんどくさい作品もあるけども、合わせたら合わせたで、ちゃんとご褒美をくれる作品もあることを忘れていた。

 


 友人と話していたら「この世界には面白いものが沢山あるからそれを見つける努力をしなきゃいけないんだよな」という話になった。絶望している暇なんてなくて、面白いものを追い求めているうちに人生が終わってしまうほど、この世界は面白いものに満ちあふれている。

 だからこそ体力をつけなきゃいけない。追いかけるために。だからこそ虚無から抜け出さなきゃいけない。それを受け取るために。

 早く、弱っている状態から抜けだそう。面白いものを全力で追いかけたいから。

 人生は短い。僕も今年28歳になる。

 絶望している暇なんてない。失敗した過去のことは忘れてしまえ。

 オールウェイズルックオンブライトサイドオブライフ。

 休職したって、抗うつ剤をばくばく飲んでたって、夜眠れないから睡眠薬を飲んでたって、別にいいじゃないか。

 楽しいことをとにかく探そう。

 面白いと思えるものをとにかく手に入れよう。

 まだまだ沈んでる日々は続くけども、そのことだけは忘れないようにしよう。

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27歳男性は馬鹿みたいに眠ってる。

 毎日馬鹿みたいに眠っている。馬鹿みたいに寝ているというのは「ずごおおずごおお」と鼻提灯を出しながら眠っているというわけではなく、睡眠時間がとにかくえげつなく長いのだ。今日も馬鹿みたいに寝た。16時間くらい寝た。8時間くらい寝たら人間いいんじゃないかって思うけども、その倍くらい寝てしまった。

 


 最近は悪夢を見るのはだいぶ減ってきた。一時期は毎日のように悪夢を見ていたので寝るのも辛かった。代わる代わる僕を誰かが叱る夢ばかり見ていた時期は地獄そのものだった。最終的に小学生の頃の同級生が当時の姿のまま、僕を怒る夢を見たときは来るとこまで来たって感じがした。そんな風に限界を迎えたなんて知りたくはなかった。

 


 最近はその頃に比べたらおとなしい夢ばかりだ。母が小松菜奈にガチ恋をするという夢なんて本当おとなしいものだ。突然のことで家が大パニックになっていた。でも、そんな夢毎日叱られていた頃に比べたらだいぶマシだ。

 


 

 産業医さんと面談をした。最近の経過報告をした。三日動いたら一日は動けなくなるってことを話した。でも、前の頃に比べたら良くなってますよと言われて嬉しかった。前に比べたら良くなっている。良くなっているのだ。

 友人と話していても、話している最中は元気そうだと言われる。

 それは嬉しい。誰かと話している間はなんとかなっているのだ。

 僕も三日動くと一日訪れる苦しくて仕方ない日以外はなんとかなってきている。ちょっとずつだけどもよくはなってきているはずなのだ。

 

 

 

 貯金残高が27万円になった。

 家賃や税金を払ったらこんな数字になってしまった。また傷病手当金が入るので60万近くには戻るのだけども、貯金残高としてこの数字になってから死にたくて仕方なかった。

 やけになって、なんかどうでもええわとスーパーマーケットのディスプレイを破壊したい願望に襲われた。でもそんなことはしなかった。してしまったら全ておしまいだなーという理性がまだ働いていた。俺はまだ正常だ。たぶんそう。

 しばらくの間は何にもせず、植物のように生きていきたい。でも、家にこもっているとまた簡単に太ってしまうので、お金を使わない範囲で出歩いていきたい。

 

 

 

 最近はお茶を作るのもおっくうなので水道水ばっかり飲んでいる。怠惰が人を狂わせるというのならばもう狂ってしまってるのか。というか、休職している人間は狂ってしまっているのか。どうなのか。水道水を飲んでいるっていう水道水クラスタがいたら知りたい。お金の無い奴らばかり集まりそうだ。俺含めてお金無い奴らしか水道水クラスタはいないのだ。お金ある奴らはペリエでも飲んでるはずだ。

 

 

 

 空虚な人間のような気がして相変わらず悩んでいる。空虚さをどうやったら埋められるのだろうかとか考えてしまう。

 そもそも埋められないから空虚なのかもしれない。

 本や映画や音楽で埋めていたけども、最近は映画も本もあんまりだから、どんどんその空虚さが顔を出しているのだ。呼んだ?とか言ってきているのだ。もっと本当は我に返る隙間を埋めなきゃいけないのだ。でも、その元気が無くてどうしようもない。

 意識的にでも映画を見るようにしようかしら。強制的に毎日一本ずつ見るみたいなことをして、隙間を埋めようかしら。

 そんなことよりも、外に出ようかしら。ギターでもならそうかしら。

 なんでもいいや。空虚さが埋められたらなんでもいい。とりあえず自分が面白くない人間であることから目をそらせたらなんでもいい。

 

 

 

 この間、大学時代の先輩とご飯を食べに行った。とても楽しい時間だった。そのときに入った部屋がめちゃくちゃ東京って感じの部屋だった。私は今、東京にいる。あの東京の近くに住んでいる。でも相変わらず借り物の気持ちだ。東京で借り物の気持ちみたいなことを言うと、いけ好かないサブカルライターの文章みたいでいけ好かないですね。

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