にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

”僕の体は常にスクラップアンドビルド”

僕は今25歳で8月には26歳になるからぎりぎり後厄な時間を生きてるわけなんですが、後厄も後厄やなってくらいにどんどん体調崩したり、立てなおしたり、また体調崩したり、僕の体は常にスクラップアンドビルド
あんまり厄年とか後厄とか全然気にせず生きてきたけども、ここまで色々起こるとまじで後厄とか気にしちゃう。
畳み掛けるように不幸に見舞われた人が宗教やスピリチュアルに行っちゃう理由もなんとなくわかったりした。
答えのない不幸に答えを求めちゃうとだいたいスピリチュアルが回答をもっているように見えちゃう。
そんなわけないのにねーと思いつつ、ここのところの体調崩しっぷりに、街を散歩している時に神社を見かけたらふらっと入って賽銭入れてぱんぱんと手を叩いて「体調良くなりますように」とつぶやく僕も対してスピリチュアルにはまる人と対して変わらないのかもしれない。


ゴールデンウィーク終わった後、僕の体調はすこぶる良かった。なんなら全能感すらあった。
春に僕を襲っていた体調不良なんてどこ吹く風。僕は全快した。そう思っていた。
だから心療内科に行った時も「もう僕治ったんでー」なことを言ったら先生は「ぶり返しってあるからね、気をつけてね」と言って、何を言ってるんだこれほどまでに全快したというのに水を差すなあと思っていたら私の体調はすってんころりん不良になって会社を2日休んだ。

会社を2日休むと、さすがに罪悪感が芽生えて、休んでるのに休んでない、とトトロの「夢なのに夢じゃなかった」のようなトーンで部屋の隅っこで天井を見上げながらつぶやくことになる。


僕はこれからどうなるのだろうか。こんなに体が弱いのに社会人続けることができるのだろうか。
悩みがモノリスの如く僕の目の前に現れるが、残念ながらそのモノリスにタッチしても僕は進化しない。

8月になれば26になる。
僕はすっかりおじさんと呼ばれる年齢になっていることに気がつく。
しかし実感が伴わないまま、ぼんやりと日々を過ごす。

というわけで聞いてくださいandymoriでSunrise&Sunset


「Sunrise & Sunset」~andymori ライブハウスツアー"FUN!FUN!FUN!"ファイナル @ LIQUIDROOM~

「あーさぼってなんかないよー」DJみそしるとMCごはん『ジャスタジスイ』

山盛りになった洗い物を放置して早5日。どうしよう…と不安になってる僕を励ますようにスピーカーから聞こえてきたのはこんなフレーズ。
「あーさぼってなんかないよー」
 

このフレーズの元はDJみそしるとMCごはんの『ジャスタジスイ』。

この曲は去年の4月に発売されたDJみそしるとMCごはんのメジャー1stアルバム『ジャスタジスイ』のリードトラック。
色々食べ物をテーマにラップしてきたおみそはん(DJみそしるとMCごはんの愛情)だけども、この曲はそのご飯の大元とも言える"自炊"がテーマ。
自炊!?と笑うのは早まるなかれ。
自炊のどきどきとわくわくと小さな失敗と大きな達成感。一人暮らしの寂しさと有り余る自由の豊かさ。そして自炊をすること=人としての成長を歌い上げる人生賛歌なんですよ!
しかもあくまでも歌は可愛らしくて多幸感に溢れててずっと聞いていたいほど楽しくて。
あまりの名曲っぷりに私心奪われちゃってます。
 
この曲は「片想い」と共作。
片想いの曲にあるような泣きそうになりながらも超幸せな雰囲気がおみそはんにめっちゃあってる…というか信じられないくらいの化学反応を起こしてる。
こんな幸福なコラボなかなかないよー!って言いたくなるくらい。本当幸せな曲だなー。
 
というわけで僕は山盛りになった洗い物を片付けることにしました。「あーさぼってなんかないよー」と言いながら。ジャスタジスイ。
 

雨の休日の話と舞城王太郎『ピコーン!』を読んだ話

日曜。

 
嵐が来る。天候の方の。雨風がやばい方の。こりゃやべえや。外でたらまずいやつだ。
しかもプラスでここのところの体調不良だしってことで外に出ないことを決定!やったー!
だって嵐だもの、休日だけども無理して外に出なくてもいい!素晴らしい!
 
にしても休日ってだけで何故か外に出なければいけない気がする。外に出なければ人生を無駄にしている気がする。
確かに25歳男性は彼女もいないし、夢に向かって日々邁進しているわけでもないので、なにもしない休日は即ち人生の無駄遣いなのかもしれないけども、それでもここのところのメンタルブレイクや、体調不良を考えれば外に出ないという選択肢の方が本当は正しいのだろう。
でも、なんとなく出なければいけないような、切迫感や強迫観念が晴れの日の休日は僕を襲う。
そして体調不良で外に出ない休日を選んでいる自分はなんと人生を無駄にしているんだという親や祖先に申し訳ない気持ちを抱きながら1日を過ごすことになる。すまね、すんまね!そんな気持ちで過ごす。
そりゃ、そんなんじゃ心は休まらないわ。思い出はいつも綺麗だけどそれだけじゃお腹が空くわ。
 
というわけで雨が降ると決まっている休日はなんと心の落ち着くことか。
だって外に出られないのだもの。
雨の日の休日は家の中で過ごすもの。
というわけで体調不良25歳男性は雨の日の休日をめいいっぱい楽しむことにした。
やっほー!!
 
とりあえず、昼からハヤシライスを作った。
玉ねぎを沢山切ってれ牛肉の代わりに豚肉を炒めてれ!ぐつぐつ煮込んで!
外からは雨風の音。スマホからはアルコ&ピースのオールナイトニッポン。その中でつくるハヤシライス。なんと素晴らしい休日なのだろうか!
ああいつまでも続け。この時間よ続け。
といってもハヤシライスは1時間そこそこで出来上がってしまった。意外とあっという間に出来上がっちゃうのね。
 
あーこの後どうしようかーと窓を開ける。
雨風の音がよりラウドに聞こえる。ざざざざ。ぶおんぶおん。
そんな中、床に寝転がってその音を暫し聞いていた。落ち着く。
引っ越して数ヶ月経つこの家のことを始めて我が家であるという気持ちが湧いた。社宅だけども。
 
そんな無印良品の広告的な時間を暫くすごす。それを終えた後に、舞城王太郎の『ピコーン!』を読むことにした。『熊の場所』という短編集に収録された本。読むのは久しぶり。でも買ったのは昨日。
 
というのも前日、私はメンタルプリズンブレイクを治すには気分転換が必要じゃないかと思い、外に出たのだった。ぶらぶら歩いているとブックオフに出会い、またぶらぶら歩いていると突如舞城王太郎が高校生以来ぶりに読みたくなり数冊買ってきたのだった。
何よりも何故かピコーン!が読みたかった。なんでかわかんないけども、身体が欲していた。舞城王太郎のピコーン!を。
というわけでピコーン!を読む。
 
 
この話を始めて読んだのは高校生の頃、まだ下ネタにすら恥ずかしさを感じてたから、この話を読んでもうまく処理出来なかった。なんか恥ずかしかった。というかわかってなかった。
改めて読むまでこの話が美しい話ってことに。
 
読んでない人にはなんのこっちゃな感想をつらつら述べていくけども、この話は星野源の『くだらないの中に』だったんですね。星野源の方がずっと後だけども。
髪の毛を嗅ぎ合うようなくだらないの中に愛を感じるように、フェラチオを通して愛を感じる女の子の話だったのだ。
フェラチオってね、単語はやっぱ強烈なんですよ。フェラを通して愛を感じるって、下ネタ以外なににも聞こえないかもだけども、これはその通りなんだよ。
ヤンキーの彼女で、将来考えて、ねー彼氏よ将来考えて仕事してやー、そんなヤンキーの彼氏がわかった更生して仕事するよ!って、でもまあその約束が彼女が毎日フェラで抜いてくれること。そしたら仕事も頑張る。ってくだらない。うらやましい。
最初疲れ果てていたフェラにも徐々に慣れていきめちゃくちゃテクニックを身につけていく彼女。そして高まっていく彼氏への愛!!!
 
でもそんなヤンキーの彼氏はある日死んで、あまりの死に様に一同騒然。そしてそこから彼女は自頭いいから一気に名探偵化して一気に解決。
ここまでの過程をこの女の子の怒涛の思考をそのまま頭に流されるような感覚で読み進めることになる。
脳細胞を直列で繋いでぶわぶわぶわぶわ!と僕の頭に流れ込んでくるような文体。
彼氏への愛、彼氏への不安、彼氏へのフェラ、彼氏の死、そして彼氏の死の捜査、それが一気に一気に頭に流れ込んでくる。
そして最後に残るのは彼氏への愛、愛、愛。
主人公は何故彼氏がそこまでフェラが好きなのかは結局わかってない。でも、その彼氏の死に姿と、ダウンタウン松本の1人ごっつの出世させようのコーナーでなんとなくわかっていく。
それが本当くだらなくて、でも愛を感じる。
寂しい終わりをするけども、確かにフェラチオの中に愛はあったのだ。ああなんてくだらないの中に愛が。
 
そんな風にピコーン!は主人公の思考にわらいつつ、圧倒されつつ、最後は少し寂しくなりながら、愛というものがあるならとてもくだらなくてゲスい中にあってそれは尊いんだなーとまだまだ人生をわかってない25歳男性は何かを悟った気になってしまったのだった
 
 
とここまで読んだところで何故だか異常にメンタルが落ち着いたので舞城王太郎が今のメンタル治療にめっちゃええのかもしれない!!
というわけで今後舞城王太郎を読もう。ブームだブーム!!
 

―これもまた"We are not things "な映画―『駆込み女と駆出し男』を見た!

駆込み女と駆出し男』('15)を見た!

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V8!V8!!と去年手でV8ポーズを決めて、天にかかげてジョー!ジョー!イモータンジョー!!となっていた25歳男性だった僕やけども、あの『マッドマックス怒りのデスロード』ってそんなアッパーな部分で陶酔しつつも、結局心に最終的に訴えかけてくるのって女性たちによる「WE ARE NOT THINGS」というメッセージだったわけじゃないですか。
怒りのデスロードって誰の怒りって女性たちの怒りのデスロードだったわけで。
しかもそれって映画では核戦争後って設定だけども、現実にも起こりうるというかもう起こっている出来事なわけで。
そんな部分が一部の人はなんか「男性軽視だー!」とX JAPANの紅が始まるころのテンションの如く怒ってて、おいおいそんなに青筋立ててたらYOSHIKIみたいにすぐに体力無くしちゃうよ、大丈夫、そんな姿勢でって、まあそんな思想の人に配慮することもないんだけども。
最近、そんな女性蔑視な思想のことをミソジニーって言うって知ってへーってなりました。というかミソジニーって単語自体は聞いたことあったのですが、三十路的な意味から来てるのかと。三十路の女性を軽視するみたいな風潮から来ているのかと。
そっちの方が悲惨で嫌だけども。というかそういうふうな風潮全般的にNOと言っていこうな。

とまあ、なんでこんな話から入ったかといえば今回見た「駆込み女と駆出し男」がそんな「WE ARE NOT THINGS」な姿勢にあふれた映画であったからです。

というわけでいつものごとくあらすじを映画ドットコムから引用しましょう。

井上ひさしの時代小説「東慶寺花だより」を原案に、「クライマーズ・ハイ」「わが母の記」の原田眞人監督が初めて手がけた人情時代劇。舞台は江戸時代の鎌倉。幕府公認の駆込み寺・東慶寺には離縁を求める女たちがやってくるが、寺に駆け込む前に、御用宿・柏屋で聞き取り調査が行われる。柏屋の居候で戯作者に憧れる駆出しの医者でもある信次郎は、柏屋の主・源兵衛とともに、ワケあり女たちの人生の新たな出発を手助けすることに。信次郎役に大泉洋。駆込み女に戸田恵梨香満島ひかり樹木希林堤真一山崎努らが脇を固める。』(映画ドットコムより引用)


本当少ない文字数の中にこの映画の要素を語りきっていて素晴らしい文章だなと。長々とよくわかんないことを書くだけが文章じゃないぞって言いたい。俺に言いたい。
でも、まあこういうスタイルで書かせてください。
というわけで、この映画は江戸時代の駆け込み寺というものが舞台となっております。
今のように女性からは自由に離婚ができないその時代。離婚を求める場合、この寺に駆け込み2年の歳月を経て、離縁状を書いてもらうというのが、女性から離婚を求める場合のプロセスであった。とまあ、そんな大変な時代があったのねとその時点で興味のフックがものすごい。
というわけで、この映画はその当時の離婚、そして駆け込み寺がどのように機能していたのかという知的好奇心をくすぐる内容にまずなっているのですよ。
知りたくないですか。どうですか。
現代で言うなればDVの末に、離婚を決意した鉄練りじょご(戸田恵梨香)がそのような問題で駆け込みを決意した分、視点を入れ込みやすい。
その駆け込みを決意するところも辛くてね・・・。
必死に鉄練を頑張ってきているのに、旦那は女遊びに明け暮れてるどころか、止めに来た嫁を殴る蹴る、その上必死に頑張ったうえで出来てしまった顔の火膨れの傷を「そんなんじゃ誰もてめえには寄り付かねえよ!」と悪態をつく始末。この時点で、こいつ殺すしかねえ。ってなるけども、殺せないんだよね。映画だからね。その上、すぐに人って殺しちゃだめだからね、我慢してね。
と悪態をついた上に嫁の前で愛人とセックスを始める始末。
それに絶望し、じょごさんは生活に耐えるか、自殺をするか、駆け込みをするかとコイントス的なもので決めて駆け込みを決意するんですね。
いやーこれ、江戸時代を描いた映画やからじゃないでしょ。もうこの時点で、わかるー!!ってなっちゃう女性多いでしょ・・・
まあ、そんな女性が駆け込み寺で、どのように傷ついた心を取り戻していくか、そして自立していくかを描いた映画なのですよ。
そこで、心を取り戻していくのって、自分がこれまで知らなかった世界を知ること、その新たな才能に気がつくこと、そしてそれを意欲的に学んでいくことだということも描かれていきます。
学ぶじょごさん超かっけえ。というかどんどんいきいきしていく。その姿、まじ感動的。俺も、明日からちゃんといろんなこと学んで生きていきてえな・・・って思っちゃった。うん。

まあ、そんな女性が一人立ちしていく姿も感動的な映画なんですが、それよりもこの映画の魅力になっているのは、全編を通しての軽快て軽妙で文化の香りが濃厚な会話劇でしょう。
今や使うことのないその当時の言い回しを多く使いつつ、それを全編ものすごいテンポの速さで掛けあわせて行く。
正直、何を言っているのかわかんないシーンのほうが多いのですが、多分それは意図的。
すべてがすべて意味がわかんなくてもいい。それは置いていけぼりにする意図でやったのではなく、その当時の文化の豊かさを再現しようとしているのではないでしょうか。
だから会話が説明的ではなく、その当時の文化だからこその言い回しが多く使われた美しい音がする言葉、それがものすごいスピードで流されていくわけです。それがまあ心地よいこと心地良いこと!
会話劇は耳に心地よいようなテンポでやられるとやっぱええですな。
「わかんねえやつは置いていく」そんな姿勢だからこそ、今はその当時の言葉や文化がとても気になっている。八犬伝めっちゃ読みたい。
そんな会話劇が主体な映画ですのでしゃべりが達者なやつが主人公であればあるほど、心地よさと説得力が倍増するわけですよ。
というわけで主人公は現代日本映画界でもっとも軽妙なしゃべりが似合う男、大泉洋
彼は医者見習いでありながら、戯作者になりたいとも思っております。
だから駆出し男なわけですが、そんな駆出し男に様々な問題が振りかかるんですよ。
それを解決していくのが、彼の喋り。
中盤圧巻なのが、駆け込み女を取り戻しに来た暴君たちを長台詞で追い返すシーン。
暴君を追い返すほどの喋りというのは説得力とその暴君をまるで腕力でねじ伏せるかのような話術が必要なわけですけども、それを見事やりきた名シーン。
そのシーンが終わったあと思わず拍手してしまったもの、すごすぎて。
いやー、あれは名シーン。大泉洋渾身の演技だったなー。
まあ、彼は、登場からろくな目にあいませんが、そうやって一つ一つ問題を解決していくことで駆出し男は成長していくわけです。

駆込み女が寺で修行をし外界に戻るまでの期間が2年間。その間に駆込み女と駆出し男はどのような成長をするのでしょうか。
それがクライマックス、普通の恋愛映画なら当たり前なキスシーンの描き方におおっ!となってしまいました。
僕の胸もときめいてしまった。
男女の関係って不思議なものねと。そしてそんなことができるようになったじょごの姿にときめいてしまったのです。


いろいろ褒めたい映画です。
監督は原田眞人原田眞人といえば僕はKAMIKAZE TAXIが好きですけども、今回もKAMIKAZE TAXIみたくあっちらこっちらどこへ向かうかわからないフリーキーな話運びが軽快で素敵でした。
今回も題材からは想像できないほどフリーキーで軽快でテンポもよくて楽しい映画で・・・とKAMIKAZE TAXIが好きだった原田眞人監督ファンに勧められる一作なんじゃないかと。
俳優陣だと満島ひかりの名演っぷり!!もう満島ひかり凄すぎ。劇中でもいう言葉を借りるならば艷っぽさ。艷っぽさに満ちてます。
登場から素敵やなーとなる艷っぽさなのに、彼女の最期のシーンなんてもう泣いちゃうよあんな演技。
素敵だったなー。


あと江戸時代の文化的な豊かさもいっぱいつまってるのもまた楽しい。
その一方で、文化を制限するお上への怒りもそこかしらにあるのに静かな怒りを感じました。
わかるよわかるその気持ち!



とまあいろいろつらつら書いてきましたが江戸時代の離婚制度の一つ・・・というには語弊はありますが、そんなシステムの一つでもあった駆け込み寺を題材にしつつ、重苦しくなく、テンポよく楽しく笑いあり涙あり、もう今や失われてしまった江戸時代の文化の豊かさも味わえ、そしてWE ARE NOT THINGSと強いメッセージが込められた邦画の良作でした。
とにかく僕がこの映画で一番推したいのは大泉洋の長台詞!あのシーンを見るためだけでもこの映画を見る価値あります!
ぜひぜひー!面白かったー!!


大泉洋主演!映画『駆込み女と駆出し男』予告編

なんだよこれ!!凄え面白えよー!!!!『ちはやふる 上の句』を見た!!!

ちはやふる 上の句』を見た!

 
ではいつものように映画の話の前に近況報告です。
ここのところ、このブログには書いてるようにメンタル系の病気にかかりまして、ちょっと治ったと思って会社に戻って三日ほど働いたら、金曜日になって起き上がれないほどの身体のだるさと辛さと眩暈とで、休んでしまって、そのことでまたもやメンタルを弱らせてしまった。
 
1日休んでいる間は寝まくって、寝まくって、寝まくって。それでも身体のだるさはとれない。
次の日も昼過ぎまで寝て、これはメンタルを回復せねばならないのでは思って、一人カラオケに行くも歌うのも疲れ果ててしまって、大半の時間をゲロ臭いソファーで横たわってしまいもうだめだわ俺…となる始末。
 
 
そんな中せめて映画は見ようと思い立ち、twitterで評判だし、ということで、『ちはやふる 上の句』を見てきたんですよ。
そしたら、もう…!!!!!
今、見終わって20分後くらいですが、言葉に出来ないくらいの感情の高ぶりに襲われてるんですよ!!!!
うわわわ!!!!!
 
もうね、なんですか、これは!!!
凄えよー!!
凄え面白えよーー!!!!
 
ちはやふるってね、人気な漫画やってのは聞いてたけども、どんなんかってのは一切知ってなかったわけですよ。
そしたら競技カルタの話じゃないですか。
競技カルタ?NHKでよく夕方のニュースでやってるやつ?
それくらいの認識ですよ!
それで見てみたら、なんだこの世界は!!
競技カルタまじアスリート。
織田裕二ですよ、オーマイトレジャーですよ!!
そういうタイプの体育!体!スポーツ!!!
全然知らなかった…知らなかったよ俺!!
 
だからよー、それこそ、本編前に少女漫画原作の予告が沢山流れたけども、どれも甘々な雰囲気で口の中に詰め込んだらすぐにこれは虫歯が出来ちまいますわなーみたいな塩梅なやつが多くて、その一種かとちょっとでも思った俺の首筋に蹴りを一発打ち込みてえよな。
もうそんな映画じゃ全然なかった。
超絶激熱スポ根映画。
つまりよ、今年の映画でいうなれば『クリード』。
これ。
これと双璧。俺の中では双璧成してしまった。
申し訳ねえ。もう双璧成しちまった。
それくらいの作品だと思う。
今はこの作品の強度にやられてる。
とんでもない作品を見せてもらった。
だからね、メンタルもちょっとマシなんですよ。
なんか、映画っていいなあって。素直に思いました。
今の自分のことはさておいて、エンターテイメントは楽しさも教訓も感動も希望もくれるじゃないですか。僕はそれを摂取して生きてる生物なんだなって改めて思ったよ。
 
まあそれはさておいて、ちはやふるって作品まじ面白えな。
主人公の千早がこんなにアホな子だとは思ってなかった。
もう高校生にもなって頭の中にあるのはカルタのことばっかり、カルタ馬鹿なんだけども、その勢いな、周りを巻き込んでいくその勢いな。
演じる広瀬すずもやべえな。広瀬すずが多分人生で一番弾けてる瞬間が詰め込まれまくってる。
この映画という名のほぼほぼ永久保存されるジップロックにこの広瀬すずが詰め込まれてる。
ちはやふるってこんな凄えいい映画で詰め込まれてるの素晴らしすぎるでしょ。素敵すぎるでしょ。やべえ。本当やべえ。
 
で、一人一人よかったー!!!って言ってたらもうキリないんだけども、机くんのことが僕は他人事にように思えなくて。
才能もねえ、上手く立ち振る舞うこともできねえ、現実は残酷に突きつけてくるしよお!そりゃ腐っちまいそうになるよ!!
でも、あいつが改めてチームになる瞬間…!!!
僕はどっばどば目から涙を流してたよ!
そうなんだよ!一人じゃこんな思いをしなくてもすんだ、でも一人じゃこんな景色を見ることはなかったんだよな!!!!
その景色を見せてくれたのは、そうNAKAMAだろ!!!
それに気がつく瞬間、俺も、すいません恥ずかしながらですが、NAKAMA、感じてました。
みんなもそうだよな!
というか下の句は机くん、勝ってほしい。敗戦処理だけしかできねえと思われてるやつが、一矢報いるところ、俺は見てえ。
机くんみたいなやつの輝くところ、俺見てえ…
現実には持ってないやつのほうが大半で、持ってないからって腐ってしまうことのほうが多いけども、映画の中では持ってない奴がそれでも…それでも!と奮い起つ瞬間が見たい!
そしてその瞬間が確かに詰まっていた!!
この映画には詰まっていた!!!
そして泣いた!!!
ぼろぼろに泣いた!!!
もうそんな映画のあら探しなんてできるか?
否!断じて否!!!
もうとにかく大絶賛です。とにかく大絶賛したいです。
日本でこんなクオリティの青春映画が出てきたってことがまず幸せだし、そして何より続編がすぐ見ることができるって状態がまじで幸せすぎ。
映画の興行で前後篇は正直嫌いだけども、これに関しては前後篇というよりも超面白い1、そしてその2がすぐ見る事できるらしいぞ!って感覚!
つまりよ、ターミネーター1を見たその日に、再来週ターミネーター2公開されるで、って言われたらもう歓喜でしょ?おおおお!!!って沸き立つでしょ。それ。それです。
 
もうそういう状態。
心の底から見終わって、誰彼構わず、こんな面白い映画見せてくれてありがとうと言いたくなったのは久しぶり。
ほんまに面白かった。
今のところ今年ベストにしちゃおう。
それくらいよかったー!!!!!