にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

短編小説「サウンドテストつり革」

短編小説「サウンドテストつり革」

 

 

「つり革って意外といい音がなるんですよ。もし機会があったら棒で叩いてごらん」と小学校にやってきた怪しげなミュージシャンはそんなことを言っていた。体育館にわたしたちは集められて、演奏会があって、その後に突然そんなことを言い出した。何を言ってるんだと思ったけども、その言葉だけは何故か頭にこびりついていたようだ。


それから20年近く経ってしまったが、つり革を叩く機会は存在していない。
というより、つり革を叩いてみようと思うことが今日までなかった。そりゃそうだろう。つり革なんて叩くもんじゃない。掴むものだ。
わたしが今そんなことを考えてしまったのはスマホの充電は切れてしまい、本も今日に限って持ち歩いてなかったから、電車で帰宅しているこの時間が退屈で退屈で仕方なかったからだ。
終電近くの電車は流石に満員ではないが、わたしが座れないくらいには人はいる。でも皆が皆どこか生気はない。仕事の疲れか、回ったお酒のせいか。
ぼんやりと握ったつり革を見ながら、小学生の頃に言われたつり革を叩くということを思い出していた。
そんな記憶がまだ残っていたことが驚きだよわたしよ。いろんな大事なことを忘れているのに、こんなことに記憶領域を使っていたなんて。
伊集院光は「人間は実は全てのことを記憶しているが、その記憶を引き出せないだけ」というようなことを言っていた気がするが、わたしもたまたまこれを引き出せただけなのかもしれない。
そんなことはともかく、あと家の最寄りまでの20分、どうしようか。
ぎゅうっと、つり革の白いつり輪を握る。
この感触はプラスチックなのか。
プラスチックであれば、なんとなく叩いた時の音は想像できる。
シミュレーション:つり革を叩いた時の音。
頭の中で再生マークをクリックすると、コンコンコンコンとシミュレーションした音がなる。
ああ、なるほどこんな音か。
「つり革って意外といい音が鳴るんですよ。もし機会があったら棒で叩いてごらん」
いい音って言ってもただのプラスチックの音じゃないか。あのミュージシャン適当をこきやがって。小学生相手だと思って見くびりやがって。
いや、まてよ。もう一度言葉をプレイバックする。
「つり革って意外といい音が鳴るんですよ。もし機会があったら棒で叩いてごらん」
「いい音が鳴るんですよ。もし機会があったら棒で叩いてごらん」
「棒で叩いてごらん」
「ぼぉぉおおおでぇぇえええたぁぁたぁぁいてぇぇえぇごぉぉぉらぁぁぁあんんんんん」
スローモーションで検証してもたしかに言っている。
棒だ。
シミュレーションにかけていたもの、それは棒だ。
なんてことだ。やり直さなければいけない。
しかしそうなると棒なんて、持ち合わせていないぞ。
トートバックの中を見る。親からもらったアランジアロンゾのトートバック。物持ちのいいわたしはそれを使い続けている。
かろうじて、棒的なもの、それはボールペンしかなかった。ジェットストリーム。書き心地is最高。
脳内にダイブ。
シミュレーション:ボールペンをつり輪に叩きつける。
黒い空間の中で、スポットライトが照らされた丸い光の中でつり革が一本垂れ下がってる。わたしはジェットストリームのボールペンを握って近づいていく。
つり輪に光が反射している。
脳内でわたしはつり輪にボールペンを叩きつける。
コンコンコンコン〜〜。
そりゃそうだよな。
そりゃそうだよな。って音しかならない。
予想していたことだ。
いくら棒で叩いてもいい音なんて鳴らない。
あのミュージシャン、かましすぎだろ。いい加減にしろよ。
わたしは脳内ダイブから戻ってきて、また電車の中で揺られ続ける。
あー、心底がっかりしたわ。いい音鳴るって聞いたのに、心底がっかりしたわー。
窓の外を見る。
風景は暗闇になり、街灯の光が障子の穴あきのようにポツポツと存在する。
そしてガラスにはわたしの姿が反射している。
わたしの姿は小学生の頃からはすっかりかわってしまってる。
疲れがあちらこちらに見える。
いつのまにか大人になってしまっているなあ。
疲れ切ったわたしのかおをじっと見る。
目は沈みきっている。
口角をあげてみようとするが、表情筋すらうまくうごかなくて、気持ちの悪いにやけ顔しか生まれない。
「つり革って意外といい音がなるんですよ。もし機会があったら棒で叩いてごらん」
わたしはつり革を実際に叩きもせず、脳内で完結していた。
いろんなことを経験してきたから、なんてそんなただ積み重なっただけの時間の上に胡座をかいて。
それが今のわたしか。
そう思うと、目の前の疲れ切ったわたしにも納得がいった。
「機会があったら叩いてごらん」
その機会とは今日のことではないだろうか。
今、これを叩かなければわたしはずっと疲れ切った大人になり続ける気がする。
いや、そうだ、ずっと疲れ切った大人だ。
叩かねばならない。叩こう。よし叩こう。
トートバックからジェットストリームのボールペンを取り出す。
周囲を見回す。生気のない人々が眼に映る。
突然つり輪を叩き始める女がいたらみんなどんな顔するだろう。
いや、知るか。
変な顔でもしておけ。
わたしは叩く。このつり輪を叩いて、音を確かめる。
好奇心ってやつを取り戻してやる。
周囲をキョロキョロしながら、ボールペンをつり輪に近づける。
よし、よし、よし。
叩く、叩くぞ。
小さくだが、手首を振って助走距離をつけて、つり輪にボールペンを叩きつける。
しかしだった。ボールペンはつり輪に叩きつけられなかった。
ボールペンはつり輪をすり抜けた。
あのプラスチックの塊をボールペンは通り抜けてしまった。
あっ。と気の抜けた声が出てしまった。
出来のいい手品のようにボールペンはつり輪をすり抜けしまったのだった。


「この度はありがとうございました」
突如システム管理会社を名乗る男から電話がかかってきたのはその翌日の昼のことだった。
「あ、なんのことでしょう」
「昨日の電車の件です」
「電車?」
「つり輪ですよ。つり輪」
あ。
「なんで知ってるんですか?」と思わず声に出してしまう。
「システム管理をやらさせてもらってますので」
背筋が突如冷たくなり始める。
何か知ってはいけないことをわたしは知ってしまったのかもしれない。
「いや、怖がらなくて大丈夫ですよ。最近は映画のせいで、こういう電話をかけると殺されるとか急に怯えちゃう方も多いんですけども、そういうことではないです」
「はぁ」
「あの、あなたが、昨日、ボールペンをつり輪に叩きつけてくれたおかげで、あのつり輪にバグがあることが判明しまして。そのデバック作業を手伝ってくださったお礼としまして、この度は連絡したんです」
「バグ?」
「ええ、バグです。なんていうか、私どもとしてもうまく作っているつもりなんですが、いかんせんバグって出ちゃうんですよね。まあ、ボールペンすり抜けるくらいのバグなら全然大丈夫なんですけども、それでも放置をしていたら全体の進行を妨げちゃう原因にもなっちゃいますし」
「はぁ」
突然のことで話が読み込めない。
冷たくなった背筋は徐々に温かさを取り戻していくが、その一方で別の恐怖がやってくる。
「バグとか、なんとかって、もしかして、この世界って、仮想現実なんですか?」
「あ、違いますよ」
違うのか。
「お客様のいる世界は存在する世界ですよ。まあ、その定義について話し始めると少しややこしいはややこしいんですが、少なくとも今お客様が創造されたような世界の全てが一つの小さなコンピューターの中にあるといったようなものではありません」
「でも、デバックとかなんとかって」
「それは言葉の綾でございますよ。まあ、こちらでいうところのデバック作業ってことです」
あんまりわからなくなってきた。
「まあ、深く考えると狂ってしまいますので。とりあえず、あなたはあのつり輪のバグを見つけてくださったので、お礼として3000円をお送りいたします」
「え、お金もらえるんですか」
「あ、はい。だってデバックしてくださりましたし」
「あ、ありがとうございます」


というわけで3000円が突如、わたしの元にやってきた。
つり輪を叩くと3000円もらえた。
いい音が鳴るかどうかはわからなかったが、わたしにとっては音よりも好奇心よりも3000円の方が嬉しい。
そして世界は思っているよりややこしい。
生活のことと、世界のこと、考えるとより一層疲れそうな気がしたので、わたしはこの3000円でスーパー銭湯に行こうと思った。
お湯に浸かれば顔もほぐれると思ったのです。

 

 

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マイ・スウィート・実家。

 実家に帰ってきた。リターントゥ実家。ホーム・スウィート・ホーム。マイ・スウィート・実家。

実家にいると何が1番いいと言えば、1人でいなくていいことで、というのも今なにか隙間の時間が存在してしまうとすぐに悪い方向に思考が流れてしまう。川上から川下へ悪い思考がどんぶらこどんぶらこ。

そんな流れ流れて抑うつ状態な私は、産業医からも「なるべく何かに没頭していてください」と言われたのですが、一人きりでいると没頭するにも体力がいる。絶えず探し続けなければいけなかったりする。

一人きりでいると無音がうわぁーんと襲いかかってきてよくない思考とよくわからない思考がごっつんこ。私の脳内で生まれる宇宙に、ネガティブ思考がビッグバン。

 

だから一人で家にいるときは絶えず何かを流していた。音楽にラジオの録音。寝るときは毎日有吉のラジオか、アルコ&ピースのラジオ。外を出るときも音楽を聴き続ける。無音状態になると我に帰ってしまう。「いやじゃ、わしはこんなところにきとうなかった」と我に帰ると我の中の加藤清史郎が叫ぶのだった。

 

その点、実家にいるとみなお喋りなので喋りかけてくる。上沼恵美子のおしゃべりクッキングくらい喋りかけてくる。なので我に帰るスキマがない。素晴らしい。ありがとう実家。

というわけでまだ1日目ですがなんとか我に帰らずにやっています。

 

昨日は母の誕生日祝いをした。「誕生日あるある」をイエモンのJAMにのせて歌った。

誕生日あるあるはありませんでした。ありませんでした。ありませんでした。と全力でシャウトしたのちに「TSUTAYAの手紙が来がち」とあるあるを決めて母がろうそくの火を消した。

ものすごくくだらない瞬間であった。

 

感動的な方向に無理から向かわせると仕事をしていたら実家に戻ることもなかったので、病気になったからこそこんな風に家族と過ごせることになったんだよ、感動でしょ。

という風にはなんかしたくない。まあ失ったものもあれば、妙な巡り合わせもあるという風にしておきたい。少なくとも一人では味わえない楽しい時間だった。

 

相変わらず、眠りが浅い。

全く眠れないこともあれば、瞬きをしただけで1時間過ぎているような瞬間もある。どちらにせよ、毎朝疲労感を抱えて目がさめる。

今朝も頭に重りが付いているかのような感覚な襲われた。

私の頭とこの鉄球を高い塔から落としたらどっちが早く落ちるでしょうか。みたいな問いかけがしたくなるほどの重たさにぼんやりしつつ、眠れもしないのでNetflixでドラマ『マインドハンター』を見る。

過度に面白くし過ぎないこのドラマの上品で小粋な手触りが重たい頭には心地よかった。

出てくるのは殺人鬼ばかりだけども、最近見た中では1番心地いいのだかは、創作物ってよくわからない。相変わらず不可思議な世界だなと思うのです。

 

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おててのしわとしわを重ねただけで幸せになりたい

休職期間が長くなりそうって、いつまでなのって、来年の春までってなって、うわ、来年の春か先じゃんって思うけども、実際はそんな先でもなく秋も冬もあっという間に過ぎてしまって春になってしまうのだろう。

 

僕は今、新幹線に乗っている。実家に戻る。久しぶりに戻る。バックトゥ実家。実家で療養。三週間ばかり療養。ずっとあっちにいないのはなんだかんだで父親とうまくいってないからです。ふふふー。

 

休職になってから関東と関西をいったりきたり。

体調も良くなったり悪くなったり。

突如、突如であるが、腹の底からやる気が出てうおー外に出たい!となって自転車漕いで隣町まで行って隣町でチャーハンを食べたりする日もあった。

でもその翌日はとてつもなくしんどかった。めちゃくちゃしんどかった。まぶたが開かなかった。まぶたの上に重りがついていて「ちょっと開けれないっすね」あ、そうっすね。OK、余裕、未来は俺らの手の中。つっことでその翌日は一日寝たりした。

 

昔、ザ・イエローモンキーはプライマル。って曲で「花柄の気持ちも1日のうちでたった6秒」なんて歌ったりしましたが、素晴らしいパンチラインだと思う。花柄の気持ちが6秒もない日もある。そんな時はひたすらに辛く、何にもできない。

 

映画を見ていたら、昔好きだった女性に似ている人が出てきてその瞬間に映画を止めた。

ひどいことを言った記憶が瞬時に思い出された。

私はとても酷い人間なのだ。

いい人ですなんて言ってるけども結局はただ臆病なだけで、無害を演じてるだけで中身はただのクズでドロドロに溶けた腐った液体が渦巻いている。

そんな腐った液体をばしゃばしゃとかけるようなことを私はしてしまったのだ。

死んだら地獄行きなのだ。

 

でも、延々と拷問をするという地獄はなんとなく明るい気がする。

多分鬱々とした気持ちでは地獄なんてできないと思う。

スリップノットが爆音で流れているなか、「お前は針山地獄!」とシャウトされて針山に投げられる。

現世で鬱々としているよりはなんぼかましさなんぼかね。

 

人生でうまくいかなかった瞬間のことを最近は思い出す。

そもそも、うまくいっていた試しなんて殆どない。2017年は一回あったくらいだ。友人の結婚式でライブをやったくらいだ。それはとても素晴らしい瞬間だった。その一回があればいいのかもしれないけども、渦巻いている鬱々を帳消しにはできない。

 

多分そういうものだとすれば、この鬱々とした感情が一生消えないとしたら、何かいいことがあっても消えないとしたら、私はどうやって希望を見出せばいいのだろう。

ただ漫然と生きてる日々が続く。

どんなふうに折り合いをつければいいのだろう。

折り合いのつけかたがわからない。

これのために生きよう、あれのために生きようなんてのがないから、ただただぼんやりしている。でも死にたくはないなとは思っている。

 

この先の人生、一発逆転、全ては伏線でした〜〜!!うわーー!辛かったことも全て伏線だったんだ!!辛い時期があってよかったーー!!なんてことはない気がする。

辛い時期は辛い時期であって、いい時はただいい時である。

この時期が伏線になることなんて多分ない。

あったとしても、こんなものが伏線だなんて認めたくない。

 

僕だって、人生ってやつを積み上げたかったのだ。

一つ一つ、崩れないように組み上げて、積み上げたかったのだ。

でも、積み上げるのにはなにもかも下手すぎた。

一事が万事下手くそなのだ。

 

人のことなんて気にしなくてもいいよ。って言われても、大体の不調は他人から持ってこられて、その不調はずっとずっと体内で胎動し続ける。

そんなこんなで体内の不調移民は国を作り上げるほどになってる。

多分それはもはや私のアイデンティティーだ。

 

鬱々とした状態の27歳男性はみっともない。見た目がいい感じの男性ならともかく、血の流れた豚のような見た目をした27歳男性が鬱々として、なんの売りになろうか。否、断じて、否。

 

だから、早く戻らないといけない。

私はひょうきんなことが好きだ。

だから精神が安定してひょうきんなことを言いつづけたい。

でも、人と話していると、思わず病的なことばっかり言いすぎて、もうこの精神に染み付いたシミのようなものは取れないかもしれないとも思っている。

 

ただただ幸せになりたいと思う。

穏やかな気持ちで眠れて、なんの苦痛もなくて、なんの不安もなくて、自分に対して不信感もなくて。そんな風に幸せになりたい。

 

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『聖なる地獄』を観た!

27歳男性になってしまった。

先日、誕生日を迎え私は27歳男性になってしまった。
もうおじさんな歳になっている。
私の父親は27歳で結婚したそうだ。
私にそんな予定はない。
そして、私は現在どうやら適応障害らしく(前回心の風邪って書いたけども、抑鬱状態なだけで鬱病まではまだなってなかったみたいです。まだよかった。よかった)会社に行くことができず今は日々をぼんやりと過ごしています。
そんな27歳になってしまいました。

 


自分のこともままならない27歳男性だけども、世界のことをもっと知りたいと思い、最近はNetflixでドキュメンタリーを見るようにしている。
ちょっとでも世界のいろんな顔が見たくて、見始めました。
今回見たのは「聖なる地獄」というドキュメンタリー映画

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なんとニュースで有名なCNNが製作。監督はウィル・アレン。プロデューサーの1人には俳優のジャレッド・レトも参加しています。

これがちょっと想像以上にハードパンチャーで面白い映画だったので感想を書きたい。

まずこれがどういうドキュメンタリーなのかと言いますと、ブッダフィールドというカルト教団の22年の繁栄と崩壊の話なんですね。
で、監督のウィル・アレンさんはこの教団での映像担当だったのです。
なのでこのドキュメンタリーの大半の映像はこのウィル・アレンさんが撮影した映像になっています。
それと同時並行でこの教団に元いた人々のインタビューも差し込まれていきます。

みんな始まった頃のことを話すのはとても楽しそうなんですね。
森の中でダンスをしたり、海に入ったり、歌ったり。
1人がこう言います。「カルトはカルトかもしれないけども、これはいいカルトだよね」と。
この教団の中心になる教祖がいます。
彼は圧倒的なカリスマ性と心理療法を用いたセラピーで人気を博していきます。
当初は小さなコミュニティであったこのブッダフィールドも徐々に大きくなっていきます。
そのうち、仲間内だけの楽しい楽しい共同生活の場であったはずのこの教団は、この教祖の強固な帝国に変わっていくのです。

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途中、この教祖の正体が売れなかった元俳優だということが判明します。
その演技のワークショップを用いて洗脳を行っていたことも。
彼はかつての世間に認められなかったことをコンプレックスとして根に持ち続けているのか、それとも自分もあがめるものだけで構成されるこの教団という帝国を強大なものにするのか、真意のほどはわかりませんが、教団は徐々に暴走していきます。

当初からいた皆も「はじめは皆で楽しむ場所であったのに、いつから彼を崇拝する場になってしまったのか?」と疑問に思う。
しかし、もうそのときには十数年経っていた。
彼らは家族を捨て、これまでの生活を捨て、そして社会を捨て、この教団に入ってしまっている。
そして今の彼らにとってはその教団こそが居場所であり、そして家族であるので、おかしいと思いつつも抜け出すことができない。
そんな中、1通のメールがすべてを変えることになったのです。

 

とまあ、こんなつたない説明でそそられた人がいるのかわかんないけども、ここから本編は怒濤の展開になるので、未見かつNetflix加入者はぜひ見てほしい。
そして私はこの後、ネタバレをするので、注意してほしい。

 

ネタバレありの感想。

そのメールの内容というのは教祖が男性信者に性的暴行を行っていたというものであった。
そしてそれは1人、2人のみならず多くの男性信者が彼にセラピーと称した性的暴行を行われていた。
そう、この映画の監督であるウィル・アレン氏も性的暴行を受けた1人であった。
このことが発覚し、教団は崩壊に向かう。
教祖はそれでも残留する取り巻きを連れてハワイへ行った。
それをウィル・アレン監督はついて行く。しかしその場所こそ、教祖が監督に性的暴行を行った初めての地であった。
ハワイについた後、ウィル・アレン監督は教祖に何も言わず離れる。
そうして彼は教団から姿を消した。
ブッダフィールドに入ってから22年の年月が経っていた。


もうここまでで、僕は胸が痛くて仕方なかった。
ずっと見ていたこれまでの映像はどんな気持ちで撮られていたのか?
この映像をどんな気持ちで編集したのか?
それは見たくない傷口をもう一度自らこじ開けるように作られていたこの映画に対して背筋が凍る思いだった。
しかし、まだ映画は終わらない。
監督は現在の教祖に会いに行く。
教祖はハワイで新たな教団を作ったのだった。
そしてその教団には100人あまりの人が入団していることを知る。
そこにはブッダフィールド時代からの信者の姿もいた。

監督は隠しカメラをつけて、砂浜にいる教祖に会いに行く。
現在の教祖の姿だ。
教祖はナルシズムに満ちた男だった。
ブッダフィールドの頃から、多くの化粧品を使っていること、そして整形をしていることが判明していた。
現在の姿は整形で顔はまだ若いままだが、全身は老いのためよぼよぼになっている。老人なのに顔のパーツだけが若く、それはひどくおぞましいものに見えた。

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この映画の最後は、ブッダフィールドから監督が抜ける前に作った短編映画で終わる。
その映画には多くの当時の信者が映る。
そして彼ら1人1人映るたびに字幕が入る。

「脱退」

そして

「残留」

エンドクレジットではインタビューに答えてくれた元信者たちの今何をしているかが語られる。
全く異なる仕事をしているものもいれば、その教団時代に培った知識やスキルを仕事に生かしているものもいる。
彼らは言う「あの頃が懐かしいと思うこともある」と。
森の中でのダンスする映像が差し込まれる。
それは桃源郷のように見える。
しかしその後で脱退した元信者は泣きながら言う
「あの頃にも意味はあったんだ。そう、意味があったんだ。そう考えている」
そう思うしかないと、言い聞かせるように。

 

人は何かにすがりつかないと生きていけない。
これは宗教のみならず、ある種共同体や居場所も含む。
そのすがりついている居場所が狂っていることに気がついた時、抜け出すことができるだろうか。
22年かかってしまった彼らを私は笑うことはできない。そして今も「残留」し続けるものもことも。
私の心は強くない。
もし人心掌握術に長けたものが私を狙ったら一発でおしまいだと思う。
だからこそ、逃げていたいと思う。
人生を失う前に。
心が傷つけられる前に。

『チェイサー』を見た!

私事だけども、というかここに書いてあることなんて100%私事なんだけども、休職することになってしまった。

いわゆる心の風邪というやつになってしまったらしくて、ほとんどの日を部屋で過ごしている。
何するにしても疲れ切っておりまして、一事が万事「へぇ・・・へぇ・・・」と息を切らす始末。
その癖、友人と会うと楽しくなるもんだから、友人の前では「どっひゃー」と騒いで「あー元気そうやん」と言われ、あーそうかなーと思うも、いざ仕事だよーとなると体が重くなる。
非定型ほにゃほにゃと言うてしまうのは簡単ですが、いわゆる屑です。はい。
皆様、耐えることができるものに耐えることができず、そのくせ遊ぶときは人一倍。
なんていうか難儀な人間で。
というわけで、私は会社に行くこともできず、一日横になり続けている。
何にもできないので、植物のような生き方をしている。
そんな僕を見かねて今度母がやってくる。
申し訳ないと思う。
この間実家から帰ったばかりなのに。

 

『チェイサー』の感想。


ナ・ホンジン監督の「チェイサー」を見た。

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「チェイサー」を見るにしても、疲れ切っているので15分に一度休憩を取る始末。
もう、体がついていかない。映画見るにしても。集中力が持たない。それよりも体力がない。
でも、見た。一日かけて見た。

 

デリヘルの元締めをやっている元刑事の男。
その男の悩みは所属しているデリヘル嬢が次々と消えることであった。
てっきり金を持ち逃げしたか、嫌になって逃げたか、そして本部へ送るお金が消え頭を抱える日々。
そんな頃、客から電話がかかるも、出勤できるやつは1人もいない。
仕方ないので熱で寝込んでいるミジンを怒鳴りつけて出勤させる。
ミジンはシングルマザーで7歳の娘を持つ。
仕方なく出勤するミジンを娘は心配そうな目で見ていた。
そして客と出会うミジン。
ポロシャツを着たどこにでもいるような普通の30代の男に見えた。
しかし、そいつこそ頭のねじがぶっ飛びまくった快楽殺人犯であった・・・


というのがあらすじ。

で、まあ、これくらいの前情報で見ていたのですが、それでよかったなと。
いや、まさかこんな展開に、あんな展開に・・・。

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というのも犯人は開始30分で捕まってしまうのですよ。
あらあらあら!とびっくりしてしまった。
開始30分で犯人は警察署の中。
おいおいどうすんだい。と思っていたら、ここから消えてしまったミジンを追いかける話になるのです。
というのも、犯人は「どこで」犯行を行ったかがわからない。
どこにミジンはいるかわからない。
そしてミジンは既に瀕死の状態であることが観客には知らされている状態で話は進んでいきます。
そんなミジンを探す元刑事の男。
そしてひょんなことからミジンの娘もつれていくはめになってしまった。
最初は「なんでこんな目に」と思う男であったが、ミジンの娘と共に捜索するにつれ彼の中の眠っていた良心も火が点く。
「なんとしてでも、ミジンを娘の元に送り届けねば!」
そして男は走る、足で走ったり、車で走ったり、とにかく走る。
探せミジンを!助けろミジンを!

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そんな男の前に立ちふさがるのが快楽殺人者の男、そしてもう一つが地形であります。
この映画の舞台になっているのはソウルのプクアヒョンドンという場所。
この映画を見た人すべてが印象に残ると思う地形なんですよ。
何しろその坂と路地の数!
街一つが巨大な迷路のようになっている。
道は狭く細い。
そして坂はあちらこちらに伸びている。
そもそもの元刑事と犯人が出会うきっかけになったのも、この細い道のせいでもあり、そして元刑事の男を悩ませ続けるのも、そして犯人が逃げおおせるのもこの地形のせいでもあるわけです。
坂道サスペンスもしくは路地サスペンスもしくは入り組んだ地形サスペンスが見たい方は絶品な映画ではないでしょうか。

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ナ・ホンジン監督の映画は「哀しき獣」を以前に見て、その際も感じたのですがよくよく考えるの「なんだそれは」というツッコミどころ(この言葉は嫌いですが)があるのです。
しかし、そのツッコミどころってのはどうも監督自身は100も承知な気がするのです。
むしろスタッフには「ここおかしくないですか?」ってつっこみを入れられたとしても、多分ナ・ホンジン監督は「でもこっちの方が展開もやばいし映画的にも面白くなるやろが!!」とビンタしていると思うです。
勝手な想像だけども。でも、ナ・ホンジン監督は手は早そうな気がする。
ビンタとかうまそう。
というかフィジカル暴力シーンがマジ多め。
ありとあらゆるフィジカル暴力が詰まりまくってる。
殺人鬼が使うノミと金槌を使った殺人は身の毛がよだったし、コミュニケーションの一環かよってくらい主人公は何かにつけてすぐ人をたたくし、何より最高なのはパイプ椅子ノックアウトシーン。
あのムーブの華麗さは一見の価値ありなので是非見てほしい。

最初の方で15分に一度休憩を入れなきゃ見れなかったってのはそれほど体力を使う映画だからってのもあるんですけども、逆にいえばそれほど力強い映画なのです。
打楽器のビートが印象的な音楽に走りまくる登場人物。ぶれまくるカメラにテンポのいい編集。殴る蹴る当たり前!痛みが伝わるようなフィジカル暴力の数々。スタッフ・キャスト全員がハイ状態で作られたような映画でした。

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終盤、あまりの展開に声を失ってしまいました。
結末も決して甘いものとは言えません。
ラストシーン、そっと子供の手を握る男の向こうには街が広がっています。
その街は殺人鬼の男が狂気を垂らし、広がっていった街です。
そして元刑事の男はその街で屑のような生き方をしていた。
しかし、走り回り、失い、それでも戻ってきた男は狂気から脱出できたようにも思えます。でも、目の前にはあの街がまだあるのです。
あの闇と狂気が広がった街が。
脱出できた安堵感と、空っぽになってしまったような虚脱感を抱えながら映画は終わっていきます。
僕が思えるのはこんなことに巻き込まれたくないなと考えることだけだったのでした。

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